【ACIDMAN 20th特別企画・第3弾】唯一無二の3ピースバンド、その歴史と思想とは ~佐藤雅俊篇~
ACIDMAN・佐藤雅俊 撮影=西槇太一
SPICEによるACIDMAN20周年特別企画、メンバー3人の連続ソロ・インタビュー企画の最終回・第3弾は、マイペースな職人肌、しかしステージ上では誰よりも激しくエモーショナルに豹変するベーシスト・佐藤雅俊。
ボーカル志望からベーシストへ、ひたすらロックに夢中だったバンド少年は、20年後、いかにしてバンドマンとしてのアイデンティティをつかみ、フレーズ作りに情熱を燃やすようになり、ACIDMANの骨格を形作る重要なワンピースへと成長したのか。
20周年イヤーを締めくくる『ACIDMAN presents 「SAITAMA ROCK FESTIVAL “SAI”」』開催も目前に迫ったこのタイミングで、貴重なインタビューを公開する。
――今回は、デビュー当時のこととか、昔の話が多くなると思います。
わかりました。でも俺、嫌な思い出は消しちゃうんで(笑)。都合よく作り変える癖があるんです。
――できるだけ真実を語ってもらう方向でお願いします(笑)。サトマさん、楽器は何から始めたんですか。普通にギターとかですか。
いや、最初はボーカルをやりたかったんですよ。中学の時に周りの友達がBOφWYとXのコピーバンドをやってて、いいなあと思って。でもサッカー部だったし、中3だから受験があるし、楽器を始めるにはどうかな?と思っていて。で、高校に入ったら軽音部があると。サッカー部に行こうか軽音部に行こうか?と思ったときに、一緒に行った友達が「バンドやろうよ」と言ってくれて、軽音部に入ることになった。そこから楽器を始めましたね。
「ボーカルやりたい」って入ったけど、せっかくだから楽器も何かやりたくて、ギターかベースかどっちかが良かったけど、BOφWYが好きで松井(常松)さんが好きだったので、じゃあベースにしようと。人も少ないみたいだったし、ベースはクールでかっこいいし。それでベースとボーカルと、バンドを2個やってたんですよ。高1の時は。その部活に誘ってくれた奴と一緒に組んだバンドではボーカルで、そのベースが一悟だったのかな。今までちょっと忘れてたけど。
――そうだと言ってましたよ、本人は。
それと、自分がベースをやってるバンドでは、ドラムが一悟だったんですよ。
――一悟さんとは、同じ軽音部で知り合って?
そうです。で、大木のところのバンドのベースが辞めたから、代わりに入って。自分がボーカルのバンドは、自分のボーカルがダメなことにすぐ気づいたんですけど。
――その件は大木さんも一悟さんも口を揃えてましたね(笑)。
もう思いっきりヒムロックなりきりでやってたので。ジャケットを着て、マイクをこうやって小指ではさんで斜め45度で歌ってたんですけど、どうもお客さんの反応がおかしいなと(笑)。
そこは軽音部なんだけど、フォークソング部という名前なんですよ。音楽の流行りがロックにいったからフォークソング部という名前だけ残って、そのままロックをやってるというところなんですけど、高1の時にテストがあって、先輩の前で弾き語りで歌わなきゃいけない。じゃないとバンド活動をやっちゃいけないと言われて。課題曲として中島みゆきの「悪女」を歌うんですけど、ギター志望の奴はギターを厳しく審査されて、ボーカル志望の奴はボーカルを審査されて。俺もやったんですけど、先輩がクスクス笑ってるんですよ。で、「もうちょい歌覚えてから来ようか」とか言われて、「ああそうか」って。
それからはだんだんベースが楽しくなってきちゃって、高1の後半からは一悟と一緒のバンドと、大木がギターを弾いていたACIDMANの前身バンドと、ベースを2個掛け持ちになったんですね。俺の感覚で言うと、その二つが合わさった感じですね、ACIDMANは。
――その、本当に初期のACIDMANって、どんな音楽性だったんですか。
なんだろうな? その軽音部がメタル部みたいな感じだったんで、メタル特有のゴリゴリの曲もあれば、メタル特有のどバラードもあれば。あとあんまり語られてないと思うんですけど、JUDY AND MARYが流行ってたから、ジュディマリ的なポップな雰囲気もあったりとか。あんまり語ってないけど、ジュディマリはいいバンドだと思ってました。
――サトマさん、その頃からプロ志向ですか。
まったくないです。ただ熱中してただけですね。
――一悟さんは「とにかく大木のバンドに入りたかった」って、憧れの存在だったみたいですけど。サトマさんはどう感じていたんですか。
大木は目立ってましたからね、特別に。高校時代からすでにオリジナルの曲を作ってたし。あの二人(大木&椎橋)はスター性があるなと思ってました。
――それをベースで支えるという。
支えるという感覚でもなかったですけど。自分も目立ちたいなと思ってたんで、その当時は。一生懸命、ただ楽しく熱中していただけというか。
――大木さんが誘って遊びに行ったりとか、よくやってたと聞いてます。
そうですね。ただ二人でというのはそんなになかった気がする。ボーカルもいたりとか、一悟とやってたバンドのボーカルとも仲がよかったから、3人とか4人とかで古着屋に行ったりとか、そういう感じだった気がしますけどね。基本、かっこいい服とか映画とかを知ってるのは大木や椎橋だったりしたから、俺はひたすら教わってるような感じだったんです。どういう服が合うとか、どういうジーンズがいいとか、当時はリーバイスの赤耳だとかビッグEだとか、そういうものを教わりましたね。ダサダサだったんで、俺。
――そこから大学に行って、バンドが続いて、3人になって。はっきりプロになる自覚をしたのはいつ頃ですか。
それは大学卒業する頃かな。特に就職とか考えなかったんですけど、そこまではそれなりに、高校~大学とバンドに青春と情熱を賭けてきたので、食ってく/食ってかないとかそういうことよりも、一回勝負すべきじゃないか?と。こんだけ熱量を賭けてやってきたものだから、ここで終わらせるのは違うだろうという気持ちですかね。それが大学を卒業する時ですね。
――曲は書いてなかったんですか。
ないです。そういう衝動があれば、弾き語りで歌ったりとかやってたんでしょうけど、視野が狭いんでしょうね。ベースを弾くのがすごく好きで、フレーズを考えるのはすごく好きなんですけど、曲を作ろうとか、曲全体をどうこうしようとかはないですね。そういう欲求があまりない。
――たとえばヒムロックに憧れた時に、詞を書きたいとかは。
ないですね。詞を書きたいとか、思ったこともない。言われてみたら不思議ですけど。フレーズを作るのが好きなんです。
――それも一種の作曲というか、表現じゃないですか。
いや、作曲はやっぱり歌だと思うので。違うと思ってます。
ACIDMAN・佐藤雅俊 撮影=西槇太一
――デビュー前夜、事務所が決まってメーカーが決まって、プロジェクトが動き出していく中にいたときは、どんな心境でしたか。
ワクワクと、ちょっぴり不安と。ほぼワクワクですね。さっきの一悟のインタビューもちらっと聴こえてきてたんですけど、自分も「みんなACIDMANの音楽を待ってるはずだ」と思ってたから。
――自分たちはどんなスタイルの音楽をやってると思ってました?
何でもありの、総じてロックですね。曲を作ってるのは大木だから、いろいろ影響を受けたものはあるだろうし、考えてることはあるだろうけど。デビュー当時はあんまり思ってなくてデビューしてから数年たって思ったことなんですけど、誰かの影響とか真似とかで作ってないから、大木って。それがものすごいなと思うんですよ。普段の感情とか出来事とか、そういうものから音楽を作り出してるから、そこがすごいなと本当に思う。普通は新しい音楽が出てきて、それがすごくかっこいいから影響を受けて――というのがあると思うんですけど、それとは違う。だから、うまく言葉で言えないんだと思います。
――それをサトマさんはどういうふうに受け止めて、プレイに結び付けていくわけですか。
何と言えばいいのか、「この曲の良さに見合ったベースを弾きたい」と思ってるんで。せっかくこんなにいいコードがあって、いい歌メロがあって、こんなおいしい状況で、そこに見合ったフレーズを一生懸命考えて、いいフレーズができたらとてもうれしいし、「フィットできたな」って感じがするんですよね。
――なるほど。そこが一番気持ちいいところ。
そうですね。それができないと、申し訳ない気持ちにもなるし。「なんか見合ってねえな、このベースじゃ」って。
――基準がそこなんですね。曲の良さを生かせるか。
生かせるとか、そういう大層なもんでもないかもしれないけど。「見合った」というのが一番近いと思う。それは、曲がいいからできることではあるし。
――そして1stがかなり売れて。個人的にはイケイケでした?
どうだったんですかね? すげえなとは思ったけど、実感があまりなかったから。すごいんだろうな、という感じだったと思いますけど。感じ取れてなかった部分も多々あったと思います。でも単純に、大きなステージに立てるのは気持ちよかったですね。「すげえな、すげえな」と思いながら、毎日を過ごしてた気がします。一気にステージが大きくなったから、ドキドキしながら必死にやってた気がしますね。
――そして1st、2nd、3rdと、音楽的にはどんどん深みを増して突っ走りながら、バンド内の関係は緊張感を増してゆくという状況があって。
そうですね。
――それは大木さんのテンションの高さが、メンバー二人とズレてきてしまったという、大体そういうふうに二人とも証言されてますけど。サトマさんもそうですか。
当時はハッキリとはわかんなかったです。でも今思えば、大木がギアを入れたのに全然ついていけなかっただけだと思います。当時はわかってなかったですね、大木の抱えていた葛藤やプレッシャーは。
――言わないんですね、本人は。
そうですね。言わないで背負うんですよ。人一倍、責任感が強い人だから。でも、わかってあげるべきですよ。わかるべきでした。
――それはサトマさん個人の後悔として?
いや、糧として。気付けるように日々、努力してやってます。
――音楽的には、たとえばセカンドの『Loop』とか、満足度は高いですか。
大好きな作品ですね。すごいと思う。いい作品だなと思います。
――『創』『Loop』『equal』と、毎回作り方が違うわけですか。
根本で言ったら変わんないけど、そこは大木が考えていて。作りながらでも、今回はこういうテーマだなとか、作り方とかも考えてやってます。すごく純粋な人だし、作品に対して真摯に向き合う人だから、作っていく間に軌道修正したりバランスを見たり、結果こういうアルバムです――ということになってますね。俺はそこにフィットしようとしたり、右往左往したり、ですね。でもそれは、すごく純粋な作業です。
――『and world』の時は、相当緊張感が高かった。
そうですね。でも、だいぶ覚えてないな。大変だったとは思うけど。大木が一番大変なんですけど、もちろん。俺はあんまり空気を読めなかったですね。大木のストイックに曲を突き詰める姿勢と、俺と一悟の姿勢のギャップが大きく開いた状態だったんじゃないですかね。
――もっとやってくれよ的な。
うん。
――サトマさんもそれに応えようとした。
うん。でも何だろうな、根本的な問題を突破するには、やればいいというものでもなかったと思う。当時も努力はしたけど、努力の方向性が違った。音楽に賭ける意気込みが根本的に足りなかったです。
ACIDMAN・佐藤雅俊 撮影=西槇太一
――そのあと劇的に状況が改善される話は、大木さんも一悟さんも語っているので省きますが。そうなったあと、サトマさんがあらためて思ったことというのは。
大木の目指すものに、より真っ直ぐに進んでいけるようになりました。大木のやりたいことにフォーカスして、それに対して自分に何ができるか。そっちの方向に進んでいきましたね。
――それは納得してそうしている?
もちろんです。周りを見渡しても大木の世界観に勝てるミュージシャンはいないし、リスペクトしているから。大木の表現したいこと、思ってることを形にするためにみんなで全力で取り組みたいです。
――その後は大きな問題もなく今に至りますか。
そうですね。事務所独立の時には、いろいろ話し合いましたけど。
――ああ、あれは大きかったですね。
事務所を独立して、さらに大木のギアが上がったので。支えられるように頑張ってます。
――大木さんの言葉を借りると、「もっと貢献してくれ」と言われてるとか。
いえいえ、そこもまた背負って、やりやすい環境を作ってくれています。ただ、今後バンドがさらに前に進むためには「そういうところを直してくれないといかんぞ」と。それはずっと僕のテーマで、根本的なところは変わらずに、右往左往しながらここまで来てる感じですね。
――ちょっと話を変えますね。音楽的に、サトマさんが作曲に貢献した曲がいくつかあると思うので、それを検証したいんですけども。たとえば「アルケミスト」がそうですよね。
きっかけだけですけどね。要はフレーズなんですよ。さっきも言いましたけど、フレーズを作るのが好きなので、ギターでフレーズを作ることもごく稀にあって、それが「アルケミスト」。
あと「オールドサンセット」の最初のギターと、インストの「彩‐SAI- 」のギターのフレーズを出して、それを大木が曲にふくらませてくれた。「turn around」の最初のギターもそうかな。あとはベースのフレーズからふくらませてくれた曲もあるし、「Bright&Right」とか。大木が引っ張り上げてくれるんですよね。俺が作るのはフレーズだけだから、作曲とは全然言えないです。
――そういう貢献は、これからもしていきたい。
そうですね。大木の世界観を理解した上で、どんどん主張していきたいです。
――ベース・プレイヤーとして、自分のベスト・プレイって、あったりしますか。
特別にっていうのは無いんですよね。無いんですけど、この前「飛光」の音源を聴いて、すげえなと思いました。自分のプレーが。ありえないぐらい突っ込んでるし、今だったらOK出さないんだけど、謎のエネルギーがはみ出しまくってて、すげえなと思った。当時にしかでいないものを出してるなと。
――それはレコーディングの時からすごいテンションだった?
覚えてないなあ。でもエネルギーはすごかったと思う。『創』のあとのレコーディングだったから。
――アルバム単位ではあります? この作品は特別に好きだとか。
あるけど、言わない。
――そこをなんとか(笑)。
差別してるみたいで嫌なんですよ。
――そんなふうには思わないですよ。すべて思い入れがあるのは当たり前として、作品としての話ですから。
そうか……『創』『Loop』『equal』『LIFE』『ALMA』が好きですね。
――ああー。なるほど。
はっきり持ってるんですけどね。言いたくないとか言っといて(笑)。
――せっかくだから理由も教えてください。
『創』はやっぱり、インディーからの集大成として、1stでしか出せない何かがありますよね。『Loop』はそこから一気に――確か『創』を作ったあとに、大木がストックを全部捨てたんですよ。ロックバンドとしての覚悟を持って挑んだアルバムが『Loop』で、ACIDMANが新しいロックバンドへ向かってグイッと前進した感覚があって、独特の味があるなと思っていて。『equal』はさらに深まって、「廻る、巡る、その核へ」に象徴されるように、深遠なところにグイッと入ったなというところで、すごいなと思うアルバム。
――そのあとが『LIFE』ですか。
『LIFE』はね、イメージがいいんですよね。「FREE STAR」と、「式日」も入ってましたっけ。その2曲がでかいかな。そして『ALMA』はね、いいですよ。「ALMA」という曲は本当に最高だから。本当に最高だと思う。それと詞がいいんですよね。「2145年」とか「レガートの森」とか、すごくあたたかくて、いいんですよね。……いいんですよしか言えない(笑)。陰と陽の、陽の部分ですごくいい感じがあるんですよ、『ALMA』は。
で、『ALMA』のあとには震災が起こったので、『新世界』『有と無』はちょっと空気が違うというか。だから震災前に『ALMA』という作品が作れてよかったなと思う。
――幸福なアルバムですね、今聴いても。というかサトマさん、作品の評価の仕方がリスナーというか。もっとプレイヤーとしての視点から選ぶのかなと思ったんですけど、詞がいいとか曲がいいとか、そういう話になるんですね。
いや、俺も一悟もそうなんだけど、大木のファンなんですよ。
――ああ、そうか。そういうことですね。
うん。
――そして今は、バンドはまた新しい何かに向けて動き出しているところですか。
そうですね。事務所を独立したのが大きいですけど、大木がさらに次のステージに進もうとしているので。
――いろいろやってますよね。バンドはもちろん、ソロでセッションに参加したり、ストリングス・カルテットと一緒に歌ってみたり。ああいう活動は見ててどうですか。
面白いと思うし、いい機会だと思います。でも、ジェラシーもあります。
――ああー。
悔しい部分もありますね。もちろんずっとやってきたバンドだから、バンドスタイルというものに自信もあるけれど、“そういう切り口があるのか”というアレンジだったり、ベースとドラムとギターではできないことをストリングスでやってたりするから、うらやましい部分もあるし。
ACIDMANの曲がいろいろ形を変え、光り方が変わり、多くの人に聴いてもらうきっかけになるのであれば、とてもいい機会だと思います。それで大木の違う魅力が出てますし。ただ、ジェラシーはあります。
――そうした様々な出来事を経験してきての、今年のアニバーサリーについては、どんな思いがありますか。
ACIDMANを支えてくれたスタッフ、ファンの方々への感謝の気持ちですね。自分個人としては至らない部分だらけだけど。あと今年は2マンツアーがありましたけど、2マンツアーは初めてで、一つのバンドと密に1日を過ごすのでいろんな刺激があるし、「こうあるべきだな」というものを教わったりして。
――たとえばどういうことを思ったんですか。
具体的にということではないけど、各バンドが抱えている、このバンドはこの武器で戦っているんだなという感覚あって。メンバーおのおのに役割があってこのバンドになってるんだなというものが見えるところとか、勉強になりますね。「俺はこういう役割をやらなきゃいけないな」とか。
――いいバンドは、メンバーの役割がきちんとできている。
そうですね。みんな本当に素晴らしいバンドで、さすがという感じでしたね。
――11月23日のさいたまスーパーアリーナには、そんなバンドたちの中でも選りすぐりのツワモノたちが大集合するわけですけれども。
そうですね。もうすごいです。
――個人的にどんなステージを見せたい、もしくはどう楽しみますか。
メンツもすごいですし、お客さんが本当に満足してもらえるものができたらなと思います。集まったメンツを見ると、一つのシーンがギュッと凝縮されてるので、そういう点も楽しんでもらえたらいいんじゃないかと思います。しっかりトリを取れるように。
――最後の質問です。サトマさんにとって、ACIDMANとは?
生きざま、ですかね。いや、そんな偉そうなことは止めたほうがいいかな。恥ずかしい。
――いいと思います。
かっこいい生きざまかどうかはわかんないですけどね。
――自分の人生、幸運だったとか思ったりします?
思いますね。メンバーに恵まれたと思います。全然こんなところまで来れる実力はないですから。
取材・文=宮本英夫 撮影=西槇太一
ACIDMAN・佐藤雅俊 撮影=西槇太一
12月13日発売
『Λ』