《連載》もっと文楽!〜文楽技芸員インタビュー〜Vol. 6 吉田玉延(文楽人形遣い)×吉田玉征(文楽人形遣い)
(左から)吉田玉延、吉田玉征
2023年10月、惜しまれつつ閉場した初代国立劇場。思い出の詰まった小劇場のロビーでポーズを取ってくれたのは、人形遣いの吉田玉延(33)と吉田玉征(34)だ。中学・高校の同級生でもある二人は、国立劇場養成所で学び、初舞台を踏んでから10年前後。新たな文楽研修生の応募も待たれる今だからこそ、希望を胸に文楽の修業に邁進する若手の声をお届けする。
中高の同級生として
ともに文楽とは全く縁のない家庭に育った、玉延さんと玉征さん。東京都練馬区出身の玉延さんは身体を動かすのが苦手で、将来は小説家か出版関係の仕事に就けたらいいなと思いながら、のびのび育ったという。千葉県松戸市出身の玉征さんは、大好きなゲームを禁止する両親との間で「買っては捨てられ、こっそり買ってはまた捨てられる」という攻防を繰り広げていたそう。そんな彼らは文京区にある中高一貫校、獨協中学・高等学校で出会った。
玉征:中学1年の時だけ同じクラスだったんです。名字が齋藤(玉延)と佐藤(玉征)なので席も近くて仲良くなって。
玉延:二人ともだいたい赤点の補修で一緒だったし(笑)。
玉征:それで「こいつら一緒にしたらいかん」と思われたのか(笑)、その後は一度も同じにならなかったんです。でも、(玉延は)首席で入っているんですよ。
玉延:首席かどうかはわからないのですが、入学式では新入生総代でした。国語だけは昔からできたので、そのせいかもしれません。
部活動は、玉延さんは演劇部、玉征さんはアーチェリー部。2年生以降は別々のクラスだった上に、玉征さんは高校2年で転校することに。
玉征:ちょっと成績が悪くて……。次に入った学校では心を入れ替えて勉強し、何とか盛り返したんですけど。
玉延:その後も連絡していたのは獨協の中で僕くらいだったのですが、普通に千葉の学校にいたのに最初、嘘をつかれたんですよ、「三重にいるからなかなか会えない」って。「三重ってどんな感じなの?」と聞くと「自然豊かだから鳥の声がする」なんて言うんです(笑)。
玉征:リセット症候群じゃないですけど、全て断ち切りたかったんです。なのに、何故かバレました(笑)。
玉延:そんなわけで、学校が変わってからも頻繁に会っていましたね。
獨協中学・高等学校の2005年のポスターに登場! 中央の友人を挟んで、左が玉征さん、右が玉延さん。 提供:吉田玉延
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