帝国劇場を支えた人々《後編》~あなたにとって帝国劇場とは?【プロデューサー&幕内係編】
H.Mさん[演劇部プロデューサー]
9F稽古場
――『レ・ミゼラブル』や『ミス・サイゴン』のスタッフを長年やっていらっしゃいます。もともと演劇関係のお仕事をずっとされていたのですか?
いえ、昔はまったく違う業種……商社におりまして、演劇は趣味で観ていました。その延長で演劇の脚本の勉強をしてみたいなと思っていたところに、東宝が一度中断していた「現代劇戯曲科養成講座」を再開する、というお知らせを見たんです。そこに応募したらたまたま合格し、通わせてもらえることになった。その縁で、大地真央さんの『十二夜』のオーディションを手伝ってくれないかと言われました。本当にその時限りのお手伝いのつもりだったのですが、そのプロデューサーが私を気に入ってくれたのか『レ・ミゼラブル』の田口(豪孝)プロデューサーに紹介してくださり、『レミ』に関わることに。ちょうど前の仕事を辞め、人生少し休憩しようかなと思っていた時期だったので「私でよければ」とお手伝いに行き、気付いたら20年以上経っていた感じです(笑)。
――最初のお仕事は制作さんとしてですか?
はい、『十二夜』オーディション制作業務です。プロデューサーと演出家の書類選考をアシストし、応募者をお呼びする段取りを整えて……というような仕事です。
――次の『レ・ミゼラブル』では?
これも制作です。
――そもそも外部の人間からすると、制作さんの仕事がフンワリしています。またプロデューサーさんと制作さんの棲み分けもカンパニーによって違いますよね。東宝さんにおけるプロデューサーのお仕事、制作のお仕事とは。
東宝の場合は、プロデューサーが作品を統括し、予算なども管理しますが、海外のようにプロデューサーが自らお金を集めてくる形式ではないので、言葉にすると「東宝の看板を背負い、演劇部からお金を預かり、作品を回す責任者」と言えばいいでしょうか。
プロデューサーを補助するポジションにアシスタントプロデューサー(AP)がいて、その下に制作と呼ばれる子たちがいます。現場はある程度制作が回してくれて、私たちが多少留守にしても現場を進めることはできます。制作の下には制作助手がいて、細かな雑用はこの子たちが動いてくれています。
制作というと、すごく権力を持っていると思われがちですが、もちろん作品を決め、キャスティングを整える・演出家やクリエイターと諸々を決定していくというのも業務の一環ですが、現場に入ると本当に“雑用係”ですね。演劇部と一緒にお稽古場を決め、必要な備品を揃え、何が足りないか、お弁当はいつ必要で、ケータリングはどうするのか、キャストの健康状態はどうか、スタッフワークでの問題点は何か、と目を光らせる。現場が上手く回るように動く仕事です。
今は人手が増えているので制作チームで分担できていますが、私が入った頃はAPや制作というものがおらず、プロデューサーと助手のみでしたので、もう、全部やらされました(笑)。
――大変。
田口は、私を育てようと思ってくださったのかわかりませんが、どんどん私に仕事を振り、できなかったら俺が責任を取るからとりあえずやってみろという方針でした。わからないことがあると、幕内さんたちが「こういうことをやったら役者さんに怒られるから気を付けた方がいいよ」「こういうところに気を配りなさい」と丁寧に教えてくださいました。あとは、田口は浜木綿子さんの作品もやっていたので、いわゆる座長芝居ではどう振舞ったらいいのか、といったことを座長のマネージャーさんに教えていただきました。本当に劇場とマネージャーさんに育てていただきましたね。
帝劇ビル(二代目・帝劇) (写真提供:東宝演劇部)
――お話をお伺いしていると「気を遣ってなんぼ」のお仕事ですね。
はい、気配り最優先です。それはプロデューサーでも制作でも同じですね。あまりそこは気にしないという方もいらっしゃるとは思いますが、私はそういうタイプの先輩に育てていただいたので。
――プロデューサーという立場になられたのはいつから?
APの時代もありましたが、最初に一人で作品を担当したのは2020年シアタークリエの『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』です。クリエにはアシスタントとしても一回も入ったことがなかったのに、急に「今度この作品を担当してください、あ、プロデューサーね」と言われて「え?」でした(笑)。
――APとしてや、制作としての関わり方とまったく違いました?
違いを感じたのは規模感だけですね。責任は増しますが仕事としてはそこまでの違いは感じませんでした。東宝は、帝劇にしろシアタークリエにしろ、自社の劇場なので、幕内さんをはじめ、いわゆるハウススタッフが常駐でいるんです。そういう方々が「分かって」いらっしゃる。極端なことを言うと、脚本がまだ出来てないとなっても概要を伝えると「多分こんな感じだね」と心づもりをしてくださる。だから今、帝劇が使えないので不便でしょうがないです(笑)。
――帝劇休館はそんなところにも影響が。
本当にハウススタッフがいるというのは帝劇最大の特徴ですね。表の営業さん含め、みんなで帝劇を守っている、という印象がありました。
――素敵な言葉です。……ところで、Mさんというとやはり『レ・ミゼラブル』『ミス・サイゴン』のイメージがあります。『レ・ミゼラブル』には何年から?
2003年の公演からずっと入っています。東宝では、基本的には初演を立ち上げたプロデューサーがそのまま作品を引き継いでいきます。『レミ』は田口と古川(清)が始めて、古川が外れたあとは坂本(義和)がプロデューサーをやっていました。私は田口と坂本の下につくことが多かったので、必然的に私も入る、という感じでした。
――関わる中で、印象的だった出来事は。
やっぱり3.11(東日本大震災)でしょうか。ちょうど『レミ』は9階の稽古場でお稽古中だったんです。私は当日は地下6階の稽古場で、キャストさんの衣裳合わせをしていました。お待ちしている俳優さんがそろそろ来るかなという時に、ドンっと床が持ち上がった。今の何? と言ったら揺れ始めて。時計を見たら、ちょうど帝劇で上演中の『SHOCK』は幕間の休憩だったので、上演中でなくてよかった思って、とりあえず9階に向かおうとしたらエレベーターが止まっていて、地下6階から9階まで走って上がりました。地下1階に着いたらちょうど岡幸二郎さんがお稽古にいらした時で「どうしたらいいかな、上がった方がいいかな、上がらない方がいいかな」とおっしゃるので「幕内さんと一緒にいてください、何かあったら幕内さんと一緒に逃げてください、私が9階を見てきます」とお伝えし、9階に行ったら、スピーカーが倒れそうになったぐらいで、怪我をした人はいなかったのですが、みんなびっくりしちゃっていたので、演出助手に頼み、みんなを連れて日比谷公園に避難してもらいました。帝劇の床があんなに持ち上がることがあるなんて思わなかったので、あの時は本当にどうなることかと思いましたが、驚いたのは壁の表層にヒビが入っただけで、躯体は全然大丈夫だったこと。やっぱり劇場は頑丈なんだなと思いました。
その日は結局稽古なしで解散したのですが、翌日からの稽古をどうするかは意見が割れました。実は稽古の進行が少し遅れていたので、プロデューサーはやらなきゃ間に合わない、点検作業の結果、帝劇は問題なかったから大丈夫だと。でもキャストの動揺は大きかったし現場の私たちは絶対無理だ、と思っていました。その時はあんな未曽有の大惨事だとは誰もわかっていなかったんです。
――結局初日は予定通り開いたのでしたっけ。
開けました。薄暗い中で。あの時のことで印象深く覚えているのは、あの揺れの衝撃と、最低限の電力に絞った薄暗い稽古場と廊下の光景です。
――「無駄な電力を使うな」と劇場が叩かれたりもしましたね。
そうなんです。でも「みんなで経済を動かさないと支援もできない」と思っていました。当時、被災された方から「が流されてしまったのですがどうしても観たいんです、観ることはできますか」とご連絡をいただいて、その方に「絶対に公演はやってください、『レ・ミゼラブル』を観に行くことが心の支えで、これを励みに生きていきます」と言われて。あれは絶対に忘れられません。もちろんいつも真剣に作品を作っていますが、改めて変なものを作ってはいけない、流れ作業で仕事をしてはいけない、ちゃんとお芝居を作らなきゃだめだと思わされました。
もう一つはコロナで劇場がクローズになってしまったこと。私は担当していた『リトル・ショップ・オブ・ホラーズ』が途中で中止になってしまいましたが、帝劇も5ヵ月閉め、復活の『ジャージー・ボーイズ in コンサート』も担当していたんです。でもこれも直前に表方のスタッフに感染者が出て、お客様を入れることができなくなってしまった。
「ミュージカル『ジャージー・ボーイズ』イン コンサート」
――最初の4公演を無観客配信でやりましたね。
そうなんです。あれはもともと本公演をやる予定だったものが中止になり、コンサートとして復活したものでした。チーフプロデューサーの今村(眞治)や演出の藤田俊太郎さんが「やっぱり諦めなきゃダメなのかな」と落胆していたところ、制作チームの中でふと「もともと配信予定で、キャストもスタッフも元気なのだからやれますよね?」という話が出て今村と藤田さんが「そうだね、無観客で配信をしよう!」と。
あの時はお客様からに加え、過去『ジャージー・ボーイズ』に出演していた俳優たちがメッセージをくれて、それをプリントアウトして客席に貼って、キャストはそれを見ながら演ったんですよ。帝劇で忘れられない思い出といえば、この二つは外せません。
――震災の時もコロナの時も、帝劇という大劇場が率先して動いてくれることに意義があったな、と感じています。
それも、ここが帝劇であり、東宝である大きな意味だと私も思います。業界の中で大手と言っていただき、作品を予算をかけて作らせていただく立場ですので、ああいう困難な状況下で「この業界は負けないぞ」という姿勢を見せる義務があると思うんです。震災の時に野田秀樹さんが「劇場の灯を消してはいけない」という素敵なメッセージをお出しになりましたが、まさに、東宝が灯を消すようなことをしてはいけないと思ったし、帝劇を預からせていただく私たちはそれを肝に銘じなければ、と思います。
――Mさんがプロデューサー冥利に尽きるなと思った瞬間は。
やっぱり初日あけて、お客様の拍手が来た瞬間はホッとするし「良かった」と思いますね。『レミゼ』のように再演を繰り返す作品などは、どこで拍手がくるのか分かってるし、お客様も入る作品だって分かってるじゃないかと言われても、初日が開けるまではお客様に受け入れていただけるのかと本当にずっと胃が痛いんです。拍手をいただいた瞬間「やってて良かった」と思うので、一番はここですね。
二代目・帝劇の客席 (写真提供:東宝演劇部)
――Mさんが帝劇で好きな場所は?
どこだろう……9階の稽古場かな。本番は幕が開いてしまえば、私たちがやれることはなくて、拍手も批判も、表に出る役者が全部受けます。私たちは彼らを支えることしかできない。でもその素地は稽古場にあり、彼らが自信を持って舞台に立てるようになるために稽古場で何をするのか、という仕事を私たちはしています。だから稽古場が一番神経を使うし、頭も使う。後年、稽古場にセットを色々と入れてやらないと成立しなくなって、外部の稽古場を使うことが多くなり9階をあまり使わなかったんです。それは少し寂しかったですね。
――最後に、あなたにとって帝国劇場とは?
制作としては、本当に“家”です。私の帰る場所。三代目の帝劇もそうなってくれるといいなと思います。オーディションをやると「いつか帝劇に立ちたい」と言ってくださる方が多いんです。日本の演劇界に帝劇はなくてはならない場所だと思っています。
以前、帝劇で「のどじまん」をやった時に、キャストから怒られたんですよ。プロが目指す場所に素人を立たせるなって(※2015年に『「レ・ミゼラブル」のどじまん・思い出じまん大会』を開催したのを皮切りに、帝劇では3回、ファン参加型ののどじまん大会が実施されている)。実際は参加者の皆さんがどれだけミュージカルを好きなのか、しっかりパフォーマンスで表現してくださったので、客席で見ていたキャストも「俺らも負けられない」と思ってくれたみたいですが、帝劇はそういう神聖な場所、みんなが目指す場所であってほしい。そのためには私たちがいい作品を創らなくてはいけませんし、役者がいい状況で演じられるよう支えていかなければいけないと思っています。
取材・文=平野祥恵 写真=『帝国劇場アニバーサリーブック NEW HISTORY COMING』より
特集「帝国劇場」特設ページはこちら
書籍情報
四六判/288ページ
ISBN:978-4-08-770038-1
◎白杖の父が遺した、ミュージカル「屋根の上のヴァイオリン弾き」のパンフレット。そこには新人案内係からの手紙が挟まれていた――「ホタルさんへの手紙」