テノール歌手・福井敬×樋口達哉「プッチーニファンにこそ絶対見て欲しい」~東京二期会コンチェルタンテ・シリーズ『エドガール』インタビュー
(左から)福井敬、樋口達哉
2022年4月23日(土)・24日(日)、東京・渋谷のBunkamura オーチャードホールで〈二期会創立70周年記念公演〉東京二期会コンチェルタンテ・シリーズ、プッチーニ作曲オペラ『エドガール』が映像と照明を駆使したセミ・ステージ形式で上演される。「海外でもめったに聴けないオペラ」の上演というだけでも大いに期待が高まるが、イタリア・オペラ界の俊英 アンドレア・バッティストーニが指揮者として登場するのも大きな話題だ。タイトルロールのキャスティングの難しさゆえに上演機会が少ないとも言われるこの作品。その難役に挑む日本を代表する二人のテノール、福井敬と樋口達哉に作品の魅力を聞いた。
メインの肉料理が並んでいるような、全曲聴きどころ満載
ーー『エドガール』上演へのお二人の意気込みをお聞かせ下さい。
福井:『エドガール』はプッチーニにとって二作目の作品です。なので、全編を通して彼が若き日に抱いていた「こういう作品を創造したい」、「新しい世界を生みだしたい」というほとばしる情熱や気概にあふれています。音楽的な洗練度という意味では、その後に続く傑作に比べると荒削りな部分はありますが、作曲家自身が抱いた情熱を私たち演奏者がどれだけ理解し、また、自分自身でもその思いをどのように表現できるか、というところを目指して、日々稽古を重ねています。
福井敬
樋口:この作品からは、まさにプッチーニが実現したかった音楽というもののすべての要素がすでにあふれ出ているんです。実際に、その後に続く傑作オペラに出てくる旋律や雰囲気が感じられる箇所がたくさんあります。『トスカ』や『マノン・レスコー』に出てくる旋律にそっくりなものが現れたり、最後は『トゥーランドット』を思わせる箇所も多々出てきます。これからプッチーニが目指そうしているオペラの世界がすでに見事に凝縮されていて、その後の広がりをすでに予感させるという点でも大変面白い作品ですね。
もうひとつ興味深いのは、最初4幕版として作曲されたものが最終的に3幕版になったものですから、全曲を通してメインの肉料理が並んでいるように感じられるんです。そういう意味ではまさに聴きどころ満載で、特に僕たちが歌うエドガールに与えられている音楽は途轍もなくドラマティックです。
僕個人としては、どうやって“樋口色”に染めていけるかというのが課題ですね。稽古を重ねる中で、いかに声の道を確立しながら熱い音楽を指揮者と一緒に作り上げ、それを本番でいかに良いかたちで見せられるように持っていくかが、僕にとっての課題であり、目標です。
ーーお二人とも、もちろんエドガール役を歌われるのは初めてですね?
樋口:もちろんです。二期会では初演ですし、ヨーロッパでもほとんど上演されない演目ですからね。
福井:これを逃したら次回いつ聴けるかわからない、というくらい貴重な機会だと思います。
オペラ『エドガール』の難しさ
ーーこの作品が上演されない理由のひとつとして、初期の作品であること以外にも、タイトルロールのエドガールを歌えるテノールがなかなか見当たらないからとも言われますが、エドガール役を歌う難しさというのは具体的にどのような点にあるのでしょうか。
樋口:声に関しても、もちろん難しいと思いますが、僕自身は、むしろ今まで演じてきた多くのプッチーニの役とはまったく違うという意味で捉えどころのない難しさを感じています。特に役作りにおいて最も大切な言葉と音楽の流れの一致という点において、プッチーニの他の作品と比べるとかなりの違和感があり、「どうアプローチしたらいいんだろう?」と悩むこともあります。
もうひとつは、キャラクター的にも、もともと長大だった4幕版をより短く3幕に仕立て直したこともあって、本来の人間像が伝わっていなこともあるように感じています。なので性格的なことに関しても自分自身の中で補って作り上げていかなくてはいけない難しさがあり、その点でも取り組みがいがあります。今回はセミ・ステージ形式ですのでもちろん衣裳はないですし、視覚的な意味でも制限はありますが、演技という面ではオペラの舞台と変わらない動きもできますし、自分自身の中にある思いをどう全身で表現すべきか考えているところです。
樋口達哉
ーー福井さんはいかがでしょうか。
福井:エドガールという役は非常にドラマティックな声が要求され、キャスティングの難しさがあるのは確かです。でも、樋口さんも今、言葉について言及しましたが、その後にプッチーニがコンビを組んだ台本作家のイッリカ=ジャコーザが共同で執筆したものと比べるとなんというか、ゴツゴツとした印象があり、歌いやすさもまったく違います。
でも、そうした独特な言葉の流れにこそ、「“ヴェリズモ・オペラ”(※1)という新たなオペラの様式が、今ここに芽生えているんだぞ!」と思わせる魅力があると私は感じています。当時、流行していたヴェリズモ・オペラの影響を『エドガール』も受けており、同時期に生まれた『カヴァレリア・ルスティカーナ』や『道化師』と共通するようなドラマ性が魅力的なんですね。
そして、このオペラは各声種の役それぞれに素敵なアリアが用意されていますし、聴きどころはあらゆるところにあると思います。
樋口:確かに全キャストが “いいとこどり” みたいな構成になっているのはスゴいですよね。ソプラノ、メゾ・ソプラノ、テノール、バリトンとすべての声種の歌い手が聴かせどころ満載で、声楽を専門にやっている方々にもかなり興味を持って聴いて頂けるんじゃないでしょうか。
あと、このオペラはプッチーニ作品には珍しくメゾ・ソプラノが大活躍なんです。ティグラーナという役はストーリー的にも、音楽的にも重要な存在で、例えば最終幕で彼女は修道僧に扮した恋人エドガールから輝く宝石を見せつけられて、「(宝石をやるから)エドガールの悪行を述べよ」と、試されるように虚偽の証言を迫られるくだりがあるんです。ここなんか、欲望に囚われる彼女の表情の緊張感と嘘を語った瞬間の音楽の盛り上がりとの調和が見事で、まさにトゥーランドット姫が出てきそうなスゴい迫力なんです。
福井:確かに「人間の欲」に対してのプッチーニの目線はすでに迫りくるものがあります。まさに欲望を抉りだすような凄まじさですね。
樋口:もうひとつ、『エドガール』と言えば「あのバリトンのアリアだね」と言われるほどフランクが歌う一幕のアリア「Questo amor, vergogna mia(この恋を、俺の恥を)」が有名です。『エドガール』と言えば、このアリアしか知られていないくらいですからね(笑)。
福井:ソプラノが歌うフィデーリアのアリアを聴いていても、美しい旋律の中にもアジリタ(※2)もあって、ベルカント様式の軽やかさとはまた違う、新しいかたちの軽やかさを模索しているプッチーニの姿勢というのも感じられます。そのように一つひとつ新たな発見をしながら全曲を楽しんで頂けると、より世界が広がると思いますし、こちらとしても嬉しいですね。
樋口:そういう意味で、プッチーニ大好きな方々には、ぜひ聴いて頂きたいと思います。
(左から)福井敬、樋口達哉
指揮者・オーケストラ・歌い手が三位一体に
ーー今回はイタリア・オペラ界の俊英アンドレア・バッティストーニさんがこの作品を振るのも注目されます。
樋口:僕は東京二期会の公演ではすでに『蝶々夫人』で彼とご一緒し、コンサートでも何度か共演しています。もちろんイタリア人ですから、彼の指揮だと本当に歌いやすいです。ヴェリズモ・オペラのレパートリーもかなり手中に収めていると思いますが、とにかく熱い、熱い。驚くほどたっぷりと(オーケストラを)鳴らします。その分、歌い手の息づかいも完璧に理解してくれていますし、僕たちの発する言葉もつねに聞いてくれていますので、安心して歌っていられます。
福井:彼はヴェローナ出身で生まれながらのオペラ指揮者です。小さな頃からアレーナ・ディ・ヴェローナ(ヴェローナのオペラ野外劇場)を遊び場にしていたような人ですから、もちろんオペラを振る時はすべて暗譜で、つねに歌い手と一緒に歌っているんです。歌詞も全部把握していますし、どんなプロンプターよりも完璧です(笑)。それくらい彼の中にはイタリア・オペラが染みついている。
音楽的には、今、樋口さんも言っていた様に(オーケストラを)鳴らすということも果敢にやりますし、かと言って、ただ鳴らすだけではなく、叙情的なところは気持ちいいくらいたっぷりと歌わせ、軽い色調の旋律ではまったく違う息づかいで響かせますし、見事なまでのコントラストを描きだせるという意味でも本当に素晴らしい指揮者だと思います。
ーー今回、バッティストーニさんからは、音楽的にどのようなアドバイスがありましたか?
樋口:ネタバレになるかもしれませんが、実際に今回の上演では一幕の最後で「こうしてみよう!」と新たな提案がありました。歌い手にとって見せ場というか、見得を切るところを作ってくれているんです。確かに過去の録音をいくつか聴いてみると、そう歌っているライブ録音もあって「あ、よく考えているな」と思いました。他にも、より歌いやすいように言葉を上手く変えてくれたり、より効果的に聴かせるためにはどこでブレスをしたら良いかという指示も丁寧に与えてくれたりと、本当に歌い手をよく理解してくれているなと思います。
ーーバッティストーニさんならではですね。
樋口:東京フィルさんとマエストロの間の信頼関係というのも本当に見えてくるんですよね。
福井:そういう意味でも、今回の上演は指揮者・オーケストラ・歌い手が三位一体となって音楽を作る素晴らしさをより身近に感じて頂けるのではないでしょうか。普段はオーケストラ・ピットの中にいてあまり見えない指揮者とオーケストラが、今回はセミ・ステージ形式ですからステージ上にいてすべて見えるわけです。マエストロがオーケストラにどのような指示をするかというのも、見て、感じ取れるわけですから、さらに楽しみが増すと思います。
ーーそして、さらに合唱の素晴らしさも加わりますね。
樋口:この作品では特に合唱は重要な存在です。かなり複雑で難しいんじゃないかと思いますね。一幕のフィナーレのコンチェルタート(※3)なんかも本当に見せ場のひとつだと思います。
樋口達哉
福井:三幕の葬儀のシーンで演奏される「レクイエム」も素敵ですね。これは後にプッチーニが愛した曲で、彼の葬儀でも実際に演奏されたと言われています。
歌い手にとっての“ヴェリズモ”の魅力
ーー話は変わりますが、この公演の後、樋口さんはレオンカヴァッロの『道化師』、プッチーニの三部作から『外套』と、ヴェリズモ作品への出演が続きますね。
樋口:『エドガール』の後、6月に『道化師』があり、その後、8月に福岡で再びバッティストーニさんとの共演で『外套』を歌います。イタリアに留学している頃から「お前は、ヴェリスタだ。ヴェリズモを歌え」と言われ、僕自身もマリオ・デル・モナコに憧れ、日常的なテーマが題材であるドラマティックなオペラ、いわゆるヴェリズモのレパートリーですが、これを歌いたくて始めたものですから、喉に注意して頑張りたいと思います。
ーー福井さんはワーグナーの『パルジファル』の二つの異なるプロダクションに挟まれての『エドガール』出演ということですが、これは世界にも例を見ない超人的なスケジュールですね。
福井:3月にびわ湖ホールさんでコンサート形式の『パルジファル』を歌いまして、7月には東京二期会公演で宮本亞門さん演出による『パルジファル』を歌います。その間の『エドガール』です。
ーー音楽的にも世界観としても本当に対照的な二作品ですね。
福井:あちら(『パルジファル』)は聖杯と騎士をシンボルに、崇高な音楽を通して一貫して哲学的なメッセージを語り継ぐという作品で、こちら(『エドガール』)は底辺で生きている人間の欲望や生き様を描き出したものですから(笑)、まさに対照的です。でも、その二つの世界を一度に演じることできるんですから、やはり「オペラってすごいな」、「オペラ歌手というのは面白いし、幸せだな」と感じますね。
福井敬
ーー福井さんであっても、メンタルの切り替えはかなり難しいのではとお察ししますが……。
福井:いえ、むしろ僕の中では、「どちらがどうなの?」という思いがあるんです。と言いますのも、『エドガール』は、自分自身の感情に正直に生きている人たちの姿を描いた作品で、欲望や苦しみ、愛、憎しみなどの感情をストレートに表現している。一方、『パルジファル』は一見、舞台神聖劇という枠組みの中での神々しいストーリー展開に見えますが、実際は、生まれも知らない野生児のような愚者が、数々の遍歴を経て成長を遂げ、最後に王を救済し、聖杯を護る存在へと生まれ変わってゆくわけです。僕の中では、どちらのストーリーも人間そのものの姿に肉薄し、彼らを内包する世界の在りようをあからさまに描き出しているという意味で、どちらの作品も人間の真実に迫るものであると思うのです。
樋口:歌っていて、どちらが歌いやすいというのはありますか?
福井:いえ、僕の中では「素敵だな、面白いな」と興味を持てるものは、すべていいなと感じていますので、どちらというのは無いですね。
樋口:それが福井さんのスゴいところですね。
ーーでは、最後に読者にメッセージをお願いします。
福井:この機会を逃したら知ることができない、聴くことができない作品ですし、ぜひ会場にお越し頂けたらと思います。聴いて、体験したら、新しい音楽の世界が広がることは間違いないと思います。
樋口:『エドガール』という未知なる世界の音楽もぜひ楽しみにして頂きたいというのも、もちろんありますが、オペラに初めて触れるという方もいらっしゃると思いますので、東京文化会館でもなく、新国立劇場でもなく、Bunkamuraオーチャードホールで感じるオペラ体験というものも、ぜひ楽しんで頂ければと思います。
そして、今回は二期会創立70周年記念の演目の一環ということですが、今後も二期会の公演は次々と予定されていますので、まずはこの作品をきっかけに、次々とオペラの楽しみを発見して頂けたらいいなと思っています。我々も皆様にそう思って頂けることを使命として感じていますし、ぜひ聴衆の皆さまにもそのような思いで今回の公演を楽しんで頂けたらと思っています。
(左から)福井敬、樋口達哉
(※1)ヴェリズモ・オペラ:19世紀末から20世紀初頭にかけてのイタリア・オペラの新しい潮流・様式。同時代にイタリアで地位を得たヴェリズモ文学に影響を受けており、市井の人々の日常生活に基づいた題材を基にストーリーが展開する。音楽的には声楽的な技巧を廃し、直接的な感情表現に重きが置かれ、感情表現を助長する重厚なオーケストレーションを駆使することを音楽的な特徴と言える。
(※2)アジリタ:細かく速いパッセージにおいて、敏捷に声を転がすように正確にリズムや音程を刻む歌唱技法。
(※3)コンチェルタート:オペラの一幕の幕切れなどで、合唱によって大規模に演奏される劇的な曲。敵味方双方が互いに激昂しながら一つの旋律を歌い合う例などが多い。
※写真撮影時のみ、マスクを外しています。
取材・文=朝岡久美子 撮影=池上夢貢
公演情報
ジャコモ・プッチーニ 『エドガール』
会場:Bunkamura オーチャードホール
開場は開演の60分前
上演時間:約2時間(休憩を含む)
S席¥10,000- A席¥9,000- B席¥6,000- C席¥4,000-[売切] 学生席¥2,000-
※学生席のご予約は二期会センターのみの取扱い
合唱:二期会合唱団 管弦楽:東京フィルハーモニー交響楽団
エドガール 福井 敬
グァルティエーロ 北川辰彦
フランク 清水勇磨
フィデーリア 髙橋絵理
ティグラーナ 中島郁子
エドガール 樋口達哉
グァルティエーロ 清水宏樹
フランク 杉浦隆大
フィデーリア 大山亜紀子
ティグラーナ 成田伊美