【コラム】物語の中のアートたち/原田マハ『楽園のカンヴァス』の中のアンリ・ルソー《夢》

コラム
アート
2017.1.26
原田マハ『楽園のカンヴァス』 新潮社公式サイトより(http://www.shinchosha.co.jp/book/125961/)

原田マハ『楽園のカンヴァス』 新潮社公式サイトより(http://www.shinchosha.co.jp/book/125961/)

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実在するアート作品が登場する物語を読むと、実際にその作品を目にした時、物語に出てきた場面や会話が甦り、よりいきいきと鑑賞することができる。また、文による緻密な描写は、深く充実した理解を促すだろう。連載コラム『物語の中のアートたち』第二回は、原田マハ『楽園のカンヴァス』をご紹介する。

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絵を巡る華麗なる戦い、テーマは“情熱”

大原美術館の監視員としてひっそりと生計を立てる早川織絵は、ある日、館長らに呼び出される。近年、アンリ・ルソーの企画展を開催する予定があり、貸し出し元のMoMA(ニューヨーク近代美術館)のキュレーターであるティム・ブラウンが、交渉の窓口に織絵を指定しているというのだ。甦る17年前の記憶。それはルソーの手によるとされる一枚の絵《夢をみた》の真贋を問う戦いだった……。

対決の過程はティムの目線で進む。実際にMoMAで公開されているルソーの《夢》は、問題となる《夢をみた》によく似た絵であり、幼いころのティムを魅了した作品でもある。二人は大富豪のコンラート・バイラーの屋敷で、絵と同じタイトルの物語を読み進めることで真贋の判定を下さなければならない。

勝負の合間に差し挟まれる秘密や陰謀もスリリングだが、読み応えがあるのはやはり、織絵とティムの絵に対する純粋で真摯な姿勢だろう。彼らの会話は、怜悧な分析と熱い思いがぶつかり合い、鮮烈で刺激的だ。そして二人は絵の中に画家の想いを見出し、地位や名誉のためではなく、絵を愛する者としての情熱を燃やすのである。

 

孤高の異才、アンリ・ルソー

アンリ・ルソーは19世紀後半から20世紀初頭にかけてパリで活動した画家で、遠近法も明暗法も活用しない独特の画風で知られる。ファンタジックで魔術的な世界観は、観る者を奇妙な感覚に陥らせ、忘れられないインパクトを残す。

今でこそ「素朴派の祖」と呼ばれ、世界中で鑑賞されているルソーだが、生前はなかなか世間に認められず、彼を評価し支えていたのは当時の芸術家たちだけだった。中でもパブロ・ピカソはルソーを深く理解しており、若きアーティストたちを集めては、晩年のルソーを囲んで夜会を催したという。なお、織絵とティムが読み進める物語の中で、ルソーが夜会にてエスコートしたのは、《夢》《夢をみた》双方に登場する彼のミューズ、ヤドヴィガだった。

『夢』 アンリ・ルソー作 1910年 ニュー・ヨーク近代美術館 出典=ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

『夢』 アンリ・ルソー作 1910年 ニュー・ヨーク近代美術館 出典=ウィキメディア・コモンズ (Wikimedia Commons)

 

ルソーの見た《夢》

MoMAにある《夢》の手引きとして、ルソーは「夢のための銘刻」という詩を残している。この詩の中では、ヤドヴィガが眠りにおち、夢の中で楽器の音を聞いている姿が描写される。一人の女性を想いつづける純真さ、絵に対する情念、そしてさまざまな芸術家が混在するエネルギッシュなパリに居合わせたこと、これらは全てルソーに与えられたギフトといえよう。

《夢》に描かれている神秘的な密林は、ルソーにとっての憧れの地であり楽園なのだろう。この絵は、現実に似ているという意味のリアリティからは遠いにもかかわらず、絵の外側にいる者を酩酊させ、幻の熱帯雨林の中に迷い込ませる。それは、世間的な位置づけを踏み越えた、絵自体が持つ力だ。

 

“情熱”を見出せる場所は、どこでも楽園

『楽園のカンヴァス』は、日本の美術館や企画展の内部事情、名画の流通など、普段なかなか知る機会のないアートの世界の裏側が描かれている。また主要な登場人物たちは、画家・監視員・キュレーター・コレクター・鑑賞者など、何かしらアートに関する役割を担っているので、アート界の内情を知るためのガイドブックとして読むのも面白い。

複雑な背景を抱えていながら、織絵とティムの一騎打ちがすがすがしいのは、二人がルソーと彼の絵に対する情熱の元に行動しているからに他ならない。現実世界のしがらみを全て投げ捨てられるほど夢中になれるということは、何と幸せなのだろう。そしてこの幸福、アートに触れるという恍惚は、万人が平等に享受しうるギフトなのである。

 

書籍情報
楽園のカンヴァス
 


著者:原田マハ
価格:724円(税込)
発売日:2014年7月1日
 
ニューヨーク近代美術館のキュレーター、ティム・ブラウンはある日スイスの大邸宅に招かれる。そこで見たのは巨匠ルソーの名作「夢」に酷似した絵。持ち主は正しく真贋判定した者にこの絵を譲ると告げ、手がかりとなる謎の古書を読ませる。リミットは7日間。ライバルは日本人研究者・早川織絵。ルソーとピカソ、二人の天才がカンヴァスに籠めた想いとは――。山本周五郎賞受賞作。

新潮社公式サイト:http://www.shinchosha.co.jp/book/125961/
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