アラーキーの原点を妻・陽子の写真でたどる『荒木経惟 センチメンタルな旅 1971- 2017-』レポート
〈センチメンタルな旅〉 1971年 より 東京都写真美術館蔵
東京都写真美術館にて『荒木経惟 センチメンタルな旅 1971- 2017-』(会期:2017年7月25日~9月24日)が開幕した。
7月24日に行われた内覧会にて作品解説する荒木経惟。 「今回は完全にキュレーターにまかせた。人に頼むと自分が忘れていたものもはっきりと浮かび上がっていい」と語った。
荒木経惟については、今年だけでも国内外あわせて大小20もの展覧会が企画されている。とりわけ本展は、東京オペラシティ アートギャラリーで開催されている『写狂老人A』(会期:2017年7月8日~9月3日)に続く大規模個展のひとつであり、妻「陽子」に焦点をあてた展覧会である。
妻・陽子の写真を背景に。左側のポートレイトは遺影に使われた。
「陽子が私を写真家にしてくれた」という荒木の言葉が示すように、60年代の出会いから90年代の死に至るまで、陽子は荒木作品のなかで最も重要な被写体であり、死後もなお荒木の写真に多大なる影響を与え続けている特別な存在だ。
〈センチメンタルな旅〉 1971年 より 東京都写真美術館蔵
ゆえに、陽子を被写体にした写真や、その存在を色濃く感じさせる多様な作品を集めた本展は、荒木の写真家としての原点に触れ、彼の写真論の中核を成す「私写真」をじっくりと考察できるまたとない機会となっている。
〈わが愛、陽子〉 1968-1970年 より
終わることのないセンチメンタルな旅
本展タイトルにもなっている『センチメンタルな旅』は、荒木が自身の新婚旅行を撮った写真集。1971年に私家版として1000部限定で刊行され、2016年には復刻版が出されている。
結婚式の写真は私家版写真集『センチメンタルな旅』の表紙に使われた。
末尾に「1971- 2017-」と加えられているのがポイントで、その経緯について荒木は「最近はもうそろそろこの辺りでゴールのテープを切ってもいいのではないかというような心境になっていたが、『2017』の後にも棒線を引いてみたら、なんかまだ続いていくような感じがしてきた。最後の棒線『-』はすごく重要な意味をもっている」と語っている。
〈写狂老人A日記 2017.1.1-2017.1.27-2017.3.2〉 2017年より
「センチメンタル」というフレーズへのこだわりは、ほかにも『10年目のセンチメンタルな旅』(1982)、『センチメンタルな旅 冬の旅』(1991)、『センチメンタルな空』などたびたび写真集のタイトルに冠していることからも明らかで、荒木の心情を表す最も適切な形容詞と言っていいのかもしれない。
「写真そのものがセンチメンタル」と語る荒木の旅路は、「神からもらった才能を生きてる間に使い切れるかな」という本人の心配をよそに、まだまだ終わりそうにない。
妻であり被写体であり共犯者でもあった陽子
〈東京物語〉 1989年 より 「このなかで1点だけ選べって言われたらこれかな。彼女の孤独感がよく出てるいい写真だよな(荒木)」
『センチメンタルな旅』(1971)の題字には陽子の手書き文字が使われ、結婚生活を陽子の写真のみで構成した『わが愛、陽子』(1978)には陽子のエッセイが添えられたりと、陽子は共同制作者としての側面も強く持ち合わせていた。
『センチメンタルな旅』の表紙。
1984年に発表された『ノスタルジアの夜』には陽子による虚実が織り交ざった小説が寄せられ、タルコフスキーの映画『ノスタルジア』を観たあと二人の間に起こった“コト”を確信犯的にさらけ出している。そこには二人の関係性が単なる「写真家とその妻」にとどまらない事実が横たわっており、陽子なくしては写真家・荒木経惟が成りえなかったといっても過言ではないだろう。
〈冬の旅〉 1989-1990年 より
「彼は私の中に眠っていた。私が大好きな私、を掘り起こしてくれた」と語るように、陽子もまた荒木に撮られることで自身の感性に磨きがかかり、個性をさらに覚醒していった。それは、荒木の撮る陽子の美しさを目前にすれば語らずとも明白である。
生のカラーから死のモノクロームへ
陽子を被写体とした写真から一転、『食事』(1993)は陽子の手料理を淡々と撮り続けたシンプルな作品である。にもかかわらず、アップに写された食べ物は妙に艶めかしく、写真集の帯書きに記された「食事、情事なり」の言葉はその様子を如実に示している。
〈食事〉 1985-1989年 より
この作品が単なる料理写真で終わらないのは、途中から表現をモノクロへと変化させた背景にその答えがある。モノクロで撮られた写真は、入院していた陽子が帰宅を許された期間に作った最後の食事だったのである。
〈食事〉 1985-1989年 より
陽子は知っていたにちがいない、あと1ヶ月の命だとゆーことを。
いままでマクロレンズにリングストロボをつけてカラーで写してたのを、
モノクロームに変えた。テーブルライト1灯、3脚つけて、F32 1秒。
長い1秒のシャッター音 忘れられない。
食事は、死への情事だった。
(『食事』1993年 マガジンハウス より抜粋)
陽子が現れない、彼女の愛情表現ともとれる食事のみを写真に切り取ることで、むしろそのかけがえのない存在の気配を強く感じさせる。
陽子を亡くした直後に撮影された、陽子の愛用していたワイングラスや、二人のスニーカー片足ずつを並べて撮った写真にも同じことは言え、その後とりつかれたかのようにレンズを空に向けたのは、被写体との絶対的な関係性の上に成り立つ「私写真」に長けた才能ゆえの苦しみからかもしれない。
〈近景〉 1990-1991年 より
幾多の死を乗り越え、とにかく毎日撮り続ける
荒木が死に直面したのは陽子の死だけではない。2009年に前立腺癌を発症し自身の死を、2010年には愛猫チロが大往生し家族の死を再び意識している。ただ、荒木が稀代の写真家であるのは、いつの時代にも写真で現実を直視し、感情をぶつけ、強い気持ちで生へと向かっていっているところである。
〈遺作 空2〉 2009年 より
精力的な写真活動とは裏腹に「老境の域に入ってきた」とも語る荒木だが、いまあらためて自身が撮ってきた写真を振り返り「自分の写真に励まされている」とも語っている。
「意図したわけじゃなく、無意識に写っちゃってるのが自分の写真のいいところ。『撮った』んじゃなくて『撮ることにそうさせられた』『カメラ自体にそうさせられた』んだよね」と写真を撮る行為の“受動性”を強調しながら荒木は説明する。その言葉の端々には、彼の優しさやナイーブな人間性がにじみ出ており、まさしく感傷的であり、「センチメンタルな旅」は荒木経惟にしかできない生き方なのである。
本展のラストを飾る最新作の前で。
日時:2017年7月25日~9月24日
会場:東京都写真美術館2階展示室 https://topmuseum.jp/contents/exhibition/index-2795.html
開館時間:10:00~18:00[木・金は20:00まで]
※7月20日~8月25日の木・金は21:00まで開館
※入館は30分前まで
休館日:毎週月曜日[9月18日(月・祝)は開館し、19日(火)は休館]
観覧料:一般900円/学生800円/中高生・65歳以上700円