【訃報】 歌舞伎俳優 二代目 市川猿翁さん 享年83

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2023.9.15
市川猿翁さん ⓒ松竹(無断転載禁止)

市川猿翁さん ⓒ松竹(無断転載禁止)

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歌舞伎俳優の二代目市川猿翁さんが2023年9月13日(水)午前6時55分、不整脈のため東京都内で死去した。享年83。

市川猿翁さんは、昭和14年(1939年)12月9日、三代目市川段四郎の長男として生まれる。東京都出身。本名、喜熨斗政彦(きのしまさひこ)。

昭和22年(1947年)1月 東京劇場『二人三番 叟』の附千歳で三代目市川團子を名のり初舞台。昭和38年(1963年)5月 歌舞伎座『吉野山』の忠信、『黒塚』の鬼女などで三代目市川猿之助を襲名。平成24年(2012年)6月新橋演舞場『口上』、7月新橋演舞場『楼門五三桐』の真柴久吉で二代目市川猿翁を襲名。

『黒塚』老女岩手実は安達原鬼女(2001年2月大阪松竹座) ⓒ松竹(無断転載禁止)

『黒塚』老女岩手実は安達原鬼女(2001年2月大阪松竹座) ⓒ松竹(無断転載禁止)

昭和43年(1968年)4月国立劇場『義経千本桜 川連法眼館』で、狐忠信の宙乗りに挑み、ケレンの芸の復活は大きな話題を呼んだ。以後、宙乗りを数々の作品に取り入れ、5000回を超える偉業はギネスブックにも登録されている。

『義経千本桜 川連法眼館』佐藤忠信実は源九郎狐(1998年7月歌舞伎座) ⓒ松竹(無断転載禁止)

『義経千本桜 川連法眼館』佐藤忠信実は源九郎狐(1998年7月歌舞伎座) ⓒ松竹(無断転載禁止)

『加賀見山再岩藤』、『伊達の十役』、『當世流小栗判官』、『獨道中五十三驛』などをはじめとする復活通し狂言、古典の新演出、新作の創造に意欲的に取り組んだ。「スピード」「ストーリー」「スペクタクル」の3Sを重視して、 現代に生きる歌舞伎を探求する姿勢は、昭和61年(1986年)スーパー歌舞伎『ヤマトタケル』に結実。『オグリ』、『新・三国志』シリーズなど数多くの作品を創り上げた。活躍の場は国内に留まらず、海外においての歌舞伎公演またオペラの演出にも及ぶ。昭和39年(1964年)に「猿翁十種」、昭和50年(1975年)に「澤瀉十種」(※「澤瀉」の「瀉」のつくりは、正しくは“わかんむり”)、昭和63年(1988年)に「猿之助十八番」を家の芸として制定。平成22年(2010年)にはこれまでの創造活動をふまえて、新たに「猿之助四十八撰」を制定した。

『ヤマトタケル』小碓命後にヤマトタケル/大碓命(1998年9月大阪松竹座) ⓒ松竹(無断転載禁止)

『ヤマトタケル』小碓命後にヤマトタケル/大碓命(1998年9月大阪松竹座) ⓒ松竹(無断転載禁止)

最後の舞台は平成25年(2013年)12月南座『襲名披露口上』。 昭和51(1976)年度芸術選奨新人賞、昭和62(1987)年フランス文化芸術勲章オフィシエ、平成元年(1989年)芸術選奨文部大臣賞、平成6年(1994年)外務大臣表彰、平成12年(2000年)紫綬褒章、平成22年(2010年)文化功労者。

『黒塚』老女岩手実は安達原鬼女(1995年7月歌舞伎座) ⓒ松竹(無断転載禁止)

『黒塚』老女岩手実は安達原鬼女(1995年7月歌舞伎座) ⓒ松竹(無断転載禁止)

長男の市川中車丈、孫の市川團子丈のコメントは次のとおり

■九代目 市川中車 コメント

9月13日、父、二代目市川猿翁が天命を全う致しました。
長く険しく、それでも「夢」に邁進した歌舞伎俳優人生でした。
一生涯をかけて、新たな道を切り開き、如何なる時も、天翔ける心を持って、成し遂げた俳優だったと思います。
多くの人々に愛され、自らの歌舞伎道を全う出来たことは、本当に幸せなことだったと思います。
皆様、これまで父を愛してくださいましたこと、誠にありがとうございました。
心より厚く御礼申し上げます。

九代目 市川中車 ⓒ松竹(無断転載禁止)

九代目 市川中車 ⓒ松竹(無断転載禁止)

■五代目 市川團子 コメント

私にとって祖父は偉大なる存在で、目指すべき目標でした。
まだまだ教えてほしいことがたくさんありましたが、とても残念でなりません。
この先は、祖父が大切にしていた「天翔ける心」「夢見る力」を忘れずに、精進して参りたいと思います。
今後ともご指導ご鞭撻のほどお願い申し上げます。

五代目 市川團子 ⓒ松竹(無断転載禁止)

五代目 市川團子 ⓒ松竹(無断転載禁止)


謹んでお悔やみ申し上げます。(SPICE編集部)

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