ストロングスタイルプロレス12・17後楽園でデビュー35周年記念試合をおこなう船木誠勝にインタビュー 入門テストを担当したアレクサンダー大塚と初めての一騎打ち!
UWFの三派分裂で船木誠勝は藤原喜明率いるプロフェッショナルレスリング藤原組を選択した。藤原組時代、船木は入門希望者のテストを担当していたという。そのときテストを受けたのがアレクサンダー大塚だった。優秀な成績で合格はしたものの、訳あってアレクは辞退。船木がパンクラスに移籍後、あらためてプロ入りを決断し、藤原組の門を叩き直したのである。リング上では行き違いになってしまったふたりだが、あれから30年近い歳月を経て初めてシングルマッチがおこなわれることになった。ともに総合格闘技でも大舞台を踏み、プロレス界を超える大きな話題を提供したふたり。そのふたりが初代タイガーマスク佐山サトル主宰のリングで激突する。船木にとっては35周年記念を飾るにふさわしい好カード。アレクとの初シングルを前に、話を聞いてみた。
<第五試合 セミファイナル シングルマッチ60分1本勝負>
[船木誠勝35周年記念試合/アレクサンダー大塚25周年記念試合]
船木誠勝(フリー)
vs
アレクサンダー大塚(AO/DC)
――船木選手はストロングスタイルプロレス12・7後楽園でアレクサンダー大塚選手とのシングルが決まりました。船木選手のデビュー35周年記念試合になりますね。この35年間、いかがでしたか。
「本当にあっという間だなと感じますね。15歳(デビュー)ですからね。15からの51歳なんですけど、35年ってあっという間だなと。考えてみれば、いまから35年先ですと85歳を超えてますから、そこまで生きられるかなってことじゃないですか。もう人生の半分は終わってると思うので、そういう意味では人生ってあっという間なんだなと思います。それを最近感じていますね」
――今年に関しては、記念試合をおこなうにはなかなか難しい状況ではあったと思いますが。
「そうなんです。それでもどうしてもやりたかったですね。小さくてもいいからやりたい。ということで強引に、近藤有己と11月(8日)にやったんです(道頓堀プロレス、大阪世界館)。試合は5分3ラウンドで引き分けたんですけど、それだけは絶対にやっておきたいなと思って、なんとか実現できました。その後、(ストロングスタイルプロレスの)平井さんの方からこのリングでも、というお話をいただきまして。ちょうどアレクサンダー大塚選手が25周年ということで、アレク選手と(記念試合を)一緒にやったらどうですかという形でオファーを受けました」
――ともに記念試合でもありますから、おふたりにとって非常に意味の大きいカードになりますね。
「そうですね。タッグでは何度かあたっていますがシングルは初めてですし、ボクは彼が入門しようとしたときの入門テストの試験官だったんですよ。新生UWF以来というか、彼は藤原組史上初めて、入門テストすべてをパーフェクトでクリアーしたんです。簡単に入れないようにけっこうキツく作ったんですけどね(笑)」
――入門テストのメニューを?
「ハイ。あえてキツくしたんですけど、それを全部クリアーしてしまったんで、すごいなってなりましたね。それで『来年から入ります』ということになりました。確か、テストは秋口だったと思うんですけどね、『来年から(藤原組に)来ます』ということだったんですけども、来れなくなったと。あんなにパーフェクトにやったのに、なんで来ないんだろうと、すごい不思議だったんですよ。そうこうしているうちに自分が藤原(喜明)さんと別れてパンクラスに行くんですけども、それから数年後ですよね。PRIDEが始まり、98年のPRIDE4ですか、マルコ・ファス戦があった。その試合はTKOでマルコ・ファスが負けたんですけども、勝った選手ってもしかしてこれ、あのときのかなと思って。名前はアレクサンダーだけど、確か(本名は)大塚とかだったなと。アレクサンダー大塚と聞いて、あのときの大塚君なのかなと思ったんですね。風貌がだいぶ変わってましたけど、もしかしてあのときのあの選手かなと、あの新人だったのではないかと。あとでインタビューとか見たら、やっぱりそうだったんですよ」
――それで存在を知ったと。
「ハイ。なるほどなと、納得できましたね。強くなる要素は入門テストのときに感じてましたので」
――入門テストでの第一印象はいかがでしたか。
「身体はもうできあがってました。レスリングやってましたので身体はできあがってて、身長も体重もあった。テストも本当に全部クリアーしたので、技術つければいいだけって感じでしたね。大変有望な新人でしたよ。なんですけども、(正式入門前に)いなくなっちゃった、こなくなっちゃったんで、どうしたんだろうなってずっと思ってたんですよ。もったいないなって思いましたね」
――そのとき、なぜ船木選手が入門テストを担当していたのですか。
「自分、藤原さんから『入門テストはオマエに任せるから』と言われてましたので、藤原組では全部自分がやってました。ありきたりだとつまらないので、できるだけクリアーできないようなメニューを作ったんですけどね」
――あえてハードルを高くしたんだけれども、それを簡単にクリアーしてしまったのが当時のアレク選手だったと。
「ふつうにやっちゃったんで(笑)」
――ということは、合格以外の何物でもなかったんですね。
「そうです。あとは、一緒にやろうねと言う話しをしたと思います。一緒に頑張ろうと」
――その後、マルコ・ファス戦で存在を知った。
「ええ。そこからはもう、アレクサンダー大塚という選手としてずっと見てましたね」
――その後、船木選手もヒクソン・グレイシーと対戦。おふたりともプロレスから格闘技で大きな試合をしたという共通項がありますね。
「そうですね」
――今回対戦するにあたり、どんな闘いになりそうですか。
「ふたりとも藤原組にいたということは、やっぱり基本的に藤原(喜明)さんが先生じゃないですか。そこはまず絶対的なものがあると思います。それに、総合格闘技という点でもふたりとも経験がありますので、その要素もあり、あともうひとつは、プロレスという中でお互いが持っていないものをお互いが持ってると思うんですよ。アレク選手にあって自分にないもの、自分にあってアレク選手にないもの。プロレスの中でそういうものがあると思うので、その辺がもしかしたら勝負の分かれ目になるような気がしますね」
――プロレスという点では、船木選手のハイブリッドブラスターはアレク選手に決めにくくないですか。
「なかなかけっこう大変だと思いますよ。アレク選手は体重が120キロあるらしいので、30キロ差はけっこうキツいです。逆に、投げがいはあると思いますけど」
――いままで対戦してきた中で、アレク選手は誰に近いタイプだと思いますか。
「(バックボーンが)レスリングですよね。打撃はないですから、ちょっと藤田和之選手を一回り小さくした、そんなイメージかなと。投げもできますからね。レスリング基盤ということは、そういう感じかなと思いますね。ただ、藤田ほど打たれ強くはないかなと思います、たぶん」
――そこに勝機を見いだすと。
「そうですね。そんな感じはしますけどね」
――記念試合と銘打たれてはいますけども、お互いにとってお祭り的なカードではないですよね。
「本当に真面目に勝負をすると、自分は思ってます」
――勝ち負けにこだわる闘いになると。
「ハイ。自分がそう思ってるということは、そうなると思います。だから今回はお祭り的なものではなく、本当に初めてアレク選手とシングルで勝負をする。そういう試合になるような気がします」
――船木選手のキャリアの中でも大きな試合のひとつになるのではないですか。
「そうですね。いい思い出になるように、記憶に残るような試合にしたいと思います」
――初代タイガーマスク選手が起ち上げたストロングスタイルプロレスのリングで対戦するということについてはどうですか。
「これも感慨深いですね。(アレクと)藤原組で一瞬一緒になれそうだったのになれなかったのが…何年ですか?」
――アレク選手は25周年ですが、入門テストを受けたのは30年近く、28年くらい前になります。
「それでまた一緒になれるというのが、うれしいですね。しかも選手として。向こうが25周年で自分が35周年。自分は15歳でデビューしたので年齢もそんなに変わらないと思うんですよ。いまのマット界をパッと見渡してみても、35周年(の相手)にふさわしいと思います」
――アレク選手も船木選手が巻いていたレジェンドチャンピオンシップを保持していた時期があります。
「巻いてたことあるんですよね」
――元王者対決でもあります。
「そうですね。そういう面もありますね」
――船木選手のキャリアの中で、ストロングスタイルプロレスのリングは、かなり重要な意味を持つようになっていますよね。
「いま一番自分が自分らしくいられる団体だなと思ってます。ほかの団体では全部が全部自分の色に染めるわけにはいかないこともありますから。そういう意味では、一番自分らしく闘えるのがストロングスタイルプロレスのリングですね。それはやっぱり佐山(サトル)さん、初代タイガーマスクが作ったリングだからということが一番ですね」
――初代タイガー選手が欠場されるときに、船木選手は『このリングを守る』と宣言。
『戻ってくるまで守る』という公約をずっと守っていらっしゃるわけですが、これからも守っていくし、佐山さんが戻ってこられるのを待つという姿勢ですか。
「そうですね。佐山さんの体調、できればリングの上に立つくらいまで回復してほしいなと思ってます」
――そのときは、船木選手もなんらかの形で関わりたいですよね。
「そうですね。そのときタイトルマッチできたらいいなと思います」
――タイトルマッチといえば、次の大会(12・17後楽園)では藤田選手とスーパー・タイガー選手、19年9月大会以来の再戦がおこなわれます。昨年のちょうどこの時期(12月)、船木選手が藤田選手に初防衛を許してしまったのですが。
「そうでした、そうでした。もう一年ですね、あっという間ですね。まあ、(スーパーが)取り返すしかないと思いますよ。やられたものはやり返してこちらに取り返さないと。またこちらの中で(レジェンド王座を)まわしていくようにしないといけない。そろそろスーパー・タイガーも本当の意味で一本立ちしないといけないと思います。自分がこのリングに参戦するようになってからもう5年が経ちます。この5年でスーパーはどれだけ成長したのか。その成長具合を見せてほしいです」
――スーパー・タイガー選手に勝機はあると思いますか。
「どうですかね? いつもの倍は蹴らないと倒せないと思います。それくらい藤田の身体は強靱ですから。いつもの倍は蹴らないと勝機は見えてこないと思いますね」
――次の勝敗にかかわらず、船木選手もレジェンド王座戦線に再び絡んでくる可能性はありますか。
「ハイ、いずれは絡みたいと思っています」
――その意味でも次のタイトルマッチは今後の行方を占う大事な闘いになってきますね。
「そうですね。だからまず藤田選手をスーパー・タイガーに破ってほしいです」
――では、船木選手は35周年のその後をどのように考えていますか。
「35の次は40ですよ。5年後にもこうしてリングに立っていたいなというのが目標ですね。この5年ってけっこう大変だったんですよ。年齢もいってくるし。なので、そのときでもちゃんと試合ができてるように。そこまで本当に自分との闘いになってきますね」
――アレク選手も同じことをおっしゃっていました。15の次は20、20の次は25というように5年ごとに5年後もリングに上がっていることが目標になるそうです。
「あ、そうですか。じゃあアレク選手は、次は30周年ですね。もうその域に入ってきたということですね。自分は35周年ですから、次は40年。その中で若い人と闘っておきたいなという希望を持ってますね。いままで闘ったことのないような若い選手ともやっていきたいです。こっちの時間は限られてますから」
新日本から海外遠征、UWFから藤原組、パンクラス。そして総合格闘技を経てプロレスのリングに戻り10年以上が経過した。そして今回、アレクサンダー大塚とのシングルマッチが組まれたのだが、トータル35年のキャリアでもまだまだこんな好カードが隠されていたのかと驚くと同時に、両者の背景、ここまでの道のりがあったからこそ、いまこそシングルマッチへの機が熟していると言えるだろう。船木vsアレク、果たしてどんな決着が待っているのか。そして、ここから生まれるなにかにも期待したい。
(聞き手・新井宏)