国立新美術館『生誕110年 東山魁夷展』レポート 自然と真摯に向き合った、旅する風景画家の歩みをたどる
《緑響く》 昭和57年 長野県信濃美術館 東山魁夷館蔵
生涯を通じて、自然の風景と真摯に向き合った日本画家・東山魁夷。「国民的風景画家」として親しまれた東山の画業を振り返る展覧会『生誕110年 東山魁夷展』(会期:〜2018年12月3日)が、国立新美術館にて開催中だ。
会場エントランス
本展は、代表作《道》《緑響く》を中心に、ヨーロッパや京都の古都を描いた作品やスケッチなど、約70件を紹介。「青の画家」というイメージが生まれるきっかけとなった北欧を描いたシリーズや、《緑響く》に描かれた白馬のモティーフが登場する一連の作品群など、初期から晩年にかけての作品を年代順に追っていく構成となっている。
左:《郷愁》 昭和23年 右奥:《月宵》 昭和23年 香川県立東山魁夷せとうち美術館蔵
《青響》 昭和35年 東京国立近代美術館蔵
《白馬の森》 昭和47年 長野県信濃美術館 東山魁夷館蔵
左:《行く秋》 平成2年 長野県信濃美術館 東山魁夷館蔵 右奥:《秋思》 昭和63年 長野県信濃美術館 東山魁夷館蔵
なかでも、奈良・唐招提寺に奉納された御影堂障壁画の再現展示は圧巻だ。全68面の大作には、画家が人生ではじめて挑戦した水墨画も含まれている。東京では10年ぶりの回顧展となる会場より、展覧会の見どころをお届けしよう。
右:《白い朝》 昭和55年 東京国立近代美術館蔵 左奥:《静唱》 昭和56年 長野県信濃美術館 東山魁夷館蔵
展示風景
東京展のみの展示作品も! 東山魁夷の代表作が一堂に会する
戦後は日展(日本美術展覧会)を舞台に活躍した東山だが、日本画家としての道を歩みはじめたのは39歳の頃と、遅咲きの作家だった。
《残照》 昭和22年 東京国立近代美術館蔵
第3回の日展で特選となり、政府買い上げとなった作品《残照》は、東山初期の代表作だ。本作は、立て続けに肉親を失い、失意の中で千葉県の房総半島にある鹿野山に登った東山が、山頂からの眺めを描いたもの。それ以後、日本の風景を頻繁に描くようになった画家の記念碑的作品となっている。
右:《晩鐘》 昭和46年 北澤美術館蔵 左:古都遠望 昭和46年
《残照》に描かれた山の連なりや紫色の表現が、24年後に描かれた《晩鐘》の背景にも見受けられると語るのは、国立新美術館・特定研究員の小野寺奈津氏。東京会場のみの展示となる本作は、ドイツ南西の街・フライブルクの山から見た風景が描かれている。小野寺氏は、この2作品を比較して「東山自身が描く風景が、日本や海外というところを超えて、普遍的な東山自身の表現に達していると見ることができる」と解説した。
《道》 昭和25年 東京国立近代美術館蔵
青森県の種差海岸に実在する場所を描いた《道》。実際には、道の先に灯台や街の風景が見られるようだが、本作では緑の山と水色の空、白い道といった単純化された構図で描かれている。小野寺氏は、《道》の視覚的効果について、以下のように説明した。
「この作品に描かれた道は、実際はそんなに急な坂道ではありません。絵を見てみると、振り返って今来た道というよりも、これから前に進んでいく道という印象を受ける構図になっています。本来の道よりも急勾配に描くことで、そのような効果を生み出していると考えられます」
42歳の東山は、この作品を描いた頃には日展で審査員を務め、日本画家として順調な道を歩みはじめていたそうだ。
北欧から京都・ドイツ・オーストリアを旅する
東山は生涯のうち非常に多くの旅を経験して、国内に限らず海外の風景も描いた。すでに人気作家として活躍し、忙しい時期を過ごしていた54歳の頃、東山は北欧を目指して旅をする。小野寺氏は「元来風景を描くようなことを好む性格だったので、日本の喧噪から離れて、北の国に旅してじっくりスケッチを行いたいと考えていたようです」と話す。
右:《ウプサラ風景》 昭和38年 香川県立東山魁夷せとうち美術館蔵 中央:《映象》 昭和37年 東京国立近代美術館蔵 左奥:《白夜》 昭和38年 北澤美術館蔵
《冬華》 昭和39年 東京国立近代美術館蔵
北欧から帰国後、皇室から依頼された大壁画制作の仕事をするにあたり、日本的なものの題材が必要になった東山は、京都に向かう。「京洛四季」シリーズとして京都の四季や文化を描いた連作では、本画以外にも、45点の習作とスケッチが紹介されている。有名な観光地も東山独自の視点で切り取られているので、知っている場所がないか探してみるのも面白そうだ。
《花明り》 昭和43年 株式会社大和証券グループ本社蔵
京洛四季スケッチ 昭和39-41年 長野県信濃美術館 東山魁夷館蔵
京都四季習作のうち《北山初雪》 昭和39-41年 長野県信濃美術館 東山魁夷館蔵
さらに、61歳の時には、約5ヶ月間にも渡ってドイツとオーストリアを旅している。大学院を卒業してから2年間ドイツ留学をしていた東山にとって、ドイツは第2の故郷とも言えるような親しみ深い国だったそうだ。この旅で描き溜めたスケッチをもとに、帰国後の日本で作品制作が行われた。それまで自然の風景を描いてきた画家が、ここでは古い街並みや建物を中心に描いている。《窓》に描かれた石の家の壁部分には、岩絵具に水晶のような素材を混ぜて、ザラザラした質感を出すような表現を試みたとも言われている。
《窓》 昭和46年 長野県信濃美術館 東山魁夷館蔵
《唐招提寺御影堂障壁画》を完全再現した展示空間
《唐招提寺御影堂障壁画》は、東山が63歳の頃に、唐招提寺から依頼を受けて制作した襖絵である。唐招提寺を創立した唐の高僧・鑑真和上の像を安置する御影堂の壁画制作には、構想から完成まで10年の歳月を要したそうだ。本展では、奈良の唐招提寺に奉納された全68面の障壁画の再現展示を行なっている。小野寺氏は「展示室の天井高は8メートルあり、非常に広々とした空間でご覧いただける貴重な機会」であると語った。
《唐招提寺御影堂障壁画 濤声》(部分) 昭和50年 唐招提寺蔵
この壁画は2回に分けて奉納され、前半は日本の風景を描いた《濤声》と《山雲》が奉納された。仏教の宗派のひとつである律宗を普及するために来日を試みた鑑真は、自然災害によって5度も渡航に失敗し、6度目に来日した際には両目を失明していた。鑑真がその目で見たかったであろう日本の風景を想像して描いたのが、《濤声》と《山雲》だ。
《唐招提寺御影堂障壁画 山雲》(部分) 昭和50年 唐招提寺蔵
5年後に奉納された《黄山暁雲》《揚州薫風》《桂林月宵》では、中国の風景が描かれている。小野寺氏は、「中国全土の風景を日本に伝えたいという東山の思いから、北部と中腹の部分、南部という3つの地域の風景を描いている」と解説した。また、揚州は鑑真の生まれ故郷でもあった。モノクロームで描かれた中国の風景は、画家にとってはじめて挑戦した水墨画であり、障壁画制作を通じて、自らの表現の幅を広げたと言えるだろう。
《唐招提寺御影堂障壁画 黄山暁雲》(部分) 昭和55年 唐招提寺蔵
《唐招提寺御影堂障壁画 揚州薫風》(部分) 昭和55年 唐招提寺蔵
《唐招提寺御影堂障壁画 桂林月宵》 昭和55年 唐招提寺蔵
なお、本展の音声ガイドは、人気声優の細谷佳正が担当している。画家の人生を静かになぞるようなナレーションも併せて楽しみたい。
『生誕110年 東山魁夷展』は2018年12月3日までの開催。