天野天街+一糸座による糸あやつり人形芝居『ゴーレム』上演中
結城一糸と天野天街
横浜の神奈川芸術劇場KAAT大スタジオで、日本・チェコ国際共同公演 糸あやつり人形芝居『ゴーレム』が6月5日から上演されている(6月12日まで)。
神奈川芸術劇場KAAT外壁付近
なぜチェコなのか。チェコは歴史的に諸外国の支配を受けることが多く、チェコ語を禁じられることもあったが、人形劇だけはチェコ語を用いることが許され、それゆえに人形劇は民族文化のアイデンティティとなった。一方、日本では徳川幕府による鎖国で様々な独自の国内文化が発展、そのひとつが人形浄瑠璃だった。
ある日、糸あやつり人形一糸座を主宰する結城一糸は考えた。この二つの独特な人形劇文化を持つ国同士のコラボレーションから「人形劇とは何か。そして人形とは何か」を追求できないかと。そのうえで彼は、チェコに古くから伝わるゴーレム伝説を劇の題材として取り上げられないかとも思った。ゴーレムとは、ユダヤ教に伝わる泥人形で、魂を吹き込まれると主人の命令だけを忠実に実行する召使となる。しかし使い手が厳格な制約を守らないと忽ち制御不能となって凶暴化し、世界を廃墟に変えるほどに破壊し尽す。その額に護符を貼るなどすれば動きは止まり、崩壊して土に戻る……。
ゴーレム人形を抱きかかえる天野天街
ゴーレムの伝説には人間と人形との関係性に関する諸問題が集約されているといっていいだろう。ヒトの代わりに働くヒトのカタチをした人形。SFならば人造人間やロボット、アンドロイドやクローン人間の話、さらにはコンピュータや兵器の話にまで、その想像力は及ぶだろう。そして、人形に魂を吹き込み、厳格なルールや技術によって“一糸”乱れぬように制御しなければ成立しないのは、なるほど糸あやつり人形の世界も全く同様なのだ。いや、それどころか、そこには、演劇における演出家と俳優の本質的な関係性さえ重なってくるようにも思える。
そんな重層的な可能性を秘めつつゴーレムを劇化するにあたり、結城一糸は次の4つの策を基本プログラムとした。1、脚本はグスタフ・マイリンクというオーストリアの作家が1916年に発表した小説『ゴーレム』を原作に据える。2、チェコの人形劇チームにも独自にゴーレム関連の場面を作らせる。3、人形と人形遣いだけでなく、月船さらら・寺十吾など人間の俳優も出演させる。4、これらの要素を最終的に構成・演出する者として天野天街を召喚する。
天野は苦心惨憺の末(脚本の上がりもギリギリとなったという)、結城の要請に応え、人形と人形遣いと人間の俳優が入り混じった天野版ゴーレムをこねあげた。舞台はプラハのユダヤ人居住地域=ゲットー。ここで原作小説の主人公ペルナートが、他人の夢を見るなど意識が錯綜・混濁する設定を巧妙に活用・延長して、「自己」が分裂したり、「自己」と「他者」の境界がなくなったり、「人間」と「人形」が倒錯したり……といった事態を次々に展開させる。登場する人形が非常に人間的なのに対して、人間の動きは人形的であったりする。ペルナートを演じる寺十吾は、人形遣いに糸であやつられながら登場するし、命の恩人の娘で奇跡を渇望する女ミルヤムを演じる月船さららは宝塚仕込みの歌唱力で魅せつつも、その動きはまるでホフマンの書いた自動人形コッペリアのようだったりする。
天野天街・月船さらら
ペルナートの寺十吾はいつだって「おれは何をしてるんだ」と自問している。主体がなく、何者かに遣われている感覚なのだ。それはペルナートとしてなのか、人形としてなのか、あるいは俳優としてなのか。寺十が演じると、彼の出演した二人芝居『くだんの件』(作・演出:天野天街)の記憶とも重なってきて、観てるこちらも「おれは何を見てるんだ」という気持ちになる。
寺十吾 クリスティーナ・フルツオヴァー
かように、輪郭がはっきりとしない混沌とした夢幻劇ではあるのだが、それでいてユーモアや楽しさもふんだんだ。かつて手掛けた糸あやつり人形芝居『平太郎化物日記』以来、天野が得意とする、奇想に富む人形たちの可愛らしいパフォーマンスが次々に現れるのには心が踊らされる。一方、チェコのプリショベーホ・メドビィードカ劇団が作ったユダヤ人迫害エピソードの場面なども、女性ミュージシャンの歌とアコーディオンを伴って、内容の辛さにも係わらず胸の高鳴りを覚えてしまう。
SPICEでは何度か報じてきたとおり、天野天街はこの作品を創る直前まで、別の仕事で熊本に滞在、そこで先日の大地震に遭遇した。今回の舞台創りに、その影響は出ているか? と質問したところ「とくにない。というより自分の中には、いつだってカタストロフのイメージが渦巻いている」と天野は答えたけれど、筆者には「いやいやいや」と思えてならないシーンもあった。今回撮影した写真の中にも、熊本で撮影された天野の写真とイメージが重なるものがある。…まあ、そのあたりは観る人それぞれの想像力の中で判じればよいことだ。
天野天街 熊本地震の記憶が甦る?
今回、会場が横浜、しかも平日昼公演が多いので、条件的にいろいろ困難も伴うかもしれないが、現代人形劇の最前線を堪能できる貴重な機会であることは確かである。人間人形時代に生きる私たちならば、少し無理してでも見に行く価値は充分にあると、敢えて申し上げておこう。
会場:神奈川芸術劇場KAAT大スタジオ
<糸あやつり人形一糸座>
結城一糸
結城民子
結城敬太
金子展尚
根岸まりな
<プリショベーホ・メドビィードカ劇団(チェコ)>
パベル・ペトル・プロハースカ
クリスティーナ・フルツオヴァー
月船さらら
寺十吾
横田桂子
鈴木和徳
一兜翔太
川上舜
脚本・総合演出:天野天街(少年王者舘)
部分演出 :ゾヤ・ミコトバー(チェコ)
演出助手 :井村昴
人形美術・製作:林由未(チェコ)
人形製作 :一糸座
音楽 :園田容子
照明 :小木曽千倉
音響 :岩野直人
映像 :濱嶋将裕
舞台監督 :森下紀彦
舞台美術 :田岡一遠
舞台製作:小森裕美加
提携 :KAAT神奈川芸術劇場
後援 :チェコセンター東京
制作協力 :林ムラース由未
制作 :結城民子 児玉ひろみ 田中めぐみ
TEL:042-201-5811
公式サイト:http://www.kaat.jp/d/grm