「幻想物語 バレエ『くるみ割り人形』」芸術監督・演出・指揮のマエストロ西本智実にインタビュー

インタビュー
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2016.8.15
西本智実 (photo by Akito Koyama)

西本智実 (photo by Akito Koyama)


一昨年と昨年『白鳥の湖』を上演し好評を博した、指揮者・西本智実が芸術監督・演出・指揮を務めるバレエ上演のプロジェクトが新たに始動する。同シリーズ最新作「幻想物語 バレエ『くるみ割り人形』」が8月に大阪・東京で上演されるのだ。
 
『くるみ割り人形』はチャイコフスキー三大バレエの一つであり、クリスマス・シーズンの定番演目として世界中で親しまれてきた作品だ。バレエに関して深い素養を持つ西本が、これをどんな意図で、どのように料理してくれるのか。このほど彼女にインタビューをおこなったところ、興味深い話が沢山出てきた。が、そこに入る前に、まずはバレエ『くるみ割り人形』の成り立ちを簡単に確認しておこう。
 
1890年ロシアのマリインスキー帝室劇場支配人フセヴォロシスキーは、『白鳥の湖』『眠れる森の美女』で成功を収めていた作曲家チャイコフスキーと振付家プティパに対して、新たなバレエ創作を依頼した。それはドイツ幻想文学の作家ホフマンによって1816年に書かれた童話 『くるみ割り人形とねずみの王様』のバレエ化だった。だが、プティパが台本を作るにあたり参照した原作は、フランス娯楽小説の大家デュマが1844年にホフマンの作品をフランス語版にリメイクした『ハシバミ割り物語』だった(この作品は父デュマと息子デュマの合作と伝えられる)。その台本を基にチャイコフスキーが作曲、振付は病に倒れたプティパに代わり途中からイワーノフが担当するようになり、1892年12月に初演が開幕した。そして、その翌年にチャイコフスキーは没する。

--バレエ『くるみ割り人形』はホフマンではなくデュマの翻案物をベースにしたことで、ホフマンの持ち味である幻想怪奇の色が薄められたという指摘がよくあります。一方、今回の上演タイトルには「幻想物語」という語が添えらていますね。これは何を意味しているのでしょうか。

西本: バレエ化の際に省かれてしまったホフマン原作のエピソードを復活させたいという気持ちがありました。ただ、そもそも『くるみ割り人形』は、第一幕が物語、第二幕が踊りの羅列みたいな構成で、バランスがいびつでした。

第一幕ではドロッセルマイヤーの世界観が台本の中に綿密に書き込まれているのですが、第二幕になるとその存在感が急激に薄れ、物語性も欠落して来る。なぜなのでしょう。ドロッセルマイヤーは主人公の少女を「別の世界」へと誘う存在でもあります。しかし当時の社会情勢の中で、そんな革新的な考えを展開することに対して、チャイコフスキーはじめ制作サイドが貴族階級だったこともあり、「もう、これ以上やってはいけない」という検閲的ないしは自粛的な機能が働いたのかもしれません。

チャイコフスキーは、フランス革命(1789年)以降のヨーロッパ全体の価値観が大きく揺るぎ変動してゆく、そんな時代のうねりのロシアで生まれた音楽家でした。彼は1893年に53歳の若さで急死してしまうので、ロシア革命(1917年)に遭遇することはありませんでしたが、『くるみ割り人形』を書いたのは、ヨーロッパの歴史の歯車の動きがロシアにも及んで、革命の足音が聞こえ始めてくる時期でした。だから、そうした空気が作品に反映される可能性も充分にあったのです。

だとしたら、もし第二幕が第一幕の延長として最後まで作られたらどういうものになったのだろうか、ということが気になります。そこで今回、第一幕と第二幕の関係性を考慮しながら、ホフマンとデュマの作品を元に自分自身で台本を新たに組み立ててみました。その過程で、原作の象徴的要素も復活させました。通常上演される版よりも、幻想性が前面に出てくることにはなるでしょう。

--そんな「幻想物語」を上演するうえで演出的に考えていることはありますか。

西本: たとえばバレエ学校の発表会でよくあるのは、主人公たちに敵対するねずみの役を子どもたちがやるというものです。ですが今回は、人間たちが人間のまま、ねずみの動きをします。それまで普通にいた人たちの様子が急に違ってくる。魂のない人形が魂を吹き込まれたように、あるいは人格が急にスイッチしたかのように、ねずみのような動きを見せ始めます。ホフマンの原作の中にあるエピソードをうまく使いながら、そういう演出をすることで、不気味な効果を上げてゆきたい。また、物語の中には、フクロウの時計という象徴的なものが出てきます。これも、ホフマンが書いた当時にそれが何を意味していたのか、そういったことを、とことん掘り下げたうえで演出してゆくつもりです。

--ホフマン的な幻想怪奇感が濃くなって、ちょっと怖い感じになりそうですね。

西本: 『くるみ割り人形』は本来クリスマス・シーズンに上演されるものですが、今回、真夏の8月にやるので……。

--それはまるで歌舞伎の『四谷怪談』を夏にやるように、納涼感があって丁度いいんじゃないですか。

西本: そう、納涼ですね!(笑)

--第二幕は物語性を強めるとのことですが、音楽は変わらないですよね。

西本: もちろん。第二幕はダンスの最大の見せどころですから、そこはしっかり踏まえます。ですが、たとえば「ディベルティスマン」(余興)と呼ばれる部分も、色んな国の踊りで主人公をもてなすということだけで完結はさせません。やはり19世紀、大国がアジアを含む世界中に植民地を拡げていった時代背景とは切り離せないと思ってます。だから、そういう“世界地図”、あるいは“世界の縮図”を織り交ぜながら、あの場面を作り直したいと思ってます。

--その解釈は演出的にとても面白いですね。

西本: はい。さらに第二幕、主人公の少女が幾つかの試練を経て成長してゆくことが象徴的に描かれます。私はそこにモーツァルトのオペラ『魔笛』を感じるのです。チャイコフスキーも当然モーツァルトのことを意識していたはずです。そこで、『魔笛』を重ね合わせる演出をすることで、試練を乗り越える少女の意味がより鮮明に見えてくるのではないかと思っています。

--たしかに、『魔笛』は色んな象徴に満ち溢れた作品ですからね。

西本: 象徴といえば、『くるみ割り人形』で最も象徴的なのはクリスマス・ツリーだと思うんですね。クリスマス・ツリーは樅(モミ)の木ですよね。第一幕の第8曲に「松林の踊り(Une forêt de sapins en hiver)」というシーンがありますが、sapinsが「樅」と日本語に訳されるべきところ、同じ針葉樹で「松」と訳されてしまったことで、わかりにくくなってしまったんですね。あれは樅の木の森なんです。だから、ホフマンの原作の中で少女が「ここはなんて美しいのでしょう」と言うと、くるみ割り人形が「ここはクリスマスの森ですよ」という場面があるのですが(デュマ版だとドロッセルマイヤーの台詞ですが)、それはクリスマス・ツリーの森という意味なんです。私は、そこをフィーチャーして、その一言をきっかけに、別の世界に入っていくという場面を作り出したいと思っているんです。

--樅の木のクリスマス・ツリーの中に入ることが、すなわち森の中に分け入ること(イントゥ・ザ・ウッズ)であり、すなわち幻想(ファンタジー)の世界に足を踏み入れることになるわけですね。

西本: バレエの第一幕でクリスマス・ツリーがどんどん大きくなる音楽と、森の音楽が同じモティフであることでも、関連性は明らかなんです。

--なるほど、目からウロコが落ちました。ところで、そんな『くるみ割り人形』を西本さんが新たに上演しようと考えた理由は何ですか。

西本: 私は2007年からダボス会議(世界経済フォーラム)の「ヤング・グローバル・リーダーズ」というコミィニティに参加してきました。その活動を通じて、いま世界は価値観がどんどん多様化し、大きな変革期に差し掛かろうとしていることを強く肌で感じています。一方、先ほど話したように『くるみ割り人形』にも多様な価値観が入り混じっていると考えられます。だからこそ今の時代に上演することに意味があると思ったのです。

--『くるみ割り人形』を、単なる娯楽としてではなく、よりアクチュアルに上演することこそがふさわしいと。次に、指揮者としての西本さんは、音楽面において何か考えていることはありますか?

西本: 私自身が従来のバレエ上演を観客として観た時に、音楽が単にバレエの伴奏のようになってしまっているのがとても残念で、そこは音楽も総合芸術の大事な要(かなめ)として認識されるように改善を図りたいと思ってました。もちろん、オーケストラの演奏だけを聴いていただいても充分に満足の行くものをお届けしますが、そこはやはり舞踊との有機的な関係性を重視しながら表現していきます。

私は子どもの頃にバレエを習っていました。だから三つ子の魂なんとやらで、今でもワルツ・ステップやマズルカ・ステップといった踊りのステップが踏めるんですよ。アジア出身の指揮者って、そういったリズム感の備わっている人がどれほどいるのかわかりませんが、私が今、世界の約30ヵ国で振らせていただいていることのひとつには、そういう要因もあるのかなと思ってます。だから、ダンサーの踊りやすいように指揮することは難しいことではありません。むしろ、オケピの中から「もっと踊れー!」と(笑)。

--踊らせる指揮者なんですね(笑)。それにしても指揮者がバレエの演出をすることは珍しいですよね。

西本: ないでしょうね、聞いたことがありません(笑)。

--指揮と演出の両方を兼務することで、物理的な困難はないのですか。

西本: 舞台の準備は昨年のうちから早めに進めていました。スタッフも、子どもの頃から、あるいはロシア留学の時からよく知ってる面々ばかりで、昔からこういうものを作りたいと話し合ってきてる仲間たちなんですよ。だから、急に作り出すわけではなく、長年温めてきたものを計画的に出していくといったほうが近いですね。そして私自身もかつて、オペラの副指揮者など裏方の仕事を沢山経験してますから、そういったノウハウを活かせることが強みだと思っています。現場に対して、あまり無謀なリクエストをするようなこともないですし。

--それなら、スタッフさんもさぞやりやすいことでしょう。

西本: あ、でも私、うるさいかもしれないな(笑)。現場のことを、いろいろ知ってるだけに。「そこ遅ーい!」とか(笑)。

--そのようにバレエのことをよくわかっている西本さんにとって、チャイコフスキーのバレエ音楽を指揮することには、やはり格別の意味がおありなんでしょうね。

西本: 私はチャイコフスキーが第一期生として卒業したペテルブルク音楽院(現・ロシア国立サンクトペテルブルク音楽院)に留学していましたので、彼が生きていた時の足跡や風景をすごく身近に感じることができました。また以前チャイコフスキー記念財団ロシア交響楽団の芸術監督を務めていた関係で、チャイコフスキーの日記など本人直筆の資料を目にする機会も多くありました。

『くるみ割り人形』は、交響曲第6番『悲愴』と共にチャイコフスキーが最期の時期に作った楽曲です。私はロシアに行く前には、『悲愴』が非常に彼の主観的な曲であり、その逃避的な対極作品として『くるみ割り人形』を書いていたのではないか、と勝手に思ってたんです。しかし、彼の日記を直に読んでいくうちに、どうもそうではないように思えてきました。むしろ『くるみ割り人形』のほうが当時の世界情勢など政治的な要素や、自身の主観的な体験に密接に係わっているのではないか、と。

そこには死生観とか豊穣といった主題も見いだせます。『くるみ割り人形』は、1891年に急死した最愛の妹と主人公を重ねるかのように子どもの頃に彼女と一緒に遊び歌った童謡が楽曲の中にたくさん挿入されています。一方、「ジゴーニュ小母さん」という登場人物のキャラクターは「多産」を意味しています。そうした生や死と深く係わる「人間チャイコフスキー」を強く感じることのできる作品だけに、大事に扱いたいのです。

--最後に、今回の振付や、主要なダンサーの方々について教えていただけますか。

西本: 振付は、たとえばどの曲の何小節目ではこの動きをして欲しい、という大きな柱を幾つか立てて、その間をつなぐ振付を二人の振付家がオリジナルで作る、ということをしています。二人にした理由は、日常の世界と別の世界という二つの世界を分担させたいと思ったからです。群舞などの「コール・ド」的な部分を中心に大力小百合さんに、キャラクターを活かす部分を中心に玄玲奈さんにお願いしました。それぞれ違うタイプの動きが出てくるので面白いですね。ただ、それがあまりにバラバラな印象にならないように、最初に全体の流れを提示する演出から創り始めました。

ダンサーですが、主人公の少女マリーを踊るのが小田綾香さん。原作においてマリーの描写を読んでいると、彼女がもう本当にジャスト・フィットなんです。それで、結婚されてバレエ生活を終えようとしていた時であったにも係らず、声をかけましたところ快く引き受けてくれました。一方、くるみ割り人形役のグリゴリー・バリノフさんは、前回の『白鳥の湖』ではピエロの役を踊りました。今回のくるみ割り人形の役も大変適していると思ってます。そして今回、雪の女王の役を新たに作り竹中優花さんに演じてもらいます。ある時は優しく、またある時には厳しく見える存在。角度によって見え方が全く異なってくる多様性の象徴として、少女マリーの前に現れます。こんぺい糖・ドラジェの西田佑子さんは彼女が10代の頃、私はよく知ってます。体もきれいだしテクニックもすばらしい。そしてドロッセルマイヤーの甥であるハンス・ペーターを吉田旭さん。法村圭緒さんの演じるドロッセルマイヤーのドッペルゲンガーのように見せたいと思ったのです。法村さんと吉田さん共にダンスールノーブル。法村さんは彼が生まれた日のことからよく知ってます(笑)。というのも、私は法村さんの所属するバレエ団(法村友井バレエ団)の学校出身だからです(笑)。彼はこれまで王子役が多かったのですが、内面的な芝居を追求するダンサーとしても活躍を始めています。ドロッセルマイヤーは実際のところ年をとっているのか若いのか年齢もよくわからない。そういう意味で今の彼はふさわしいのではないかと思ってます。ぜひ、この素晴らしいダンサーたちの表現を観に来てください。


今回の『くるみ割り人形』を演奏するのは、西本が芸術監督を務めるイルミナートフィルハーモニーオーケストラ、そしてバレエ団は同じく西本が芸術監督を務めるイルミナートバレエである。彼女はこのほかイルミナートオペラやイルミナート合唱団の芸術監督でもある。今回のバレエでは台本を書き、演出をもおこなう彼女は、拠点となる劇場こそ持たぬが、かつてたった一人で総合芸術を極めようとした楽劇王ワーグナーの域に近づきつつある。さらに、このマエストロは(宣伝物のヴィジュアルさながらに)21世紀のドロッセルマイヤーと化してるようにさえ思えてくるのである。このような『くるみ割り人形』は、なかなか他にお目にかかれるものではない! かくして今、私の心は完全にその世界に吸い込まれようとしている……。
 

(取材・文:安藤光夫)

公演情報
西本智実 芸術監督 演出・指揮 幻想物語 バレエ『くるみ割り人形』全2幕
 
<大阪公演>
■会場:フェスティバルホール (大阪府)
■日時:2016年8月16日(火)19:00開演

 
<東京公演>
■会場:新国立劇場オペラパレス (東京都)
■日時:2016年8月30日(火)19:00、8月31日(水)14:00

 
■芸術監督 演出・指揮:西本智実
■管弦楽:イルミナートフィルハーモニーオーケストラ
■バレエ団:イルミナートバレエ
■振付:大力小百合、玄玲奈
■配役:
マリー 小田綾香 
くるみ割り人形
 グリゴリー・バリノフ 
雪の女王
 竹中優花 
こんぺい糖ドラジェ
  西田佑子 
ドロッセルマイヤーの甥 吉田旭 
ドロッセルマイヤー
 法村圭緒 
※出演者は都合により一部変更となる場合がございます。あらかじめご了承ください。

■公式サイト:http://www.tv-tokyo.co.jp/nishimoto_nutcracker/

 

西本智実(芸術監督・演出・指揮)プロフィール

イルミナート芸術監督兼首席指揮者、ロイヤルチェンバーオーケストラ音楽監督兼首席指揮者、日本フィルハーモニー交響楽団ミュージックパートナー。大阪音楽大学客員教授。松本歯科大学名誉博士。平戸名誉大使第1号。 大阪国際文化大使第1号。名門ロシア国立響及び国立歌劇場で指揮者ポストを外国人で初めて歴任、世界約30ヶ国より指揮者として招聘。2013年よりヴァチカン国際音楽祭に毎年招聘され、2014年にはヴァチカンの音楽財団より【名誉賞】が最年少で授与。受賞多数。2015年エルマウ(ドイツ)・2016年伊勢志摩G7サミットに向け、日本政府が海外へ日本国を広報するテレビCM及び日本国政府公式英文広報誌に国際的に活躍している日本人として起用。ヤンググローバルリーダー。ハーバード大学院に奨学金研修派遣され修了。
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