大衆演劇の入り口から[其之弐] “清らかさ”にふれたくて 橘大五郎座長
(2015/5/3) 筆者撮影
【大衆演劇の入り口から 其之弐】
わかりませんか、届きませんか、私の心が。女の姿をしているけれど、私は鶴です。あなたに命を助けられた鶴です――。悲しげな目は訴えかけるようだ。8~9月、この女形に東京で出会える。
“鶴”の悲しい純真
昔ばなし「鶴女房」は、多くの読者が聞いたことがあると思います。“あなたの所にお嫁に来たのです”…貧しい男のところに嫁いできた美しい女。その正体は、かつて羽に刺さった矢を抜いてやった鶴だった。けれど最後は男が約束を破ったために、女は鶴の正体を現して飛び去ってしまう。
大衆演劇の役者さんに、この話の名演者がいる。三代目・橘大五郎座長(橘劇団)。舞踊ショーで「鶴女房」をモチーフにした演歌をかけて踊る。寂しそうに結ばれる両手の小指、紅を引いた唇を耐えるみたいにきゅっと噛みしめる。
(2015/5/3) 筆者撮影
鶴は一途だ。自分の羽を抜いて男のために布を織る。だんだん弱りながらも、男に喜んでもらいたい一心で身を捧ぐ。でも切なくて苦しくて、じっ…と空を見上げる。天井を仰ぐ大五郎座長の大きな目。黒々と澄んだ中に、あどけない悲しみが滴る。なにか、小さな子どもが手を伸ばしているのを見るような、純真がそこにあるのだ。
「色んな女の人に見える!」
大衆演劇は、月ごとに公演地を移動する旅芝居だ。現在、130超の劇団が全国の専門劇場・温泉センターで公演している。九州の人気劇団「橘劇団」を率いる大五郎座長は、若干28歳。
「大ちゃんの女形って、曲によってホントに違う。色んな女の人に見える!」
観劇後、舞踊ショーで撮った写真を友人とながめていたら感嘆の声が上がった。大衆演劇の舞踊ショーでは演歌・ポップス・懐メロ、なんでもかかる。曲が最新ポップスだったりすると、上の悲しげなお写真とはガラっと変わって、今時の女の子風の大五郎座長が観られる(男性だけど)。パァっと笑顔弾けたと思ったら、ヘコんだり目を丸くしたり、くるくる変わる表情にみずみずしい恋心が浮かぶ。
(2015/5/9) 筆者撮影
はたまた曲は懐メロ、魅惑的な笑顔をたっぷり振りまく涼しげなお嬢さんのときもある。楚々として客席を歩く姿に、清々しさがにじむ。
(2015/5/9) 筆者撮影
“彼女たち”はどんな女性で、どんな風に生きているんだろう…。たった数分の舞踊で想像させる、たっぷりした情感!
「おっかあの言うことが聞けないの!おっかあ、そんな子嫌いよ!」
…と、これは舞踊ショーではなく、お芝居での大五郎座長のセリフ。大衆演劇の公演は演歌やポップスに合わせて踊る舞踊ショーと、時代劇を中心としたお芝居で構成されている。
橘劇団オリジナル芝居『悲恋 涙の馬子唄』では、大五郎座長の役どころは馬方の家の娘・しず。8年前に別れた恋人との間の子を、一人で育ててきた。だが、父方に息子を渡せば武家の跡取りになれるという。貧しい馬方にさせるより…と、断腸の思いで息子を手放す。
「今日からはお父と暮らすのよ」「おっかあ、イヤだ、おいら行きたくないよ」
しずは心を鬼にして、すがりつく子の頬を叩く。パシン…と音がした瞬間、ハッと我に返ったように自分の手を押さえる。押し隠した母の痛みがあらわになる。
「行きなさい…!」
うつむいた目元、震える声、大五郎座長のうずくまる姿。おっかあー!と泣きながら連れて行かれる我が子の声を聞くまいと、必死に両手で耳をふさぐ。この座長さんに独特の――濃い、深い、混じり気のないさみしさが芝居小屋に満ちる。誰か助けてあげて…!とつい叫びたくなる光景だ。
心に飛びこむ、曇りのない喜怒哀楽
幼子のような目に、ひたひたと滴る悲しみ。体中から突き上げて、大きな笑顔にパァっと弾ける喜び。大五郎座長のお芝居や舞踊を観ていると、曇りのない喜怒哀楽がこちらの心にいっせいに飛び込む。一緒に!一緒に!と客席を舞台世界へ引っ張る。私が好きなのは、大五郎座長がその日初めて登場する瞬間だ。
「大五郎!」「座長!」「大ちゃん!」
待っていた観客が嬉しさに叫ぶ。歓声を受けて深まる笑顔に、友人の一人はこう言った。
「大五郎さんの“清らかさ”にふれたくて劇場に通ってしまう」
(2015/5/9) 筆者撮影
立ち役(男役)は実にさわやかで明るい。少年がそのまま育ったようなお人柄が感じられる。
大衆演劇に興味はあるけどなかなか敷居が高くて…と迷っている読者の方へ。あなたの心にも涼風を吹かせてくれるかもしれません。橘劇団の8月公演は東京・浅草木馬館、9月も東京・篠原演芸場。どちらも初めての方にも行きやすい劇場なので、この機会にいかがでしょうか?
【記事で触れさせていただいた劇団の公演先】
橘劇団
8月:浅草木馬館(東京都)
9月:篠原演芸場(東京都)