Noismの金森穣&井関佐和子に聞く~「ザ・チェアマン・ダンス」はサラダ音楽祭ならではの新作
Noism 金森穣、井関佐和子 撮影:篠山紀信/松崎典樹
2021年8月12日(木)・13日(金)、東京芸術劇場でトーキョー・メット・サラダ・ミュージック・フェスティバル 2021、通称「サラダ音楽祭」のメインプログラムが開催される。東京都交響楽団(以下都響)と東京都が東京芸術劇場や豊島区と連携して2018年に開始したフェスティバルで、今年が4年目。「サラダ音楽祭」とは、コンセプトである「Sing and Listen and Dance~歌う!聴く!踊る!」に由来するもので、音楽や歌、舞踊など多様なプログラムが取り揃えられ、また赤ちゃんから大人まで、誰もが音楽の楽しさを体感・表現できる公演だ。
メインコンサートが行われる8月13日(金)は、昨年初登場し話題を呼んだ舞踊集団Noismが再び参加。演目はNoismを率いる金森穣(りゅーとぴあ舞踊部門芸術監督、Noism芸術監督、演出振付家、舞踊家)がサラダ音楽祭のために振り付けた新作「ザ・チェアマン・ダンス/音楽:ジョン・アダムズ(作曲)」のほか、金森の代表作の一つである「アンダー・ザ・マロンツリー/音楽:マーラー《交響曲第5番 嬰ハ短調より第4楽章 アダージェット》」の2作品が上演される予定だ。
今回は金森と、彼とともにNoismを率いてきた井関佐和子(副芸術監督、舞踊家)に新作や音楽祭についての話を聞いた。(文章中敬称略)
サラダ音楽祭2020より「Adagio Assai/音楽:ラヴェル《ピアノ協奏曲 ト長調より第2楽章》」
■サラダ音楽祭出演のきっかけはサイトウキネンでの矢部コンマスとの出会い
――まず2020年、「サラダ音楽祭」に初めて出演することとなった経緯から教えていただけますか。
金森 そもそものきっかけは「サイトウ・キネン・フェスティバル松本2011」(現セイジ・オザワ 松本フェスティバル)でした。この公演で私がバルトークのオペラ「青ひげ公の城」とバレエ「中国の不思議な役人」の演出・振付をしたのですが、その時、都響のソロ・コンサートマスターの矢部達哉さんがサイトウ・キネン・オーケストラに参加されていたんです。それを機に矢部さんはNoismを応援してくださるようになり、いつかまたコラボレーションができればという話をしていました。ですから聞いたところによると、Noismの音楽祭出演については、矢部さんの熱い推薦をいただいたこともあるようです。
また都響音楽監督の大野(和士)さんとは、過去にある劇場でご一緒する企画があったのですが、それは実現に至らなかった。ある意味ニアミスをしていたところ、ようやく共演できることとなりました。
「中国の不思議な役人」 撮影:篠山紀信、撮影協力:サイトウ・キネン・フェスティバル松本
■「曲を聞いたらひらめいてしまった」。引き出しの空いていたところにすっぽりと入った「ザ・チェアマン・ダンス」
――昨年はNoismのレパートリーの中から「Adagio Assai/音楽:マーラー《交響曲第5番 嬰ハ短調より第4楽章 アダージェット》」、「Fratres Ⅲ/音楽:ペルト《フラトレス~ヴァイオリン、弦楽と打楽器のための》」が上演されました。今年は「ザ・チェアマン・ダンス」と「アンダー・ザ・マロンツリー」がラインナップされています。まず「ザ・チェアマン・ダンス」ですが、これは新作ですか。
金森 はい。「ザ・チェアマン・ダンス」はサラダ音楽祭のために振り付ける新作です。本当は創作する時間があまりなかったので、(井関)佐和子のソロ「アンダー・ザ・マロンツリー」だけで行こうと思っていたところ、都響さん側から「できればもう1つ、一緒にできないか」と提案されたのが「ザ・チェアマン・ダンス」でした。大野さんがオープニングの曲にふさわしい、ダンサブルなものをということで提案されたのですが、先ほども言いましたように、当初は時間がないから無理だと思っていたんです。でも曲を聴いてみたら、結構ひらめいちゃったんです(笑)。
――どういったところがこの曲の魅力だったんでしょうか。
金森 自分はクラシック音楽にリスペクトを持って振付をしてきた振付家であると自負しています。そして自分の頭の中には先頃上演した「春の祭典」をはじめ、次回作の構想のための音楽がいろいろと入っている。その引き出しの空いていた部分に、「ザ・チェアマン・ダンス」が持つ音楽的構造や音色などが、スポッと入ってしまったんです。もし大野さんが提案された曲が次の冬の公演で使おうと思っている曲と被っていたらお断りしていたでしょう。でも自分の候補の中にはなく、しかも私の好きなタイプの曲で、うまい具合に入り込んできてしまった。「ああどうしよう、気に入っちゃったなぁ」と(笑)。
またこの「ザ・チェアマン・ダンス」は勢いよく始まり、エンディングへ向かって様々なものが疾駆し、駆け抜けていくような世界観がある。それでいて、途中スローテンポになったり、ある種の男女のリレーションシップのようなものも見えたりしながら、最後はまるで「時」という名の列車が過ぎ去っていくようなイメージもある。
実は最近自分の中でテーマとしているもののひとつに「記憶」や「瞬間」があるんです。生まれて、そして消えていく「瞬間」というものは、根源は舞踊と同じ。生成しては消えていくといった、「瞬間」というテーマとつながるものがこの曲には感じられました。走馬灯のように出来事が現れては消え過ぎ去り、後には何が残ったんだろうという疑問符を残して終わるような、そういう音楽的な構造も、今の自分に響くものがありました。
サラダ音楽祭2020より「Fratres Ⅲ/音楽:ペルト《フラトレス~ヴァイオリン、弦楽と打楽器のための》」
――金森さんの作品を観ていると、金森さんならではの独特な言葉で語られている物語を見ているような印象を抱くこともあります。今作にはなにか物語やストーリーというものを考えていたりするのでしょうか。
金森 具体的なストーリーというよりは、抽象化されたものですね。例えばある一人の男がいて、その男がはっと白昼夢を見るような、あるいは走馬灯のように何か思い出が駆け巡っていったというような、ある種物語的なものはあっても、では具体的にどういう事象が起こったのかというのは観客がそれぞれ、自分の記憶や体験などと重ねあわせて観てくれればいい。感じることはお客様一人ひとり、違っていていいんです。
今回の「ザ・チェアマン・ダンス」については、もう9割方できあがっています。ジョン・アダムズという作曲家の深層の部分にアプローチしていければと思っており、もちろんそれは振付家・金森穣の勝手な妄想ではありますが、でもそこを掴みたいですね。
■自分のためにつくられた作品じゃないからこそ挑戦し甲斐がある「アンダー・ザ・マロンツリー」
――ここからはもう一つの作品、「アンダー・ザ・マロンツリー(以下マロンツリー)」を踊る井関さんに加わっていただきます。サラダ音楽祭でこの作品を踊るにあたって、思うところは。
井関 「マロンツリー」は穣さんの振付家としてのデビュー作で、私が22歳の時に初めてこの作品を踊ってから20年が経ちます。実は私が初めて「マロンツリー」を観たのは19歳の時で、それが金森穣という振付家の作品との出会いでもあったのですが、その時「これを踊りたい!」と強く思ったのを覚えています。結果的に夢が叶ったわけですが、でも私にとってこの作品は、自分ではない別の人に振り付けられた――つまり、私以外の人に作られた作品を踊るという挑戦をさせてくれる、今となってはほとんど唯一の演目にもなっています。
「マロンツリー」を作った時の穣さんは20歳でしたが、その時と現在の、それぞれの穣さんの間に通じるものが今でもこの作品にはあり、この作品のリハーサルが始まるたびに、その重さのような重圧感に、毎回一度は必ず潰されそうにもなりますね。
――「人に作られた作品を踊る挑戦」というのはある意味井関さんならではのお言葉でもありますね。一般的には他人に振り付けられた作品を踊るのが多いのではないかと思うのですが……。
井関 そうなんですよね。Noismがはじまる前に所属していたカンパニーではそれが普通でしたし、私も若かったこともあり、作品に自分なりの解釈を加えながら踊ることもありました。でも時を経て、その作品が何を伝えたいのかと考えた時、人に振り付けた作品には、自分がその誕生に立ち会っていない分、ある種のアウェイ感があると思うようになりました。他の人に振り付けられた作品に自分がどう歩み寄っていくか、そこが自分に振り付けられた作品とは違うものなんです。
そういう意味ではこの「マロンツリー」は、自分の中で「物語」が、いまだに全然定まらない作品でもあるんです。単純にそこにいない人のことを求めている女性の姿ではないし、彼女の魂の踊りなのかなど、毎回踊るたび考えさせられるし、一方でむしろ定めちゃいけないと自制しているところもあります。今度は作品の中に何を見つけられるか、また金森穣という振付家が今現在、この作品をどのように届けたいのかという意味でのダメ出しを聞きながら(笑)、リハーサルをしています。
でもそういった、自分でつかみ切れないものがあることが、この作品の強さじゃないかとも思っています。いい感じのぎこちなさというのかな。それが生まれることで、この作品が成立している気がしますが、(金森を見ながら)いかがでしょう。
金森 この「マロンツリー」をつくった時のコンセプトは、マリオネットのように内側がほぼ空っぽな状態を、いかに情感を排除した少ない動きと音楽で埋めていくことができるかというものでした。それは今も変わっておらず、佐和子がこの作品に対して抱いている「自分のものにしきれない」というジレンマは、ある意味正しいアプローチなんですよね、この作品の。
井関 あーよかった(笑)。
金森 だから決まった振付を適切な速度と意識と感覚で実践したらマリオネットの身体が音楽で満たされ、そして音楽がおのずと感情を表してくれる。お客様にはハープの最初の「ポロロン」という音色で、作品世界にすっと入っていってもらえればいいなと思っています。抽象的な言い方になりますけれども。
「アンダー・ザ・マロンツリー」 撮影:篠山紀信
■「背中の会話」で生まれるサラダならではのスリリングな舞台
――今回サラダ音楽祭のために振り付ける「ザ・チェアマン・ダンス」は、先ほど金森さんは9割方できあがっていると仰っていました。井関さんはリハーサルをしていて、この作品についてどのような印象を持たれていますか。
井関 今回もまず楽譜と向き合い、穣さんと2人でカウントを数えることからはじめました。メロディーとして聴くよりも、カウントを数えてから覚えた曲はいろいろな音色が聞こえてきて、今この瞬間、自分はこの音と踊っているんだと感じられるのがすごく楽しいですね。でも実際に生のオーケストラと一緒に踊った時にどういう化学反応が起きるのかは全く分からないです。
金森 うん、生オケだとどうなるかは全く予測できないですね。振付をするうえで、大野さんにおすすめの音源をいくつか紹介してもらい、一つの音源に固まらないよう時々音楽を取り換えながら、リハーサルは進めています。
井関 またサラダ音楽祭の舞台は特殊なんです。一般的な公演だと指揮者はオーケストラピットに入りダンサーの方を見て指揮をしますが、サラダの舞台は指揮者が背中を向け、その前の細長いスペースでダンサーが踊るわけです。こちらはお客様の方を向きつつ大野さんの背中を感じ、大野さんもおそらく背後から私たちのエネルギーを感じつつ指揮棒を振るという、いわば「背中の会話」のなかで舞台を作り上げていく。普通のオーケストラとの共演に比べるとすごくスリリングで、これはサラダ音楽祭でしか味わえない(笑)。
金森 出演する方はスリリングですが、でももし機会があったら、今度はサラダ音楽祭でソプラノなど歌手とも共演してみたいですね。歌手と佐和子の共演はすごく面白そうだし、実はいくつか思い描いている曲もあるので (笑)
――ぜひ見てみたいです。実現を願いつつ、今年の公演も楽しみにしています。ありがとうございました。
サラダ音楽祭2020より「Fratres Ⅲ/音楽:ペルト《フラトレス~ヴァイオリン、弦楽と打楽器のための》」
取材・文=西原朋未
公演情報
サラダ音楽祭
音楽祭メインコンサート
■日時:2021年8月13日(金)15:00
■東京芸術劇場 コンサートホール
■出演:
指揮/大野和士
ハープ/吉野直子
ソプラノ/小林厚子○
ダンス/井関佐和子◇
Noism Company Niigata(ノイズム・カンパニー・ニイガタ)△
(演出・振付/金森 穣)
合唱/新国立劇場合唱団☆
(合唱指揮/冨平恭平)
管弦楽/東京都交響楽団
ジョン・アダムズ:ザ・チェアマン・ダンス [ダンス付き] △
カステルヌオーヴォ=テデスコ:ハープと室内管弦楽のための小協奏曲 op.93
マーラー:交響曲第5番 嬰ハ短調より第4楽章 アダージェット [ダンス付き] ◇
モーツァルト:モテット《アヴェ・ヴェルム・コルプス》K.618☆
プーランク:グローリア○☆