椎名慶治と永谷喬夫、敢えてSURFACE名義とは別の活動を選んだ2人の真意に迫る
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椎名慶治と永谷喬夫
椎名慶治と永谷喬夫は、SURFACEのボーカリスト椎名慶治と同じくSURFACEの永谷喬夫が、SURFACE としての活動とは別に支えてくれるファンに少しでも音楽を届けようという思いから誕生したユニットである。2人でSURFACEでありながら、このタイミングで敢えて別名義での活動を選んだ2人に、活動に至った経緯その真意に迫る。
――椎名慶治と永谷喬夫のデジタル・ミニアルバム『DOUBLE or NOTHING』が9月1日にリリース。9月10日には、東京・神田明神ホールでライブも予定されていますが。まず、お二人でSURFACEとは別名義の活動をすることになった経緯を聞かせて下さい。
椎名:もともと、「椎名慶治と永谷喬夫名義でプロジェクトを動かそう」と始まったものではなくて。コロナ禍になって、人と人とが交流しづらくなった中で、少しでも音楽を聴いて楽しめる瞬間が出来ないものかな?と思って。僕が一人で曲を作って、歌詞を書いて、手ぶらでスタジオに行って、アカペラで音を重ねて曲を作ったんです。
――それが「頭の中の3LDKライブ」の原曲になるんですよね?
椎名:そうです。それで作ってみたら面白かったんですけど、「これをどうするかな?」と思った時、「音源のデータを永谷に聴かせて、オーバーダブしてもらったら、ひとつの作品になるんじゃないか?」と思って、永谷に聴いてもらって。出来上がった曲をどう発表するかを会社と相談しながら、作品作りを進めました。
――最初はグッズ購入者へのプレゼントとして、CDを作ったんですよね?
椎名:はい。ただ僕ら、SURFACEの契約があるので、「新曲を作ったから、CDを作ってグッズ買った人にプレゼントしたいと言われても、会社的にはNGです」と言われてしまって。「他の方法はあるんですか?」と聞いたら、「別名義であれば……」ということだったので、「だったら、まんまで“椎名慶治と永谷喬夫”名義でやろう」という流れでした。
――2020年春、新型コロナが流行する直前は、SURFACEとして新曲制作を進めていて。その最中にコロナ禍になって、身動きが取れない状態になったとSNSで書いてましたが。「頭の中の3LDKライフ」を作り始めた時の世の情勢だったり、その時の心境は覚えてますか?
椎名:あの時はまだ楽観的に考えていて、「半年もすれば、この状況も乗り越えられるだろう」と思ってました。だから、それまでの繋ぎとして、新曲でも作ろうくらいの考えで。あれから2年以上経った現在もマスクをしてる状態になるなんて、予想も付かなかったです。
永谷:誰もがそうですけど、ああいう状況が初めてだったので。僕は理解するまでにすごく時間がかかったし、変に考え込んでしまって。心身ともに調子悪くなってました。
椎名:永谷は結構、顕著でしたね。ライブが中止になったりするたび、どんどんモチベが下がっていくのが分かって。僕は「当然そうなるよな」と思って見てたし、だからこそ、「音楽は止めないぞ!」と思って、無理やり付き合わせたところがスタートですね。それでアカペラだけのデモを渡したら、戻ってきたアレンジがすごく良くて。「こんな感じで帰ってくるんだ!」と思って驚いたし、永谷の発想力やセンスに改めて脱帽しました。
永谷:僕はデモを聴いて、曲が持ってるパワーがすごいなと思ったし、面白いなと思ったし。「こうしたら良いんじゃないか?」ってアイデアが、自然と色々出てきたんです。
椎名慶治
――椎名さんは「頭の中の3LDKライフ 制作秘話」をTwitterで綴ってましたが、「とにかく、なにかを作ろう!」という衝動的な気持ちや、一人でデモを作り上げてしまう行動力に驚きましたし。その時の心の動きに、音楽を作る上での原点的なものさえ感じました。
椎名:あの時は衝動的な気持ちもあったんですけど、切羽詰まって必死でやってたというよりは、「楽しまなきゃダメだ!」と何度も自分に言い聞かせてやってました。だからSURFACEとは差別化して、聴いた人が「なんて歌詞なんだ!?」って驚くような歌詞にしたいと思って書いていました。
――永谷さんはコロナ禍で色々が奪われた時、音楽に救いを求めた部分はあった?
永谷:僕は音楽より、お酒に救いを求めてました(笑)。劇伴の仕事とかはあったので、「納期があって辛いな」と思いながらやって、それが終わったら家で一人で呑んで、泥酔するみたいな。やっぱり現実逃避したくなっちゃうし、人のライブの映像とか見てても悲しくなってしまったり、人と会う機会が無くなって、情緒不安定だったと思うし。曲を作るにしても、「何を作ればいいんだろう!?」と全く分からない感じだったので、椎名くんから曲が来た時はすごく救われました。曲が出来た後は「配信ライブとかやろうよ」と言われて、「ああ、世の中はこういう風に変化していくんだな」と思いながら、だんだん諦めの気持ちが生まれてきて。「だったら、いまの状況で出来ることをやろう」って気持ちにもなれたんです。
椎名:永谷は落ち込むのも早かったけど、立ち直るのも早かったよね(笑)。
――椎名さんは配信ライブにも対応したり、常にやれることを見つけていた印象です。
椎名:いろいろやりましたね。自分の音源を使ってカラオケで配信ライブをやったり、その状況で出来ることを考えてやるのは面白かったですし、やはり「楽しまなきゃ!」という気持ちがすごくありました。いまもコロナが収まってるわけじゃないし、コロナが長く続いて負のパワーがすごいんで。「楽しまなきゃ」と思い続けないとモチベが保てないし、すぐに挫折しそうになっちゃうんです。「どこに向かって曲を作ってるの? 誰が聴いてくれるの?」とか思い始めたら、どんどん不安になっていくんで。そこに打ち勝つためには、「楽しまなきゃ!」って思いをぶつけていくしかなくて、いまもそれを続けています。
永谷喬夫
――そんな気持ちから、いつものSURFACEとは明らかに違う作り方で、「頭の中の3LDKライフ」を完成させるわけですが。SURFACEで曲作りをする時との気持ちの違いは?
永谷:最初に「頭の中の3DLKライフ」のデモを椎名くんから渡されて、作業を始めて。いつもと違うなと思ったのは、これが結果、SURFACEの曲になるという感覚でなく。椎名くんのソロ曲を1曲任されて、僕が好きにアレンジするという感覚で作ることが出来て、変に身構えることなく楽しく出来たんです。その感じは自分でもビックリしたし、「そう思わない?」って椎名くんに聞いたら、「俺も思う」って。
椎名:やっぱりSURFACEって看板を24年間掲げてきて、SURFACE名義だと、出すなら結果が伴わなくてはいけないんですが。椎名慶治と永谷喬夫は売れる売れないで作っていないので、気持ちは楽でしたね。それを永谷も感じて、楽しいと思ってくれるんだったら、すごくいいなと思ってました。
――時系列だと、「頭の中の3LDKライフ」の次に出来た曲というと?
椎名:「イッツマイライフ」と「手を伸ばせ」の2曲で、その後が「AHAHA」です。「頭の中の3LDKライフ」は、僕の頭の中にぽっと湧いたものだったんですが。「イッツマイライフ」と「手を伸ばせ」は、永谷と「せーの」で作り始めた曲で。そうなった時に何が起きるかというと、面白いことにSURFACEらしさが出てくるんです(笑)。なので、「2人で作ると、やっぱりこうなるね!」なんて言いながら、それはそれで面白がって作って。「だったら、SURFACEのあの曲をオマージュしてみようか?」とか、また違った楽しみもありながら、作り進めることが出来ました。
――「イッツマイライフ」なんて、SURFACEよりSURFACEらしいくらいです(笑)。
椎名:ホントそうですね(笑)。それはこの二人で作るから、どうしようもなくて。「またこういうの作っちゃったね」というのが、イヤでもあれば嬉しくもある。だから、「別名義でやっても、この二人が組むとこうなるよ」という答えが出せたし、ライブでやった時、ファンの反応が良いのも感じたので。それは次への自信にも繋がりましたね。