「イマーシブ・シアターの到来が意味するもの」 by 中山夏織 【特別企画:観客参加型演劇】

特集
舞台
2016.8.22
『The Salon Project』

『The Salon Project』

演劇における観客と演者の関係性を飛び越え、観客も劇空間の一部として成立させる観客参加型の演劇は今も昔も少なからずあった。しかし、その評価は正当に行われたのだろうか?形式を省みず、閉塞を続ける現代演劇に風穴を空けるヒントがそこにあるのかもしれない。今回海外(イギリス)の参加型演劇をピックアップし、演劇に更なる自由をもたらす可能性を探る。

「イマーシブ・シアターの到来が意味するもの」 by 中山夏織

中山夏織:
NPO法人シアタープランニングネットワーク代表。アートマネジメントや文化政策等を教えながら、様々な国際交流やドラマ教育、人材育成プロジェクトに携わる。近年、障害児のためのアウトリーチ型演劇鑑賞「ホスピタルシアタープロジェクト」を主催。主な著書に『演劇と社会―英国演劇社会史』他、主な翻訳に『応用ドラマ―演劇の贈りもの』他、戯曲の翻訳に『ハンナとハンナ』『カラムとセフィーの物語』『宮殿のモンスター』他。2012年より日本芸術文化振興会プログラムオフィサー。


  1950年代にはじまる小劇場運動は、英国では「オルタナティブ・シアター運動」として呼ばれる。非常に豊かな実験性と政治的な側面をもつ運動だったものの、日本と異なるのは、多くの優れた人材を輩出したが、ついぞ「オルタナティブ」の冠から逃れられなかったことだ。英国演劇の主流は、ウエストエンドの商業演劇や、それなりにコンテンポラリーな装いをもちながらも、シェークスピアに代表される「トラディショナル」、あるいは、自然主義の「コンサバティブ」の枠のなかにあり続けてきた。そのメインのターゲットは、教育のある中高年の白人である。

  さらに、公的助成の考え方も、実験的なものを好まず、いわゆる質の高い「エスタブリッシュト」を支えることを旨としてきた。もちろん、それだけが理由ではないが、どこか新しいものを容易には受けいれない環境が強くあった。それが英国的なるものの主流であり、1999年の劇作家サラ・ケインSarah Kaneの夭逝も、多分に、その英国的なるものの犠牲だったのだと位置づけられる。実際、私がロンドンに留学していた90年代中ごろ、コンプリシテや、チーク・バイ・ジョエルが奮闘しながらも、多分に若い観客をひきつけるのに失敗していた。ある新聞が報じたのは、若い世代が演劇の宣伝からして「ダサい」「クールじゃない」と感じていたことだ。

  しかし、世紀の変わり目あたりから、そして、9.11を経て、英国演劇の様相に少しばかり変化が訪れた。これまでオルタナティブ、あるいはどこかキワモノと扱われてきたパフォーマンスの要素を強く持った新しいタイプの「インタラクティブ・シアター」の登場である。そもそもインタラクティブ・シアターは学校巡演を旨とした、シアター・イン・エデュケーションの参加のあり方に一つのルーツを見いだせるが、学校という一般に「見えない場所」での公演、教育という冠もあって、世間を惹きつけるものではなかった。

  きっかけを生みだしたカンパニーが、2000年設立の芸術監督フェリックス・バレットFelix Barret率いる「パンチドランクPunchdrunk」であり、そして、いつの頃からか、彼らのような活動の総称として、「イマーシブ・シアター」という冠が付されるようになった。そして、大西洋をはさんだ英国と合衆国で、このイマーシブ・シアターを名乗るカンパニーが急速に増え、人気を博すようになった。イマーシブを名乗るカンパニーの主眼は、演劇をトラディショナルに、コンサバティブに縛りつけ続ける様々なコンベンションに挑むことにある。とりわけ、観客との関係性―契約のコンベンションを覆すことにある。

  演劇ビジネスには様々なコンベンション―決まりごと―が存在する。演劇を学ぶのは、多分にこのコンベンションを知として、あるいは、身体として学ぶことから始まる。表現という記号と、演劇の「嘘」というコンベンションに取り囲まれ、私たちは創造とその提供という仕事に携わる。劇場という容器、前売り券や当日券といったの販売方法、チラシや他の広報というビジネスも、様々なコンベンションで構成される。観客もまたそれを受けいれ、同時に守られる形で演劇に参画する。そこに助成機関や行政という異種のコンベンションも加わり、巨大な経済のシステムの中に、ささやかな演劇の「システム」が確立する。だが、一度確立してしまったシステムは、容易に変化を受けいれることはない。だから、ときに、激変する社会と、デジタルに生きる人々の暮らしとのあいだに大きな齟齬を生んでしまう。

  21世紀生まれのイマーシブ・シアターが提起したのは、演劇ビジネスが当たり前としてきた「劇場の客席に座り、多くの場合、第4の壁となって、一方的に提供されるできあがった作品の傍観者としての観客」の否定だと整理できる。自明の理とされてきたことの多くを否定し、デジタル・テクノロジーとゲーム世代が求めるエキサイティングな演劇のあり方を探ることから模索がはじまり、次のような、ある種の「文法」が成立していった。

既存の劇場空間⇒ サイト・スペシフィック(あるコンテキストをもった特殊な空間)
固定の客席⇒ プロムナード/ウォーキング・ツアー(座っていられない)
第4の壁⇒ 舞台と客席の境界線を撤廃。
舞台装置・小道具 ⇒ インスタレーション/五感に訴える
一方的な作品の提供⇒ インタラクティブな関係性/シーンの展開順番
傍観者⇒ 参加。物語の一部・中核的存在になる

  そして、ついには、パフォーマーたちが一人の観客と対峙する関係性までもが登場する。

シェア / 保存先を選択