開幕直前・30分でわかる!新国立劇場 ヤナーチェク「イェヌーファ」

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鮮やかなドレスのイェヌーファと、着崩れているシュテヴァ、この二人の行先は… (c)MonikaRittershaus

鮮やかなドレスのイェヌーファと、着崩れているシュテヴァ、この二人の行先は… (c)MonikaRittershaus

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知られざる20世紀オペラの傑作、一挙解説!

いよいよ28日(日)から、新国立劇場では初のヤナーチェク作品となる注目のプロダクション、「イェヌーファ」が開幕する。いよいよ新国立劇場に登場する傑作をよりお楽しみいただくため、私から直前特集をお届けしたい。題して、30分でわかる!ヤナーチェク「イェヌーファ」。さて30分でおわかりいただけますかどうかお立ち会い。

なお、本特集では新国立劇場で開催されたオペラトーク「イェヌーファ」(2月13日)を参照している。このトークイヴェントでは、早稲田大学教授の小沼純一(音楽・文芸批評家)を迎えてのお話、そして本プロダクションの四人のカヴァー歌手による第二幕からの抜粋が披露された。

このオペラトークは新国立劇場のYouTubeチャンネルで全編を視聴できるので、興味のある方は方はぜひともご視聴いただきたい、全編で1時間半ほどの長さだ。小林厚子、森山京子、内山信吾、菅野敦による第二幕抜粋は14分ころから始まるので(約20分間)、「誰かにどうこう教えられるよりまずは音楽を聴いてみたい!」という方はそこから見ていただければと思うが、ヤナーチェクも「イェヌーファ」についてもよく知らない方は始めから見ていただくのがいいだろう。

(新国立劇場 YouTube公式チャンネルより)

●作曲家レオシュ・ヤナーチェクについて

まず彼の立ち位置を整理するために、彼が生きた時代、1854年から1928年に活躍した作曲家を見てみよう。まず「チェコの作曲家」として、スメタナ(1824-1884)、ドヴォルザーク(1841-1904)が先輩、ヨセフ・スーク(1874-1935)、ボフスラフ・マルティヌー(1890-1959)が後輩にあたる。さらに、あえて地域を限らず広く同時代の作曲家をみれば、ブルックナー(1824-1896)、ブラームス(1833-1897)が先輩、マーラー(1860-1911)、ドビュッシー(1862-1918)、リヒャルト・シュトラウス(1864-1949)、そして少し離れてバルトーク(1881-1945)が後輩世代だ。
スークやマルティヌーはさておき、多くの音楽ファンは、ここに並ぶ彼らのほとんどを新奇な作曲家だとは言わないだろう。しかし同時代に活躍したヤナーチェクは生誕160年を、没後80年以上を過ぎた今でも、まるで見慣れない客人のように扱われている。それは何故なのだろうか?

レオシュ・ヤナーチェクは、1854年にモラヴィアと呼ばれるチェコ東南部のフクバルディに生まれた。少年期から地域の大都市ブルノで学び、長じてプラハやライプツィヒ、ウィーンで学んだ時期もあるが、その生涯ほとんどをこの地域で生きた。そのため、生前の彼はある時期までチェコを代表する(つまり首都プラハが認める)マエストロではなく、「地方で活躍している作曲家さん」扱いされてしまった。
前半生においては作曲者としてよりも指導者として、またプラハ周辺を含めたボヘミアのものとはまた違う特徴あるモラヴィア民謡を採集し、分析して作曲に活かす音楽学者として知られていた。民謡を採集、活用した作曲家としてより知られているハンガリーのバルトークに数十年も先駆けてヤナーチェクがこのアプローチをしていたことは、もっと知られてもいいだろう。
また、話し言葉のイントネーションをそのまま音程の高低として記譜し、作品に活かしたことはよく知られている(2月2日に新国立劇場で上映された映画「白いたてがみのライオン」では、人の話し声が気になればすぐにもメモを取り、もし手元に紙がなければワイシャツの袖に五線を書き込んででも採譜するヤナーチェクの姿が描写されていた)。

1928年までの生涯に室内楽、ピアノ曲にオーケストラ曲、合唱曲などに加えてそしてオペラを全9作品と、彼は幅広い分野で数多くの作品を残した。オペラも含めた声楽作品では、上記の言葉のイントネーションによる作曲技法が存分に活かされている。
……だがしかし、残念なことに彼が大切にしたチェコ語は、当時国の公用語ではなく(公的にはドイツ語が用いられていた)、なにより比較的狭い地域で用いられる言語であるために、その妙味が日本を含めた他言語圏には伝わりにくい。ヤナーチェクが親しんだ自分の言語を活かしてその独創的な音楽を磨いたばかりに、世界は翻訳によってもなお失われない部分だけで、彼を偉大な音楽的個性として「発見」しなければならなかった。さらにその過程で、歌詞のみならず音楽にまで他人の手が入れられ、ヤナーチェクの創意を凝らした作品本来の姿は20世紀も後半になってから、サー・チャールズ・マッケラスらの献身的な演奏によって「再発見」されなければならなかった。

このように、複雑な「発見」の道筋をたどらざるを得なかったことが、ヤナーチェクを21世紀の今も「見慣れぬ客人」にしてしまっているのだろう。もっとも、村上春樹が作中で彼の晩年の傑作「シンフォニエッタ」に言及して同曲のCDがヒットしたことはご記憶の方も多いだろう。そして、オペラトークの中で小沼氏も言及していたミラン・クンデラの著作での考察などもあって、以前に比べれば彼の音楽に近づくことは容易くなっている。そこに今回のヤナーチェクが最も力を注いだジャンルであるオペラがついに新国立劇場で上演されるわけだ。

●歌劇「イェヌーファ」について

ガブリエラ・プライソヴァーの戯曲「彼女の養女」による、ヤナーチェクにとっては三作目となるオペラが「イェヌーファ」だ。19世紀のうちに着手され、世紀をまたいで初演されたこの作品が彼を有名にし、そして今も代表作として広く演奏されている。

その物語の枝葉を切り落せば「二人の男がヒロインを取りあう物語」、と言えなくもない。そこに彼女の養母が関わって展開するドラマは、紆余曲折の末ハッピーエンドに終わればオペラ・ブッファにも、現実的なありふれた悲劇に終わればヴェリズモ・オペラにもなりえただろう。しかしどんなフィクションも根幹のみならず枝葉、細部こそが重要であるように、「イェヌーファ」もまた設定が物語を拘束する。

まず、物語の舞台は「モラヴィアの中のスロヴァキア」とも言われるチェコ東南端のスロヴァーツコ地方。歌と踊りの宝庫として、そして独特な民族衣装でも知られる独特の地域だ。
そこに暮らす人びとの中で主要な登場人物は四人だ。境遇の違う異母兄弟のうち、容姿も境遇も恵まれた弟シュテヴァとヒロインのイェヌーファが恋仲になり、兄ラツァもイェヌーファに思いを寄せている。そしてヒロインの養母コステルニチカは血のつながらない娘(死別した夫の連れ子)の将来を心配している。作品には登場しないキャラクターも含めたこの人間関係は、地方ならではの狭く、密に入り組んだものなので、まずはこの人物相関図をご覧いただきたい。

新国立劇場「イェヌーファ」特設ページより、メインの登場人物の部分のみ抜粋。全体はぜひ新国立劇場のサイトで確認してほしい)

この物語が始まる時点ですでに若者たちは問題を抱えている。ひそかに子を成してしまった若い二人、シュテヴァとイェヌーファは穏当に結婚すればいいものを、裕福な艶福家のシュテヴァがなかなかうんと言わない。いや、シュテヴァはシュテヴァで徴兵からどう逃れたものか、それが一番の気がかりだ。そんな事情は知らずにラツァはイェヌーファを奪えないかと思い、恵まれたシュテヴァを妬みながら辛い労働の日々を過ごしている。そしてそんな若者たちを見るコステルニチカはいささか複雑だ、彼女の亡き夫の欠点を思い出させるシュテヴァとイェヌーファが幸せになれるとは思えない……

そんな作中では描かれない前史を含んで始まるこのオペラは、刃傷沙汰あり、そしてさらに深刻な「事件」ありと、残念ながら楽しく笑える物語にはならない。先ほどの例で言えばヴェリズモ・オペラに近いと言っていいだろう、作品の時代的にも。しかしヴェリズモのように感情を声に乗せてぶつけあうわけではなく、それぞれの想いがありながら行き違う関係を繊細に描いていく。
オペラトークの中で披露された第二幕からの抜粋は、第一幕での出来事を受けて変わってしまった登場人物たちによる、なんともやりきれないやりとりの連続だ。傷ついた恋人を恐れ逃げ腰になる男、傷つけてしまった想い人を気遣う男、そして多くの問題の前に現実感を失ってしまった女。そんな若者たちをあるべき形に収めようと奮闘するコステルニチカの選択が、更なる問題を作り出してドラマはその終りへと向かうことになる。そのドラマが行き着く先はぜひ今回の舞台で見届けてほしい、そしてヤナーチェクがこのドラマにつけた音楽を体験してほしい。

第三幕にドラマは急展開する…… (c)MonikaRittershaus

第三幕にドラマは急展開する…… (c)MonikaRittershaus

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さて、30分でお読みいただくにはいささか長くなってしまったけれど、最後に日々進められてるリハーサルのうち、指揮者トマーシュ・ハヌスによるオーケストラ・リハーサル(二日目)のレポートをお届けしよう。

新国立劇場としては最初のヤナーチェク作品を上演するにあたって招かれたのはトマーシュ・ハヌス、1970年生まれの指揮者だ。彼は今シーズンだけでも新国立劇場「イェヌーファ」のほか、ノルウェイで「カーチャ・カバノヴァー」を、そしてサヴォリンナ・オペラの「死者の家から」を指揮する、ヤナーチェクのオペラを得意とする指揮者だ。バイエルン国立歌劇場に招かれてチェコ・オペラを多く指揮していることからも、その実力の程はおわかりいただけるだろう。

この日は13時から18時を過ぎるまでの時間に、休憩をはさみつつ全曲ほとんどに手を入れるという手際の良いリハーサルが行われた。ある程度の長さを演奏させた後に、手短に修正点や場面に求められる表現を指示し、流れを作ることを意識してやり直す。音楽的な要素だけではなく、ドラマが動き出す経過部を丹念に作りこむ。しかし時には、「長く話す指揮者は嫌いだろうけれど」とにこやかに前置きしながらも、熱を込めて場面の説明をしてそこでオーケストラが果たすべき役割を伝える。特にも第三幕の大詰めについてはより熱のこもった示唆、磨き上げが行われていた。
その姿に、そして手を入れるたびに良くなっていく音楽に、「オペラ指揮者とはここまですべてを知りつくし、的確にゴールへとオーケストラを導くものか」と何度も感心させられたものだ。

オーケストラとのリハーサルを終えて、東京交響楽団については「とても良い印象を持っています!私の指揮をよく捉えて(キャッチして)演奏をしてくださる、素晴らしいオーケストラですね。(歌手を交えた)次回のリハーサルがとても楽しみです。」と語っていたマエストロ。その後、ベルリンでの上演をすでに経験したキャスト陣を交えて順調にリハーサルは進み、今度の日曜にはいよいよ初日を迎える。最高の舞台が出来上がりつつある新国立劇場の「イェヌーファ」、ぜひとも会場で経験してほしい。

イベント情報
新国立劇場[新制作] 「イェヌーファ」
 
レオシュ・ヤナーチェク作曲 歌劇「イェヌーファ」
全三幕 チェコ語上演・字幕付き
●日時:
2016年2月28日(日)、3月5日(土)、11日(金) 14:00開演
2016年3月2日(水)、8日(火) 18:30開演
●会場:新国立劇場 オペラパレス
 
●指揮:トマーシュ・ハヌス
●演出:クリストフ・ロイ
●美術:ディルク・ベッカー
●衣裳:ユディット・ヴァイラオホ
●照明:ベルント・プルクラベク
●振付:トーマス・ヴィルヘルム
●演出補:エヴァ=マリア・アベライン
●合唱:新国立劇場合唱団
●管弦楽:東京交響楽団
●キャスト:
ブリヤ家の女主人:ハンナ・シュヴァルツ
ラツァ・クレメニュ:ヴィル・ハルトマン
シュテヴァ・ブリヤ:ジャンルカ・ザンピエーリ
コステルニチカ:ジェニファー・ラーモア
イェヌーファ:ミヒャエラ・カウネ
粉屋の親方:萩原潤
村長:志村文彦
村長夫人:与田朝子
カロルカ:針生美智子
羊飼いの女:鵜木絵里
バレナ:小泉詠子
ヤノ:吉原圭子
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