イッセー尾形に聴く、古希を迎えての境地や作品への思いとは 『小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトXVIII』
イッセー尾形 (C)大窪道治/2022SeijiOzawaMusicAcademy
2000年の創設以来、オペラの制作と公演を通じ、オーディションで選ばれた若い音楽家たちに実践的な学びの機会を与えてきた『小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト』。残念ながらコロナ禍により2年連続で中止となったが、今年は2016年にも大好評を博したお馴染みの喜歌劇『こうもり』で上演再開される。今回は看守役のフロッシュにイッセー尾形がキャスティングされているのも話題だ。小澤と尾形は長年来の親交があり、小澤たってのオファーで出演が実現したという。尾形に『こうもり』出演への意気込みとフロッシュ役への思いを聴いた。
『小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクトXVIII』 (C)VEROZA Japan All Rights Reserved.
小澤征爾の熱いラブコールでキャスティング
今年で18回目を迎える『小澤征爾音楽塾オペラ・プロジェクト』。2022年3月18日(金)~27日(日)京都・東京・横須賀の三劇場でヨハン・シュトラウスⅡ世の喜歌劇『こうもり』が上演される。前回同様にNYのメトロポリタン歌劇場の華やかなプロダクションが使用され、デイヴィッド・ニース演出によるあの愉快でゴージャスな舞台が再び戻ってくる。今年は国外からの塾生招聘は叶わなかったが、国内オーディションで選び抜かれた若手精鋭メンバーたちによって構成される「小澤征爾音楽塾オーケストラ」と、ワールドワイドに第一線で活躍する熟練の歌い手たちが織りなす舞台に大いに期待したい。
本年の上演において、もうひとつ話題を呼んでいるのは、セリフのみで演じられる看守役フロッシュに、一人芝居をライフワークとする名俳優イッセー尾形がキャスティングされていることだ。小澤はかつて尾形の独り舞台を観劇して以来の大ファンで、その後、サン=サーンス『動物の謝肉祭』での共演(尾形はナレーションを担当)をきっかけに親交を深めている。今回も小澤たっての依頼で出演が決定した。再終三幕冒頭のワンシーンのみの登場ながら、舞台によりいっそうの奥行と味わいを与える重要な役割をになうフロッシュ。尾形は2017年にも東京二期会上演の『こうもり』でこの役に挑んでいるが、今回、小澤の熱いラブコールにどう応えるのかが注目される。
「箸休めみたいな感じでお客さんから注目されるんです、きっと。プレッシャーですね。でもフロッシュが主人公だというぐらいの気持ちで挑みましょう。そうすると、自分が自分の箸休めだ。あれ?」
イッセー尾形 (C)大窪道治/2022SeijiOzawaMusicAcademy
フロッシュ役を演じるにあたり、尾形はこう語っている。
今年70歳を迎え、ますます円熟味を増す一人芝居の名プレーヤー、イッセー尾形。いかにも尾形らしい表現である“自分が自分の箸休め”という独特な表現には、どのような含みがあるのだろうか? その真意を紐解く一問一答。古希を迎えての境地、そして、本作品やフロッシュ役への思いを尾形らしくユニークに語ってくれた。
僕にとっての一番の理想は「無責任」
ーーフロッシュという役を演じるにあたって、まずは意気込みをお聞かせください。
2017年に東京二期会の公演でフロッシュを演じた際に、実は小さな“悔い”を残しまして……。というのも、ちょっとオペラに気おされましてね。もう少し“デタラメ”でもよかったんじゃないかと。今回はひとつそれを忘れて演じたいというのが希望です。
ーーオペラの世界観や声に気おされてしまったと。今回は、それをどのように克服しようとお考えでしょうか。
いや、多分、また気おされると思います(笑)。周りは海外の著名な歌手陣ですし太刀打ちできませんね。と言っても、5年前の経験で「オペラというのはそういうものだ」と身体に覚え込ませたので、今回は声、音の響きや‟轟き”など、それらに対してもっと自分を全開にして舞台に立ちたいと思います。
前回はフロッシュという役柄を“意味”で捉えていた面があったので、今回は音に影響されたら音で、あとはセリフの力で返したいですね。僕は歌で返すわけにはいかないですから(笑)。とにかく、実際に稽古や本番に臨んでみないと感触はわかりませんので、今から未知なる楽しみが待ち遠しいです。
イッセー尾形 (C)大窪道治/2022SeijiOzawaMusicAcademy
ーーオペラの舞台は、一人芝居とは全く違う世界ですね。
一人芝居はモノローグですからコミュニケーションがないんです。『こうもり』では、フロッシュはフランクという人物との絡みが多いのですが、この人物がどういう声を出して、どういうドイツ語の発音をするのかまだわかりませんが、その音を聴いて、目いっぱい受け止めて、目いっぱい応えて、目いっぱいコミュニケーションしていきたいと思います。身体全部を“耳”にして挑みたいと思います。
ーーフロッシュという人物は、『こうもり』という浮世離れした貴族社会のストーリーにおいて、刑務所の平社員的立場にある“看守”という役どころで、しかも人間臭い魅力がありますね。そういう意味では聴衆をストーリーの中に引き込む役割があるのではないでしょうか。
フロッシュは非常に「視野の狭い人物」という捉え方ができると思います。狭い世界に生きていて、知っているのは所長か囚人しかいない。自分自身を囚人よりは上であろうと思っているが、所長には絶対に頭があがらない。そういう単純な思考の中で生きている人物です。
ところが、『こうもり』の劇中では、なぜか刑務所に“やんごとなき”世界からいろいろな人々がやってくる。それはフロッシュにとってパニックを起こす状況でもあると思うのですが、喜びでもあると思うんです。小さな世界にいるからこそ、同時に広い世界が抱腹する喜びに触れる様が面白おかしく扱われている。その点を掘り下げて明確に演じると、『こうもり』のストーリーの中でのフロッシュの位置付けやデタラメぶりというのがさらに鮮明に浮き上がってくると感じています。
ーー周りの歌い手たちは基本的にセリフの部分でもドイツ語を話すわけですが、イッセーさん演じるフロッシュは日本語で演じられるわけですね。
ドイツ語に聴こえる日本語でやりたいですね。「どこのドイツだ~って(笑)」。まあ、それは冗談として、確かにほとんど日本語で演じますが、時折、ドイツ語もしゃべります。先ほどから申し上げているように、オペラですから、音から影響されるというものが多いのでドイツ語という言葉からも絶対に影響されると思うんです。
そこで、「周りが全員ドイツ語だから、仕方なくドイツ語でしゃべらされている」のか、あるいは、「周りに感化されて、自分もドイツ語がしゃべりたくなって自然に話した」ドイツ語なのか、ということを明確にしなくてはいけないと思うんです。僕としては後者のケースを取りたいですね。「周りがみんなドイツ語でしゃべっているんだから、俺だってドイツ語しゃべりたくなるよ」、というのも、いかにもフロッシュらしくていいんじゃないかと。前回、そんな余裕はなかったけれど、今回はこのような点も明確にしていきたいですね。
イッセー尾形 (C)大窪道治/2022SeijiOzawaMusicAcademy
ーーフロッシュを演じるにあたって、「箸休めみたいな感じでお客さんから注目されるんです、きっと。でもフロッシュが主人公だというぐらいの気持ちで挑みましょう。そうすると、自分が自分の“箸休め”?」と語っていらっしゃいますが、これはイッセーさんのどのような思いを表現しているのでしょうか。
僕にとっての一番の理想は「無責任」なんです。自分自身が責任を持たないところでネタを作る。責任も無く、自由なわけですから、次から次へといろいろなものが表現できる。ところが、それをお客さんの前で演じる時には、皮肉なことに全責任が自分一人に降りかかってくるわけです。全“無責任”で作ったものが今度は全”責任”がかかってくる。どうやら、そういうサイクルみたいなものが僕の宿命らしいんです。
そういう流れの中で、“箸休め”というのは無責任から責任に移る間くらいのところなのかな。まさに「自由な遊び場」で僕にとって望むべき境地なんです。一言で言えば“デタラメ”なんだけれど、その「無責任=デタラメ=箸休め」という部分を全力でよりいっそう豊かにする。できるだけ大きく広げて、それを自分で全部抱えて最終的には「フロッシュは僕がやるぞ! フロッシュが主人公だ!」というぐらいの気持ちと責任感で舞台に出るわけです。その一連の流れが、僕の中での理想のかたちなんです。今回のフロッシュの役柄も見事にそれに当てはまると思うんです。
ーーイッセーさんご自身、『こうもり』という作品にはどのような思いを抱いていますか。
ヨハン・シュトラウスⅡ世が生きていたこの時代のことはよくわかりませんが、多分、相当に乱れた社会で、いわゆる“ニヒリズム(虚無主義)”的なものが蔓延していたのではないかと思うんです。この作品にも「もう世の中もおしまいだから、すべておふざけにしてしまえ~」みたいな世紀末的な空気を感じますね。だから、酔って騒いで刹那的な華やかさに生きて、最後に「実はすべて茶番でした」ということが成り立つわけです。
でも、今のコロナ禍の現状を絡めて考えれば、これもひとつ意味があるように感じますね。というのも、僕個人としては、ここ2~3年のコロナ禍の社会において、世の中や各人の価値基準も少し変化してしまった気がしているんです。現実として、人が人に対して抱く感情が乱暴になってしまっていたり、そんな現在の社会的な状況に共通するものを感じますね。
イッセー尾形 (C)大窪道治/2022SeijiOzawaMusicAcademy
ーー舞台では、ひとつパーッと行きたいですね。
まあ、そう行きたいですけれど、結局、表層的なものでしょ。深いところはどうなんだと。そこに気づく人は気づくんじゃないかな。
ーー小澤さんはイッセーさんの大ファンで、お互いに長い親交があるということですが、小澤さんのDNAが受け継がれている舞台に出演することにどのような期待を持っていますか?
生意気な言い方ですが、僕は小澤さんと根っこの部分で似ているものがあると思うんです。大事なものに猪突猛進、一直線という部分で。演劇と音楽は違うかもしれませんが、そのような方が育てた塾生さんたちや、彼らの奏でる音楽とともに舞台に立てるのは嬉しくもありますし、心強いですね。
私事ですが、今年70歳になりまして、今回の『こうもり』が古希を迎えての初めての舞台なんです。60歳でフリーになって10年間、いろいろ耕してきたのですが、70歳になってまたひとつ違う景色が見えてくるのではと期待しています。そのとっかかりが、この『こうもり』の舞台であって欲しいと願っています。
取材・文=朝岡久美子
公演情報
ロザリンデ:エリー・ディーン