浅利演出事務所『ミュージカル李香蘭』観劇レビュー~俳優たちの真摯なまなざしが物語に熱を生む
浅利演出事務所・ミュージカル『李香蘭』(撮影:友澤綾乃)
『ミュージカル李香蘭』(浅利演出事務所主催)が自由劇場にて上演中だ(2022年5月8日・千秋楽)。1920年代から終戦まで、激動の時代を生きた女性の半生を軸に日中の歴史を描く本作は、初演以来、多くの観客に”過去”と”未来”に向き合う時間をもたらしてくれた。
ここでは2022年版公演のレビューとともに、この作品ががわたしたちに送り続けるメッセージについて考えてみたい。
おもな舞台は1920年代から終戦までの中国。日本人家庭・山口家に生まれた淑子は、13歳の時に父の盟友・李将軍から中国名「李香蘭」の名前をもらい、のちにその美貌と歌声で満州国映画協会(満映)から中国人俳優としてデビュー。日中両国で大人気を博すが、日本軍の宣伝に利用された彼女は、終戦後、中国で祖国反逆者の罪で軍事裁判にかけられてしまうーー。
オーバーチュアとともに紗幕に映し出される満州(当時の日本での呼称)の大地。沈む夕日をバックに、牛だろうか……動物を連れた農夫の姿も見える。最初は明るく楽し気な音楽が流れているのだが、次第に不安な旋律に変わっていくさまは開戦直前の日中の関係を象徴しているようだ。
まず登場するのは本作の狂言回し・川島芳子(坂本里咲)。李香蘭とは逆に、中国人として生まれ、のちに日本人の養子になって日本名を与えられた男装の麗人である。彼女の歌による語りで終戦直後から歴史の時計が巻き戻されていく。
浅利演出事務所・ミュージカル『李香蘭』(撮影:友澤綾乃)
1991年、青山劇場での初演以来、李香蘭役・オリジナルキャストとして舞台に立ち続ける野村玲子。ことミュージカルにおいて、俳優が30年に渡りひとつの役と向き合い続けるのは稀有なことだ。凛とした言葉のひとつひとつに魂が込められている様子や、映画俳優として目の前の仕事を精一杯こなしたことが結果的に軍部に利用されてしまった事態への悔い、幼少時から姉妹のように育った李愛蓮(樋口麻美)や、ほのかな初恋の相手・杉本(近藤真行)への複雑な想いの表出など、役を生きるとはこういうことなのだとあらためて実感した。
浅利演出事務所・ミュージカル『李香蘭』(撮影:友澤綾乃)
また、今回特に注目してほしいのが下は17歳から、上は超ベテランまでが揃ったアンサンブルの活躍。長きに渡って本作に関わっている俳優もいれば、日本がかつて戦争をしていたことなどまったくリアルに感じられない世代もいる。そんな彼らすべての言葉ひとつひとつ、佇まいの一挙手一投足に嘘がない。これは長期間に渡り台本と実直に向き合い、時には資料館などに足を運び、当事者から話を聞いた蓄積があるからだろう。
若手から中堅で言えば、やはり「わだつみ」のシーンは胸が詰まる。実際に戦地で兵隊として散っていった先人たちが遺した”本当の言葉”。これを演技として語るのは相当のことだと思う。さらにそこに現実の屍(かばね)や戦争の様子を映したフィルムも流されるわけだから、生半可な気持ちでは舞台に立てない。リアルと演技とのせめぎ合いの中で、感情過多にならず言葉を紡ぐ俳優たちのまなざしは非常に真摯だ。
浅利演出事務所・ミュージカル『李香蘭』(撮影:友澤綾乃)
ベテラン勢は大島宇三郎を中心とした日本軍部のメンバーが存在感を放つ。ただ強権的な悪ではなく、時に相手を懐柔し、時に彼らなりに日本の未来を考える造形が作品に深みを与えていた。身体の下半分に重心があるスタイルや立ち姿も当時の軍人らしい。
初演からこの『ミュージカル李香蘭』を折に触れ観続けてきて、2022年の今、あらためて思うのが複数の視点で書かれた作品だということ。日本の軍閥への批判は劇中で描かれているものの、善と悪とが単純な構図になっていないところに本作を生み出した故・浅利慶太氏の強い意志を感じた。
浅利演出事務所・ミュージカル『李香蘭』(撮影:友澤綾乃)
それはシーンの構成を見ていても同じくで、『ミュージカル李香蘭』では歴史の”表”と”裏”が同時に展開する。たとえば、満州国の建国という一見明るく平和的にも見えるシーンの裏では撫順での爆破と村民への銃殺事件が起きているし、香蘭が映画スターとして華やかな場に立つ裏では愛蓮や玉林(高橋伊久麿)たちが抗日運動を続けている。戦後、抑圧されていた中国の人々が自由になる一方、日本人への犯罪行為も描かれる。
浅利演出事務所・ミュージカル『李香蘭』(撮影:友澤綾乃)
今回、自由劇場の客席に座っていて、ミュージカル作品でありながら、上質で濃密なストレートプレイを観ているような不思議な感覚もあった。もちろん、ミュージカル作品である以上、音楽の力は大きいのだが、俳優たちがメロディに頼り過ぎず、せりふや歌詞に書かれた言葉を自身の中に落とし込み、それをきっちり理解した上で表現していたからだろう。
2022年の今、戦争は遠い昔の話ではなくなった。テレビをつければ毎日悲惨な状況が映し出され、爆撃を受けた街の様子や傷ついて倒れた人々の姿が目に入る……何とも言えない気持ちになって、時にはその現実から目を逸らしてしまう。この作品で描かれる”過去”を見つめ、それをどうしたら”未来”に繋げていけるのか……2022年版の『ミュージカル李香蘭』に触れ、激動の昭和を生き抜いた先人たちから静かに、しかし強く「あなたはどう生きるのか」と問いかけられているような気がした。
取材・文=上村由紀子(演劇ライター)