京都公演開幕直前! 木ノ下歌舞伎『心中天の網島』稽古場レポート
木ノ下歌舞伎『心中天の網島』稽古風景より。(左から)山内健司、日髙啓介、伊東沙保。 [撮影]吉永美和子(このページすべて)
近松門左衛門原作の傑作を、より哀しくも愛しい世界にリクリエーション。
歌舞伎や文楽などの古典芸能を、若手演出家の手で現代的に舞台化する、木ノ下裕一のプロデュース団体「木ノ下歌舞伎」。京都の劇場[ロームシアター京都]が、2年がかりで劇場のレパートリー作品の創造を目指すプロジェクト「レパートリーの創造」の、第一回目のアーティストに選ばれた彼が取り組むのが『心中天の網島』だ。2015年に「FUKAIPRODUCE 羽衣」の糸井幸之介を迎えて上演した作品を大胆に改訂し、リクリエーション(再創作)版としてよみがえらせるという。京都で行われている稽古の様子を、木ノ下&糸井の声を交えてレポートする。
演出の話を聞く今回の出演者。(左から)日髙啓介、伊東沙保、伊東茄那、澤田慎司、武谷公雄、西田夏奈子、山内健司。
原作の『心中天の網島』は、近松門左衛門の世話物の一つ。妻子持ちの町人・治兵衛と遊女・小春が周囲の義理や情けに翻弄されたあげく、最後には心中に至る様を詩的な文体で描き出した作品で、近松の最高傑作に挙げる人も少なくない。木ノ下歌舞伎版の初演は「網」に見立てた舞台装置や、糸井の紡ぐ楽曲のクオリティの高さもあって好評を博している。
監修・補綴の木ノ下と、演出・作詞・音楽の糸井は、初演の時の思いについて、このように語っている。
「糸井さんは、人間が生きていること自体の哀しさを表現した上で、その哀しさを前提にした小さな幸福みたいなものも、とっても丁寧にすくい取る作家なので、近松との親和性は高いと思いました。近松の心中物は単なる恋愛悲劇ではなく、それ以上に一つの大きな社会とか宇宙などの、人間を包み込む大きな枠組みの描写がたくさんある。糸井さんには、その辺のことも含めてすくい取ってもらえたらというのが、初演の時のポイントでした」(木ノ下)
(左から)糸井幸之介(FUKAIPRODUCE羽衣)、木ノ下裕一(木ノ下歌舞伎)
「僕自身、不倫などのアンモラルな恋愛をよく扱うので、そういう意味では違和感なく取り組めました(笑)。近松の、世界を俯瞰して観ているような視線って……自分で言うのもおかしいけど、僕の作品にもよくある感じなんです。だからエロスを感じる所以外にも、すごく親近感を感じながら作れましたし、木ノ下さんがそう導いてくれたというのも大きかったです」(糸井)
今回の稽古場を訪れてみると、すでに実際の舞台美術を使った稽古が行われていた。「網」という美術コンセプトは初演と同じだが、前回よりもアクティングスペースを広げて安全性を保った上で、川の流れのような曲線的な美術にしたことで、舞台となる水の都・大坂をより連想させる世界となっている。リクリエーションでの大きな変更点はこの美術と、数人の役者が入れ替わったことと、あと前半部に新たなシーンを加えたことだという。
今回の舞台美術の全景。隙間の一部にも「網」が張られ、小道具を出し入れできるという仕掛けも。 [美術]島次郎・角浜有香
「“何で死んでっちゃうの?”という所が、自然とお客さんに入っていくかどうかの部分が、初演ではやり切れなかったという思いがありまして。やはり昔の時代背景があっての心中なので、現代の感覚だと“何も死ななくても”と思うような所がある。そこがもうちょっとすんなりと、ある種の迫力を持って伝わるような台本に変えました」(糸井)
「主人公二人のそれまでの出来事を描くことで、心中に向かうリアリティがより伝わるように改訂しています。原作には存在しないシーンなんですけど、(原作の)台詞の中にある情報を拾って、再構築したらこうなる……という風にしました」(木ノ下)
この時間はちょうど、通称「引っ越し」と呼ばれるシーンの稽古が行われていた。江戸時代のお茶屋の小道具が並んだ「河庄」の場面から、現代風のリビングが舞台となる「紙屋内」の場面への転換を役者たちが行うという、小劇場ならではの演出が光るシーンだ。一度は承諾した心中を拒否する小春(伊東茄那)に激昂し、お茶屋を飛び出す治兵衛(日髙啓介)。彼らのやるせない心象を表すようなインストゥルメンタルをBGMに、2人が舞台上をゆっくりと循環する間に、他の役者たちは次のシーンのセッティングを行う。舞台のムードを壊さないようゆるやかに動きつつも、4分程度の楽曲が終わるまでにすべてを終わらせなければいけないという、見るからにシビアなシーンだ。
舞台上はあれよあれよという間に、お茶屋からリビングへと変貌を遂げていく。
一度目の通しで、糸井が「すでに早いじゃないですか!」と驚きの声をあげたほど、タイミングはドンピシャ。しかし出し忘れた小道具があったり、役者同士のタイミングが合わない箇所が多々あったらしく、全員で段取りをもう一度確認し合う時間が取られた。その間、セッティングに参加しない日髙と伊東茄那は、糸井と木ノ下から舞台を回るスピードやきっかけについて演出を受けていた。演出は完全に糸井が中心だが、時に木ノ下がアドバイスを入れる所も見かける。この役割分担に関しては、明確な線引きはないそうで、後で木ノ下が「糸井さんとの創作は三度目なので“これぐらいなら僕が口を出しても大丈夫”“ここまで踏み込むと演出が変わる”という判断が、恐らくできていると思います」と語ってくれた。
衣裳打ち合わせ中のキャストたち。そのほとんどは現代風の衣裳だ。
少し長めの休憩の後、20分程度の衣裳チェックを経て、「紙屋内」の場面の稽古が始まった。小春が心中を断った真相を知り、彼女を救うために金子を用立てようと、売り払える物を探す治兵衛と彼の妻・おさん(伊東沙保)。タンスの中を調べるうちによみがえる、2人の恋人時代や夫婦生活の思い出が、ミュージカル仕立てで語られる……という場面だ。時に滑稽で、時に微笑ましいやり取りと歌の掛け合いが、逆に追い詰められた2人の物悲しさを引き立てていく。
「紙屋内」の場面より。おさんの出産にオタオタする治兵衛の姿がユーモラス。
しかしそこに折り悪く、おさんの父・太兵衛(山内健司)が登場。この不甲斐ない状況に堪忍袋の緒を切らし、嫌がるおさんを無理やり実家に連れて帰ろうとする。それまで現代演劇風だった世界が一転し、ここからは歌舞伎風の誇張した動きと、ヴァイオリンを下座音楽にした義太夫が入り、グッと空気が古典的に。子どもと共に残された治兵衛は家財道具を壊して回り、一度は抑えたはずだった「死」への思いをふつふつと再燃させる……。
おさんの別れのシーン。義太夫は武谷公雄、ヴァイオリンは西田夏奈子が担当している。
この後治兵衛と小春は、改めて心中のために手と手を取り合う。その道行きとラストは、今回の稽古場では確認できなかったが、初演では圧巻のシーンとなっていたので、今回も楽しみにして間違いないだろう。木ノ下と糸井は、リクリエーション版の期待について以下のように語ってくれた。
「そう見えない所も含めて、実は原作通りのことをやってるんです。設定や人物相関図を大きく変えたわけではないのに、これが現代に通じる話だという風に見えてくれたらいいと思います」(木ノ下)
「曲は初演の時から変えてないんですけど、どの曲もチャーミングな良い曲ぞろいです。manzo(注:鷹の爪団の音楽などで知られるミュージシャン)さんがアレンジを担当してますし、音楽だけでも楽しめると思います」(糸井)
丁稚(澤田慎司)に子どもを預け、家財道具を壊していく治兵衛は、次第に悲壮な決意を固めていく…。
難解と思われがちな古典の世界をわかりやすく提示するために、設定や言葉遣いを現代に近づける。それは同時に、その劇中に出て来る人物の思いや行動は、決して現代の私たちとかけ離れたものではないという、人間の普遍性を感じさせる効果ともなっている。古典にまったく馴染みがない人もこの舞台を見れば、古典に対して持っていた様々な固定観念がガラリと変わることだろう。『心中天の網島』は、京都公演終了後に三重、香川、宮崎、横浜の全国4ヶ所で上演される。また歌舞伎俳優・中村勘九郎のインタビューを始め、作品をより深く楽しむヒントが散りばめられた公演パンフレットもマストバイだ。
木ノ下歌舞伎『心中天の網島―2017年リクリエーション版―』
■日程:2017年10月5日(木)~9日(月・祝)
■会場:ロームシアター京都 ノースホール
■日程:2017年10月20日(金)~22日(日)
■会場:三重県文化会館 小ホール
■日程:2017年10月28日(土)・29日(日)
■会場:四国学院大学 ノトススタジオ
■日程:2017年11月1日(水)・2日(木)
■会場:メディキット県民文化センター(宮崎県立芸術劇場) イベントホール
■日程:2017年11月6日(月)~18日(土)
■会場:横浜にぎわい座 のげシャーレ
■監修・補綴:木ノ下裕一
■演出・作詞・音楽:糸井幸之介(FUKAIPRODUCE羽衣)
■音楽監修:manzo
■出演:日髙啓介、伊東茄那、伊東沙保、武谷公雄、西田夏奈子、澤田慎司、山内健司