【レポート】野田秀樹 日本記者クラブで会見~夢の「国際芸術祭」構想に向けての第一歩を踏み出す
劇作家・演出家・役者であり、「NODA・MAP」を主宰する野田秀樹が、2023年9月27日に日本記者クラブで会見を行い、文化芸術が「不要不急」とされたコロナ禍での経験、この間の自身の公演活動を通じ見えてきた日本の文化政策の課題、そして自身にとって夢の一つである「国際芸術祭」構想などについて語った。
野田は先ず、コロナ禍の始まりに舞台芸術が「不要不急」とされたことについて、「忘れもしない2020年2月26日、我々は2.26事件と呼んでいる」と振り返った。文部科学大臣から劇場や学校などへ自粛要請が出されたことを受けて、野田は3月1日に自身の公式ホームページで劇場での公演継続を望む意見表明を行った。「演劇で生きている人間にとっては、自分たちの生活そのもの、人生そのものであって、もちろん不要不急ではない」という思いを抱き、「飲食店などに対しても根拠なく自粛要請が進められていることと、文化芸術関連のものがあっさりと不要不急と言われるところにこの国における文化芸術に対する人々の思いの在り方を感じたことで、半分憤りのようなものを抱いた」と当時の心境を振り返った。
自身のロンドン留学時代(1992~93年)のことにも触れ、「文化が共同体の礎であり、それが崩れてしまうと共同体自体が危ういものになる。留学当時のイギリスは経済状態が悪かったが、彼らには自国の文化に対するプライドがあったことで踏ん張り切れた印象を受けた。日本は特に、今すぐ役に立つもの、目に見えて役に立つものが重んじられる傾向があり、例えば文化のように目に見える成果の出ないものに対してお金を出すことを含めてリスペクトが下がっている。今のままではいつの間にか足元をすくわれてしまうのではないか」という危機感を、不要不急と言われていたときに感じていたと述べた。
一方で「演劇の世界を見たときに、不要不急と言われても仕方のない状況も少し感じた」と告白。野田自身は「40年間演劇だけで食べてきて見せたという自負がある」が、最近の演劇人は演劇だけで食べていくということ、また自分たちでお金を生み出していくということへの意識が薄いと感じたという。そんな中、公演の中止延期が相次いだ舞台芸術界の損害の実態を把握するための調査を機に、プロデューサー・製作者・公共劇場等が一堂に会して緊急事態舞台芸術ネットワークが形成され、感染症対策ガイドラインの作成や経済支援などに取り組んだ。同ネットワークに理事として携わった野田は「劇場の仕組みが世間にはまったく理解されていないと感じた。何か行動を起こさなければ舞台芸術は捨てられてしまう。大変ではあったが、コロナを契機にネットワークで横の繋がりができたという、良い結果も生まれた」と危機感を募らせた当時の状況も含めて思いを語った。
海外の状況との比較を尋ねられた野田は「3日前にロンドンから帰国したが、ロンドンの劇場・客席はコロナ前に完全に戻っていると感じた。日本では、劇場に来ている人の心にまだ蓋がされているような感じがする」と印象を述べた。コロナ禍以降の公演について、「僕は2020年7月に、東京芸術劇場プロデュース公演『赤鬼』という作品で再開した。そのときは僕たちもおっかなびっくりで、劇場に来る人たちもおっかなびっくりだったが、見終えて帰って行くお客さんの顔が全然違った。劇場には顔の表情を変える力があるなとすごく感じた」と当時の様子を振り返った。
野田が「演劇的な最後の夢の一つ」とする「国際芸術祭」構想について聞かれると、「コロナ禍以前から、東京にもいくつか芸術祭はあるが、規模が小さくクオリティも今一つと感じていた。もっと規模を大きくして世間に認められるような、エディンバラ国際芸術祭のようなものが東京にできたらいいのにな、という夢を持っていた。スポーツのワールドカップのような盛り上がりが、芸術の中にあってもいいはずだと強く思う。政府だけでなく東京都や民間にも呼び掛けたい」と述べた。野田自身は、1987年に劇団夢の遊眠社としてエディンバラ国際芸術祭に招聘され参加している。当時の写真をスライド投影で紹介しながら「こういう賑わいが東京で定期的に行われれば、二度と不要不急と言われることもない気がする」と語った。
質疑応答にて、国際芸術祭に向けた現状について問われると、「夢からちょっと進んだぐらい。これからどうやってお金を集める作業をしていくか、どういうステップを踏んでいけばいいのか、フェスティバルを熟知している人たちと会って話を聞こうと思っている段階」と述べた。頭の中にあるイメージについては「現在組み立てているところ。プラットフォーム的な場所を上野公園のあたりに作れたいいのでは、ということを少し考えている。東京は芸術祭をするにはあまりにも広すぎる。祭りは気配なので「来るぞ」「終わったぞ」という気配が街に漂うような演出が必要だろうと思っているので、小さな拠点がかなりの数必要ではないか、ということも考えている」と述べた。
最後に、記者会見に臨む前に野田が書いたサインが披露された。
「余韻」と記したことについて野田は「演劇をやっていると、終わった後のお客さんの余韻、終演後の劇場内だけではなく、劇場を後にしたお客さんの中に残るものも含めて、余韻というのが自分の中で大事だなと思っている」と解説した。
野田が構想する国際芸術祭は、まだどのような形になるのか具体的なものは見えない段階ではあるが、野田の目指す方向性が伝わってくる会見だった。コロナ禍は失うものの多い期間ではあったが、その中においても緊急事態舞台芸術ネットワークの形成などにより生まれた横の繋がりや、世間に理解がされていない舞台芸術の現状と向き合ったことが、今後において大きなカギを握ると感じられた。野田の抱く「演劇的な最後の夢」が、未来の舞台芸術への希望となるような開花を見せてくれることに期待したい。
取材・文・撮影=久田絢子