山田うん×ヲノサトルが対談~テリー・ライリーの代表曲にダンスで挑む Co.山田うん『In C』をめぐって
(左から)山田うん ヲノサトル
2002年に設立されたCo.山田うんは、山田うん率いるダンスカンパニー。多彩なバックグラウンドを持つダンサーたちが所属し、国内外で新旧作品を上演し、異分野とのコラボレーションなどにも精力的だ。2022年10月21日(金)~23日(日)には、新作『In C』をKAAT神奈川芸術劇場大スタジオで上演する。現代を代表する巨匠作曲家テリー・ライリーの『In C.』をテーマにした話題作をめぐって、振付・演出・美術の山田うん、作曲・音楽のヲノサトルに話を聞いた。
■山田うん×ヲノサトル、コラボレーションの軌跡
――お二方はCo.山田うんの『十三夜』(2014年)で初めてタッグを組みました。その後『モナカ』(2015年)、『いきのね』(2016年)、『NIPPON・CHA!CHA!CHA!』(2020年)、『オバケッタ』(2021年)とCo.山田うんでのコラボレーションが続きます。出会った経緯は?
ヲノサトル(以下、ヲノ):最初に声をかけてくださったのはうんさんです。
山田うん(以下、山田):ヲノさんの音楽が好きでした。
ヲノ:リスナーとして?
山田:はい。幅が不思議だったんですよね。エンターテインメントというかポップスというか日常にあふれているような音もあれば、ストイックな音もある。私はそのストイックな音も好きで、ピコピコした感じの明るい音と怖い感じの音のどちらも響いて。
ヲノ:もともとクラシックと現代音楽の勉強をしていたんですね。その後、商業音楽、映像音楽をやって、ポップスも作ったりしてきました。その全部が好きという振り幅が合ったと思うんです。Co.山田うんには、最初の『十三夜』それに同時上演の『ワン◆ピース』改訂版(男性版)以来声がかかるたびに喜んで参加させていただいています。そのたびに前回とは全然違うものを創ろうと実験してきました。Co.山田うんの舞台に関しては生演奏もありますが、僕は録音したものの担当。「録音でできることは何か」を考えます。ライブではないけれど、生の身体と出会ったときに生まれる完成度の高さを毎回目指すことを意識していますね。
『十三夜』 撮影:羽鳥直志
――創作の手順はどのように?
ヲノ:それがおもしろいんです。稽古場で創る途中の動きを動画撮影して持ち帰って、そこにあたる音楽を考える。それを持っていくと振付が変わるみたいなことをえんえんとやってだんだん詰めていく。洋服の仮縫いをしていって、少しずつ体にあわせていくみたいな協同作業です。
山田:ダンサーって、音楽にのって踊りたいと思うものですけれども、私は作品を創るときに体とか衣裳とか空間とか音楽が、それぞれ自立しているべきだと考えます。なので、ヲノさんの音楽が早くでき上ってきても、ダンサーたちに聴かせることはあまりないんですね。
ヲノ:わざと?
山田:はい。それまでは同じテンポだけど別のデモテープだったり、全然装飾のないカウントだけの曲だったり、後は全然違う既存の曲を使って練習します。
ヲノ:大変なのはダンサーですよね。でもCo.山田うんのダンサーは、本番直前に何が変わっても、全く動じないんですね。音響さんや照明さんも含めて、このカンパニーはそういうのを楽しんでいるフシがある(笑)。
『モナカ』 撮影:羽鳥直志
――うんさんにうかがいます。ヲノさんの音楽を得て、ご自身の世界が広がった、深まったというあたりは、どのような点から感じますか?
山田:最初の『十三夜』『ワン◆ピース』改訂版(男性版)の後に『モナカ』に挑戦したときに手ごたえを感じました。『モナカ』もクラシックをベースにした音楽づくりが背景にあるんですけれども、エンドレスにアイデアが浮かんできます。
ヲノ:うんさんは余り否定しないんですよ。「これでいきましょう!」というと「いいね!」、「あれでいきましょう!」というと「いいね!」となる。ダンサーに対してもそうで、そこにある情報をピックアップしていくタイプだなと思っているんですけれどね。
山田:集団性というのは全部をコントロールできない部分もあるんです。びっくりするような面白いことと、上手くいかないことが起こるんですね。それは全部計算外とも計算内ともいえるんですよ。全部構成されたものが美しい群舞ではなくて、何かそこにザラザラしたものとか、突き抜けてくるもの、予兆みたいなものをはらんでいる感じがあるんですね。常に危うい、次を破って出てきそうな、そういう群舞を創りたい。ヲノさんの音楽の幅とか深さは、圧倒的に群舞を支えてくれるし、引き出してくれているんですね。
ヲノ:群舞とか集団という話は、今回の『In C』につながります。稽古のときに思ったんですが「立ってみて!」といわれると、皆モデルさんみたいにカッコいいんですよ。でも「バランスを崩して!」といわれる。バランスよく立っているのはよくないという美学が、動きに関してもあります。自然というのは不自然な、みたいな。
山田:作品は観る人の鏡みたいなものです。人って残酷なところと、あっけらかんとしたところの両方を持っていて、ごちゃごちゃしたものなんです。個であっても、集団であっても、混沌としている。ダンサーたちが自分自身の鏡に見える。今回12人出ますが、その誰かが自分っぽいというのではなくて、その12人の何かが自分に重なるとか鏡のように見えたら面白いと思います。きれいに削ぎ落すというよりも、いかにごつごつしたまま魅せるかを考えますね。
>(次は)いま『In C.』に挑む理由とは?