指揮者・佐渡裕が語る恩師バーンスタインと名作『ウエスト・サイド物語』の魅力
佐渡裕
20世紀を代表する作曲家・指揮者の一人であるレナード・バーンスタインの生誕100周年を記念し、2018年8月4、5日に東京・国際フォーラムにて『ウエスト・サイド物語 シネマティック・フルオーケストラ・コンサート』が開催される。これは、映画の全編映像に合わせ、フルオーケストラが生演奏するという奇跡の競演。すべての演奏者と映画の登場人物とが一体となる興奮のひととき、指揮を執るのはバーンスタイン最後の愛弟子、佐渡裕だ。
佐渡にとって『ウエスト・サイド物語』を全曲通して指揮するのは2012年の映画上映50周年記念コンサート以来。今回の公演について、バーンスタイン作品の魅力を恩師との思い出も交えながら、その心境を聞いた。
珠玉の名作「ウエスト・サイド物語」とは
ーーバーンスタインは「キャンディード」「オン・ザ・タウン」など数々の名作を生み出しましたが、何といっても『ウエスト・サイド物語』はずば抜けて多くの方に愛されてた作品だと思います。佐渡さんから見た『ウエスト・サイド物語』の魅力はどこにあると思いますか?
いろいろなジャンルの音楽が共存しているのがバーンスタインの音楽の特徴の一つ。ジャズ、ロック、ラテン音楽……様々な音楽がクラシック音楽と繋がっているんです。そういう点から見てもこの「ウエスト・サイド物語」は最も優れた音楽だと感じます。「キャンディード」や「オン・ザ・タウン」も非常におもしろい楽曲なのですが、「ウエスト・サイド物語」という作品はものすごく理論的に書かれているんです。どの曲もある一つのメロディ「ソ、ドー、ファ#」を用いて書かれているんです。一番平和なドとソの和音にいちばん対立するファ♯の音が加わることで、ちょっと不良な音の組み合わせが生まれる。人はこの不良な音に心惹かれるんですよ。
この作品のテーマは「平和」と「戦い」。人は皆平和を望んでいるはずですが、一方でいつまで経ってもどこかで誰かが争っています。1961年にこの作品が出来た時、人々はショックだったと思います。ミュージカルって最後は幸せに終わるものだと思っていたところに、最後に人が死んで終わるミュージカルを見せられたらね(笑)。
今見ても色褪せない音楽、振付、役者たち。それが柱となっていて、メロディやオーケストラの音楽が作られている。スタッフもキャストも才能に満ち溢れた人たちで作られたこの映画は、今でもすごい映画だなと思います。
誕生から50年経ってもいまだに人と人がなかなか手を繋ごうとせず、どこかで争っている世界の状況をみると、あえてこの作品を今、演奏する事はとても意義のある事だと感じますよ。
佐渡裕
ーー2012年に初めて『ウエスト・サイド物語』を映像と合わせて全曲通して演奏されていますが、その時の感想を聴かせてください。
もう、大変だったんですよ。“職人技”を連発しないと出来なかった(笑)。映像作品ならともかく、目の前にいる70人くらいのオーケストラメンバーとライブで演奏するんですが、映画の映像を再生し、そこにライブの音楽を共存させるんですよ。すごくおもしろいんですが、演奏する方は本当に大変なんです。だって映画は止まらないし、冒頭のフィンガースナップしても合わせるのが本当に大変で。当たり前ですが、映像はオーケストラには一切合わせてくれないのでドキドキものでした。僕の前にはモニターがあり、その映像を見ながら指揮を振るんですが、映像そのものに合わせようとすると、生音が遅れてしまうので、ちょっと早めに振らないとシンクロしない。スローな曲もあればアップテンポの曲もある。それを100人近い人間で合わせにいくって本当に大変でした(笑)。
ーー全曲振ったことで改めて感じたことは?
全曲を通して眺めると、それぞれの楽曲や、その楽曲が置かれている順番、いろいろなドラマが一つのゴールに向けて動いていく凄みがあるんです。シャーク団とジェット団がこれから喧嘩しに行く、マリアはトニーの帰りを待っている、トニーは喧嘩をなんとかおさめてマリアに会いに行こうとする、そしてアニタも加わり「トゥナイト」(今夜)に向かって繋がっていく……これは圧巻ですよね。ある時間に向かってすべてが一斉に動いていくこの興奮はすごいですよ。全曲振るというのは大きな経験になりました。
ーー様々な色合いの楽曲がある「ウエスト・サイド物語」ですが、正直なところ佐渡さん的に振りづらい楽曲というのも存在するのでしょうか?
振りづらいというか、不思議と映像と音楽がしっくりこないと感じたのは「マリア」です。この楽曲は映画でマリアを演じたナタリー・ウッド本人ではなく、歌だけマーニー・ニクソンという歌手が吹き替えを担当したんです。そのせいか、映像を見ながら指揮をしていると「あ、これは違う人が歌っている」というちょっとした違いを感じましたね。
「マンボ」に関しては何度もやっているともっとアップテンポでやりたくなります(笑)。映画のは自分が振りたいテンポよりちょっと落ち着いたテンポなんですよ。
ーー指揮者だからこその感覚、興味深いですね。
佐渡裕
恩師バーンスタインへの想い
ーー佐渡さんの師匠であるレナード・バーンスタインについても聞かせてください。「ウエスト・サイド物語」絡みで何か思い出す事はありますか?
レニー(バーンスタインの愛称)が70歳の誕生日を迎える年、僕は彼のアシスタントでした。その年の9月はウィーンにて演奏旅行をしていたんです。行く先々でレニーの誕生パーティーなど、地元の人たちが様々なイベントをしてくださったんですが、どこに行っても『ウエスト・サイド物語』が演奏されるので、レニーは正直怒っていたんです。「おれは『ウエスト・サイド物語』のバーンスタインと言われるのが嫌だ」って(笑)。それくらいこの作品は人気があって、指揮者であり作曲家である彼の枠を超えて、世界的に知れ渡った曲だったんです。レニーにとってはもう食傷気味だったと思いますが、やっぱり「ウエスト・サイド物語」はすごい作品でした。
ーーバーンスタイン作品に見える特徴、と言われるとどんな点を挙げますか?
いろいろな作品を振っていると「お気に入りの音程があるな」と感じますね。彼はド・ミとかミ・ソといった3度の音から一気に「レ」という高い7度の音を使うんです。彼にとって7度の跳躍は、何か心が解放されたり、安らぎを感じたりするんでしょうね。
明らかにショスタコーヴィチやプロコフィエフの影響を受けている楽曲、またベートーヴェンやマーラーの跡が見えている楽曲もあるのに、レニーがある音にほんの少し触れることでその楽曲は「LB」という彼の刻印が押されたものとなるんです。彼オリジナルの楽曲が生まれる瞬間ですよね。
ーーでは、彼の指揮についてはいかがですか?
アメリカ人指揮者特有の打点の高さを感じていますね。マイケル・ティルソン・トーマスもそうでしたが、打点が背骨3個分くらい高いとこにあるんです。それが年齢と共に重心が低くなり、低い位置で指揮を振るようになる。それはまさに大木のような安定感です。誰かの影響を受けている、と感じることはあまりないのですが、身体の全細胞が音楽に向かっている、そう感じさせるのがバーンスタインの指揮だと思います。
佐渡裕
ーーバーンスタインは1990年に札幌でPMF(パシフィック・ミュージック・フェスティバル)を創設され、若手音楽家の育成する場を作ってくださいました。私も第1回目のオーディションを志した一人でしたので、その直後バーンスタインが亡くなったショックを今でも忘れることができません。
PMFの開会式の時の事です。直前にレニーの大親友である指揮者・渡邉暁雄先生が亡くなられた事を受け、「マエストロ渡邉が亡くなってすごくショックを受けている」とレニーは挨拶したんです。自身も70歳を越えていましたので、残された時間をどう使おうかと常々考えていたんでしょう。その時間の使い方の一つとして若手の教育に捧げた事がすごく印象的でした。ただ本人はまさか自分が72歳で亡くなるとは思ってもいなかったんでしょう。その前年にはカラヤンが亡くなりましたが、彼はレニーより10歳近く年上だったので、カラヤンの歳までは生きようと目標にしていたくらいですから。
ドクターストップがかかり、レニーが帰国する際、僕は成田空港まで見送りにいったんですが、その時に「Big Good-Bye」という言い方をしていました。ただの「Good-Bye」ではなく「こう言わないとならない時がついに来たんだよ」って自ら言っていましたね。
ーー今回の公演に向けてお客様に伝えたいことは?
映画を観て聴く音よりオーケストラが出す音のほうが圧倒的におもしろいと思いますよ。大編成で演奏しますから。また、ミュージカル版をご覧になった事がある人からすれば「この作品ってこんなにシンフォニックの音がするのか」と驚くと思います。ぜひ楽しみにしていてください。
佐渡裕
取材・文・撮影=こむらさき
公演情報
佐渡裕指揮
『ウエスト・サイド物語』シネマティック・フルオーケストラ・コンサート
■指揮:佐渡裕
■管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
【東京公演】2018年8月4日(土)・5日(日) 東京国際フォーラムホールA
【大阪公演】2018年8月9日(木) フェスティバルホール