「ある種の部分でとことん優しい演出家だった」蜷川幸雄の意志を継ぎGEKISYA NINAGAWA STUDIOが『2017・待つ』上演中

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 (撮影:仲野慶吾)

(撮影:仲野慶吾)


2016年5月12日午後1時25分(本記事公開日時のちょうど一年前)に亡くなった演出家・蜷川幸雄の一周忌に合わせ、蜷川作品で個性を競い合った俳優たちが結集、「GEKISYA NINAGAWA STUDIO」が立ち上がった。5月14日(日)まで彩の国さいたま芸術劇場で『2017・待つ』を上演している。出演するのは蜷川の元でしごかれた骨太な男優たちだ。蜷川ともに作り上げてきた実験精神を受け継ぎ次への一歩へと挑む妹尾正文と大石継太に聞いた。

『2017・待つ』「戦場のピクニック」(舞台写真撮影:宮川舞子)

『2017・待つ』「戦場のピクニック」(舞台写真撮影:宮川舞子)

――まず、「GEKISYA NINAGAWA STUDIO」を立ち上げて、『待つ』シリーズを上演することになったきっかけから教えてください。

大石 蜷川さんのお通夜で、蜷川さんから離れた役者たちも集まってお酒を飲みながら、「何が作品として自分の中に残っているか」という話になったのです。いろんな作品を話したのですが、家に帰ってから蜷川さんとベニサン・ピット(2009年に閉館した小劇場)で戦いながらつくっていた『待つ』シリーズはかけがいのないものだったと思ったんですね。どうにかまたできないかと考えていたら、蜷川さんが芸術監督をしていた彩の国さいたま芸術劇場が協力してくださることになり実現できました。

妹尾 ぼくもその通夜の場にいたのでね。蜷川さんが亡くなった直後の公演『尺には尺を』(2016年)も継太と一緒に出演していて、「またやりたいなあ」と話していました。この打ち上げのときに、「じゃあやろう、やろう!」となった。もう、あれから一年たつんですね。

『2017・待つ』「戦場のピクニック」(舞台写真撮影:宮川舞子)

『2017・待つ』「戦場のピクニック」(舞台写真撮影:宮川舞子)

――蜷川さんが不在の中で再演ではなく、『待つ』シリーズの新作をやる上での課題はなかったのですか?

妹尾 一番の問題は、『待つ』は、まずみんなが勝手にやりたい作品を選んで作って蜷川さんに見せて、それを蜷川さんがジャッジして、オムニバス風につなげて、一本の形になるようにしていたので、今回はそのジャッジがいないのに、どうするかでしたね。

大石 ジャッジがなくなったことも僕たちの現状なので、それを現実と受け止めて作品を選ぼうと。みんなで、議論や喧嘩のようなものもありましたが、進みました。

妹尾 みんな30年ぐらい蜷川さんのもとでやってきているから、そんな馬鹿なことはしないだろうとね。経験の中から、これだというものを出してくるだろうと。芝居に関してはある種の信頼というか、絆があると思っていましたから。

大石 作品発表は久しぶりに緊張しましたけど、まずその人がその作品をどう思って選んだのかを受けとめようと思いました。蜷川さんなら「ダメだ」と言うものもあるかもですが、みな役者としてのある程度の経験はありますから。それらをどう構成して一本にしていくか、勉強でしたね。

妹尾 問題になるのは個々の作品を見せる順番ですが、だいたいの理屈とか条件、法則性はあるので、それはまあ大丈夫ですね。

大石 ああだこうだはあっても、前向きな喧嘩でね。

妹尾 例えば、『12人の怒れる男』のテキストでは、全員参加のものをと作ったのですが、逆にこれは大変だった。それぞれの思惑もあるし、誰一人俯瞰で作品を見られないので、こうしたほうがいい、それはおかしいと、いろんな意見が出てね。

大石 稽古は停滞しますが、そういえば昔もこうやって言い合っていたよなと思い出しました。それができる関係性でもあるので、そこで遠慮しないでいようと。昔は蜷川さんが黒といえば本当は白でも黒でいかなくてはいけなかったけれど、今は、「ええ?白じゃない?」「やっぱり赤じゃない?」と意見が言えるので、面白いちゃ面白い。『待つ』という作品を知らない人も、昔の『待つ』を好きだった人も、昔と同じものでは決してないので、新たな目で見ていただけるかなと思います。

『2017・待つ』「チチ」(舞台写真撮影:宮川舞子)

『2017・待つ』「チチ」(舞台写真撮影:宮川舞子)

――そもそも、この『待つ』というタイトルはどこから生まれたのでしょうか?

大石 いろんな説があるようですが、僕が記憶しているのは、蜷川さんが「今の若者は受け身のやつばっかりで、役も待っているし、芝居の流れも待っているし、与えられるのをただ待っているヤツばっかりだ」ということで、『待つ』となったと。

妹尾 だから逆説的ですよね。「お前ら、そんな待つでいいのかよ……!」という思いがこもっているのでしょうね。

――今回は、その「待つ」ことに抵抗して、「待っていてもダメだ」とスタートしたわけですね。

大石 僕らは蜷川が絶対ありきで芝居をしていたので、いなくなったら、「じゃあ終わりだな」とか見られることに引っかかったのもありました。

妹尾 どうなんでしょうね? ぼくは、ほかのみんなと違って、蜷川さんと一緒に始めたのは30歳近くで、その前には劇団シェイクスピアシアターにいて演劇経験があったので少し違うかもですね。この30年は、蜷川さん以外の方とほとんど仕事をしていないで、一概にああだこうだとは言いようのないものがありますね。

大石 1984年にGEKI-SHA NINAGAWA STUDIOを立ち上げときの蜷川さんはまだ48歳。ベニサン・ピットという場所で、若者たちと一番エネルギーをぶつけていた。僕も怒られて怖かったけど、そういう一番エネルギッシュな蜷川さんとお芝居で向き合えたのが財産になっているなと感じています。

『2017・待つ』「チチ」(舞台写真撮影:宮川舞子)

『2017・待つ』「チチ」(舞台写真撮影:宮川舞子)

―― 1991年にザ・ヤング・ニナガワ・カンパニーに改名して『1991・待つ』を初演。その後、 ザ・ニナガワ・カンパニー(1992年)、ニナガワ・カンパニー・ダッシュ(1996年)、ニナガワ・スタジオ(2004年)と改名をしながらカンパニーは続いてきました。おふたりがここで続けてこられたのはなぜでしょうか?

大石 辞めようと思ったことは何回もあります。若いときは優等生でもなかったので、せりふは一個あるかないかの舞台ばかりで、「こんなんだったらもういいや」と、生意気にもね。当時は、あんまり考えなかったなあ。自分の好きな芝居はどうだとかいろいろ考えて辞めていったヤツはいっぱいいますが、僕は深く考えていなかったから続いてきたのかと思います。あと、時々いいことがあるんですよ。いきなりいい役をもらったりね。

妹尾 蜷川さんとやった最初の『黒いチューリップ』(1983年)も面白かったですし、次の『タンゴ冬の終わりに』(1984年)も心に響く作品だった。NINAGAWA STUDIOに入ってからは、役を降ろされたり屈辱的なことはいっぱいあったけど、やっぱり時々、いいことがあるんですよ。例えば、海外公演のカーテンコールで、観客がわーって拍手をくれて、「ああ、芝居やっててよかった」ていう瞬間があると、だまされてしまうんですよね。そして、次の現場でくそみそに言われて、また辞めようかなと思うときに、またその「わーっ」がくると、「やっぱりいいわぁ」と。その繰り返しでしたね。

『2017・待つ』「12人の怒れる男」(舞台写真撮影:宮川舞子)

『2017・待つ』「12人の怒れる男」(舞台写真撮影:宮川舞子)

――おふたりにとって、そのいいことがあった一番印象深い作品は何ですか?

大石 たくさん役をいだきましたが、ぼくは『近松心中物語』(1979年初演)ですかね。1997年の公演で与兵衛の役をもらったんです。そんな大役ができるとは思ってもいなかった。最初は群衆からだったので、そのお話をもらったときはびっくりしたというか、まさか自分が、僕でいいのかなあと思いましたね。

妹尾 1998年に静岡県の護国神社で、『マクベス』の野外劇をやったんです。神社の本殿の中にサーチライトが仕込んであって、そのライトの光の中へ真っ直ぐ走っていく場面があるのですが、その快感というか高揚感! 蜷川さんって、俳優にとって死んでもいいというほどの瞬間を味あわせてくれる演出家なんです。ある種の部分ではとことん優しい演出家だったんですよね。もちろんすごく厳しくて、わがままだなと思うこともいっぱいあったけど、その瞬間を共有できる演出家なんですよね。

『2017・待つ』「12人の怒れる男」(舞台写真撮影:宮川舞子)

『2017・待つ』「12人の怒れる男」(舞台写真撮影:宮川舞子)

――今回の『2017・待つ』の作品の中身を少し教えてください。

大石 僕は、岡田正の提案で前田司郎さんの『逆に14歳』をやります。年寄りの話なんですよ。最近、いろんな方が亡くなっていって、死ということ、老いていくことを考えると不安になったりする。その中で最終的には年をとっていくこともいいじゃないかという話です。蜷川さんも昔、「年取ったからわかることもある」と言っていたのですが、自分の中で腹に落ちるせりふがいっぱいありました。

妹尾 僕は堀文明くんがアイデア出して、いくつかの小説やウィリアム・サローヤンの戯曲などを題材にして、創作しました。期せずして、こちらも死というものを考えた作品になりましたね。

『2017・待つ』「逆に14歳」(舞台写真撮影:宮川舞子)

『2017・待つ』「逆に14歳」(舞台写真撮影:宮川舞子)

――今後、「GEKISYA NINAGAWA STUDIO」をどうしていこうと思っていますか?

妹尾 未来のことは皆目見当がつかないですが、とりあえず、蜷川さんが亡くなってから一年後の未来である今に、形は違うけど、みなそれぞれが蜷川さんの意志をついで、とにかく好きなことをやっている。この「やろうぜ」というのが繋がっていけばいいのかなと思います。そして、いい作品をつくるという責任をもって続けていければ、少しは皆さんに御恩返しになるのかなと思っています。

大石 ひとつの芝居をつくるということは、芝居だけをやっていればよかったのとは違い、この年になって改めて大変だなと思うことばかり。採の国さいたま芸術劇場はじめ、皆さんの協力があってのことです。だからこそ考えないとですね。次は、妹尾の演出で何か上演するとか、毎回カンパニー全員ではなくても、この仲間から蜷川さんが芸術監督を務めていたこの場所で、何か芝居をやり続けていければと思っています。

『2017・待つ』「逆に14歳」(舞台写真撮影:宮川舞子)

『2017・待つ』「逆に14歳」(舞台写真撮影:宮川舞子)



なおWOWOWライブでは、5月12日夜10時から「ノンフィクションW 蜷川幸雄~それでも演劇は希望を探す」、同夜11時から蜷川幸雄 一周忌追悼番組「天保十二年のシェイクスピア」が放送される。

取材・文=田窪桜子

公演情報
GEKISHA NINAGAWA STUDIO公演『2017・待つ』

■会場:彩の国さいたま芸術劇場 NINAGAWA STUDIO(大稽古場)
■日程:2017年4月27日(木)~30日(日)、5月11日(木)~14日(日)
※当日券は、開演の1時間前よりNINAGAWA STUDIO(大稽古場)入口受付にて販売。
■出演(参加するであろう人たち):明石伸一、飯田邦博、井上尊晶、井上正弘(新音)、大石継太、岡田 正、紅林美帆、新川將人、清家栄一、妹尾正文、塚本幸男、鶴田美鈴(CAT)、鳥井和昌、中越 司、布田栄一、野辺富三、堀 文明、さいたまゴールドシアター、ほか
■主催:GEKISHA NINAGAWA STUDIO
■提携:公益財団法人埼玉県芸術文化振興財団
■公式サイト:
GEKISHA NINAGAWA STUDIO http://www.ninagawastudio.net/J-What'sNew.html
彩の国さいたま芸術劇場http://saf.or.jp/arthall/stages/detail/3868

WOWOWライブでの蜷川幸雄 一周忌追悼番組
 
5月12日(金)夜10:00 WOWOWライブ
ノンフィクションW 蜷川幸雄~それでも演劇は希望を探す 
http://www.wowow.co.jp/detail/075291

 
5月12日(金)夜11:00 WOWOWライブ
蜷川幸雄 一周忌追悼番組「天保十二年のシェイクスピア」
http://www.wowow.co.jp/detail/075291  
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