木梨憲武の自由な発想に触れる「このくらいでいいと感じて」ーー展覧会『木梨憲武展-TOUCH』でひらくアートの扉
木梨憲武 撮影=河上良
7月19日(金)よりグランフロント大阪 北館 ナレッジキャピタル B1F イベントラボで始まった「『木梨憲武展-TOUCH』SERENDIPITY-意味ある偶然」。自由な表現と鮮やかな色彩で見る人を幸せにする木梨憲武らしい作品はもちろん、新たな手法を用いた新作も登場。初日前日には取材会を開き、本展覧会の思いを語った。SPICEではその様子と、個別取材の模様をお届けする。
2014年から2016年にかけて全国8会場を巡回し大きな話題を呼んだ『木梨憲武展×20years』を契機に、アーティストとして高い評価を受けた木梨憲武。2018年6月にはストリートカルチャーの発信地イギリス・ロンドンで個展を開催。2度目の全国巡回『木梨憲武展Timingー瞬間の光りー』では、コロナ禍を乗り越えて2022年までに全国20会場を巡るなど、活躍の場を広げている。
今回の展示テーマは「TOUCH」。「たとえばホームランを打った時、ホームベースでみんなタッチするじゃないですか。そういう喜びを分かち合う意味もあるし、実際にしなくても心が繋がっていたり、心の中でタッチしたりすることもある。今回はやまなみ工房の新しい友達とコラボさせてもらいました。みんなで気持ちを一つにして進んで、前向いて行こうよというテーマもあります」と木梨。やまなみ工房とは、滋賀県甲賀市にあるアートセンター&福祉施設の名称で、今回の初のコラボでは互いの表現を組み合わせた新たな作品が生まれている。
作品は約230点あり、やまなみ工房とのコラボ作品「願いがとどくマサミじぞう神」で用いられている700体の地蔵を含めると1,000点以上になる。それらの作品について「難しいものは一つもない」と木梨、こう続ける。「観てもらったら“このくらいでいいんだ”ということがわかると思いますので、子どもたちもどんどん描いて、どんどん額に入れて、どんどん自分の家に飾ってほしいと思います。絵は、ペンと紙さえあれば誰でも参加できる。わざわざ画材を買いに行かなくても、段ボールでも何かが生まれてくると思います。そういう作品をいっぱい用意しました」。
触れてよい作品には「TOUCH OK」のマークが表示されている
特筆すべきは、いくつかの作品は“触れてよい”というルールが設けられていること。触れられることで作品の破損も危惧されるが……。「壊れたら壊れたでしょうがないですね」と木梨、あっけらかんと話す。「たとえば写真を撮っちゃいけないとか、触っちゃいけないとか、展覧会には基本的なルールはありますが、“これってどうなってるんだ?”って思って横から見たりするじゃないですか。(この展覧会では)見て、触りながら、画材はどこのメーカーだとか、色ってこんなに変化するんだとか、いろんなことを感じてもらえればと思います。そういう思いも『TOUCH』というテーマに込めています」。
木梨の創作スタイルは即興的だ。本展覧会でも、「たとえば、所(ジョージ)さんにもらったオートバイがあるのですが、もう乗らないと判断した時に(車体に)絵を描き始めて。それを作品として飾らせてもらっています。臨機応変に楽しく、その時のムードでやらせてもらった作品が多いと思います」と、ライブ感も味わえる。
そして、「この展覧会では、“木梨学園祭”のようなものを、みんなで楽しんでもらえれば。時間があれば、観終わった後に自分の好きなものに集中して、本を作ってみたり、絵を描いてみたり、表現の場を広げて楽しんでもらいたいなと思います」と、創作の世界へといざなった。
続いては個別インタビューの模様をお届けする。
木梨憲武
――作品を拝見しまして、身近な画材がたくさんあって、取材会でおっしゃったようにアートへのハードルがぐんと下がったように思いました。
昔からそうなんだよね。キャンパスとかよりも、そらへんにあるヨレっとした紙の方が好きなタイプで。(NHK『憲武 成美の 南米・インカ 夫婦道』の取材で)ペルーに行った時も、現地にある紙に描いて。色鉛筆とかがなければ写真を撮って後から色をつける作業はしますが、サインペンを持っている時は、シャカシャカっとペンを振るところから始まります。
――新作の「ペルー旅日記」や「チチカカ湖の暮らし」も、旅先で画材を調達したそうですね。
(安田)成美さんとふたりで旅行になかなか行けなかったんでね。このタイミングでペルーのマチュピチュに行けることになって。俺の頭の中には展覧会のことがあるから、「あ、絵日記を描こう」と。色のあるペンをいくつか持って行ったので、移動の間などカメラが回っていない時はずっと描いていましたね。
――木梨さんのインスタグラムに「山道15km9時間歩きまして」とありましたが、そのあとにも描かれたのでしょうか?
山をひたすら歩くというね。その時だけは何もできないですよね(笑)。ペンも持ちたくない。その時の思いを表現するなら、何か違う形にしたいですね。
――てっきり山道を歩いた後にも描かれたのかと思っていました。
でもね、その次の日はもうマチュピチュの山を描いてましたよ。実は、マチュピチュに行ったのに、俺は中に入らなくて。成美さんだけ撮影してもらって、俺は2時間くらいずっと近くの喫茶店で一人で絵を描いていたんですよ。(ロケで)二人いると「ちょっと行ってきて」ってできるから(笑)。俺は喫茶店でカフェラテを飲み、アイスラテを飲みながらずっと絵を描いてました。そんな時間がね、ほんと心地よかったです。あと、列車に十何時間も乗っていたのですが、俺は半分くらいの時間は絵を描いてて。気がついたら成美さんは(車内で現地の人たちと)踊ってた(笑)。
――『TOUCH』では、ロンドンやエジプトなど世界各国の風景を描いた作品も印象的でした。
その場で立ち止まって、座って、自分の目で見たものをそのまま描き始める。看板一つでも。そういうのが好きというか。「みんな、なんかやってるな」と思ったら、そこに座って、メモみたいな感覚で15分くらいで描いたりして。で、もうちょっと仕上げたい場合は、写真を見てみたり。「でも、このままの方がかわいいかな」とか、「あそこの交差点の住所だけ入れておこう」とか、それくらいの絵日記です。
木梨憲武
――余白に意味はあるんですか?
いつも「今」というテーマがあって、その時は、「あ、ここは(余白を)取っておいた方がかわいい」とか思ったんだと思う。余白を取らずにみっちり描いちゃう時もあるし、その年代、ムードで変わります。
――色味もそうでしょうか。
全くそうです。見たままの色で描く場合もあるし、夕日なんか出ていないのにオレンジにしちゃうときもある。富士山シリーズもそんな感じです。
――富士山シリーズも年代によって形がちょっと違っていたり、位置が真ん中や左と変化していますね。
子どもからおじいちゃん、おばあちゃんまで、誰でも富士山を描けるから。下手すりゃ1秒かからないで描けるじゃない。じゃあ、自分の富士山はどんなふうにしようかなって、毎回感じたままの富士山を描いています。
――木梨さんの創作活動は1994年、テレビ番組をきっかけに始まりましたが、最初に作品を作られた時のことを覚えていらっしゃいますか?
最初は名古屋のパルコでやらせてもらったんですけど(初個展『太陽ニコニカ展』名古屋PARCO、1994年)、実はその時からアドリブで手のモチーフの作品を作り始めていたんです。当時の写真を見たら、大きな手の板を抱きかかえている俺がいたので、その時からやっていることは変わんねぇんだなと思って。その時は「REACH OUT」というタイトルじゃなかったと思うけど、手のモチーフは好きだったのかもしれない。
――手っていいですよね。創作の一番の源というか、手から始まりますもんね。
うちは元々自転車屋でね。油まみれになってチェーンを外したり、パンクを直したり。その油とかが絵具に変わったのかもしれないですね。
木梨憲武
――やまなみ工房のコラボレーションでは、たくさんのお地蔵さんと仏壇という、その組み合わせは思いもよりませんでした。
これはかなりエネルギーが詰まっていて。願いが叶うお地蔵さんたちが700体、いるのでね。友達の仏壇屋(東京仏壇のさかた)に提供してもらって、会場でレイアウトして。(正己地蔵の作者の)山際正己君にも何回か会って。ただ、ゴールドに塗っていいかと聞かずにやりましたから。この後、マサミ君に会うんですよ。怒るのか、喜ぶのか……。マサミ君とのコミュニケーションはまだ薄いのでね、今日は勝負の日なんですよ。「どうだ! どうだ! マサミ!」って。だから、彼の反応が楽しみです。俺とマサミのコミュニケーションはここから始まります(笑)。
取材・文=Iwamoto.K 撮影=河上良