藤田嗣治『FOUJITA』展が、パリ・マイヨール美術館で開催中 「狂気の時代」を生きた画家の作品をレポート
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パリのマイヨール美術館で開催されている藤田嗣治(レオナール・フジタ)の展示会、『FOUJITA Peindre dans les années folles』に足を運んできました。
藤田嗣治は、1920年代のパリ「狂気の時代」(les années folles)に活躍し、ふたつの世界大戦の時代を経て数多くの作品を残した画家です。
フランスに住む筆者は、正直なところ日本にいた頃は彼の名前すら知りませんでした。ところが、パリに住んでみるといかに彼がパリのアートの歴史の中で、もっとも有名な日本人アーティストかということを知りました。パリに住む日本人ならば、藤田のことを知らなければパリジャンになれないというほど、彼の存在は大きいのです。
会場には、なかなか普段まとまってお目にかかることのできない100点以上の藤田作品が時代を追って紹介されています。彼の代表作である子供や猫、パリの男や乳白色の肌をしたパリの女たちはもちろんのこと、彼の作品を生み出した製作道具も展示されていました。
藤田が生前愛用していた画材がガラス瓶に入れられたものが展示されており、藤田直筆と思われる手書きのラベルが張られていてほっこりした気持ちに。
数多くの作品に混じって、当時の藤田の白黒写真も紹介されていました。粋なパリジャンとして、丸めがねとピアス、手作りのコスチュームでキメた彼の姿。当時、パリで認められ、堂々とした存在感が写真からもオーラのように感じ取れます。
展示作品や写真に混じって、彼の人柄や作品について様々なアーティストたちが残した言葉も紹介されていました。中でも興味深かったのが、フランス詩人のFritz Vanderpylによる以下の言葉です。
「フジタは私たちの日常生活を縁取ったイメージを絵描いている。郊外や、街角、田舎といった風景、子供や、ペット、そして、インテリアなどだ。
それはまるで、不思議な水晶玉を通して見るようであり、私たちの生活を新しく感じさせてくれる気がするのだ」
ちょうどこの言葉が記された壁に、私と同じく足を止めて見入っていた白髪のムッシュが、「その通りだなぁ」とうなっている声が聞こえてきました。
鑑賞者である私は日本人なので、藤田が残した作品は「ああ、こういうパリジャン、こういう空気は今のパリでもあったりするなぁ」と、共感に近い視点で鑑賞していました。でも、この言葉とそれにうなるムッシュを見て、当時も今も、パリジャンたちは藤田の目と作品を通してパリを見、新しい発見に驚かされているという視点の違いに気づかされました。
この展示会で彼の代表作などにも十分惹き付けられたのですが、筆者の心に残ったのは、なんてことのないパリの街角の風景画や、テーブルの上の手芸道具を描いた静止画でした。
藤田が生きた時代に比べて、十数時間も飛行機に乗れば日本とパリを行き来できる現代。そうであっても、 やはり異国で感じる心細さというものがあります。そんな寂しさのようなものが、彼の小さな作品の中に現れている気がしてドキリとしたのです。
派手ではない地味な藤田の生活の視点こそ、同じくパリに住む日本人として共感させられるものがあり、藤田がより身近に感じられたのでした。