いきものがかり 水野が語る、自分たちのことをなるべく喋らないようにしてきたグループの歴史を綴る理由

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2016.9.25
いきものがかり

いきものがかり

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デビュー10周年を記念して地元・神奈川県の海老名市と厚木市で開催した初の野外ライブを大成功に収めたいきものがかり。そのライブを目前に控えた8月末には両A面シングル「ラストシーン/ぼくらのゆめ」、そしてバンドのリーダーである水野良樹による自伝的ノンフィクション『いきものがたり』が発表された。「自分たちのことをなるべく喋らないようにしてきた」というグループのリーダーが、なぜいま自分たちの歴史を記したのか? そこに至る想い、そして導き出した答えとは?

一度、“振り返ることを終えよう”って言い切ってしまわないと、なかなか前に進めないっていう気持ちはどこかにあったんだと思います。

――いきものがかりのメンバーとの出会いから結成、メジャーデビュー10周年を迎えた現在に至るまでを振り返ったノンフィクションを書こうと思った理由から聞かせてください。

昨年の10月から書き始めたんですけど、最初はツイッターの企画として、ベストアルバムを盛り上げられたらな~というくらいの気持ちでスタートしたんですね。でも、やっぱり、10年というところで、自分自身も区切りだなと感じていて。いきものがかりというのは、曲が狭くならないように、自分たちのことをなるべく喋らないようにしてきたグループなんですけど、10周年だから許してもらえるかなっていうところもあって。自分たちのストーリーというか、自分たち自身のことも楽しんでいただけるタイミングなんじゃないかと思って、書いていったところが大きいですね。あとは、前書きに書いた通り、振り返ることを終えたいというか。ここで立ち止まるわけではないですし、まだまだ自分たちの活動を続けていきたいという気持ちが強いので、ここで一つの区切りをつけて、新たにリスタートするっていうことが必要なんじゃないかなっていうところで書いていった感じですかね。

――“振り返ることを終えたい”と思ったのはどうしてですか?

これだけ昔話を書いておいてなんですけど(笑)、10周年ということもあって、チームで話していても、思い出話がすごく多くなってきちゃっていて。常に前を向いているべきだと思うので、一度、“振り返ることを終えよう”って言い切ってしまわないと、なかなか前に進めないっていう気持ちはどこかにあったんだと思いますね。

――450ページ、28万字の物語を書き終えたことで区切りがつきました?

他のメンバーはどうか知らないですけど(笑)、自分はスッキリしてますね。スッキリしたというのも失礼な言い方ですけど、続いている本を1回、閉じて、また新しい本を書き出すというか、めくりだすというイメージを自分の中でもつことができました。結成から17年、デビューから10年やってきて、応援してくださる方も増えていって。下手したら、自分たちがどんな曲を出そうとも、CDを買ってくださる方が少ないながらもいるし、どんなライブをやっても会場に足を運んでくださる方もいる。そこに甘えてしまおうと思えば甘えてしまえるので、それはいけないなと思っていて。この本が、自分にとっては宣言というか。今までのことは今までのことであって、これからはまた新しい、それこそ白紙の物語が始まるんだよという意思表示にはなったのかなと思いますね。

―― 一度、本を閉じたところで申し訳ないんですが、今回だけ少し振り返ってもいいですか? 一人の少年が仲間に出会って成長し、国民的なグループになっていくビルディングスロマンとして、とても泣けました。実話ではありますが、良い青春小説を読んだ後のような余韻もあって。

ありがとうございます。ちょっと綺麗に描きすぎたかもしれないんですけど。

――書いている時はどんなことを思い出しました? 会話など、とても細かく描写されてますよね。

山下にも「そんな昔のこと、よく覚えてるな、お前」って言われたんですけど、自分としては、ここどうだっけな? って悩むタイミングはなく、頭の中にある記憶をただ書いてるだけなんですけどね。でも、書いていて改めて思ったのは、ベストアルバムのインタビューで綺麗なセリフにしていっていた、“いろんな人との出会いでやってこれました”っていうことですね。このタイミングでこの人に出会ってないと、3人がどうなってたかわからないなっていう人が、この本の中にもたくさん出てきて。ここには書ききれてない人との出会いもあるんですね。そう考えると、やっぱり、いろんな人とのつながりによって、本人たちが本来持ってる以上の力を引き出してもらったり、本来だったら掴むはずのない運を掴ませてもらったりしながら、17年間歩んでこれたんだなっていうことを、再確認する作業だったと思います。

――マネージャーやディレクターなど、スタッフとの出会いを綴った記述も多いですよね。しかも、皆さん、実名で出ていて。

名前を出しちゃったのは申し訳ないところもあるんですけど、結局、僕らのグループは、3人だけの物語じゃないんですよね。この人がいないと、このグループの物語は前に進まなかったっていう人ばかりなんです。ステージに立って、拍手を受けるのはこの3人だけであったり、曲を書いているのは誰か一人だったりするけど、音源になる前に、ライブが出来る前に、どれだけ多くのミュージシャンやスタッフが関わっているのか。もちろん、それを背負うのが僕らの仕事でもあるんですけど、そういう部分……普段はなかなか表に出ない共同作業の部分が、少しでも見えたらいいなという気持ちがありましたね。

――特にメジャーデビュー以降は、様々なプロデューサーさんとの出会い、二人いるディレクターさんが、それぞれがどんな仕事をしているのかなどの、内情も細かく書いてます。

僕らのグループは他のアーティストに比べて、特に共同作業が多いチームなんですよ。未だに、昔ながらのレコード会社生え抜きのディレクターがいて、大きなスタジオを押さえて、セッションミュージシャンを何人も呼んで、いっせーのせで録って、ミックスも時間をかける。昔の音楽業界というか、昔の音楽制作のスタイルを色濃く残しているタイプのプロジェクトだと思うんですよね。

――最後の世代になるんですかね。今はPC1台で最後まで一人でやれてしまいますし、効率の良さを優先する方も少なくないですから。

少人数の制作が多くなっていること自体は、良い部分も悪い部分もどっちもあって。どちらがいいということではないと思うんですけど。大人数での制作を見ることができた価値はあると思ってますし、職人がたくさんいるっていうことが伝われば嬉しいですよね。特に、本の中に出てくるディレクターやエンジニアはまさに、彼らがいないと作品の骨が出来ていかない、すごく大きな存在でもありますから。

――スタッフと同時に、影響を受けたミュージシャンの名前もたくさん出てきます。

自分たちの出自がどこであるかっていうのをちゃんと示しておきたかったんですね。ゆずさんという存在がなければ、今の僕らはいなくて。ゆずさんが、路上ライブをポップで誰にでも踏みこめるようなものとしてムーブメントを起こしてくれたことがきっかけで、なんの変哲も無い普通の高校生だった僕らが、ギターを持って路上に立つことができて、それが今に続いている。物語の中で外せないトピックだし、秦(基博)さんやファンキー加藤くん、奥華子さんとかも……。

――いわば、同期デビュー組ですよね。

そうですね。まだそんなにお客さんが入ってないライブハウスで一緒にやったり、地方を回ったりっていう経験をした人たちがいて。彼らからの刺激を受けてる部分もすごくあるんですよね。ファンモンなんかまさに、お互いにだんだんと会場が大きくなったりして。そのことをなかなかファンの方にいう機会はなかったんですけど、すごく勇気をもらってたんですよ。

――そんな関係だっていうことを知らなかったので、意外でした。いきものがかりがファンモンを意識してたなんて。

いや、すごく見てましたよ。本の中にも書きましたけど、四国のライブハウスで初めて出会って。他にもメジャーアーティストもいたけど、お客さん、全然集まらなかったんですね。その後、彼らも僕らもテレビの音楽番組に呼んでもらえるようになって。『Mステ』のスタジオの廊下で「よかった!」って言い合いながら握手したりとか。そういうこともありましたね。

――17年間を振り返る中で一番辛かったのは、聖恵さんが歌いたくないと言った時期だったとありますね。

デビュー前の1年間、初代ディレクターに鍛えられた時期も辛かったんですけど、僕はやっぱりあの時期が一番辛かったですね。でも、あの時、男子が吉岡を諦めなかったのが、本当に良かったなと思っていて。例えば、いま吉岡がなんらかの理由で歌いたくないって言い出したら、ぜんぜん待てると思うんですね。僕らも自信を持って、「じゃあ、吉岡が歌いたいっていう時まで待とう」って言えますけど、当時は何も先が見えてないし、僕ら以外の誰も成功するなんて思ってないわけですよ。その中で、吉岡が歌いたくないって言って。吉岡以外の歌の上手い子を探すっていうことを考えてもおかしくなかったはずだけど、なんか知らないけど、当時の男子二人は、吉岡以外はいないと思っていて。結局、約2年くらい待っちゃったんですよね。

――よく待てましたよね。19〜20歳の2年間を何の活動もせずに過ごすのはかなり辛かったと思います。

その時に比べたら、あとは“なんとかなるよね”っていう風になったのはあるのかもしれないですね。それが今の結束の強さにつながっているのかなって思います。

――原稿はメンバーの二人には見せましたか?

本になるときに原稿を見せて。吉岡からは、膨大な量の事実確認が来ました(笑)。“この時、こう言ってないと思うけど”っていう確認はきましたけど、感情的な部分に関してはあまり言われなかったですね。

――水野さんは何度も“これはあくまでも水野の視点です”ということを注意深くおっしゃってました。

そうですね。同じ場所、同じ時間に同じ経験をしていたとしても、心の中で考えていることや感じていることは3人バラバラだっていうことは常に頭の片隅に入れてました。だからなのか、山下なんて、本当に何もなかったです。普段はそんなことほぼないんですけど、原稿を見てくれって渡した後に、突然、電話がかかってきて。“きた!!”と、彼にとって嫌なことが書いてあったのかなと思ったら、“四国のライブハウスの順番が違う”って言われて。僕は、徳島が先にやって、高松が後だと思ってたんですけど、それが逆だったみたいで。“それだけ”っていう電話でした。それだけなのか、お前!っていう(笑)。あいつの中では絶対に思うことがあるはずなんですけど、“これは良樹の本だから”っていうスタンスを取る感じがまさに山下らしいなと思って。僕もたぶん、山下が過去を振り返って、僕を表現することがあったら、よほどのことがない限り何も言わないと思うし。それが彼らしいなと思いました。

――吉岡さんの反応は? 事実確認以外にもありましたか?

吉岡は、吉岡個人としてではなく、いきものがかりのボーカリストとしてこうありたいっていう意味での、ここの表現ってどうなのかなっていうことを気にしてましたね。彼女は、ずっといきものがかりのボーカルでいるんだなっていうことを感じたし、それも彼女らしいなと思って。自分たちのグループのメンバーのことをこんな風に言うのは恥ずかしいですけど、彼女はプロ意識が高いというか、どういう姿であるべきかをちゃんと考えてるんだなって実感しましたね。

 

これから、本当の意味での大人になっていく中で、3人とも自分なりの成長の仕方を見つけていかないといけないんじゃないかな。

――念願のメジャーデビューから「SAKURA」でのブレイク、ファーストツアーや初の『紅白歌合戦』への出場、「ありがとう」の大ヒットやロンドンオリンピックの放送テーマソング、1枚目のベストアルバムでのミリオン達成、水野さん個人での夢の実現を経て、最後に両A面シングルとしてリリースされた新曲「ぼくらのゆめ」の歌詞が綴られています。

この曲は、今までのいきものがかりの曲の中で特殊な曲で、自分たち自身のことを歌っているんですね。僕がメンバー二人に対して書いた手紙のような曲になっていて。

――インタビューの最初に“自分たちのことをあまりしゃべらない”と言っていたように、曲に関しても自分たち自身のことを歌ってこなかったですよね。

そうですね。歌と自分たちがこんなにもしっかりと繋がっているのは初めてのことなんですよね。そういう意味で、今までとは違うことに踏み込んでいるっていうことなんです。17年間のストーリーがあって、この曲にたどり着いた。しかも、その先を見てますよっていうことなんですね。次の10年に向かって、より挑戦していきますよっていうか、今までやったことのないことも、もしかしたらやるかもしれない。“かもしれない”という迷も含めて書いた本だし、歌詞なんです。繰り返しになりますけど、本来であれば、こういう本を出すグループではないんです。“語れば語るほど、曲と自分たちが結びついてしまって、曲が狭くなってしまう”。そう言ってきたこととすごく矛盾する本なんですけど、あえて出したのは、自分たち自身もある意味で商品というか、さらけ出していくことで、今まで届かなかった人にも届くような存在に繋がるんじゃないかっていう迷いの中での行動なんです。その迷いというか、葛藤しているというか、今の自分たちのあり方がそのまま出た本であり、シングルであるのかなと思います。

――もっと自分たち自身をさらけ出していく方向に向かうということですか?

まだわからないですね。ただ、自分たちを、もっと皆さんに、より親しみを持って見てもらえるような存在にならないといけないのかなって思うんですよね。メジャーで10年やってきた中で、いろんなアーティストの皆さんに出会ってきて。例えば、アイドルと呼ばれるような人たち、虚構も含めて自分自身をお客さんに楽しんでもらうものとして差し出してる。自分の体でエンターテイメントする人たちも横で見てきたけど、僕らはそうではなくて。

――アーティストでもツイッターやブログ、インスタを通して、誰と会って、何を食べたかまでファンと共有する方も増えてます。でも、いきものがかりは、ポップソングのあり方として、“私”を前面に押し出すことなく、楽曲優先、楽曲重視でやってきてますよね。

そこに誇りを持ってるんですけど、一方で自分自身をさらけ出して、自分自身を商品にする人たちの強さもすごいなって尊敬もしていて。そこに、ちょっと踏み込んだり、そこの厳しさを知ることが、もしかしたら自分たちにとってプラスになるかもしれないなっていう気持ちもあるんですよね。そこで痛い目にあって、やっぱり失敗だったって思うかもしれないけど、まだ迷いの中にいるのがいまの自分で、その迷いの中でこれかなと思っているのが、この本であったり「ぼくらのゆめ」っていう曲なんですよね。

――最新シングルの1曲目「ラストシーン」からも新しい挑戦を感じます。映画『四月は君の嘘』の主題歌として書き下ろした楽曲ではありますが、著書の中で語っていた「茜色の約束」と同じく、“死”をテーマにしていますよね。

歌のテーマということに関してはおっしゃる通りで、今までよりも違うところに踏み込んでいますね。僕は“いつか終わるよ”っていうことを必ず書くようにというか、常に胸に抱きながら書いていたんですけど、震災があったりとか、自分自身もちょっとずつ歳を経て別れを経験する中で、別れの先を生きなきゃいけない人がたくさんいるっていうことに気づいて。死というものに対して、一面しか見てなかったなっていうことを感じたんですね。それは、本当に迂闊だったし、僕が未熟だったなと思っていて。だからこそ、終わった先を生きなきゃいけない人に対して寄り添う曲というあり方もあるんだなと思ったし、終わりの先という意味では、「ラストシーン」や前のアルバムに入っている「春」は新しい挑戦ですね。

――この物語の続きはどう考えていますか?

それぞれが自立してというか、もっと成長していくことは絶対に必要だと思いますね。それぞれがパワーアップすることは必要なんだろうなっていうのは感じてます。いろんな人の力を借りながら3人でやってきて。チームでやるっていうことに、誇りも持ってるけど、逃げてきたところもあるはずで、それぞれが責任を持って成長していかないといけないところもある。それを、これから、本当の意味での大人になっていく中で、3人とも自分なりの成長の仕方を見つけていかないといけないんじゃないかなって思ってます。それがどんなことなのかは、まだちょっとわからないですけど。

――いきものがかりはチームの外に出ることはしてこなかったですよね。例えば、男子2人は女性シンガーに楽曲提供することもありだろうし、まだコラボもしてなくて。

楽曲提供やコラボという形をとるかどうかはわからないですけど、結果的に、いきものがかりというグループにとってプラスになっていけばいいな、と思いますね。具体的にいうと、例えば、吉岡はいきものがかりにあまり興味のない方からは「いきものがかりのボーカル」って呼ばれることが多いんですね。たとえば僕らが憧れてたJUDY AND MARYは、YUKIさんのことを“ジュディマリのボーカル”とは呼ばれてなかった。YUKIさんのようにカリスマになることが全てじゃないですけど、吉岡はいきものがかりのボーカルとしてずっといて。それが、これからは吉岡聖恵になる瞬間があった方がいいし、僕が水野良樹、山下が山下穂尊になる瞬間もあった方がいいとは思ってます。一人ひとり、それぞれがちゃんと魅力を伸ばしていって、それがまた一つずつ重なることは、必ずいきものがかりにとって、プラスになると思いますね。

取材・文=永堀アツオ


 
リリース情報
両A面シングル「ラストシーン/ぼくらのゆめ」
いきものがかり「いきものがかり「ラストシーン/ぼくらのゆめ」」

いきものがかり「いきものがかり「ラストシーン/ぼくらのゆめ」」

2016年8月24日発売
ESCL-4659 ¥1,111+税
※初回仕様限定盤特典 いきものカード049封入
※初回仕様限定盤が無くなり次第、通常盤を出荷
<収録曲>
1. ラストシーン
2. ぼくらのゆめ
3. ラストシーン -instrumental-
4. ぼくらのゆめ -instrumental-

 

書籍情報
『いきものがたり』
発売日:2016年8月26日(金)
本体価格:1,574円(消費税別)
出版社:小学館
 
『いきものがたり』

『いきものがたり』

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