つかこうへい『熱海殺人事件』が文学座で甦る~角野卓造(初演の熊田留吉役)×稲葉賀恵(令和バージョン演出)の対談が実現

インタビュー
舞台
2021.8.16
角野卓造(左)と稲葉賀恵

角野卓造(左)と稲葉賀恵

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つかこうへい『熱海殺人事件』。いつの時代も途切れることなく上演され続けてきた名作。シェイクスピアやチェーホフが普遍的な戯曲として語られるように、日本においては、この『熱海殺人事件』がダントツで上演されているのかも。じゃあ初演はどこ……。演出は藤原新平、出演は金内喜久夫、角野卓造、吉田竹広、川畑佳子(麻志那恂子)。実は1973年の文学座なのだ。2020年4〜5月の上演を予定していたものの、コロナ禍での緊急事態宣言の発令に伴い中止していた公演が、あれから1年、満を持してこの9月に登場する。演出は若手の注目株、稲葉賀恵。取材をお願いしたら、なんと初演で熊田留吉刑事役を演じた角野卓造さんが駆けつけてくださった。


 

■演劇ならではの魅力をもう一度、『熱海』で感じたかった

――文学座が『熱海殺人事件』をやるという情報をキャッチした時、もうワクワクが止まりませんでした。まだだいぶさきでしたが、すぐに取材させてとお願いしたくらいです。

稲葉 ありがとうございます。

角野 でも文学座が初演しているとは、よっぽどの演劇ファンじゃないと知らないんじゃないですかね(笑)。

――だと思います。角野さんが稲葉さんと対談してくださると伺った時はうれしさが何千倍にもなりました。では、稲葉さんが『熱海』を選ばれた理由から教えてください。

稲葉 私はつかさんと同時代には生きていないので、文献でしかその姿を知ることはできません。きっかけは、初めて『熱海』の戯曲を読んだことでした。ちょうど「エンターテインメントとは?」ということをずっと考えていたころで。私にとって自分の伝えたいことを具現化するために演劇があったんです。だから演劇をやっていてエンタメという言葉がピンときていなかったんですけど、仕事の幅が広がったときにそんなことも言っていられなくなっていく。つかさんは演劇ファンだけではなく、演劇を知らない人にもムーブメントを起こした方ですよね。そういう意味で、エンタメに挑戦したいという気持ちがあったんです。

――なるほど、そういうことだったんですね。

稲葉 それで初めて読んだときに、私は婦人警官のハナ子役がものすごく気になって、ハナ子の正体を明かしたいと思ったんです。演劇の魅力として、その場でウソが本当になっていくというしつらえがありますよね。その楽しさと出会ったときに感じた興奮を、『熱海』にも感じたんです。(熱海の海岸で恋人を殺した工員の事件を、立派な事件に仕立て上げていく物語に)これは自分の原点に立ち戻って演劇の面白さとは何かを見直すためにも面白い挑戦だなと思いましたね。

稲葉賀恵

稲葉賀恵

――今まで文学座では再演がなかったですし、思い切りが必要だったのでは?

稲葉 実は劇団のいろんな方と合同で提案した企画だったんです。でも皆さんそれぞれ思惑もあったし、抱いている『熱海』像もまったく違うんです。ものすごく崇高に感じている人もいれば、見たこともない人もいる。でも特別な作品として高い熱量があることだけは共通していたんです。
 

■やるのなら最初につかさんが書いた戯曲に挑戦してほしい

――角野さんは『熱海』をやると聞いていかがでしたか。

角野 僕は2020年3月まで劇団の幹事をやっていたんです。70歳になる前に演劇をやめるために、65歳になる前からオファーを断り始めました。演劇はそのくらい先のオファーが来ますから、しっかり断っておかないといけない。ですから俳優としての演劇生活は終わっていたんです。しかし選挙で幹事には選ばれてしまった。それは選ばれたら辞退できない規則なんです。もし私が文学座のために何かできることがあるならばやりますと。

角野卓造

角野卓造

――角野さんの男気ですね!

角野 いえいえ。幹事は劇団のラインナップの決定をしますし、企画委員のメンバーでもあるんです。その時に2020年5月はアトリエで本公演をやろうじゃないかというアイデアが出ていて。僕はアトリエ育ちですから大賛成だった。むしろ本公演すべてをアトリエでやろうと提案したくらい。それで『熱海』が提案されたときに、2020年に上演するのはアトリエの70周年の企画にとても良いし、むしろ今やる方が初演よりインパクトがあるかもしれないと思いましたね。僕は演出家ではないし、幹事は経営側でもありますから、当たるかどうかということを主に考えます。良いものをつくるのは現場の皆さんの仕事です。ただ難しいだろうとは思いました。つか作品の中でも『熱海』くらいさまざまな変遷をたどっている芝居はありませんから。つかさんご自身でいじり倒しているじゃないですか。だから逆につかさんが最初に書いた戯曲をきちっとやってみた方がいいだろうと思いましたね。彼のセリフ、慶應義塾大学時代は詩をやっていただけあって、言葉の美しさは素晴らしいですから。
 

■初演の文学座の稽古場は混乱していたんじゃないか?

文学座『熱海殺人事件』より

文学座『熱海殺人事件』より

――初演の時、どういう雰囲気だったんですか?

角野 きっと演出の藤原新平さんが別役実さんを介して、つかさんと接点を持っていたんでしょう。(今は映像の脚本などで活躍している)長谷川康夫さんは自著(『つかこうへい正伝 1968-1982』)の中で、おそらく(鈴木忠志が率いた)早稲田小劇場で上演してほしかったのだろうが、文学座にも二股をかけてたんじゃないかと分析してますけど。文学座はその当時ステイタスとしてはなかなかのものでしたから、つかさんも文学座で戯曲が上演されるのは名誉だろうと思っていたでしょうし、いいステップになると考えていたんじゃないかな。ただね、新平さんも『熱海』についてつかめていなかったし、稽古場は混乱していたと思います。僕の中では演劇についての演劇だと直感的のものはありました。

――さすが角野さん!

角野 僕は学生時代、小劇場一辺倒でしたから。大学内にアトリエをつくって、こけら落としに唐十郎さんの『少女仮面』をやったくらい。実は僕は早稲田小劇場の入所試験に受かっていたんですよ。状況劇場、アンダーグラウンド自由劇場を加えた小劇場御三家の中で早稲小が一番好きでしたし、主宰の鈴木忠志さんの意見が正しいと思っていましたから。ただ早稲小は職業俳優を認めていなかったんです。僕は自分のやりたいことで食べていきたかったから文学座を受けた。当時の小劇場は新劇を否定していたわけですから、論理的には矛盾していますがね。だから断りにいくのはつらかった。そういう状況でしたから、文学座で『熱海』を、つか作品をやることになってびっくりです。実はその半年前に早稲小で『郵便屋さんちょっと』『飛龍伝』『戦争で死ねなかったお父さんのために』と、つか作品の三本立てを見ていたんです。小劇場御三家とはまったく違う芝居が出てきたと感動しました。
 

■『熱海』を近代劇として読み直してはどうだろう

左から上川路啓志、山本郁子、石橋徹郎、奥田一平

左から上川路啓志、山本郁子、石橋徹郎、奥田一平

――稲葉さん、『熱海』についてどんな演出プランがあったのですか?

稲葉 最初のころどう考えていたかは思い出せないんですよ。いろんな意味づけをしようと思ったんですけど毎日のようにアイデアが変わってしまって。つかさんの本を読むと、つかさんご自身がすごく演劇的ですよね。その言葉にからかわれているようで、今まで文学座で培ってきた方法論を捨てた方がいいんじゃないかとさえ思います。でもハナ子役への想いは変わらず強かったんです。私は当初から山本郁子さんにやってほしかった。この役は若い女優さんが演じることがほとんどですけど、ベテランの方がやったほうがいいんじゃないかと。これまでは若い女優さんが木村伝兵衛に演劇教育を受けるというスタイルが普通ですよね。今回、伝兵衛役の石橋徹郎さんは郁子さんより少し年下なんですけど、先輩後輩というヒエラルキーを超える面白さ、今までにない見え方が生まれるんじゃないかと期待しているんです。私は郁子さんとは俳優と演出助手としての関係しかなかったんですけど、スカートでも大股で闊歩するような力強さとたおやかさを二つとも持ち合わせたような方なんです。外見とそうした姿のギャップにハッとする。郁子さんがどんなハナ子を見せてくれるのかワクワクする気持ちが演出の軸になっているんです。

――定番の大きな机一つを中心にした舞台美術ですか?

稲葉 木村伝兵衛の机はありつつも、今回は生演奏が入るので、楽器という道具が常に舞台上に鎮座しています。それ以外にも演劇を形づくる道具たちがそのまま生々しく置かれているイメージです。あとは「光と影」という表現にも着目しています。虚構を生み出す製造所という感じでしょうか?

角野 初演は書き割りだったんです。いかにもセットでございという感じで、壁に描いてあった。舞台美術の石井強司が脚本を読んで直感的にこれは“ごっこ”だろうと思ったんでしょうね。でもどうなんだろう、抽象空間になってしまうと言葉がそれを保証してくれるだろうか? 音楽で脅かして、役者の挑発的なセリフで脅かしてというのは今の時代は難しいかもしれない。僕は最初に言いましたけど、いわゆる近代劇として一度読み直してみるのがいい気がするんです。僕も熊田留吉という刑事を演じるにあたり、どこから来たか、どういう理由で来たのかという近代劇の役の読み方からしか始められなかった。この戯曲はそうじゃないんだ、逸脱や飛躍がありなんだということは稽古する中でわかっていったんです。つまり演劇についての演劇、役者についての芝居が被さっているんです。「正しい犯人のあり方」という設定はダメ出しですよ。だから逆に何をやっても成立する。熊田が伝兵衛のタバコに火をつけるシーンで、火がショボいと消されてしまうんです。僕は何かしないとと思って、稽古のときからマッチを50本輪ゴムで結わえて火をつけたりしてました。

角野卓造

角野卓造

――そのころのつかさんはどんな印象でしたか?

角野 その後が想像できないくらい大人しかったですね。別役さんを真似ていたのか、ベージュのレインコートを着て、じっと静かに稽古を見ていました。文学座の近所に『ゴドー』というバーがあって、初めて飲んだとき「俺は『KCIA(大韓民国中央情報部)』にマークされているんだ」と言ってましたね、そういうふうに相手の懐に飛び込んでくる人だったんです。芝居のことも彼も新平さんにものを言うより、僕や金内喜久夫さんの方が若いから話しやすかったでしょうね。僕ら面白いアイデアが浮かぶと稽古ですぐやる方だったから。中野にあったアジトみたいなスナックにもよく呼び出されたし、つかさんのアパートや九州のご実家にも行きました。同い年だったんでずいぶんと仲良くなりました。実はつかこうへい事務所の紀伊國屋ホール進出公演、『戦争で死ねなかったお父さんのために』に風間杜夫と僕が呼ばれたんですよ。でもひと月くらい稽古したところで僕のノドにポリープができそうになって、その後で文学座の本公演が決まっていたものだから降りることになって。そこから疎遠になってしまったんですけどね。
 

■「きょう、ママンが死んだ」

――そうだったんですか。まだまだいろいろ伺いたいんですけど、僕が楽しんでしまいました。稲葉さんから質問はありますか?

稲葉 あははは! 最初に台本をもらったときにどこが面白いと思いましたか?

角野 いや戸惑いばかりでした。何をやる芝居なのかわからなかったですね。真っ当な犯人をつくる物語だというふうにくくってしまえば簡単だけれど、それだけじゃない。急に九州弁になって胸を打つシーンなんかは、日本人の心の裏側に響く、つかさんの奥底にある怒りなのか悲しみなのか、そんなものを感じます。何が真っ当で何が真っ当ではないか、サディズムの演劇でありマゾヒズムの演劇でもある。それはほかの芝居にも共通していますけどね。

稲葉賀恵

稲葉賀恵

稲葉 実は初演版の台本だけで3種類あるんですよ。

角野 そんなにありましたっけ?

稲葉 はい。ガリ版刷りのもの、「しんげき」という雑誌に掲載されたもの、そこから新たに台本になったもの。しかもだいぶ変わっているんです。どういう遍歴かがわかったからって芝居がどうなるというものでもないんですけど、これくらい大胆な変え方をしたということは、つかさんと角野さんたちがお互いに提案しあったということですよね?

角野 今も覚えているのは「熱い砂。松林のざわめき。青い海。透けるような空。……太陽の眩しさ」となっているんですけど、「……」に僕がアドリブで「きょう、ママンが死んだ」と入れたんです。カミュの『異邦人』(太陽のせいで殺人を犯した青年の話)の1行目です。つかさん、それをすごく喜んでくれて、しばらく使ってましたね。「熱海が南フランスに匹敵するかね」というセリフがあってもカミュのカの字も出てこないから、もう少しつなげたほうがいいだろうと。

稲葉 へえ〜。

角野 でもそのときは、つかさん流の口立てではなく、直しは原稿を持参していた。きっと順番に本読みをしたらいいですよ、なぜ変化したかがわかると思う。このセリフはあった方がわかりがいいとか、理解が深まるとか、これはなくてもいいとか役者から出てくるものかもしれない。

稲葉 そうですね。実は角野さんに伺いたいことが山ほどあるんです。

角野 郁子さんからオファーをもらっています。論理的な話はできないかもしれませんが、空気感は伝えられるでしょう。皆さんがそろう日に稽古場に行きますから。でもそれを聞いた上で全部捨てて、今の日本の、文学座の、皆さんが取り組んだ芝居にしてください。

角野卓造(左)と稲葉賀恵

角野卓造(左)と稲葉賀恵

※原稿は2020年3月に作成したものですが、一部更新しています。

取材・文:いまいこういち

公演情報

文学座9月アトリエの会『熱海殺人事件』Streaming+映像配信

2021年9月10日(金)18:30開演の回をライブ配信、10日以降は見逃し配信でご覧頂けます。

■視聴期間
① 2021年9月10日(金)18:30から9月16日(木)23:59まで
(①の販売期間:8/16(月)10:00~9/16(木)21:00)
② 2021年9月17日(金) 0:00から9月23日(木・祝)23:59まで
(②の販売期間:8/16(月)10:00~9/23(木・祝)21:00)


■劇場公演日程:2021年9月2日(木)~14日(火)
■劇場公演会場:信濃町・文学座アトリエ

■作:つかこうへい
■演出:稲葉賀恵
■出演:石橋徹郎 上川路啓志 奥田一平 山本郁子 
■演奏:芳垣安洋 助川太郎
■視聴料金:3,000円(消費税込・別途手数料)※購入にはイープラスの会員登録が必要です。

■視聴・配信に関するお問い合わせ:https://eplus.jp/streamingplus-userguide/
■文学座公式サイト:http://www.bungakuza.com/atami2021/index.html

 
※新型コロナウイルス感染症拡大にかかわる政府及び各地方自治体の方針等を踏まえ、の一般販売を一時見合わせることと致しました。一般販売の見通しにつきましては、今後の感染状況や残席状況を踏まえ、8月23日(月)12時に文学座ホームページで対応について発表致します。一般販売に関するお問い合わせは文学座 Tel.03-3351-7265(10時~18時/日祝除)まで。
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