この夏の課題図書に「戦火のシンフォニー」を

コラム
クラシック
2015.7.30

ショスタコーヴィチの交響曲をめぐる実際にあったドラマ

先日、用あって訪れた図書館で、テロの犠牲となった後藤健二氏の著作「ルワンダの祈り」が読書感想文コンクールの課題図書に選ばれていることを知った。内容は映画「ホテル・ルワンダ」などでも知られる、あの陰惨な内戦のドキュメンタリを、生き残った人々への取材をもとに平易な文章で著したものだ。自分自身の過去を振り返ると読書感想文というものに対してはいささか微妙な思いがあるけれど、あのような悲劇的な形で生涯を終えた後藤氏の仕事がこうして広まり、残っていくのだと思うと少しだけ救われる思いがしたことである。

さてこんな話をしたのは他でもない、「ルワンダの祈り」同様、平易な書きぶりによるドキュメンタリのことを思い出したからだ。その本を私から、いわば「大人の課題図書」としてご紹介させていただこうと思う。そこで取り上げられる「実話」はルワンダの内戦よりももう少し昔の話、1941年から1942年にかけての出来事だ。その本のタイトルは「戦火のシンフォニー ―レニングラード封鎖345日目の真実―」。かつてはヴァイオリン奏者としても活躍した音楽作家のひのまどかが著した本書は2014年に出版され、第25回新日鉄住金音楽賞の特別賞に選ばれた。7月21日には紀尾井ホールで授賞式と記念演奏会が行われ、そこで彼女はスピーチをしている。なお、同賞のフレッシュアーティスト賞はチェリストの岡本侑也が受賞した。2011年の第80回日本音楽コンクール、チェロ部門で第1位を獲得した逸材である。

さて、本書のタイトルが示す「戦火のシンフォニー」とは、ドミトリー・ショスタコーヴィチ作曲の交響曲第七番、「レニングラード」の愛称で知られる、1941年に作曲された巨大な交響曲だ。この作品といえば、一定の年齢以上の方ならアリナミンVのCMを思い出されるかもしれない、今ならむしろアニメ「涼宮ハルヒの憂鬱」を思い出されるだろうか。そういった形も含めて部分的には知られている作品だが、この曲全体がどのような曲であるのかイメージがない方も少なくないだろう。たしかにあの行進曲は第一楽章の小さくない部分を占めるけれど、交響曲全体では演奏時間一時間を超える長大な、大オーケストラを要求する巨大な音楽なのだ。

当初構想された四つの楽章のタイトル案はこの作品を知る上での参考になるだろう。第一楽章には「戦争」、第二楽章は「回想」、第三楽章は「広大な祖国」、そして第四楽章は「勝利」という案からも、交響曲第七番がショスタコーヴィチにとっての「いま、ここ」で起きている戦争そのものに深く関連した作品であることはご理解いただけるだろう。

なおこの交響曲について、「ショスタコーヴィチの証言」での記述などから「反スターリン」という性格も指摘されるのだけれど、今まさに自分が住んでいる地域が戦場になる状況下で、文字どおり命の危険を顧みず反スターリン、内的政治闘争のために巨大な作品を作曲したのだ、と考えるのは不自然にすぎるのではないかと愚考する(もちろん、この曲が一面的にのみ受け取られるべき、ということではないけれど)。そしてロシアにおいて「レニングラード」交響曲は、疑いようもなく愛国的な作品として今も受容されている、ということは申し添えておく。

本書は、1941年6月からの独ソ戦のなか、同年9月には包囲されてほぼ孤立したレニングラードで、それでもこの自分たちの街のための交響曲を演奏すべく奔走し、カール・エリアスベルク指揮するレニングラード放送管弦楽団(現在のサンクトペテルブルク交響楽団)により1942年8月9日にレニングラード初演を実現させた人たちの物語。当初は小説として構想されたという本書だが、過度な演出のない、事実をして語らしむる見事なノンフィクションとして世に出たことは喜ばしいことだ。敵に包囲された街の士気を示さんとするも、オーケストラの楽員もすでに戦場にあり、演奏のためにはまず人集めからはじめなければならず、ようやくある程度のオーケストラが組めたとおもいきや、……と続く困難、それを克服した音楽の勝利の記録についてはぜひ本書でお読みいただきたい。

かつてのレニングラード、現在のサンクトペテルブルクにある戦争博物館の名は「しかし、ミューズは黙らなかった」という。この不思議な名前はロシアのことわざ「大砲の鳴る時、ミューズは黙る」を覆してみせた音楽家たちを称えるものである。なお、この演奏は当時ラジオで放送もされたが、その録音は残されていない。

最後に少しだけ、私の読後の感想を書かせていただきたい。本書で示される、あの作品を演奏するための数々の音楽的困難ももちろん大変なのだが、その前に大前提として「包囲された街で生き延びること」の困難が本書には溢れている。それでもレニングラードは音楽を求めた、音楽によって武力に立ち向かったという事実に、率直に申し上げて圧倒された。そして本書で語られる1942年夏の感動的なレニングラード初演のあとも包囲戦すなわちレニングラードの孤立は続いて、解放の日は1944年1月18日にようやく訪れる。その事実の前に申し上げられることは何もない。

皆さまはどのように感じられるだろうか、ぜひご一読の上ショスタコーヴィチの交響曲も聴いてみていただきたいと思う次第だ。もちろん、読書感想文は提出していただかなくてかまいませんので。

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