劇団子供鉅人・益山貴司インタビュー ~ 家公演『SF家族』で描く、未来の家族の姿とは
益山貴司
劇団子供鉅人が家公演『SF家族』を2019年4月1日(月)~29日(月・祝)に、目黒にある一軒家ギャラリー「rusu」で上演する。。東京に拠点を移す前の大阪時代に、劇団主宰の益山貴司の住まいだった築100年の長屋を使って始まった家公演。新作は7年ぶりとなり、東京での開催は初となる。再開することとなった経緯とはどのようなものだったのか。作・演出を手掛ける益山貴司に、劇団の原点の一つである家公演について話を聞いた。
■場所との出会いがすべて
——今回の会場となる一軒家(レンタルギャラリー「rusu」)の外観は、昭和っぽくていい雰囲気ですね。
中も昭和っぽくていい感じですよ。オーナーは現代美術の作家さんで、おばあちゃんが老人ホームに移り、住んでいた家が空き家になったので、その家を貸しギャラリーにしたという場所です。たまたまうちの劇団員の一人が「こんな面白いところがある」と、見つけてきました。
レンタルギャラリー「rusu」外観
——今回の家公演は最適な家が見つかったことで決まった、という流れでしょうか?
そうですね。私たちは劇場以外の場所で公演することも多いのですが、そういった作品は場所との出会いがすべてです。雰囲気のいい家だったので、ここだったらいろいろできるなと。
——家公演は、益山さんのお住まいであり、カフェバーをしていた[ポコペン]で始められたんでしたね。
カフェバーの営業は10年ほどで、その期間はコンスタントに家公演をやっていましたね。まあ、ご近所の苦情もいただきながら。
——(苦笑)
ただ大家さんが理解のある人で、「若い人がやっていることだから」と、かばってくれたんですよね。
——すごくいい話じゃないですか。
そうなんですよ。大家さんはクリエイティブなことに理解を示してくださる方で。若い頃は黒テントさんが大阪公演で来たときに、自分の家を宿として提供していたこともあったそうです。
——逆にrusuのような場所が見つからなかったら、東京で家公演をやることはなかったですか?
そうですね。東京でも美容室とかライブハウスだとかでちょっとした演目はしてたんですが、「これだ!」って言う場所となかなか巡り会わなかった。例えば、カフェとかバーとか、お店はもともとパブリックな場所なので、公演しやすいと思うんです。だけど、演劇を上演する場所じゃないような、制限がかかる場所を探し求めていた。そういう意味では「rusu」は狭いし、家だし、制限しかない。「制限から芸術は生まれる」って誰かが言ってましたね。
——久しぶりに家公演をやるということになって、劇団員の方々とはどういうやりとりをされたんですか?
それがあまり盛り上がった感じではなくて、今までやってきたことだったので自然に「さあ“家”をやろうぜ」という流れになった感じで。外注のスタッフさんを入れるわけじゃないから、なんでも自分たちでやりこなすので「忙しくなるぞ」みたいな。
■公演場所としてのフレームの強度が高い
——初めて「rusu」を見たとき、どんなことをお感じになりましたか。
ファーストインプレッションは、「あ、懐かしいな」という感じでした。私自身も古い家に住んでいましたし、祖母も長屋に住んでいたので。
あと、まだ生々しい空気感が漂っているところが気に入りましたね。直前まで人が住んでいた痕跡があって、変わった場所に手すりがついていたり。そういう生々しさって舞台美術では作り出せない味わいがあるんです。
益山貴司
——家公演の特徴の一つである、家自体から借景する点についてですが、物語はその生々しい家の空気感から膨らませていったということでしょうか?
というか、もう単純に家は場所としてクオリティーが高いんです。入っただけでお客さんはワクワクするし、部屋の中に人が立っているだけで芝居が始まるというピーター・ブルック的な、場所としてのフレームの強度の高さがあると思うんですね。
もちろん劇場でもブラックボックスでもワクワクすると思います。ですが具体的な家という場所だからこそ、お客さんは「ここでどんな物語が始まるの?」と、想像力がかき立てられるわけです。
逆に素舞台などと比べると、家という存在自体が具体的すぎるために、何をやってもリアルになるということもあります。だからこそ、そこに宇宙人が出てくるようなことがあれば空間が歪むというか、不思議な感覚に陥るんじゃないかと思います。
——劇場とは違ったリアリティーや没入感があるんですね。
大阪でやっていた時に、よくお客さんから聞いたのは「まるで自分が透明人間になって、家の日常を覗き見している感覚になる」という感想でした。劇場なら目線をそらすと照明が見えたりしますが、家は360度どこを見ても家ですから。家公演でお客さんは、見ているというより、体験しているという感覚だと思います。
■益山貴司が思う、未来の家族の姿
——作品についても伺いたいのですが、今回「SF」と「家族」を題材にされた理由は?
最初は全く違う話を考えていて、ある家に住むおじいちゃんとお父さんと現在に生きる私たち親子3代の記憶が、重層的に折り重なるような作品にしようと思っていました。それはそれで良いのですが、家である必然性がありすぎて、いまいち外していないなと。単純に家で家族の物語を上演したら、会場に来たお客さんも「まあ、そうだね」と思うじゃないですか。それってエンターテインメントとして当たり前すぎると思うんです。でも、家が宇宙船だったとしたら、「え、どういうこと?」ってなるでしょう?
——「昭和感の漂う家が宇宙船って、どういうこと」と、思いました(笑)
そうなんです。しかも「未来の話って、何?」と想像力が掻き立てられるので、お客さんを引き込むフックにもなると思ったんですね。
「rusu」が昭和の家なので、作品はそこに住むちょっと昭和な家族の話になりますが、コメディー作品でもあるので、彼らに宇宙的な災難が次々と降りかかってきます。例えばこんな男(宇宙人)と結婚は許さないとか。ただそれは結局、実人生のメタファーでしかなくて、こういった問題は人間が人間である限り、人の感性において発生する普遍的な問題でしかないと思うんですね。
益山貴司
——なるほど。では、その話がテーマである「家族の進化」にどう絡んでくるんでしょうか?
SF仕立ての家族の話にしようとなった時に、未来の家族はどうなっていくのか、ふと考えたんです。現代の私たちにとって、もはやサザエさんってSFじゃないですか。「ある? こんな家」みたいな。あるのかもしれないですけれど、まさに昭和の家族で、平成では多くが核家族になっている。大家族、核家族……その次はどんな家族になっていくのかと。
——益山さんが考えたその未来の家族の形を、作中では見ることができるんでしょうか?
父親と他の家族が思う家族観にズレが生じる中で、彼らはなんとか家族の形を保とうとします。“家族”という形にこだわる理由は、この家族がなぜ宇宙を漂っているのかという設定にも絡んでいるのですが、私なりの一つの答えとして、そこから導き出された新しい家族のあり方をエピローグで少しだけ提示します。
——ちなみに、益山さん自身が思う家族の形、家族観とはどういったものでしょうか?
今36(歳)ですが、自分が子どもの頃に思う36歳っておじさんで、子どもは3人ぐらいいて、釣りが趣味みたいなイメージで。
——(笑)
そういう老年に若干さしかかった年季の入った大人を想像していましたが、いざその年になってみるとそうでもなくて。また、大人になると結婚をして子どもがいて、家庭を持っているだろうと当たり前のように思っていました。でも実際はそうなっていなかった。平成もいざ終わりという頃に、子どもの頃に夢想した家族を自分が作っていないのはなぜなんだろうと。
——子どもの頃に思い描いていた大人の姿や家族像とは違ったものになった、という人は多いでしょうね。
すでに大家族は古い家族の形であって、今は個人の時代です。ですが、そういうノスタルジックな家族観も、容易に捨てきれないと思うんです。そう感じるのは、自分が子どもの頃に家族の中で過ごしていた経験があるからこそで、これからどんどん人類が家族の中で過ごす経験が少なくなっていったら……どうなっていくのかわからないですよね。
——ただ益山さんは、個人主義を批判しているわけでもないんですね。
そう、批判ではなく単純な疑問なんです。
——最後に、7年ぶりで東京では初となる家公演に期待していることがあれば、お聞かせください。
大阪に拠点を置いていた頃は、家や船上といった、劇場ではない場所での公演の方が多かったのですが、東京に来てからは(都内では)劇場でしかやっていません。久しぶりの家公演で、15人のお客さんと濃密な時間を過ごしたいですね。
また、家公演は借景をしているため、他の場所では再演ができません。だから超一期一会空間です。その空間をお客さんと共有できたらと思います。
益山貴司
取材・文=石水典子