特別展『顔真卿 王羲之を超えた名筆』レポート 奇跡の来日を果たした《祭姪文稿》を拝見
2019年1月16日(水)~2月24日(日)の期間、東京・上野の東京国立博物館で、特別展『顔真卿 王羲之を超えた名筆』が開催されている。甲骨文字から清時代の書まで広く扱う本展は、普段見ることのできない各時代の名品が一堂に会する、またとない機会だ。以下、見逃せない展示の数々を紹介する。
美しい楷書と三大家の名品の数々
漢字の書体はさまざまに変化してきた。漢字の五書体は篆書(てんしょ)が最古で、次に篆書を簡略化した隷書(れいしょ)が開発され、更に隷書を簡略化した草書・行書・楷書(かいしょ)が続く。この中で、一点一画の楷書が後に公式書体となった。本展では、王羲之の《蘭亭序(らんていじょ)》の複製のひとつである《定武蘭亭序(ていぶらんていじょ)―犬養本―》より行書が、また王羲之の《十七帖―上野本―》より草書が出品されている。つまり、書聖の手によるさまざまな書体と対面する贅沢を味わえるのだ。
王羲之筆《定武蘭亭序―犬養本―》東晋時代・永和9年(353)
王羲之筆《十七帖―上野本―》東晋時代・4世紀 京都国立博物館蔵
本展では、数々の素晴らしい楷書を見ることができる。《美人董氏墓誌銘(びじんとうしぼしめい)》は力強くも雅さがあり、《龍山公墓誌銘(りゅうざんこうぼしめい)》はふっくらとした豊かな線を見せる。書のコレクターである李宗瀚が所持した後、「李氏の四宝」に定められた《啓法寺碑―唐拓孤本―》はかっちりとした険しい気配を漂わせる。さまざまな美の様相を携えた名品の中で、好みの書を見つけられるだろう。
左より:《美人董氏墓誌銘》隋時代・開皇17年(597)東京・台東区立書道博物館蔵、王羲之筆《心太平本黄庭経》東晋時代・永和12年(356)
《龍山公墓誌銘》隋時代・開皇20年(600)東京・台東区立書道博物館蔵
初唐の書の三大家は欧陽詢(おうようじゆん)、虞世南(ぐせいなん)、褚遂良(ちょすいりょう)であるが、本展では全員の作品をふんだんに堪能できる。とりわけ《九成宮醴泉銘(きゅうせいきゅうれいせんのめい)》は、欧陽詢が勅令を受けて書いたもので、「楷書の極則」と呼ばれる集大成だ。この楷書の究極と言える書を、欧陽詢は齢76歳にして揮毫している。気迫と品格に満ちた字姿はあらゆる楷書の理想を体現しており、眼福にあずかることに感謝したくなる逸品だ。
左より:欧陽詢筆《九成宮醴泉銘―海内第一本―》《九成宮醴泉銘―天下第一本―》《九成宮醴泉銘―官拓本―》いずれも唐時代・貞観6年(632)東京・三井記念美術館蔵
欧陽詢筆《九成宮醴泉銘》唐時代・貞観6年(632)東京・台東区立書道博物館蔵
顔真卿が仕えていた玄宗皇帝の作品も見逃せない。楊貴妃を寵愛し夢中になった挙句、政務が弛緩し世が乱れたというエピソードで有名な玄宗は隷書好みで多くの隷書碑を残しており、その大ぶりで華やかな字は書の流れに影響を与えたという。本展では、山東省泰山の崖に刻まれ、玄宗が泰山に登った経緯を記した書である《紀泰山銘》が公開されている。本作は後に続く顔真卿の《祭姪文稿(さいてつぶんこう)》に呼応する形で展示されており、壮大なスケールで鑑賞できる。
唐玄宗筆《紀泰山銘》唐時代・開元14年(726)東京国立博物館蔵
書の真骨頂 顔真卿 《祭姪文稿》からにじみ出る情念
顔真卿の作品は長年、44歳時点の書《千福寺多宝塔碑(せんぷくじたほうとうひ)》が最も若い時代の書であるとされていたが、近年、42歳の若書きである《郭虚己墓誌(かくきょきぼし)》と、33歳時点の書《王琳墓誌―天宝本―》が発見された。《王琳墓誌―天宝本―》《郭虚己墓誌》《千福寺多宝塔碑》は並べて展示されており、顔真卿の33歳時点、42歳時点、44歳時点の鍛錬の成果と書風の変遷を見比べることができる。
左より:顔真卿筆《千福寺多宝塔碑》唐時代・天宝11年(752)東京国立博物館蔵、《郭虚己墓誌》唐時代・天宝8年(749)埼玉・淑徳大学書学文化センター蔵、《王琳墓誌》唐時代・開元29年(741)埼玉・淑徳大学書学文化センター蔵
本展のハイライト、《祭姪文稿》の展示空間は緋色のトーンでまとめられ、主役にふさわしいドラマチックな雰囲気の空間で公開されている。
玄宗皇帝の治世、逆臣・安禄山による安史の乱が勃発した。顔真卿とその従兄の顔杲卿(がんこうけい)は賊軍に抵抗し、顔杲卿の息子の顔李明(がんきめい)が連絡係となった。顔杲卿親子は力を合わせて要衝を奪還するが、賊臣・王承業が援軍を出さなかったために親子は殺害される。本作は、顔真卿が非業の死を遂げた甥の末子顔李明を悼んだ弔文の草稿であり、《祭姪文稿》の「姪」は顔李明、「文稿」は草稿を意味する。
顔真卿の筆致を見ると、最初は冷静さを保とうとしているようだが、進むにつれて行が曲がって歪んでいく。荒ぶる筆致は激情を伝え、紙面は書き手の感情の動きがそのまま見えるような気迫に満ちている。卑劣な王承業に対する義憤に駆られ、感情を抑えられずに手が震えたのか。将来を約束されていた甥を殺害された哀しみに囚われ、涙で紙面が見えなくなったのか。顔真卿の心情を想像すると、筆者の身に起こった悲劇の重さを追体験し、悲哀が共有されるような感覚にとらわれる。
《祭姪文稿》を鑑賞していると、書は、文字の意味が完全に理解されなくても感動を与えられるのだという感慨を覚える。線質や余白や墨色、そして字のかたちを超越して人を惹きつけるオーラ。本作が示すのは書の本質的な力であり、芸術(美術)の神髄であるとすら思えてくる。
《祭姪文稿》は《祭伯文稿(さいはくぶんこう)》《争坐位稿(そうざいこう)》と合わせて「三稿」と呼ばれ、顔真卿の代表作とされており、本展では《祭伯文稿》《争坐位稿》も見ることができる。他にも顔真卿が老年に至ってからの作品や、顔真卿の字の中で最も大きい作例のひとつである《逍遙楼三大字》などが揃い、「顔法」と呼ばれる顔真卿のダイナミックな筆法や、特徴である「蚕頭燕尾」(さんとうえんび:蚕の頭のように起筆が丸く、燕の尾のように右払いがふたつに分かれているさま)を鑑賞できる。
左より:顔真卿筆《臧懐恪碑》唐時代・大暦3~5年(768~770)頃 東京国立博物館蔵、《逍遥楼三大字》唐時代・大暦5年(770)東京国立博物館蔵
懐素の神品、最澄や空海の名作、清時代の傑作……
まんべんなく配された至宝の数々
酒が大好きで、酔うと所構わず字を書き散らしたエピソードで有名な懐素の手による諸作品も見どころのひとつ。夏雲が風にのり、無限に変化するさまを見て書の秘訣を知ったという懐素が得意としたのは、草書を極端に崩した書体・狂草で、当時の名士たちはこぞって賞賛したという。《自叙帖(じじょじょう)》は懐素が自身の経歴や、寄せられた賛辞の詩文を引用して書いたもの。縦横無尽に走る線と字形、余白のバランスなどは傑出しており、思わず見入ってしまう迫力がある。一方で、最晩年の作品とされる《小草千字文(しょうそうせんじもん)》は伝統的な草書であり、一字一金の価値があるということで「千金帖」と呼ばれる神品だ。こちらは《自叙帖》の奔放さとはうって変わり、平淡で枯れた情緒を漂わせる。
懐素筆《自叙帖》唐時代・大暦12年(777)台北國立故宮博物院蔵
その他、墨の描線だけで表わす「白描」の名手・李公麟(りこうりん)の手による作品で、清代の乾隆帝のコレクションだった《五馬図巻》や、日本における唐時代の書の影響と受容を示す最澄や空海の書、王義之の書法から離れ、顔真卿などの影響を受けながら自身の書法を築いていく清時代の書家の名品など、6章に分かれた展示空間にまんべんなく国宝級の作品がある。会場のすみずみまで見逃さずに鑑賞したい。
李公麟筆《五馬図巻》北宋時代・11世紀 東京国立博物館蔵
《祭姪文稿》は台北の國立故宮博物院でも数年に一度しか公開されない大変な至宝だ。《祭姪文稿》が海外に出されたのは1997年のワシントン・ナショナルギャラリーでの紹介のみ。この名品中の名品が来日を果たしたのは奇跡であり、再び日本で鑑賞できる機会はかなり先の話か、もしくは二度とないだろう。
《祭姪文稿》の他にも三大家の作品など、見どころ満載の本展だが、会期は6週間程度と短く、また鑑賞には時間がかかるため、会期が遅くなるにつれ混雑が予測される。各地から集結した名品を楽しめるこの機会を逃さず、貸していただいている各美術館・博物館に感謝して鑑賞したい展覧会だ。
イベント情報
会場:東京国立博物館
開場時間:9:30~17:00(入館は閉館の30分前まで)
(ただし、会期中の金曜・土曜は21:00まで開館)