石田泰尚と﨑谷直人によるユニット「ドス・デル・フィドル」×妹尾武、珠玉のJ-POPで会場を魅了【レポート】
石田泰尚と﨑谷直人、二人のスーパー・ヴァイオリニストが新たなエンターテインメントを展開する最強ユニット、「DOS DEL FIDDLES(ドス・デル・フィドル)」。硬派なビジュアルと優雅で繊細な音色、情熱的な演奏で絶大な人気を誇る二人が、作曲家・作詞家・ピアニストとして活躍する妹尾武を迎え、日本が誇る珠玉の名曲を集めた公演『J-POP セレクション』を開催。2025年3月2日(日)、紀尾井ホールで行われた東京公演をレポートする。
早々にが完売したこの日の公演、『J-POPセレクション』と銘打っているが、第1部は「クライスラーセレクション」だ。ラヴェルの生誕150年で注目される2025年は、クライスラーの生誕150年にもあたり、ヴァイオリニストにとって大きな年なのだろう。
まずは、﨑谷と妹尾の二人が舞台に現れ、「プニャーニの様式による前奏曲とアレグロ」で幕が上がる。例の「ミシミシ」の旋律が始まると、一音ごとにぐいぐいと聴衆を一点に引きこんでいく。漲る緊張感が会場の集中力を高め、アレグロは気高く荘厳な響き。ピカルディの3度で光が差した瞬間、解き放たれた気持ちになる。
ここで、真っ赤な花の柄を大きくあしらった黒いシャツ、ゆったりしたボトムスという出立ちの石田が登場し、「愛の悲しみ」を弾き始める。強面な見かけと繊細な音色のギャップは十分知っていたつもりなのに、ふわっと滑り込むように始まった音楽に、やっぱりゾクッとしてしまったのは、筆者だけではないはずだ。どっぷりと悲劇的にならず、端正で品のある歌い方と、後半の明るさが余計に切ないが、あっさりと終わってしまうあたりも、心憎いところ。
続いても石田のソロとピアノで「シンコペーション」。のどかで洒脱、自然に身体が動いてしまうような軽快で朗らかな音楽を、ムスッとしたまま弾き続ける。自在な緩急にピアノがピッタリと寄り添い、華やかに曲が終わると、石田は逃げ帰るように舞台袖へ。最高だ。
ここからは、いよいよ3人での演奏。「愛の喜び」は、ラフマニノフ編曲のピアノ版をベースにした、ゴージャスなアレンジ。ゆったりと歌いつつ、時折かき混ぜるようにテンポを揺らすが、その遠心力に振り落とされるどころか、その度に3人揃って輪郭を引き締めていく。
「道化師のセレナード」は、その名の通りおどけた雰囲気で、2本のハーモニーには「フィドル」という言葉がしっくりくる。それでもやはりこの二人の音楽は洗練され、おしゃれだ。
続く「ジプシー奇想曲」、2拍子を刻むピアノにのって始まった﨑谷のソロの色香がものすごい。そこへ角が立ったシャープな石田の歌が加わる。広がりを見せては同じ閉じ方でサラッとかわす、韻を踏むようなフレーズがクセになる。
「タンゴ Op.165-2」は、もともとはスペインの作曲家、アルベニスがピアノ独奏用に書いた組曲の第2曲。様々な楽器のための編曲がなされているが、クライスラーによってヴァイオリンにも名曲が残された。さらにこの日は萩森英明編曲の2本のフィドル版。ハバネラのリズムにのって自由に歌う旋律は、太陽の光、花の香りを感じさせ、最後の音は、まさに楽園のような美しさ。
あっという間の前半最後は「スペイン舞曲」。こちらもスペインの作曲家であるファリャの、オペラ「はかなき人生」の一曲が基になっている。繊細ながらも情熱が迸り、ピチカートは手拍子やカスタネット、跳ね上げる弓は揺れるドレスの裾を思わせ、地面に踵を打ちつけて踊り狂う人々の様子が目に浮かぶ。クライスラーセレクションを華やかに締めくくり、前半が終了。
休憩の後、まずは妹尾武のソロから。ハンチングを被り、グレーのシャツにネクタイを締め、ジーンズにサスペンダーという姿で登場し、ふきのとうの「白い冬」を弾き始めた。寒々と、硬質な高音が戯れ、うらさびしい旋律が浮遊する。
その雰囲気を連れたまま、次に流れてきたのは小田和正の「ラブ・ストーリーは突然に」。透明感のある音色は、小田の澄んだ歌声のよう。即興演奏で繋ぎながら石田と﨑谷の登場を待つつもりが、2人はなかなか出てこない。なんでも、妹尾のピアノを聴き入っていたとか。
おもむろに2人が登場し、ここからは、世界的に活躍するバンドネオン奏者であり、石田とも親交の深い三浦一馬の編曲作品が3曲続く。地鳴りのようなDの音が響く中、中島みゆきの「地上の星」のメロディーが現れ、その後は3人で映画音楽のような壮大な世界を作り上げた。
続いてはCHAGE & ASKAの「SAY YES」。霧のようなイントロから現れるメロディーは、神々しいほどの美しさだ。優しく柔らかな男性ツインボーカルの雰囲気は、意外なのか予想通りなのか、この二人に結構ハマっている。
石田が「憧れの人」と公言する長渕剛の「巡恋歌」は、ジャジーな雰囲気からピアソラを思わせるようなタンゴ調に。さすがの三浦のアレンジは哀愁たっぷりで、素朴なメロディーはヴァイオリンの高音域で歌うことで一層悲しみが増す。
妹尾武が作詞家・作曲家として東方神起に提供した楽曲、「明日は来るから」は、水紋が広がるようなピアノから始まる。サビでの繰り返すモチーフに、何度もやさしく背中を押されているような気持ちになる。花びらが舞うような淡い音色を聴いていると、つくづく、この怖そうな人たちが弾いているのが信じられない。
懐かしの名曲が続いた後は、新時代を切り拓くアーティスト、King Gnuの「白日」。フラジャイルなボーカルで曲の世界に一気に惹き込む場面がヴァイオリンでも見事に表現され、その後、パワフルに展開していく曲調にあわせて、客席も段々と熱を帯びていく。短い曲の中で多くの世界を巡り、最後は再び静かに曲が終わって、夢から覚めたような気分になった。
終盤は「3人で弾きたい春の曲」をテーマに選んだという曲が並ぶ。まずは、小沢健二の「春にして君を想う」。オザケンの淡々とした歌とは趣が変わり、うっとりと香るようなシャンソン風で、こちらもなんとも魅惑的。
Nokkoの「人魚」は、低めの音域で、一言一言大事に話すように歌うが、アマービレで儚げなNokkoの声に通ずるところもある。広い海のように壮大になっていくピアノの響きのなかで、2本のヴァイオリンがたおやかに泳ぐ。
プログラムのトリは、「永遠に」。妹尾がゴスペラーズに提供したこの曲は、誕生から25年、J-POP史にその名が燦然と輝く。ヴァイオリンに歌詞はないが、その分音楽の美しさがダイレクトに響き、二人のハーモニーも秀逸のひと言。誰の心にもすっと入り込む、名曲の普遍的な価値を知らしめ、フィナーレを飾った。
長い拍手に迎えられ、﨑谷と妹尾が舞台へ戻ってくると、この日初めてのトークタイムとなる。自称「渋好み」という﨑谷のセレクションで、また面白い公演が聴けそうだと、期待が膨らんだ。「なぜか2人でずっと話している」という言葉と会場の拍手で、石田もようやく再登場するが、「いかがでしたでしょうか?」とだけ話し、やっぱりすぐにマイクを返す。
「素敵な春が訪れるように」と、アンコールは松任谷由実の「春よ、こい」。優しくも凛とした音色と、音量のみに頼らない壮大さが、日本の春の美しさを思わせる。カーテンコールのあとは、またしても競歩のように2人を追い越して舞台袖へ帰る石田が会場の笑いを誘い、公演が終わった。
難しいこと一切抜き、気軽に、素直に音楽に身を委ねられる時間でありながら、どこか襟を正したくなるような、そんな素敵な演奏会だった。改めて日本が誇るJ-POPSの素晴らしさに気づかされ、歌詞の世界観を普遍的なものへと昇華させる表現と、作品に対する3人のリスペクトの深さに感銘を受けた。長く愛され、演奏され続けていくことで、その宝が時代を超えて受け継がれていってほしいと思う。
取材・文=正鬼奈保 撮影=池上夢貢