現代アート・束芋×ダンス・森下真樹「私たちは表裏一体」~映像芝居『錆からでた実』
束芋(左)と森下真樹
映像芝居『錆からでた実』ショーイング風景@城崎国際アートセンター ©Kazuto Kakurai
映像芝居『錆からでた実』ショーイング風景@城崎国際アートセンター ©igaki photo studio
花札、銭湯、台所など庶民的なモチーフを駆使したアニメーションで、現代日本が抱える不安や問題を表現する束芋に会っちゃった! 国際的な芸術祭から引っ張りだこの彼女だ。うれしかった。誰のおかげかといえば、ダンサーの森下真樹だ。優雅に動く長い手足、端正な容姿とは裏腹に、ぶっとんだユーモアに富んだパワフルなダンスを繰り広げる彼女は、ダンスが苦手な向きにも愛すべき存在。
陰と陽、そのユーモアのセンスは正反対のように思われる2人が、『錆からでた実』を共同製作するのだから面白い。2013年の青山円形劇場での初演、2014年の京都公演、そして今年4月の城崎国際アートセンターでのクリエイションを経て、7月に第3弾を迎える。
■誕生日、血液型、出生地、3人姉妹……共通点がいっぱいなのに
た(束芋) 私たちの共通の知り合いがいて、その人は「森下真樹っていいよね」とずっと私に耳打ちしてたんです。それでソロ公演を拝見したときに誕生日が一緒だったことが判明してやりとりを始めました。森下さん、人見知りだよね?
も(森下真樹) まぁ、人見知りかもしれません。
た ご飯を食べにいっても、最初はほとんど手をつけなかったのに、最後にものすごい勢いで食べ始めたのが印象的だった。
も 毎回そうかも。最初は私がしゃべって、途中で「あとはタッチ」みたいな感じなんです。束芋さん、食べるの早いほうよね。
た だって美味しいものは美味しくいただきたいもん。私の場合、そっけないとか人見知りとか最初に距離がある人とは長く続くジンクスがあるんです。そういう意味では森下さんにとても興味があったんですけど、森下さんから頻繁に連絡をくれて、何か一緒に作りましょうと言ってくれました。実は血液型、出生地、3人姉妹などの共通点があって、これはやってみたいなあと。
も 言ってみるもんですね、世界の束芋さんですよ。と言っても、はじめから「映像をお願いします」ではなく、映像に限らず、どんなコラボになるかわからないけど、とにかく束芋さんと一緒にやりたい!という気持ちでぶつかりました。映像かもしれないし、舞台美術かもしれないし、演出かもしれないし、振付かもしれないし、踊るかもしれないし…かかわり方は後で決めればいいくらいの無茶なお願いでした(苦笑)。
映像芝居『錆からでた実』ショーイング風景@城崎国際アートセンター ©igaki photo studio
■軸は「錆からでた実」という歌詞
青山円形劇場の初演は、ねっとりとまとわりつく蒸し暑そうな闇から3人のダンサーが逃れようともがいたり、団地妻よろしく身を任せたりといった、印象が強烈に残った。第2弾の京都公演はなんと一転プロセニアムで。そして第3弾は2人の情熱で、まだ資金も会場も何も裏付けがないところから始まった。
も 初演のときは合宿をしたよね。いろいろ話すうち、ある曲のイメージが重なり、まずはその曲で映像を作る、振付をすることになったんです。それは「あいまいな稜線」という曲で、その最後にある「錆からでた実」という歌詞をタイトルにしようって。
た その曲を歌っているのが森下さんで、粟津祐介さんが作っている。森下さんは表面はからっと明るいのに、内に渦巻いているものがある。表に出てくるものと内面を合わせたら私たちは近い感じがするのに、がらっと表裏がひっくり返っているんです。第1、2弾は、森下真樹を作ろうと、森下さんをイメージしたストーリーやコンセプトを考えていたんですけど、今回は逆転させて束芋を作ろうと。
も 軸は一緒なのに、まったく見え方の違うものになりましたよね。今回私は振付に専念しているんです。前回まではダンサーが3人いて、それぞれのダンサーの面白いところを探すことに重きを置いていたけれど、今回はダンサーは鈴木美奈子さんのみで、からだひとつ、束芋さんの世界にどうダンスで拮抗できるかを考えています。束芋さんの映像が全シーンにあるので、私は負けない体を作らなきゃと。映像となじむ場面もあれば反発する場面もあったり…いろいろな表情を持たせたいですね。
た 4月には城崎アートセンターでのレジデンスが実現したんですけど、その1カ月でびっくりするくらい展開したんです。かなりレベルの高いショーイングができた。私は内心100点をつけていたんですけど、アフタートークでお客様から「現在は何%ですか」と聞かれたときに、私は謙遜して80%と言ったんですけど、森下さんが「いやいや50%ですよ」って。もうそれにはびっくりしたんですけど、次の日全員でフィードバックをしたら、もっとよくなる方法をみんなが提案してくれて、その提案を実現すべくがんばっているところです。
映像芝居『錆からでた実』ショーイング風景@城崎国際アートセンター ©Kazuto Kakurai
■ダンス界で評価されなくてもいい
いわゆる“台本”がないなか、作業はどんなふうに進めているのだろうか。生みの苦しみは同じでも、アニメーションと身体表現では手間のかかり方が違うはずだから。そのあたりのやりとりがとても興味深いものだった。
た 私がインスタレーションをやるときもそうですけど、要素をいくつか立ち上げて、それを組み合わせていくなかでテーマ性を持たせていくんです。この作品に絶対に必要だと思うものを盲目的に作っていく。アニメーションは何度も同じような絵を描くでしょ。最初はなぜ描いているのかわからなくても、200枚、300枚と描くうちに見えてくる。それを作品にかかわってくれている方々ににプレゼンテーションすることで、また新しい発想をいただけるという感じです。だから今回はアニメーションの制作段階でかなり細かく固まってきても、それにこだわらずダンスで大きく展開してもよいと思っています。自分だけでやる制作においては、固まったものは変化させないんですけど、森下さんとのコラボにおいて、変化させるということの面白味を教えてもらって初めて挑戦しています。
も 映像とダンスでは時間の積み重ね方が違います。ダンスの方は、からだの動きをひょいっと変えられても、映像ではそう簡単に変えられないことは束芋さんの作業を見ていて知っています。大変な作業にもかかわらず、ダンスの変化を楽しみにしてくれている感じもあって、その姿勢にこそアーティストとしての力量を感じます。本当にありがたいことです。
た 例えば私と森下さんとミュージシャンの田中啓介さんがスタート段階にいたんです。田中さんは制作の進行においてリーダー的存在で、「まず手の動きを作ってもらって、それに僕が音楽をつけて、さらに映像をつけてみませんか」とか、「束芋さんが過去に作った映像に僕が音楽をつけますから、森下さんはそれで踊ってみてください」とか。
も リレーみたいな感じでどんどん形が変わっていきました。
た 私の過去の作品に音楽をつけて、それで踊ってもらったあとに私がさらに映像をつけたりね。あっちにいったりこっちにいったりしながら、音楽、身体、映像の関係がどんどん交わっていくような方法で、作業を通して会話をしていました。ものすごく贅沢なやりとりから、いくつもいくつもキーワードが出てきて。普通だったら演劇やダンスが組み上がってからこういう映像をくださいという流れだと思うんです。でも構想の段階で映像も変化に対応できないと本当の意味ではコラボにはならないとわかりました。この作品の中で浮かない映像にはなるかもしれないけど、身体・音楽・映像がベストな関係性は作り出せない。ベストな関係を求め映像、ダンサー、ミュージシャン、照明や音響、衣裳、舞台監督に至るまで作品のために尽力してくれていて、みんなが深いところでつながった素晴らしい現場だと感じます。
も うんうん。
た そうそう、森下さんが振付に専念すると言ったときに、じゃあミュージシャンに舞台に立っていただこうと決めて、だったらそれまで裏方だった粟津さんにお願いしようと。振付助手だった鈴木美奈子さんもそうですが、そのことで前回まで裏方だったメンバーが表に出てくる形ができたんですよ。
も 表裏一体がここでも成立しました。
た だから私はこの作品大好きです。誰になんて言われようと、ダンス界で酷評されようと、ぜんぜん大丈夫。
も 束芋さんがそこまでの想いを持ってこの作品に取り組んでいることが強く感じるし、錆チームのみんなにも伝わっているんですよね。
た 今回の作品で表に出しているのは森下さんの内側にある世界だと思うんです。前回までは表には出ていない私の世界。
も なんだか内と外の線が消えてしまう。あ、これも「あいまいな稜線」の歌詞なんですが、言ってみればこの曲が台本かもしれませんね。