生誕90年の芥川也寸志を回顧する
作曲、演奏、タレント活動…その多様な活動を包括的に
さて先日、またしても昭和の日本のクラシックをめぐる興味深いイヴェントに伺ってきたのでご紹介したい。先日は歌劇「金閣寺」の上演を控えた黛敏郎をめぐるレクチャーだったが(今週末の上演が気になる方はぜひリンク先の記事をご覧いただきたい)、今回は黛と並び立つ昭和のクラシック音楽界のスター、芥川也寸志のイヴェントがタイムリィにも開催されたのだ。
以下に、11月22日(日)に代々木上原駅からほど近い古賀政男音楽博物館のけやきホールを会場に、彼の遺志を継ぐ形で活動を続ける「芥川也寸志メモリアル オーケストラ・ニッポニカ」による芥川也寸志を多面的に捉え直すイヴェント「芥川也寸志を観る、語る、聴く」のレポートをお届けする。残念ながら今回は完全版ではなく、レポートの範疇に収まることは最初にお詫びしたい(コンサート会場でのイヴェント故、メモなどを取れなかった)。
このイヴェントを開催したオーケストラ・ニッポニカは、アマチュアながらその明確な方針に基づく活動で知られるオーケストラだ。ニッポニカはこれまで十分には顧みられてこなかった日本のクラシック音楽を積極的に演奏しており、その個性的な活動は首都圏の多くのプロオーケストラに負けない存在感を示している。その活動初期からいくつもの作品を復活蘇演また初演し、しかもその演奏を録音として残してくれているのはまさに貴重な活動であるのだが、失礼ながら経済的成功は見込めない活動が継続できているのはそれこそ関係各位が「代償を求めず、ただひたすら音楽を愛し、それに没入していく心」(芥川也寸志)、アマチュア的情熱を持ち合わせているからなのだろう。ただ頭がさがる思いである。
今年生誕90年を迎えた芥川也寸志(1925-1989)について、その活躍をはっきりと記憶している方はもう中高年以上ということになろう。指揮者やピアニストであれば90歳で現役の方々も何人もいることを思えば、元号が平成に変わってすぐの時期の彼の64歳での死は、語義を超えて早逝と表現してしまいたい驚きだった。いまの元号と同じだけ彼の生から遠ざかってしまえば彼についてよりリアルに知ることはもはや難しく、否応なく芥川也寸志は一面的に「文筆もした作曲家」としてのみ認識されることにもなるだろう(それでも二足の草鞋であるのだが)。であればもう、生前のクラシック音楽の枠には収まらない幅広い活動の記憶は、残念だが失われつつあるのかもしれない。だから、ということなのだろう、今回のイベントはそれぞれ「観る」「語る」「聴く」の三部からなり、彼の生前の活動を多面的に示すものであった。
まずはじめに「観る」として冒頭に芥川の幼少期からの写真によるスライドショー(もちろん父上、龍之介との写真も示された)、そして彼が設立した新交響楽団を指揮する姿などで彼の生涯を振り返る。自作や彼が敬愛したショスタコーヴィチの交響曲を指揮する映像は貴重なものであった。
そして「語る」パートでは生前ゆかりの方々からのお話で彼の多面的な活動の思い出が次々と語られ、彼が遺したものの大きさを再認識し、そして人柄を偲ぶ。「サントリーホール建設の影に芥川あり(佐治敬三氏に長年コンサート専用ホールの必要を訴えていた)」「東海道線に長く揺られる東京への帰路、同道していた草笛光子(当時の芥川夫人)がオネゲルのカンタータ「火刑台上のジャンヌ・ダルク」への出演を芥川から強く勧められ、またその芥川がオペラの作曲を強く勧められてそれが後年の「ヒロシマのオルフェ」に結実する」(なおこの「火刑台上のジャンヌ・ダルク」は2013年8月に、NHK FM「クラシックの迷宮」で放送されたのでご記憶の方もいらっしゃるだろう)、また「残された芥川の楽譜に、草稿やスケッチのたぐいは存在しない(完成版だけが残されるべき、と彼は考えていた)」等など、いくつもの興味深い話が聞かれ、個人的には芥川が設立に尽力し、現在明治学院大学に移管された日本近代音楽館に足を運ばねば、との思いを強くした。
最後には彼の作品を演奏して作曲家芥川を提示する「聴く」パート。オーケストラ・ニッポニカのメンバーに加えてソリストを迎えて芥川作品を演奏した。「NYAMBE(霊気/1959)」のようななかなか演奏されない作品をきっちり取り上げたのはまさにニッポニカの面目躍如である、このよく考えられた構成には大いに感心させられた。さらにこの日はあらかじめ案内されていたプログラムにはなかった、芥川の作曲による童謡の編曲版も披露されている。ご存知「小鳥はとっても歌が好き」で始まるあのうたも芥川作品であることを思い起こさせることで彼の作曲活動の幅を抜け目なく示したその目配りの良さに、会場で贈らせていただいた喝采に加えていま一度、ここでも拍手をさせていただきたい。最近、TVのコマーシャルで映画「八甲田山」のサウンドトラックが使われたりもしている今、芥川也寸志作品への捉え直しがこれから始まるのかもしれない。
オーケストラ・ニッポニカは、次回の演奏会で皇紀二六〇〇年奉祝のため委嘱された作品群からピッツェッティ(1880-1968)の交響曲 イ調と、生涯イタリアに憧れ続けた日本の作曲家、菅原明朗(1897-1988)の作品を取り上げる。リヒャルト・シュトラウス、ジャック・イベールらが並ぶ皇紀二六〇〇年のための作品の中でもあまり知られていない作品であるピッツェッティと、今回の演奏会が初演となるピアノ協奏曲(1971、独奏には高橋アキ!)などを並べるプログラムは明確な方針を持って活動するニッポニカだからこそ示しうるもの、まさに真骨頂といえよう。2014年に同団に登場して日本デビューを果たした指揮者、阿部加奈子の再登場にも注目である。
そしてこの日配布された案内によれば、2016年7月には諸井三郎、間宮芳生と野平一郎の邦人作品に、皇紀2600年奉祝曲の中では現在もっとも演奏されているブリテンの「シンフォニア・ダ・レクイエム」を組合わせたプログラムが、2017年2月には福島雄次郎の「ヤポネシア組曲」に加えてオーケストラ・ニッポニカの委嘱作品で編まれたプログラムが予定されている。どの公演も私たちの近くて遠い過去である「昭和」を、そして現代を考える縁となってくれること間違いなし、である。期待して公演を待とうではないか。
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さて、ここで「アマチュアだからこそできる活動をしているオーケストラ・ニッポニカ、そしてその道では老舗の、なにより芥川ゆかりの新交響楽団や、オーケストラ・ダスビダーニャのような活動が云々」「プロフェッショナルの一層の奮起が望まれる」などとお決まりの物言いで〆れば実にそれっぽくて文章としては小綺麗な感じになるのだが、いくらなんでもそれはあまりに無責任、事実を見ていないとのお叱りをいただくことだろう。
少し調べればわかることだが、いくつかプロによる日本近・現代の音楽が演奏される最近の公演を挙げてみよう。
たとえば日本フィルハーモニー交響楽団は、過去に彼らが委嘱した作品群「日本フィル・シリーズ」の再演を近年積極的に行っている(吹奏楽編曲版でよく演奏される矢代秋雄の「交響曲」がこのシリーズ第一作であることはもっと知られてもいいと私見するし、何よりこのシリーズは他にも数多くの名曲が並んでいる)。
東京交響楽団は毎年「現代日本音楽の夕べ」シリーズを開催しており、18回目の開催となったことしは没後60年を迎えた早坂文雄の作品を取り上げた(10月10日)。
横浜みなとみらいホールでは2013年から「グレート・アーティスト・シリーズ」として日本の作曲家の作品を取り上げており、今年は鬼才山本直純の(一部では知られた)傑作「和楽器と管弦楽のためのカプリチオ」を含むプログラムを披露したばかりだ(そして実はこの山本直純ならではの作品も日本フィル・シリーズとして作曲されたものだ)。
またこれはつい先日の事になるが大阪フィルが信時潔の交聲曲「海道東征」を再演して例外的な成功を収めた※。
ことはオーケストラに限らない。オペラの例をあげてみよう、今年の6月に松村禎三の「沈黙」が上演され、これはNHKのプレミアムシアターでも放送されている。
また、演出に市川右近、衣装に森英恵など豪華スタッフが集結したプロダクションによる團伊玖磨の名作「夕鶴」(2014年制作)の再演も発表されている。2016年の再演でも「つう」を歌うのはもちろん、佐藤しのぶだ。
そして忘れてはいけない、前述のとおり今度の週末には黛敏郎のオペラ「金閣寺」が上演される。
※大阪の演奏会に続くように、東京藝術大学でも27日に信時潔の同曲をメインとした演奏会が開催された。いずれのコンサートもライヴ録音され、近日リリースされるという。
声楽のコンサートに目を移せば、いまも数多くの歌曲が歌われていることがすぐにわかるし(一曲でも取り上げているもの、となればむしろあまりに多くの公演が該当してしまうので例をあげるのも困難なほどだ)。またジャンルを限定しないコンサート・シリーズ、たとえば東京オペラシティ財団の「B→C」シリーズでは毎回気鋭の演奏家たちがバッハと20世紀、現代の作品を自ら組合せた興味深いプログラムが披露されている(ちなみに次回の公演は12月15日、チェロの上村文乃がバッハとショスタコーヴィチ、武満徹、ペンデレツキによる刺激的な選曲だ)。日々のコンサートでも大小様々な現代の、現在の音楽が生まれていることももちろん忘れてはならない、そうした取組みをここで逐一挙げることはできないほど多く行われているのだから。
このように、プロフェッショナルの側からも日本の作曲家によるクラシック作品を提示する動きはこれまでもあったし、新作の発表などと並行して現在進行形で行われている。もっとも、そこに「事情や頻度はともかくとして」、という保留は必要かもしれない、惜しくも終了したシリーズや規模を縮小したイヴェントなどもあるのだから。保留はしても、これだけの演奏が行われている事実は直視すべきだろう。
では、と、ここで少し考えてみていただきたい。作曲された作品があり、演奏家たちはそれをなんとか取り上げてくれている。このサイクルが回っていくためにいま足りないものは、「積極的に新しい作品を受け取る聴き手」なのだ。もちろん、恥ずかしながらここにはかく言う私自身もそのような聴き手とはみなせないことを進んで認めよう。
こういった話題ではおなじみのことわざ「弧掌鳴らし難し」ではないが、発信する側だけで「音楽」は生まれないし成長もしない。作曲者の手で作られ、演奏者によって解釈され音として示されて、その音楽が聴き手に受け取られて始めて「音楽」はその生を生き始める。そしてどんな「名曲」も作曲されて在るだけでは「生き」続けることはできない、「メンデルスゾーンが蘇煙する前、マタイ受難曲は無名の作品だった」なんてエピソードは音楽史を探せば枚挙に暇がないことを思えば、作品を生かすために聴衆は欠かせないのだ。そこで自戒しつつも皆さまにお願い申し上げたい、「ぜひ新しい作品を恐れず、機会を捉えて聴いてみてはいただけませんか」、と。微力ながら紹介の形などで助力させていただくよう努める、と私もここで言挙げさせていただき、今後よりいっそう精進させていただく所存である。