森美術館『塩田千春展:魂がふるえる』レポート 大型インスタレーションを含む、過去最大規模の個展
塩田千春 《不確かな旅》 2016年/2019年
ベルリンを拠点に国際的に活躍するアーティスト・塩田千春の、約25年間にわたる活動を網羅した展覧会『塩田千春展:魂がふるえる』が、森美術館にて開催中だ(会期:〜2019年10月27日)。
会場エントランス
塩田はこれまで、記憶や不安、夢など形のないものをインスタレーションやパフォーマンスで表現してきた。「不在のなかの存在」を一貫して追究した作品のなかでも、黒や赤の糸を空間全体に張りめぐらせた大規模なインスタレーションは、彼女の代表的なシリーズとなっている。
塩田千春 《時空の反射》 2018年/2019年
本展は、作家の初期作品やパフォーマンスの記録、代表的なインスタレーションから最新作までを網羅的に紹介する、過去最大規模の個展だ。その中には、作家が携わった舞台美術の関連資料といった、貴重な展示も含まれている。
塩田千春 《手の中に》 2017年
2015年のベネチア・ビエンナーレ国際美術展では、日本館代表として参加した塩田。本展を企画担当した片岡真美氏(森美術館副館長兼チーフ・キュレーター)は、展覧会の見どころについて以下のように語った。
「塩田は“私性(わたくしせい)”の強い作家といえますが、その中で生と死、存在といった普遍的で根源的な問いを長らく追究している。そうした活動が世界各地で受け入れられている背景に何があるのか、個展を通じて見られるのではないかと思います」
展示風景
「不確定な世の中や人生から沸き起こる、つかみどころのない不安が、彼女の制作の原動力になっている。そうした先の読めない不安が、今、世界各地を包み込んでいる。そのような時代に、塩田の25年間の活動が、どういった形で世界の動向と呼応していくのか。また、人々の心の中にある不安とどのように対応していくのかが、展覧会の重要なポイントになるでしょう」
塩田千春 《再生と消滅》 2019年
幼少期や大学時代の作品を含むアーカイブ展示
クロノロジーのセクションでは、塩田が5歳の頃に描いた絵画や大学時代の作品を通じてアーティストとしての発展をたどる。さらに、過去のインスタレーションやパフォーマンスの記録を、映像やパネルで追うことができる。
左:塩田千春 《蝶のとまっているひまわり》 1977年 右:塩田千春 無題 1992年
塩田千春 《絵になること》 1994年
展覧会が好きで、それを生きがいに作品を作ってきたという塩田。本展の副題「魂がふるえる」とは、作家自身の中にある魂のふるえを人々に伝えたい、もしくは、人々の魂がふるえるような個展を作りたいという強い想いから名付けたそうだ。
展示風景
塩田の作品には、大地や土、泥が継続的に使われている。《アフター・ザット》は、長さ7メートルの泥まみれのドレスを吊り下げ、上部に設置されたシャワーから水が流れ続けるインスタレーション。ドレスは作家が頻繁に使うモチーフでもあり、自分の皮膚が第1の皮膚だとすると、ドレスは第2の皮膚であり、自身と外部を分け隔てる象徴になっているとのこと。
塩田千春 《アフター・ザット》 1999年 左奥のパネルのみ:《皮膚からの記憶》 2000/2001年
片岡氏は、「泥は、自分の身体に染み込んでいる何かであり、アイデンティティという言葉にも置き換えられる。洗っても洗っても拭い取ることのできないものとして用いられている」と解説する。2001年に《皮膚からの記憶》というタイトルに変更された本作は、第1回横浜トリエンナーレに出品され、これが塩田の日本アート界へのデビューを飾る歴史的作品となった。
塩田千春 《眠っている間に》 2002年
糸を空間に張りめぐらせる展示は、今では作家の象徴的な表現手法になっているが、本展では初期の事例も紹介している。病院のベッドを黒い糸で空間につなげた《眠っている間に》について、片岡氏は、「人が生まれて、死んでいく場所でもあり、目を覚まして、眠る場所でもあるベッドが、さまざまなものの境界にあるオブジェクトとして使われている」とコメント。
没入型のインスタレーションにたっぷりと浸る
本展覧会では、大型インスタレーションが展示される。クロノロジーのセクションには作品解説を設けているが、その他の作品については、作家の言葉を引用したものが壁に印字されている。「言葉と作品そのものから感じる印象から、解釈を進めてほしい」と片岡氏。ぜひ、塩田の言葉も併せてチェックしたい。
塩田千春 《内と外》 2009年/2019年
壁に印字された塩田千春の言葉
美術館の入り口で観客を出迎える《どこへ向かって》では、高さ11メートルの天井から吊られた65艘の舟が、来場者を会場へと誘う。
塩田千春 《どこへ向かって》 2017年/2019年
真っ赤な糸が張りめぐらされた空間に、フレームだけの舟が配された《不確かな旅》。先行きのわからない旅に出る舟をつないでいるのは大量の赤い糸。片岡氏は、本作について以下のように解説する。
塩田千春 《不確かな旅》 2016年/2019年
「糸は作家にとってちぎれたり、絡んだりするけれども、人や物事との関係性を象徴する素材として使われてきた。本作は、空間の中に見えてはいないけれど、実はつながっているということを可視化したものではないでしょうか」
《静けさの中に》は、塩田が9歳の年に、隣家の火事で丸焦げになったピアノを見たという経験から、実際には聞こえない音が美しい線となってピアノと観客席をつないでいる作品。「不在の中の存在」を感じさせるように、音の出なくなったピアノからは、まるで音が立ち上がっているかのように黒い糸が伸びている。
塩田千春 《静けさの中で》 2008年/2019年
約440個のスーツケースが振動し続ける《集積−目的地を求めて》は、新しい旅に出かける朝や、故郷を離れる日のソワソワした気持ちを、振動するスーツケースで表現している作品。片岡氏は、本作について以下のように語る。
塩田千春 《集積-目的地を求めて》 2016年/2019年
「400個以上の中古のスーツケースは、かつてどんな人が使って、どんな風に旅立っていったのか。そこに居たであろう人たちに思いを馳せる抽象的な旅から、現在、世界を包んでいる難民や移民の問題によって、人が移動し、人生が大きく変わっていくことまでもが想像できる作品ではないでしょうか」
自身の身体のパーツを使った新作も
本展のために制作された新作も見逃せない。塩田のインスタレーション全体を象徴する素材である糸が使われた《赤と黒》。赤い糸は、人のつながりや血縁、人体の中の血管をあらわし、黒は宇宙、もしくは森羅万象を示している。
塩田千春 《赤と黒》 2019年
《小さな記憶をつなげて》は、塩田の世界観がミニチュアの世界を通して凝縮されているような作品。片岡氏は、「ミニチュアの家具に赤い糸をしばりつけて、ままごと遊びのように自分の世界を作っている。本展では窓越しに見える東京のミニチュア化された風景と融合するような形で展示した」と解説。
塩田千春 《小さな記憶をつなげて》 2019年
よく見ると、塩田の代表的なモチーフであるドレスやベッド、鍵などが散りばめられていて、大型インスタレーションの縮小版が並んでいることに気づく。
塩田千春 《小さな記憶をつなげて》(部分) 2019年
2017年に癌再発の宣告を受けて以降、闘病生活が続いていた塩田は、この2年間、リアルな死の感覚に寄り添いながら仕事を続けてきた。それ以来、彼女の作品には、自身の身体のパーツが使われるようになったという。《外在化された身体》は、作家の手足を鋳造したものと、牛革で作った造形が組み合わさった作品。
塩田千春 《外在化された身体》 2019年
塩田は、癌の手術や抗がん剤治療がはじまって、すべてがシステマティックに段取りされていく中で、自分の魂が置き去りにされているように感じたと振り返る。
「展覧会をするのは本展で308回目ですが、ここまで死と寄り添って構想を続けていかなければならない展覧会は今までになかった。生きていくことや、自分は死ぬということを、すごく考えさせられた2年間でした」
アーティスト・塩田千春
展覧会の最後は、《魂について》という、4つのモニターからなる映像作品で締めくくられる。「魂ってなに? 色があるの?」といった塩田の問いかけに、10歳の子どもたちが答えている。片岡氏は、「みなさんそれぞれが、魂について改めて考えるきっかけになれば」と付け加えた。
塩田千春 《魂について》 2019年
『塩田千春展:魂がふるえる』は2019年10月27日まで。