維新派最終公演『アマハラ』千秋楽レポート
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維新派『アマハラ』千秋楽のカーテンコール。 [撮影]井上嘉和
長い旅はここで終わる。そして新しい旅がここから始まる──。
いつか終わりが来るだろうとは思っていたが、こんなに早くその日が来るとは思っていなかった。主宰の松本雄吉が逝去したため、この『アマハラ』が最終公演となった維新派。その最後に立ち会おうと願う人たちで、10月24日の千秋楽公演の
会場に設置された松本雄吉の追悼スペース。数多くの花や酒、アート作品などが並んでいた。 [撮影]吉永美和子
開演3時間前となる2時過ぎに、野外劇場のある東区朝堂院エリアに近づくと、じょじょにリハーサルの音が聞こえてきた。内橋和久の変拍子の音に合わせて、単語のような台詞をリズムカルにつなげていく、あの独特の「ヂャンヂャン☆オペラ」の音だ。劇場の前まで来ると、そこにはすでに50名近い人たちが当日券の列を作っている…と思いきや、すでに何回か整理券を配っているため、もっと早くに来た人は列を離れているそうで、この時点で整理番号は150番を超えていた。
当日券の列の中に、以前維新派の舞台に参加したことがある知人を見つけた。仕事の都合で一時は観劇をあきらめていたが、ふと「今日しかない」と思い立って、広島から高速バスでここまでやってきたそうだ。「松本さんに会うこと自体は多かったけど、しばらく野外公演は観れてなくて…舞台に参加して以来、ずっと心の師匠だった」と語っていた。
当日券を求める列。整理番号1番をゲットした人は、朝の6時ぐらいにはすでに並んでいたそうだ。 [撮影]吉永美和子
そして幸いにも、リハーサル中の舞台を拝見させていただけることになった。芝居はすでにラストシーンに差し掛かる所で、キャスト全員の「オーイ」「オーイ」という声が、素晴らしく晴れ渡った平城宮跡の空の下に響き渡る。ちょうど5日ほど前に本番の舞台を観て、このシーンで自分でもどうかと思うほど涙があふれたものだ。
芝居が終わると、次は千秋楽用のカーテンコールの練習が行われた。全員が天に向かって手を上げてから、礼…と、文章にすると非常に単純な動作だ。それでも今回演出部リーダーを務める平野舞や、音楽の内橋和久などのスタッフは「どんな手の角度で、どこに顔を向けるのが一番美しいか」というのを、芝居作りと変わらないぐらいの熱量で検討している。腕を微妙に斜めにしたり、各々が好きな方を向くなどの意見も出てきたが、最終的には平野が「手も目線も真上にしましょう」と決めた。
(左から)演出部&役者の平野舞、照明の吉本有輝子、舞台監督の大田和司、音楽の内橋和久。 [撮影]吉永美和子
リハが終わる頃には屋台村がオープンし、ぞくぞくと人が集まり始めた。今回も飲食物から雑貨、理髪店まで様々な屋台がサークル状に並んでいる。中でも屋台村名物・モンゴルパンの店は、開店早々10名以上の列ができるほどの人気だ。中央の広いスペースには、ここ最近の維新派公演ではおなじみとなっているサーカス用の空中ブランコが設置され、ブランコの練習をするパフォーマーの動きに、早くもあちこちから「おお!」と感嘆の声が上がっている。今回初めて登場した紙芝居は、観客との掛け合いの愉快さからすっかり人気者となり、子どもたちの笑い声が会場中に響く。
またこの日は、屋台村の空いたスペースにセルフ焼肉店が臨時で登場。会場中に肉を焼く煙がもうもうと立ちこめ、その香りにつられて多くの人が足を止める。中には1、000円超のサーロインステーキという、屋台離れした価格の商品もあったが、実際に注文した猛者がいたかどうかは確認していない。
開演前の屋台村の様子。中央の長蛇の列は、人気の屋台「モンゴルパン」の行列。 [撮影]吉永美和子
日暮れが近づき、開演時間が近づくと多くの人が劇場の方へと向い出す。当日券の販売も始まり、整理番号が呼び出されていくたびに「果たして私の番号まで届くだろうか?」という緊張が、そこかしこから感じられる。購入者の列の中には、演劇ファンならたいてい名前は知ってるであろうと思われる、作家や役者の姿もちらほらと見えた。その整理番号が結構な数字となった所で札止めとなり、残念ながら
開演後間もない時間の野外劇場の外の風景。 [撮影]吉永美和子
さて私自身はといえば、本日の観劇は最初から見送るつもりでいた。しかし私が観劇した日は曇天で、松本が観客に見せたがっていた平城京の夕景が見れなかったため、せめてそれに近い雰囲気だけでも目に焼き付けようと、トワイライトに包まれた劇場を真裏の土手から観賞した。役者たちの声と、内橋が奏でるダクソフォンの音がここまでハッキリと聞こえてきて、数日前に鑑賞した芝居のシーンがフラッシュバックのように浮かび上がる。藍色とオレンジ色のグラデーションをバックにした廃船の劇場は、さながらノアの箱船のように荘厳で、かつミステリアスに映った。
すぐ上の写真を撮影した時分の『アマハラ』の1シーン。 [撮影]井上嘉和
西日が少しずつ薄れ、星の瞬きが見え始めた頃に屋台村に戻ると、ざっと200名ぐらいの人たちが飲食や歓談を楽しんでいた。日本維新派時代からのファンと思われる年代の人たちから、屋台村の楽しげな雰囲気に誘われて何も知らずに迷い込んだと思われる外国人観光客まで、様々な人たちが本番の舞台を気遣って控えめに盛り上がっている。その一角の、松本雄吉の写真が展示されているスペースでは、多くの人が壁に張り付いていた。一体何かと思って見てみると、板の壁の隙間から舞台下手の様子がわずかに確認できる。以前松本が「見たい人は塀をよじ登ってでも見ようとするとか、観客との関係が熱を帯びてくるのが野外劇の面白さ」と語っていたのを思い出した。
板の隙間から公演の様子をうかがう人々。壁には様々な年代の松本雄吉の写真が展示されていた。 [撮影]吉永美和子
舞台の方はラストに近づき、昼間のリハーサルでも聞いた「オーイ」「オーイ」という呼び声が、今は夜空に届かんばかりに響き渡る。そして万雷の拍手の音が聞こえ、維新派の最後の舞台が終わったのが外にまで伝わった。この日は何度もカーテンコールがあり、客席にいた人に後で話を聞いたところ、維新派では珍しくスタンディングオベーションとなったそうだ。
終演後は、屋台村が再び活気づく。恐らくは会社帰りに、この時間から顔を出したと思しき人たちも加えた何百人レベルの人たちが、これが最後となる屋台村の無国籍かつ非日常な雰囲気を楽しんでいた。役者やスタッフたちも、支度が整った人たちからポツポツと屋台村に顔を出し、知り合いにあいさつをして回ったり、最終日名物の豚の丸焼きに舌つづみを打っている。本日は特に打ち上げなどは行わず、全員がこの屋台村で自由に歓談しながら最後の夜を過ごすとのことだ。時間が8時を回る頃、もう一つのお楽しみと言えるサーカスが始まる。玉乗りや空中ブランコなどの本格的な芸が決まるたびに、大きなどよめきが起こっていた。
終演後に行われた「クロワッサン・サーカス」のパフォーマンス。 [撮影]吉永美和子
ふと劇場の方に顔を向けると、今回の舞台で最も大掛かりな仕掛けだった、可動式の巨大な足場のてっぺんに、人が登っているのが見えた。関係者にお断りを入れて私も登ってみたが、事前に「自己責任でお願いしますね」と言われた通り、これはかなり怖くて危なっかしい。特に最上層はつかまるものが何もない上に揺れも激しく、立ち上がるのもやっとという感じだ。これを本番中は、数人の役者が荷物を持って歩いた上に、足場自体を舞台の端から端まで移動させていたんだから、維新派のやってることの無茶ぶりを今になって体感する形となった。
(上)巨大な足場が出現した『アマハラ』の1シーン。(下)終演後、足場のてっぺんにいた役者の金子仁司。劇中に出てきた「山口商店」の名前で屋台を出し、小道具の椅子などを販売していた。 [撮影]井上嘉和(舞台)吉永美和子(人物)
ふと気がつくと、最寄りの近鉄西大寺駅の終電が間近な時間。それでもほぼすべての屋台は開店中で、夜通し余韻に浸ろうとする人たちが幾人も残っている。非常に立ち去りがたい気持ちではいたが、知人を京都駅まで送りがてら、この場から離れることにした。次にこの場所に来る時には、劇場も屋台村もすっかり姿を消し、まるですべてが夢だったかのような光景が広がっていることだろう。
終演後の屋台村。数多くの人が別れを惜しむように、遅い時間までこの空間を楽しんだ。 [撮影]吉永美和子
維新派の46年にも渡る旅はひとまず終わった。足を運ぶ前は、帰る時にはさぞ虚無感に襲われることだろうと予想していたが、むしろ「ここからどこかに出発せねばならない」という、前向きな寂しさとでも言うような気持ちに包まれていた。だって彼らはラストの曲で、こういう感じのことを歌っていたのだから。
僕らはまたどこかで会える。僕らはまだ、旅の途中なのだから──
ここからまた、目的地の見えない新しい旅が始まる。もしかしたら松本雄吉は、ここを漂着の場とするのではなく、新しい漂流に出発する門出のための舞台として《船》を劇場に選んだのかもしれないなと、駅に向かいながら考えたのだった。
■会場:奈良県 平城宮跡
■脚本・構成:松本雄吉
■音楽・演奏:内橋和久
■出演:
森 正吏 金子仁司 井上和也 福田雄一 うっぽ
石本由美 平野 舞 吉本博子 今井美帆 奈良 郁
松本幸恵 石原菜々子 伊吹佑紀子 坂井遥香
松永理央 衣川茉李 平山ゆず子 室谷智子 山辻晴奈
瀬戸沙門 日下七海 阿山侑里 岩坪成美 飯島麻穂
佐竹真知子 五月女侑希 手代木花野 中田好美
増田咲紀 南 愛美
■公式サイト:http://ishinha.com/