森山直太朗インタビュー 活動小休止の真相と最新作『嗚呼』の瑞々しさに迫る
森山直太朗
昨年突然の「活動小休止宣言」をし、半年間活動をストップしていた森山直太朗が、素晴らしいアルバムを引っ提げて帰ってきた。『嗚呼』(6月1日発売)は、森山が様々な理由から一旦歩みを止めて、また歩き始めるまでのドキュメントと言っていいほど、彼の想いや息遣いまでが感じられる作品に仕上がった。この『嗚呼』が出来上がるまでを、活動小休止の真相、そして半年間何をしていたのかも含めてインタビューした。
――去年活動小休止宣言をし、色々な反応があったと思いますが、中には「半年休むって言わなくても、アルバム制作でもそれぐらいかかるのでは?」という声もありましたが、自分のなかでは、どこか創作活動に煮詰まっていたということだったんですか?
それはイエスかノーで言うとノーで、本人にはそう自覚がありませんでした。これまでスタッフは僕が創作活動しやすく、表現しやすい環境を作ってくれていて、変な話、リリースとかセールスとか度外視しても、そこを守り続けてやってきてくれたんですけど、そんな中で僕自身が、どうしたいとか、こうしていきたいとか、個人的な目標とか、社会的にどうあるべきかというビジョンが全くない人間で。とりあえず長く活動を続けたいということだけを言っていたんですが、ある時「もっと自分の中の深いところから出てくる、衝動みたいなものがあるんじゃない?」と言われました。アルバムをリリースしてツアーをやって、またレコーディングして、プロモーションしてリリースしてツアー……というルーティーンがあって、その一環の中でお休みするということも、ちゃんと責任を持って、仕事としてお休みをしてみるのはどうだろうという提案を受けまして。言われてみると、テレビやラジオ番組の打合せで、例えば、今のマイブームはなんですかって聞かれたときに、どの打合せでも「日帰りキャンプです」の一点張りで、スタッフから「お前日帰りキャンプしかないのかよ」と言われていたんですよ。でも僕は芸人さんじゃないから、毎回面白いこと言えないよなと思いつつも、確かに新しいことが何も出てこない自分がいると思い、その答えしか出てこないということを、ちゃんと考えた方がいいんじゃないかと。日常生活とか個人的なコミュニティ、関係性みたいなものを、見つめ直すことで、結果的に例えそれが音楽ではないとしても、自分が本当にやりたいことが見つかるんじゃないかという話になりました。それでも音楽をやりたいと思うのであれば、そこに真理があるからと。結局みんなが求めているのは、僕が何をしようとしているか、その姿勢だから、曲を作らなくていいからずっとそのことを考えていてくれと、以前からスタッフには言われていたんですけど、それを先送りにして活動していた感があったんですよね。それで去年9月に「生きる(って言い切る)」という曲をリリースして、それを機に「小休止」を公言しましたが、自分なりにツアーしますリリースしますお休みしますという、同じ線上にあるものと考えていました。
――小休止も音楽活動の一環であると。
そうです。で、人はそれを制作期間って呼ぶんですが、そんな玉じゃないんですよ僕は。制作期間にあぐらかいてというよりも、ちゃんと意識的に休まないとと自分でも思っていたし、周りの人たちもそういうふうに勧めてくれました。謙遜しすぎかもしれないけど、僕が未熟だからそうするしかなかったっていうことですね。
――キャリアを積んでいてもそういうふうに思われるんですね。キャリアを積んできたからこそ「小休止」が必要だったのかもしれませんが。逆に休むということに対して「不安」はなかったですか?
怖さはなかったです。休んでいる間は、曲を作りたくても我慢して、曲を作ることから一回離れたほうがいいということは、さすがにわかっていたのですが、でもどうしても手癖とか口癖でギターに手が出そうになったり、歌っちゃったりするんですよ、スケッチをするように。でもそれも一回完全にやめて、いわゆるもう少し土の部分から掘り返していくような日常を過ごしていました。一緒に仕事をしている古くからの友人(御徒町凧)や家族とのコミュニケーションもそうですし、すごく根本的なことを見直す感じでした。そういことってできているようで意外とできていない、コミュニケーションって自分が思っているほどとれていないんだなと思いました。
――小休止している間、山小屋を購入してそこに籠っていたそうですが、住むところを変えてみよう、過ごす時間を変えてみたいと思って山小屋を購入されたんですか?それとも昔から欲しいなあと思っていて、タイミングが合って購入された感じですか?
どちらかというと後者でした。実は休むことは1年前から決まっていて、そのちょっと前から、割と少年的な発想で、基地とかキャンピングカーとか欲しいなと思っていました。ただあんまり具体性とか現実味がなくて、忙しかったということもあって、それまで自分の趣味を掘り下げたり見出したりすることがなかったんです。タイミングを同じくして、総勢30人ぐらいでとある湖の畔にキャンプに行きまして、ここいいなあってずっと憧れがあって、その夜にネットで少し調べてみたらその3日くらい前にアップされたらしい中古物件がありました。すぐオーナーさんと会って色々話を聞かせてもらったら、相当な愛着とこだわりを持った物件だったんです。本当に山奥にある小さな山小屋です。それで譲っていただいて、中古物件なのでリフォームに奔走していました。やっぱり一人で生活していると仕事あるんですよね、例えば掃き掃除とか薪を割ったりとか。掃除が終わってもテレビがないので、その後圧倒的に時間が流れていくんです。普段だったら見過ごしているような、安直な表現だけど木々の彩りが移ろっていくのとか、日が陰っていくのとかを見て、あ、こんな感じなんだって。そこではやることとか全然決まってなくて、でも自然と内容が追い付いていくというか。
――レコーディングできる機材とかも持ち込まず?
ギターを視界に入れるのもやめようという時期だったので、持ち込みませんでした。それよりも誰かを呼ぼうとか、リフォームの事ばかり考えていました。
――でもいい時間でしたよね。いいタイミングで山小屋と新しい出会いがあって、それを自分の好きなように変えていく、そこに自分の趣味を乗せていくというのがいい時間だったのではないですか?
そう思いたいですよね。僕の中で実感はあるんですけど、やっぱり時間は限られているし、実際完全に休めたのは4か月くらいで、その中でもっとアグレッシブになれたかもしれないと思ったり。親友を訪ねて台湾に行ったり、FCバルセロナが好きなので、スペインまでサッカーを観に行ってみたり、そういう旅はしました。これまで凝り固まった習慣の中で生きてきて、そこから少し外に出てみることで、客観性のようなものが見えてきて、例えば昔言われたあの言葉って、そういう意味だったのかとか気づくことができたり。一つの場所にいるとどうしても見える景色は同じで、付き合う人との関係性も変えずに自分を変えようと思っても相当根性がいると思うんですよね。でもどうやらそういう時期に差しかかっていたようで、出不精だった僕が山小屋生活をしたり、少し旅に出られたということは、自分の中でフィジカル的にもそっち側に行けたということなので、内面も変化してきています。基地で一人でいると、どこに行こうかとかずっと考えていて、あの大きな仕事終わったら、これぐらいお休み取らせてもらってこれしようかなとか、今までそんなこと考えたこともなかった。でも思いを張り巡らせるということが自分の好奇心で、その先に出会いがあるし、その出会いの中に成長があるから、当たり前のこと言ってるんですけどね(笑)。本当だったらこの休みでもっと色々なところに行けたかもしれないのに、まず基地を作るっていうのは自分ぽいなあと思って。でも以前には全くなかった外へ外へという感覚、意識が出てきました。
――それ、だいぶ変わったってことじゃないですか。
そうです、後はもう行動に移すか移さないかなんですが、これで結局想像で終わっていくパターンもありますからね(笑)。我々の仕事で、これだけ頑張ったからご褒美で旅に出るというのは違うと思っていて、仕事自体がある種アドベンチャーであるべきだと思っているからチャレンジしていくんです。旅することもやっぱり活動の一環だし、こもって自分と向き合うことも作業の一環だったりするので、全部地続きでなければいけないんですよね。そういう意味ではオフの考え方とか、オンとオフのスイッチみたいなのは、もしかしたらちゃんと生活していればなくていいのかなって。曲づくりもプライベートもすみ分けなく、興味の対象というか好奇心の先にあるものというのが一番望ましいですよね。本当にやりたいことをやったほうがいいのですが、世の中は意外とやりたくないこと、やらなくていいことがたくさんあって、そういうことに浸食されたり、蝕まれたりして、本来自分がやるべきことや、本当にやりたかったことってこういう事じゃないんじゃない、ということをやっている気がします。もちろん組織とかコミュニティのなかで役割があるというのは、生きているうえで支えになるし、でも一番大切なのは自分が興味を持ってやっているかどうかで、物事に対する興味、自分の内面に対する好奇心につながっているのかとまさに今問いかけられているところです。
森山直太朗 スペシャルライブ&肩たたき会より Photo by Hajime Kamiiisaka
――これまで直太朗さんの曲に背中を押してもらったとか、勇気をもらったとか、考えさせられたという人がたくさんいると思いますが、そういう意味で表現者ってやっぱり選ばれた人だと思っていて、そういう歌を届け、感動を与えていくということが神様から与えられたひとつの“使命”なんじゃないかと思っています。だからいつもいい状態で、創作活動と向き合って欲しいと思います。
それはもうありがたいですね。でも“使命”ということは全くなくて、自分には歌しかないということなんです。それ以外を知らないなかで、そういう事を言ってしまうのは個人的にはダメだなと思いますが……。だけどこの活動を始めたきっかけは、やはり親の影響であり友達の御徒町だったり、人に言葉で直接言われたことはないですが、いけ!って色々な人に背中を押されたと思っています。だから自分からこれが使命ですって言って今までやってきていないんですよね。本当にこれは見事に人のせいにしながらやってきているんですよ(笑)。「お前やれって言ったじゃないかよ」って(笑)。「俺、やりたいって言ってないよね、あのとき」っていうのを残してやっているんです、自然と。でも頑張ってるんですよ、人一倍。だけど最後の最後どこか保険残しているなと思って。今回のアルバムは、実の姉でもあるマネージャーが離れ、もちろん姉弟の関係は続いていきますけど、ある種もとの関係に戻り、いよいよ冒頭に話したような根本的な衝動がエネルギーとしてないと、誰も動いてくれないし、何も始まらない状況の中で作ったものなんです。ただ自分は表現したいという欲求だけはあって、でもその欲求ひとつひとつがなかなか繋がってこないというジレンマもあって。それで今回は覚悟を決めたというか、今までは目を背けていたことに向き合ったり、一つ一つ過去を見つめ直したりして、こういうふうにしたいと具体的なことをスタッフにプレゼンしていきました。核心を伝えていく作業と、共感してくれた人たちとそれを詰めていく工程を経て、自分がメジャーデビューしたときに作ったミニアルバム(『乾いた唄は魚の餌にちょうどいい』(2002年))以来の、自分のこだわりとかアイディアとか気づきを全て投影した作品になりました。
――それはオールプロデュースとはまた違う感じですか。
プロデュースというよりも、自分はこうしてみたいという全体像、細かい部分を提示する感じでした。アレンジとサウンドプロデュースは今回共同という形で河野圭さんと高野寛さんに入ってもらっていますが、基本的にはトータルで関わっているということです。本当に今まで色々な人に助けてもらっていたんだなって思いました。
――今気づいたんですか(笑)。
わかってはいるんですけどね(笑)。でもいざ自分が最前線に立ってみると、ひと筋縄ではいかないですよね。人と時間とお金を遣って、わざわざ一から作るんですから、それは中途半端なことはできないですし、利益だけ求めて作ってもダメだし。今までは歌っているだけで良かったけど、アートワークとか、そこに付随するエトセトラ、枝葉の部分まで自分で考えることになりました。でも逆をいうと、ひとつひとつのディテールがアルバムの良さを引き出してくれるから、アルバム作りというのはひと筋縄ではダメだし、だからこそ面白い化学反応がたくさん起こるんだということを、改めて知るきっかけになりましたね、情けない話。
――もうやるしかないって状況です。
あんまり言いたくないけど、そうでした。誰にも頼れないし誰も最終的には責任取ってくれないですし、取ってくれないっておかしな話で、自分の名前でやっているんだから。そこは恥をかいてもいいし、未熟なものでもいいからやってみようっていうところで、一歩踏み出してみようという感じでした。その中でフラットで、いつもと変わらない態度で接してくれるスタッフや仲間がいたことに感謝しています。14年もやっていると、いわゆる“アーティスト”って呼ばれたりして……。
――みんなそう呼んでますよ。
そこなんですよ。アーティストっていうのは、やっぱり僕のなかではものすごく限られた人間だと思っているので、どちらかというと僕はもう少し“道化師”に近いというか、“道化師”の中にもアーティストはいると思いますが。アーティストという言葉の意味、括りが、若干飽和状態じゃないですか。アーティストになりたいっていう女性アイドルがたまにいますが、アーティストはなるものじゃないよー、アーティストって職業じゃないんだよー、宿命なんだよって教えてあげたくなっちゃいます。僕はもう少し文化祭ノリというか、放課後、遊んでいる延長でやっている感覚です。以前(笑福亭)鶴瓶さんに言われたのですが「一生素人でいろよ」と。その言葉には若造ながら共感しました、そういう身の程をわきまえて、どういうものを発信できるかということです。身の丈を知りつつ、その身の丈をこういう活動のなかでちょっとでも伸ばしていきたいというのが、ひとつの目標ですね。
森山直太朗 スペシャルライブ&肩たたき会より Photo by Hajime Kamiiisaka
――今回のアルバムの曲はいつ頃から作り始めたんですか?
年内はほとんど動かず、でも「金色の空」は我慢できなくて去年作っちゃいました。音楽を通して表現活動を続けていきたいと思いつつも、何したっていいんだよって思っている自分もいたので、逆に言うと何もしなくてもいいんだよという感覚も根底にあって。だから「金色の空」ができた時も、すごく個人的な内容だし誰にも聴かせなくてもいいやって思いました。いつもは曲ができたら大体、御徒町に聴かせようとか、これ聴いたらスタッフはどういう顔するだろうって思うのに、そういう感じも全くなく誰にも見せない日記とか絵を描く感じで書いたので。だからアルバムの中でこの曲だけ感傷的ですよね。今まではそういう感じのものとか、いわゆる人々の共感を得やすいものに対しては、ある程度線をひきながら曲を作ってきたので、こういうタイプの曲は今までアルバムにラインナップされることはあまりなかったんです。でも今回は新しいアルバムに「お休みさせてもらって戻る時にこの曲が入っていないのは不自然だ」と御徒町に言われて。本当はもっと温めて、曲との付き合いを深めて、いつか死ぬまでに出せたらいいと思っていたのですが「いやそれは今出すべきだって」と彼が譲らず、入れました。「嗚呼」という、アルバムのタイトルにもなっている曲は、去年の秋頃、休んでいるところに御徒町からモチーフが送られてきて、具体的に言葉になったのは年末でした。年明けしばらくして、この曲が出来たことが今回のアルバム制作の出発点となりました。赤ちゃんが最初に発する言葉って「ああ」なんですよね。「嗚呼」という言葉は喜怒哀楽、全ての意味をはらんでいるんです。世の中には応援ソング、恋愛ソングとか色々なテーマやジャンルがありますが、それは聴いた人が決めることで、創作の衝動として、表現の在り方として、我々が今出せるのはこれくらい木訥とした響きなんじゃないかって、その絵だけははっきりとあったんですよね。
――「嗚呼」って人によって色々な捉え方がある言葉ですよね。
本当にそうですし、そうあって欲しいなと思います。40のおじさんの悲壮な叫びとして終わらせたくないですよね(笑)。そういう部分もあると思いますが、それだけで終わってしまってはあまりにも自分勝手ですよね。
――「嗚呼」を一曲目に持ってこようという構想はなかったんですか?
小休止前のシングルが「生きる(って言い切る)」という曲で、なにか自分たちなりに句読点とか杭を打って、小休止しようというビジョンが当時あって、渾身の一曲でなければいけない、今しかできないものをということで、絞り出して何曲かその時期作ったんです。9月にリリースするというのは一応決めていて、できなかったらやめよう、無理して出さないで、静かにお休みに入ろうって思っていました。やっぱりお世話になっている人に向けてもそうだし、自分たち自身の一つの活動の節目としても、こういう曲を作ろうということになって作った何曲かの中の、ボツになった一曲が「魂、それはあいつからの贈り物」なんです。だからすごく思い入れがあって。
――でも爽やかなイントロが今の季節にも合っているし、いい曲です。
そうですね、やっぱ出塁率が一番として高いかなと思いまして(笑)。
――話を聞いて、逆に「魂~」が1曲目にあるべき曲という感じがしました。「嗚呼」に繋がるというか。
ひとつの時間軸のなかで、あの曲に辿りついたという感じがしていて、最初は「魂~」が表題曲になるイメージもありました。「嗚呼」と「魂~」。それこそ「魂~」はMUSIC VIDEOも撮っていて、そういう意味ではこの2曲が今回のアルバムを作ろうと思えた一つの遠心力になっています。
――喜怒哀楽が一枚のなかで展開されていて、“生きる”“生きよう”という前向きなメッセージが、ずっと後ろで流れているように感じました。直太朗さんは、クスッと笑えるような要素を持つ歌を歌いつつも、ズバッと核心をついたメッセージ性のある曲を歌っていて、そのメリハリがすごく人間っぽい感じが昔からしています。嘘がない感じ。そういうところが支持されているんだなと、今回『嗚呼』というアルバム聴いて改めて感じました。
ありがたいですね。御徒町と二人で曲を作るというのは、高校時代から変わっていないんですけど、普段自分たちの前を通り過ぎてしまっている違和感とか景色って、数えきれないほどあると思うんです。視覚に入ったものに対して脳は反応して、そのたびに何かを思い、感じ、でも何か理由があったり、それよりも大事なことに捉われて、本能的に感じているものとか、無意識のうちに捉えたことをうやむやにしながら生きているんですよね、たった今も。僕たちの曲はそれが詞になっている、歌になっているんです。だから景色とか描写が多かったりするんです。この「電車から見たマンションのベランダに干してあったピンク色のシャツ」という曲は、正に「ええ!そこ切り取る?」ってところなんですけど、こういう細部にこそ人生の妙とか機微があると信じているし、「どこもかしこも駐車場」(アルバム『自由の限界』(2013年)に収録)とかもそうですよね。あると信じているし、偉大な先人達、さだまさしさんとかマイケル・ジャクソンとかいる中で、さださんとマイケル・ジャクソンを引き合いに出すのもすごいけど(笑)、俺たちが歌えることってそれぐらいしかないよねって個人的には思うし、そこだったら今の時代に歌っている意味があると思っていて。そういう本当にちょっとした微々たるところに誇りはあるんです。
――「傘がある」は井上陽水さんの「傘がない」をリスペクトした感じで。
陽水さんのことはみんな憧れてるし、でもあの世界をマネしたらケガをするわけで。アンサーソングというほどではないですけど、陽水さんの音楽とか世界観を通ってきて、今この時代に生きている自分たちには傘が有り余っているなという実感なんですよ。だからメッセージというよりも、本当に事実をただスケッチしているだけなんです。そこに対して、人がどう感じてくれるかとか、どう関心、興味とか好奇心、イメージを抱いてくれるかは、もう信じるしかないですね。それがダメなら自分の表現が至らないってこと。やっぱリスナーはみんな感じたらいいって言ってくれますから。そこは信頼しています。
――個人的に4曲目の「とは」がすごく好きです。最後のコーラス部分、阿部芙蓉美さんとの掛け合いが絶妙です。
3年ぐらい前に、彼女の曲を聴いたときに、歌声もさることながら、その音楽とアレンジも素晴らしいと思いました。今まで自分発信で、この人とやりたいって言ったことがなかったのですが、いつか阿部さんの曲をアレンジしている人と、一緒にお仕事したいなと思っていました。それで今回河野さんにお願いしました。河野さんとの出会いのきっかけを作ってくれたのが、阿部さんの声でした。河野さんも僕も阿部芙蓉美の一ファンですから、どちらからともなく阿部さんに歌ってもらおうと言い出したのだと思います。たぶん僕の方が半歩先かな(笑)。そうしたら阿部さんも面白い人で、そんなに音楽活動に前のめりじゃないんですよ。だから断られるだろうなと思っていたら二つ返事でOKしてくださって。本当に曲に広がりが出ました。
――抜群に気持ちいいです。「魂~」の高いところのコーラスは直太朗さんですよね。このコーラスもすごく心地いいですね
コーラスに関しては「とは」以外は自分でやっています。嬉しいですね。僕もそうだし、御徒町もそうなんですけど、意味のないもの、言葉というものが意味をなくす瞬間が、音楽をやっていて楽しい瞬間なんです。ただ心地良い、まるでシャワーにスローモーションで打たれているような感じ。音楽というのはそうあるべきだというイメージをもってやっているので、まず言葉よりも、響きとしてコーラスも含めて気持ちのいいものを創りたいということを御徒町とスタッフには提案しました。色々な人が僕の曲の言葉を評価してくれたり、面白がってくれたり、古き良きとか四季折々とか森羅万象みたいな例えをしてくれるのですが、そういう感覚を超えた、ただただ気持ちいいものを作りたかったんです。
――「生きる(って言い切る)」が、どうやってこのアルバムのなかではめ込まれてくるのかと思って、新しい曲達の中に活動小休止前のこの曲が入ってきたとき、温度感が違ってくるのかなと思っていましたが、違和感がなく存在感を示しながら、ハマっていました。
そうですね。やっぱりこの曲がなかったら、こういう今の状況には至っていないし、次のアルバムに入っているかというとそれもなんか違うし、「金色の空」とまた違った感じでここに入って然るべきだと思いました。
――なんというか、“無性にいい”アルバムでした。
ありがとうございます。都築響一さんによる“おかんアート”ジャケットも素晴らしいので注目して下さい。
――おかん(=お母さん)アートとかを、よく見つけてきますよね(笑)。
興味の対象にあるものが、やっぱり基本的にみんなが通り過ぎていくコアサイドなんですよね(笑)。
――おかんアートってその家のお母さんが作った、一見アートっぽいもので、玄関とかリビングとかに飾ってあって、誰もが一度は目にしたことがあるという……。
そうなんです、誰もがどこかで一度は見たことがあるんです。色々とアイディアを探したのですが、やっぱり「嗚呼」という言葉と、おかんアートの相性が抜群に良かったんですよ。このための響きだったのかな「嗚呼」って(笑)。
森山直太朗
“四十にして惑わず”という言葉あるが、この年齢になると、誰もが人生を振り返ったり、この先もこのままでいいのだろうかという問いかけが、体の中から疼いてくるのを無視できなくなったりする。森山直太朗はどうなのだろうか。どちらかというと受動的な性格、タイプだからか、この「小休止」で「内向きな性格から、少し外向きな性格に変わった」と本人が言うように、今、新しい自分と出会うことができ、これから惑わず活動ができるということだろうか。それは今回のアルバム『嗚呼』を聴けば一聴瞭然だ。肩の力が抜けつつも、しっかり芯があって、より優しく、より力強さを増し、そしてクスッとできる部分もあって、このタイミングでこんなにも瑞々しい作品を生み出すことができたことは、キャリアの中でも大きなトピックスになるのではないだろうか。歌がより際立つ丁寧な音作り、メロディ、サウンド、言葉、コーラスが醸し出すリズムが、極上の心地よさを生み出している。色々な意味で注目を集めた「活動小休止」を終え、森山直太朗は何を手にして帰ってくるのか、待ち望むファンの前に彼が誇らしげに示したのは、『嗚呼』という心からの叫びと、語りつくせない想いを込めた『嗚呼』の二文字だった。
インタビュー・文=田中久勝
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