大衆演劇の入り口から[其之拾八] 船出はすぐそこ!嵐山瞳太郎さんロングインタビュー!

インタビュー
舞台
2016.9.24
嵐山瞳太郎さん(2016/9/10)

嵐山瞳太郎さん(2016/9/10)


“事件”は今年の1/10(日)。Twitterはえらい騒ぎになっていた。

「瞳太郎さん、ついに旗揚げだって!」

人気劇団「たつみ演劇BOX」の若手、嵐山瞳太郎(らんざん・とうたろう)さんが、「重大な発表」と題したブログ記事を公開したのだ。

“重大なお知らせがあります わたくし嵐山瞳太郎はたつみ演劇BOXの座員として興行を回るのは、今年限りとなりました”

“理由は自分の劇団を創る為です”

“劇団を創る準備をするのに劇団で回りながらでは出来ないと思い今年限りで退団して準備が出来次第の旗揚げになります”

(引用元:ブログ「嵐山瞳太郎―役者道―」)

大衆演劇ファンの間では、かねてから「瞳太郎さんはいずれ旗揚げするんだろう」と言われていた。本人が座長になるのが夢だと表明していたからだ。しかし、いざそのときが来てみれば。

「TEB(※)がさみしくなる…」「みんなと一緒の瞳太郎くんは今年で最後なんだね」

としんみりした声の一方で、

「どんな劇団になるんだろう、座員さんは誰?」「古典や歌舞伎の演目をいっぱいやってほしいー!」

と期待に満ちた声も。しばらくこの話題で持ちきりだった。

※TEB…「(T)たつみ(E)演劇(B)BOX」を表す、ファンの間での略称。

改めて、この若手さんの人気の高さを実感した。切れるような美しさ。突風のごとき疾走感。冷えた色香は、唯一無二の魅力だ。先日9/10(土)には瞳太郎さんの誕生日公演が行われ、全国から集まったファンが東京の十条・篠原演芸場を埋め尽くした。

「嵐山瞳太郎誕生日公演」ラストショー 花浅葱さん撮影(2016/9/10)

「嵐山瞳太郎誕生日公演」ラストショー 花浅葱さん撮影(2016/9/10)

今、この役者さんのお話を伺いたい!インタビューを依頼したところ、多忙にも関わらず快諾してくれた。9/16(金)、終演後の篠原演芸場にて瞳太郎さんと向き合った。

子役時代のこと

――まず瞳太郎さんの経歴を確認させていただきたいです。色々な劇団を移られてきたそうなので…

嵐山瞳太郎さん(以下、瞳) 初舞台は「森川劇団」(※)です。2歳でしたね。

――子役からずっと舞台に出てたんですか?

 そうです。森川の次が「劇団虎」(※)です。その次が「大日方劇団」(※)。それからまた森川劇団に移って、10年間森川にいました。みんな親戚なんで、森川劇団も、大日方劇団も、劇団虎さんも…。そして2009年の3月から今の「たつみ演劇BOX」です。

※森川劇団…現在は森川竜二座長。瞳太郎さんとは異母兄弟に当たる。

※劇団虎…林友廣座長。

※大日方劇団…「満劇団」として大日方皐扇座長が率いている。

――子役のときのお名前って何だったんですか?

 一番最初は「ベビーけいすけ」って名前です。ホントにちっちゃい頃ですね。まだ小学校に入学する前、たしか劇団虎さんにいたときは、ベビーけいすけだったと思うんです。大日方劇団に移ってから「浪花の大五郎」になりました。大日方では今もそうなんですけど、子役にはずっと“浪花のなんとか”って付けてるんですよ。今の皐扇座長は「浪花のあんみつ姫」でした。皐扇座長と一緒に学校行ったりしましたよ。で、俺が「浪花の大五郎」。なんで大五郎なのかわかんないんですけど…(笑)

――「ちゃ~ん」っていう『子連れ狼』の大五郎みたいですね。

 『子連れ狼』の大五郎もやってました(笑) 子どものとき大日方劇団で育ったので、俺にとってお父さんっていうと大日方満先生です。お師匠っていったら、森川長二郎先生ですね。

左・葉山京香さん 右・嵐山瞳太郎さん 母子の相舞踊。(2016/9/10)

左・葉山京香さん 右・嵐山瞳太郎さん 母子の相舞踊。(2016/9/10)

――お母様の葉山京香さん(たつみ演劇BOX)はどんなルーツなんでしょうか。

 元々のこと言い出しちゃうと、うちの母は里見要次郎会長(※)のお弟子さんです。

――えっ、京香さんが?知らなかったです…!

 うちの母は、元は普通の、一般家庭の人で……篠原演芸場で里見要次郎会長を観て、お弟子さんになって。そのあと、俺のお父さんとは市川千太郎劇団で出会ったんです。俺のお父さんも、元々は市川千太郎座長のところです。今の市川叶太郎さんが以前「千太郎」ってお名前だった時分じゃなくって、さらにそのお父さんの時分の頃。俺はあんま知らないんですけど、俺のおじいちゃんもその劇団で役者してたらしいんです。 

――じゃあ瞳太郎さんは、役者としては三代目ですね。

 そういうことになるんですね、一応。

※里見要次郎会長…「関西大衆演劇親交会」の会長。

「嵐山瞳太郎」の意外な名付け親

「嵐山」と入った傘を手に。(2016/9/4)

「嵐山」と入った傘を手に。(2016/9/4)

――聞きたかったのが嵐山瞳太郎っていうお名前の由来です。どんなところから付けられたんですか?

 まず、森川劇団に移ったときに「森川梅之助」になりました。俺の異母兄弟に当たるんですけど、森川松之助さん・竹之助さんっていう双子の方がいて。俺がその後に入って来たから、松竹梅で縁起が良いっていうことで自動的に梅之助になりました。でも師匠の名前が「森川長二郎」なんで、「○○郎」っていう名前に憧れてたんです。で、森川を辞めて、初めて自分で名前を考えるっていうときに、やっぱ「○○郎」にしようと思って、パッと思い浮かんだのが「とうたろう」だったんですね。

――すごく印象的な名前ですよね。瞳(ひとみ)と書いて「とう」って読むのは。

 最初は、字はあんまり決まってなくって、ただ「とうたろう」っていう響きだけ決めてました。「とう」の字を藤(ふじ)とかにしちゃったら、ありきたりになっちゃうかなと思って。なんか変わった字にしたくて、携帯で「とう」っていう漢字をずっと検索しました。そしたらだいぶ後のほうに、「瞳」って出てきて。昔から「目がチャームポイントだね」とか言われてたので…。あ、これぴったりかなーと思ったんです。名字は、最初「葉山」にしました。なんでかっていうと、僕、杉良太郎さん好きなんです。

――杉良太郎さんの曲、個人舞踊でもいっぱい踊られてますね。

 その杉良太郎さんの、いつも相手役をしている葉山葉子さんの名字からです。女形も男も、両方できる役者になりたかったんです。「瞳太郎」は太郎だから、完璧に男の名前じゃないですか。だから名字の方はちょっと女っぽい名前にしたくて。名字が「葉山」で、名前が「瞳太郎」でいいんじゃないかって思ったんですけど…。その後、専門の人を紹介してもらって、名前を見てもらったんですね。そしたら「葉山瞳太郎じゃ力が弱い」って言われたんです。これじゃ座長になれないって。ね、一回そうやって名前にケチつけられちゃったらね。じゃあ、「瞳太郎」は変えたくないので「葉山」変えますって言ったんです。そしたら、その人に言われた名字が「嵐山(らんざん)」だったんです。

――字も固定で、「嵐山」だよって?

 はい。え、「嵐山」?!と思って(笑) 最初はちょっと嫌だったんですけど…(笑) でも、何か縁があるなと思ったんです。ていうのは、その人、まったく大衆演劇知らない人なんですよ。この劇団(たつみ演劇BOX)に来るとも言ってないですし…。この劇団って元々「嵐劇団」っていう名前ですから。言われた名字に「嵐」の字が入っていて、何かの縁かなーと思いました。そんな理由で嵐山瞳太郎になったわけです。

――新しいお名前でたつみ演劇BOXに来て、8年間。吸収されたこともたくさんあると思います。たとえば、瞳太郎さんの在籍期間を通して座長を務めていたのは小泉たつみ座長ですが、たつみ座長から学んだのはどんなことでしょうか。

 たつみ座長は、やっぱり、見せ方のすごさっていう点です。たつみ座長本人も常々言われたりもするんですけど、普通の人がやると何でもないことなのに、たつみ座長がするとすごいことのように思っちゃうんです。それはやっぱり、こうなったときにこうするっていう見せ方がすごいから。自分は10年間、森川劇団で育ったんで、もしかすると芸っていう面でいえば森川劇団に近いかもしれません。でもこの劇団では、本当にたくさんのことを勉強させてもらいました。

左奥・小泉ダイヤ座長 中央・嵐山瞳太郎さん 右奥・小泉たつみ座長 花浅葱さん撮影(2016/9/10)

左奥・小泉ダイヤ座長 中央・嵐山瞳太郎さん 右奥・小泉たつみ座長 花浅葱さん撮影(2016/9/10)

誕生日公演『瞼の母』を語る

――先日9/10(土)は篠原演芸場での誕生日公演でした。昼の芝居が『瞼の母』(※)で、夜の芝居が『瞳太郎好み 浮名の横櫛』。『瞼の母』は、もう一年前からやるって決めてましたよね。

 はい、前回の誕生日公演の『上州土産百両首』の一場面に、『瞼の母』を入れてたぐらいなんで。

※瞼の母…大衆演劇定番の芝居の一つ。作者は長谷川伸。やくざの忠太郎は幼い頃に生き別れた母を探して旅をしていた。しかし、ようやく見つけた母は、長い間離れていた息子を受け入れられずに金目当てだと言って拒む。

――今回、ラストは、忠太郎がお母さんに冷たくされて別れて終わりという従来の筋でなく、幸せな終わり方に変えてましたね。

瞳 『瞼の母』については、たつみ座長も含めて色んな人から聞いてましたし、それからネットで調べたりもしました。忠太郎とお母さんが別れて終わりっていうのが、作者の長谷川伸さんが最初作った本来のやり方で、でも上演がきっかけで実際に自分のお母さんと再会して、作り変えたってあったんです。あ、そうなんだ、面白いなって。

――なるほど…

 それから、一番きっかけになったのは昔の映画です。『瞼の母』の映画は二つ観ました。一つは長谷川一夫さんのだいぶ若いときのです。最後、素盲の金五郎を斬るんじゃなくて、同じように雇われてる子どもみたいなやつを斬るんですよ。忠太郎が、おめえ親はいるのかーって言う。そんなもんいるかーって返されて、足か手をズバッと斬ったときに、その子どもがおっかさーん、おっかさーんって、おっかさんが恋しくなって泣きながら逃げていく。その姿を見て、自分もお母さんが恋しくなって、刀を投げ捨てて、おっかさーんって走っていくっていう終わり方だったんですよ。

――もう一つの映画は何ですか?

 片岡千恵蔵さんの無声映画です。こっちは、まさに今回やった誕生日公演のやり方です。最後、敵を斬った後、忠太郎~って自分を探すおっかさんの声が聞こえてくる。(忠太郎のセリフ)誰が会ってなんかやるものか、俺にはおっかさんはいねえんだ、上と下の瞼を合わして…あ、ダメだ見えねぇ、瞼の母が見えねえ、この目に映るのはさっきの水熊の女将がただ一人。しまった、俺は骨を折って瞼の母を消しちまった…。そのとき、無声映画だから「忠太郎!」って字が出て来るんです。そしたら顔がパッと出て、「もういっぺん呼んでおくんなせえ」ってまた字が出る。もう一回字で「忠太郎!」。で、刀を投げ捨てておっかさーんって。これが千恵蔵さんの終わり方。

“あ、ダメだ見えねぇ、瞼の母が見えねえ”  まるで今舞台で演じているかのように、滑らかなセリフ回しを聞かせてくれた。

切れ味の鋭さも魅力のひとつだ。(2016/9/10)

切れ味の鋭さも魅力のひとつだ。(2016/9/10)

初の大敵(おおがたき)…17歳の若手会の思い出

――おととい、9/14(水)は大阪・浪速クラブでの若手会に参加されてましたね。

 女形は昼夜、竜小太郎さんの『紅色恋歌』って曲を踊ったんですけど、俺、人生で初めて若手会に出たときに踊った曲が『紅色恋歌』だったんです。

――そんな思い出の曲だったんですか!

 俺が17歳のときの、<顔>っていう若手会です(※)。大衆演劇のこれからの顔になっていくっていう意味ですね。下座は春陽座さんです。<顔>に出てたのが、新川笑也さん、都星矢さん、橘大五郎さん、橘龍丸くん、鹿島虎順さん(現・鹿島順一座長)、今の二代目の恋川純さん、澤村神龍さん、津川鵣汀くん、花吹雪さんの三代目(現・桜京之介座長)、と俺だったんです。

――豪華ですね…!

※<顔>…2007/2/23(金)、新開地劇場で開催された若手会。

 そのとき国定忠治の『唐丸籠破り』っていう芝居をやったんです。大衆演劇ではけっこう有名な芝居ですね。忠治が捕まってしまって、唐丸籠っていう罪人を入れる籠に入れられて運ばれる。でも昔の子分たちが集まって忠治親分を助けるんです。その当時、俺は森川劇団で、一ヶ月のうち3分の2以上の芝居では女形だったんですよ。長二郎先生が、“最初は女形から始めたほうが、男をやったときに色気が出るから”って。だから女形ばっかりだったのに、若手会では与えられた役が大敵(おおがたき)だったんです。

――大敵って一番悪い役っていうことですか?

 はい。忠治たちを連れていく侍の親玉です。それまでそんな役やったことないのに…。そのときの主演が二代目の恋川純さん。子分たちの中で知恵を出す兄貴分の役ですね。それから新川笑也さんが忠治。花吹雪の三代目さんが、俺の役の下で働いてる目明しみたいな役でした。三代目さんと俺、同い年なんですよ。三代目さんの目明しは、悪く見せといてけっこう良い奴だったりするんです。わざと斬られるか自分で死ぬかで、忠治親分がここを通るっていうのを教えてやったりとかして。さらに忠治の子分はみんな良い奴じゃないですか。ほんとに悪いの、俺だけです(笑)

――ある意味、ちょっと目立っちゃっておいしいですけど。

 大敵なんで、二代目の恋川純さんと一騎打ちで立ち回りするんです。侍なんで、勝つじゃないですか。勝って相手を殺そうとしたところで、他の兄弟分が全員出てきて、全員で俺をぶすーってメッタ刺し。あれ、俺なんか嫌われてんのかな…俺一人、ちょっと、なんか…みたいな(笑) そのとき踊ったのが『紅色恋歌』でした。9/14(水)は、これが最後の若手会になるからと思って、最初の若手会と同じ曲にしたんです。俺、結構色んなことを影でやってるんですよ(笑)

劇団名は「嵐山瞳太郎劇団」

――旗揚げしますっていうブログでの発表が、今年の1/10(日)でしたね。Twitterは大騒ぎでした。

 (笑)

――その前日、1/9(土)の個人舞踊が『栄光の架橋』でしたね。それは、翌日の旗揚げ発表を意味していたんじゃないか?って話題になりました。

決意みなぎる『栄光の架橋』。この舞踊の翌日、旗揚げについての発表があった。(2016/1/9)

決意みなぎる『栄光の架橋』。この舞踊の翌日、旗揚げについての発表があった。(2016/1/9)

瞳 それはもう、そうですよ。発表の前に『栄光の架橋』をと思ったんです。誕生日公演のラストステージも『栄光の架橋』にしました。

――旗揚げされる劇団はどんな方が集まってるんですか?

 まず、こないだ誕生日公演にも来てくれた橘進之助さんが、とりあえず3ヶ月はいてくれます。あとは前回の誕生日公演に来てくれた吉野悦世さんが、スケジュールが空いてるときは来てくれる。ミヤコ蝶々さんのお弟子さんなんで、お芝居とかもできる方なんです。

――ずっといるっていう、いわゆる座員さんはいかがですか?

 元経験者の女の人2人が、今のところは来てくれるってことになってます。まったくの素人の子で、入りたいって言ってくれてる女の子が今のとこ3人か4人くらい。

――現時点では女性が多いんですね。

 もしかしたから男の方も紹介してもらえるかもしれないんですけど…。昔、知ってる劇団さんでも、男一人でやってる劇団さんとかもあったんで。女の人も男の人の格好してやればいいことですし、とりあえず人がいたらできないことはないかなと。

――劇団名ってもう決めてるんですか?

 色々考えてたんですけど、名前ですることにしました。

――じゃあ「嵐山瞳太郎劇団」ですか?

 はい。なんか凝って名前考えちゃったら、誰が座長の劇団かって、出来たばっかりのときってわからないじゃですか。噂聞いた人とか、ブログ見た人は俺が劇団作ったって知ってるかもしれないんですけど、そうじゃない人もやっぱりいるかもしれないんで。ポスターに名前があった時に、“「嵐山瞳太郎劇団」ってことは、ああ、あの人劇団作ったんだ”って思ってくれるかなって。だから最初のうちは「嵐山瞳太郎劇団」でいこうかなと思ってます。

――新しい劇団で、これをやっていきたいっていうのがあれば教えてください。

 ありますけどね~…。

――夢は口に出したほうが叶いますよ!(笑)

 やっぱり、どこまでいっても大衆演劇なので…。本来の、昔ながらの大衆演劇の芝居のやり方っていうのをしつつ、新しいこともしていきたいなとは思ってます。昔ながらの大衆演劇って、そんなに長くなくて、筋も簡単ですよね。それこそ『瞼の母』みたいな。ストーリーは別に凝った話でもないですし、演出にしてもそんな凝ったことはしないです。でも、なんか良いじゃないですか。っていう大衆演劇が好きだったんですよ。

――ご自分が子どもの頃に観ていた大衆演劇ということですか。

 はい。だからそういうのをメインにやりつつ、一ヶ月に一回くらい、誕生日公演の夜の部にやった『浮名の横櫛』みたいな大掛かりな芝居を。

――じゃあお誕生日公演の、昼が『瞼の母』で夜が『浮名の横櫛』っていうのは、嵐山瞳太郎劇団の理想形の凝縮みたいな感じじゃないですか?

 そうですね。と言っても、やっぱり時代に合わせてやらなきゃいけないっていうところもありますけども…。

――昔は今より芝居のウェイトが大きかったそうですね。

 はい。昔は“侍の役をやって、その役者の給金が決まる”とか言われてたぐらいですから。侍の役ってすごい難しいんですよ。喋り方、所作、振る舞いから。だから侍の役をやってその役者の腕がわかる、給料が決まるみたいなことを言ったんです。

――瞳太郎さんが子どもの頃、そういう風潮がまだ残ってたってことでしょうか?

 ちょっとは残ってましたけど…でもだいぶ、先輩方に言われましたけどね。“お前たちはいいよな。だいぶ優しくしてもらって”って(笑) 

「“ああ10人も来てくれたんだ”って思うと思うんです」

――SPICEを読んでいる読者の中にも、瞳太郎さんの劇団がどうなるんだろうって気にしている人が多いと思います。ぜひ最後にメッセージをお願いします!

瞳 正直やりたいことはね…いっぱいあるんですよ。でも、多分1、2年間…長くかかったら5年間くらいはやりたいことはできないと思うので…。舞台経験のない座員も多いですし。でも毎日公演してますから、一日一日、ちょっとずつでも良い舞台を見せられるようにと思ってます。今いるたつみ演劇BOXは、すごく人気のある劇団で、たくさんのお客様が来て下さってます。そこからいきなり、たとえば今日幕開きました、お客さん10人、とかいうことになったら、数だけ見るとすごく少ないって思っちゃうかもしれないんですけど。でも多分俺、自分の劇団作ったら、“ああ10人も来てくれたんだ”って思うと思うんです。その10人のお客さんを、一年間にまた10人でも、ちょっとずつ増やしていけるように頑張って参ります。

――ありがとうございました!

誕生日公演の夜の部のラストショー。瞳太郎さんは舞台上から観客に語った。

「私、嵐山瞳太郎は、たつみ演劇BOXという大きな船から降りる決心をしました。それは、嵐山瞳太郎という小さな船を造るためです。最初は小さな船ですが、大きな船になりますよう頑張って参りますので、皆様応援のほど、よろしくお願い申し上げます」

花浅葱さん撮影(2016/9/10)

花浅葱さん撮影(2016/9/10)

花浅葱さん撮影(2016/9/10)

花浅葱さん撮影(2016/9/10)

怒涛の拍手が沸き起こる。小泉たつみ座長や小泉ダイヤ座長、辰己小龍さん、座員さんたち一人一人が、瞳太郎さんの肩に手を置いていく。在籍するのは11月公演の千秋楽までだ。

夢をいっぱいに詰めた笑顔がはじける。ふくすけさん撮影(2016/9/14)

夢をいっぱいに詰めた笑顔がはじける。ふくすけさん撮影(2016/9/14)

若き瞳は次の夢を見つめる。船出はもう、すぐそこ。

【たつみ演劇BOX 公演予定】
12月 お休み
 
公演情報
たつみ演劇BOX 9月公演 篠原演芸場
会場:篠原演芸場
期間:9/1(木)~9/29(木)昼の部まで
日程:土・日・祝祭日は昼夜2回公演 平日は夜の部のみ
休演日:9/30(金)
公演時間:昼の部12:30~16:00 夜の部18:00~21:30
料金:1600円 
指定席予約料金: 一般席300円 桟敷席400円
※予約なしにフラッと行っても観られるのが大衆演劇の魅力の一つ。だが前方の席で観たい・友人と並んで席を取りたいという場合には予約しておくと確実だ。
 
問い合わせ先:03-3908-1874
東京都北区中十条2-17-6
●JR埼京線「十条駅」または京浜東北線「東十条駅」より徒歩5分
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