『ルーベンス展―バロックの誕生』レポート イタリアを愛した「画家の王」の壮麗な世界に触れる
今、東京・上野では西洋絵画の大型展が目白押しだ。2018年10月5日(金)〜2019年2月3日(日)までは上野の森美術館で『フェルメール展』が開催中で、2018年10月27日(土)~2019年1月20日(日)の期間は東京都美術館にて『ムンク展』も予定されている。
そんな中、西洋の美術作品を中心に扱う国立西洋美術館では、17世紀を代表するベルギーの画家、ペーテル・パウル・ルーベンスの作品を紹介する『ルーベンス展―バロックの誕生』が開催されている。
「王の画家にして、画家の王」と称されるルーベンス。ヨーロッパの画家の中で、知名度・実力・影響力のどれをとっても絶大なルーベンスの大規模展となれば、10月に開催される多くの美術展の中でもとりわけ注目に値する企画といえよう。以下、見どころと見逃したくない作品を紹介する。
ルーベンスの人となり 壮大な世界観と寛大な人物像
ひとりの芸術家を扱う展示であれば、年代の順番で作品を並べるのが一般的だ。しかし、今回は時系列に沿った陳列ではなく、テーマごとの展示である。そのため、主題がよりクリアになっている。
最初に印象に残るのは、画家ではなくひとりの人間としてのルーベンスの姿だろう。本展で最初に目にするのはルーベンスの自画像の模写であるため、観客はこれから見る作品の描き手が容姿に恵まれ、理知的な眼差しと威厳をたたえていたことがわかる。
ルーベンスは画家以外にもさまざまな肩書をもっていた。複数言語を操る優れた外交官であり、当時のヨーロッパ諸国の国交に尽力した人物としても知られている。我々はルーベンスの肖像画から、彼が品よく堂々とした容貌で、宮廷や王の前でも場にふさわしく振舞い、信頼のおける印象を与える人物だったのだと推測できる。
ルーベンス作品の模写《自画像》フィレンツェ、ウフィツィ美術館
次に並ぶのは、ルーベンスの子どもや、彼の兄の子どもたちがモデルとされる絵だ。こちらを見据える少女の顔は無邪気さと明るさをたたえており、寝入る子どもたちは日常における愛と平和の象徴のように見える。人生のほんの短い時期にしか見られない表情を示すこれらの絵は、描き手の愛情がダイレクトに伝わってくるため、ルーベンスが自分の子ども、ひいては家族や周囲の人間に惜しみなく愛情を注いだことが伝わってくる。ルーベンスの家族の面影は、祭壇画や神話をモチーフにした絵の人物の中にも見て取れる。思うにルーベンスは、身近なものの中に普遍的な価値を見出し、自らの芸術作品に適用したのだろう。
左よりペーテル・パウル・ルーベンス《クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像》ファドゥーツ/ウィーン 、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション/ペーテル・パウル・ルーベンス《眠るふたりの子供》東京、国立西洋美術館
ルーベンスの人柄を示す逸話で、彼はどの国の出身か問われると、世界市民だと答えていたそうだ。今でこそ国境を超えた存在という発想は普及しているが、ルーベンスの活躍した17世紀に、そのようなスケールの大きいことをいう者は稀だったのではないか。彼はどんな人に対してもあたたかく接し、その場にいるだけで調和が生まれる人柄だったという。非凡で寛大な人間だったからこそ身近な美や友愛を賛美し、壮大な絵の中に表すことができたのだ。
イタリアへの憧憬
ドイツのジーゲン生まれのルーベンスは、ケルンで育ち、イタリアに滞在し、オランダやスペインやイタリアに赴いた。基本的にはベルギーに定住していたものの、イタリアへの憧憬は終生揺らぐことはなかった。ティツィアーノの豊かな色彩に触れ、ミケランジェロやラファエロを研究し、カラヴァッジオを模写したルーベンスは、古代のコインや彫玉を収集し、古代ローマの哲学者セネカの著作を朗読し、手紙をしたためる時はイタリア語を使うほどにイタリアを愛した。
左よりペーテル・パウル・ルーベンス《セネカの死》、マドリード、プラド美術館/《偽セネカ像のヘルメ柱》ローマ、カピトリーノ美術館
本展では、ルーベンスがイタリアから受けた影響を取り上げているのが大きな特徴だ。たとえば女性の胸像の優美な髪型は、ルーベンスの描いた《聖ドミティラ》の髪型に共通点がみられる。
左より《女性胸像》ローマ、カピトリーノ美術館/ペーテル・パウル・ルーベンス《聖ドミティラ》ベルガモ、アカデミア・カッラーラ
ルーベンスは、歴史上の聖人や英雄にもたくましい身体と劇的なポーズを与えた。たとえば《キリスト哀悼》などは、古代彫刻の傑作のひとつである《ベルヴェデーレのトルソ(石膏像)》の影響が感じられる。ルーベンスの描くキリストは、痛ましさの中に、どこか肉感的な要素を備えているように思う。
《ベルヴェデーレのトルソ(石膏像)》ローマ、ラ・サピエンツァ大学古典美術館
左よりぺーテル・パウル・ルーベンス《キリスト哀悼》ファドゥーツ/ウィーン。リヒテンシュタイン侯爵家コレクション/ぺーテル・パウル・ルーベンス《キリスト哀悼》ローマ、ボルゲーゼ美術館
また、《聖アンデレの殉教》において、十字架は磔にされている聖アンデレがキリストと並列の存在ではないため、通常とは異なる放射状の形で表現されている。十字架は画面を対角線に区切ることで、絵に劇的な効果を与えている。3メートル以上の高さがあり、観客が見上げる形になるこの作品は、普段はスペインの病院に飾られており、本展のような明るさで見ることはできないのだという。
ペーテル・パウル・ルーベンス《聖アンデレの殉教》マドリード、カルロス・デ・アンベレス財団
本展は、ルーベンスの作品約40点が10ヵ国もの国々より来日し、3メートル級の大作や祭壇画が集結する迫力ある構成となっている。普段見にいくことのできない作品と出会い、通常と違う条件で作品を鑑賞できるのも見どころのひとつだ。
絵の躍動性 バロックを牽引したルーベンス
ルーベンスは、1600年前後にローマで活躍したバロックの先駆者とされるカラヴァッジオの作品を支持し、彼の作品を模写した。ルーベンスの絵画に特徴的な力強い動きと豊かな色彩、強烈な情念と溢れる生命力はバロックの要素でもあり、ルーベンスは短命だったカラヴァッジオに代わってバロックを牽引する存在になっていく。
本展において、ルーベンスの絵画の躍動性をとりわけ強く感じられる作品のひとつに《パエトンの墜落》が挙げられる。古代ローマの詩人オヴィディウスの『変身物語』等に記載される少年パエトンのストーリーは、太陽神アポロンを父とする彼が、父に太陽の戦車を借りるものの、戦車が軌道を外れて地上を焼き払ったため、最高神ユピテルが雷でパエトンを殺したというものである。絵の中ではパエトンが肉体を晒しながら落下しており、稲妻の閃光や天駆ける馬たちの姿と共に、動きのある絵となっている。
左よりルカ・ジョルダーノ《パトモス島の福音書記者聖ヨハネ》個人蔵/ペーテル・パウル・ルーベンス《パエトンの墜落》ワシントン、ナショナル・ギャラリー
本展最終章で見られる《マルスとレア・シルウィア》も、ダイナミックさに魅了される作品のひとつ。軍神マルスはウェスタ神殿の火を守る巫女レア・シルウィアに心惹かれ、キューピッドの導きとともに彼女に襲いかかっている。強靭なマルスの肉体と翻るマント、レア・シルウィアの纏う衣の動き、燃える炎などが絵に劇的な効果を与え、強烈なインパクトを与える。
ペーテル・パウル・ルーベンス《マルスとレア・シルウイア》ファドゥーツ/ウィーン、リヒテンシュタイン侯爵家コレクション
社会的に成功し、工房を設けたルーベンスは何千点もの作品を制作した。実際、西洋絵画を収蔵する大きめの美術館へ行くと、ルーベンスの作品を数点所持していることが多い。また、海外の教会などで見ることもあるだろう。ルーベンスは、知名度の高さや目にする機会の多さのため、絵の印象を漠然と覚えていることは多いが、作品が物理的に大きく、また教会のようにやや暗い場所に飾られることもあるため、実はじっくり見られることが少ない画家だろう。
今回は、ルーベンスという巨匠の人間的な要素と、彼が愛したイタリアを通して作品にアプローチできる貴重な機会だ。また本展は、日本でルーベンスの名を広めたアニメーション作品『フランダースの犬』の主人公、ネロと愛犬パトラッシュが最期に対面したアントワープ聖母大聖堂の祭壇画を、ほぼ原寸大の4K映像で鑑賞できる。秋の展覧会ラッシュの中、ぜひ見逃すことなく足を運んでほしい。
イベント情報
会場:国立西洋美術館
開場時間:9時30分~17時30分
(金曜、土曜は20時まで。ただし11/17は17時30分まで)
※入館は閉館の30分前まで
http://www.tbs.co.jp/rubens2018/