『ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター』鑑賞レポート 大反響のソール・ライター展が多数の未発表作品とともに再来日

レポート
アート
2020.1.21
手前:ソール・ライター《帽子》1960年頃、発色現像方式印画 (C)Saul Leiter Foundation

手前:ソール・ライター《帽子》1960年頃、発色現像方式印画 (C)Saul Leiter Foundation

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ニューヨークで活躍した写真家ソール・ライターの足跡を追う回顧展『ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター』が、1月9日から3月8日まで東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで開催されている。1950年代から1980年代まで商業写真の世界で活躍し、その後、21世紀以降になって“カラー写真のパイオニア”として再評価を受ける写真家ソール・ライター。その功績はドキュメンタリー映画などを通じて日本にも広がり、同館での回顧展は2017年に次ぐ約3年ぶり2度目の開催となる。ここでは開幕前日に行われた内覧会の内容をもとに本展の鑑賞レポートをお届けする。

大反響だった2017年の初開催を受けて、約3年ぶり2度目の開催

1923年にアメリカ・ペンシルバニア州のピッツバーグで生まれたソール・ライターは、23歳の時に画家を目指してニューヨークに移る。その後、友人の勧めでカメラに関心が芽生え、モノクロ写真からカラー写真への過渡期にいち早くカラーフィルムを取り入れ、ハーパーズ バザー誌やエスクワイア誌といった有名雑誌で活躍するなどファッション写真家として名を上げる。その後、1981年に自らの写真スタジオを閉鎖し、商業写真の第一線からも退いた。

ソール・ライター《セルフ・ポートレイト》1950年代、ゼラチン・シルバー・プリント (C)Saul Leiter Foundation

ソール・ライター《セルフ・ポートレイト》1950年代、ゼラチン・シルバー・プリント (C)Saul Leiter Foundation

その名前が再び脚光を浴びるのは21世紀に入ってからのこと。2006年にドイツの出版社が初の写真集を出版。2008年にはパリでアンリ・カルティエ=ブレッソン財団によるヨーロッパ初の個展を開催。そして、2013年には映画『写真家ソール・ライター 急がない人生で見つけた13のこと』が米国で公開されて再評価の波が世界的に高まったが、惜しくもその年に89年の生涯を閉じている。

展示風景

展示風景

その波は日本にも伝播。2017年に今回と同じBunkamura ザ・ミュージアムで開催された日本初の回顧展は、同館が行う個人の写真展としては異例の入場者数を記録し、約3年ぶりという短いスパンで2度目の開催に至った。本展には前回展示されなかった代表作のほか、彼が住んでいたニューヨークのイースト・ヴィレッジの仕事場から新たに発掘された作品、デジタルカメラを取り入れた晩年作など約200点の作品が来日している。

貴重なコンタクトシートや初公開のスニペットも

展覧会ロゴを配した会場エントランスには、中判カメラのファインダーを覗き込むライターのセルフポートレイトとともに「私に写真が与えてくれたことのひとつ、それは、見ることの喜びだ」という彼の残した言葉が添えられている。このほかにも場内の展示には、彼の含蓄ある言葉を随所に見ることができる。

会場エントランス

会場エントランス

本展は大きく2部に分けて展開され、第1部ではソール・ライターという写真家の世界に迫り、第2部では「ソール・ライターを探して」というテーマで新たに発掘された作品からライターの個人的な側面に迫る。まず、前半の第1部ではライターの写真家としてのキャリアを時系列に沿って追っていく。

右:ソール・ライター《無題》1970年頃、ゼラチン・シルバー・プリント  左:ソール・ライター《無題》1960年代、ゼラチン・シルバー・プリント (C)Saul Leiter Foundation

右:ソール・ライター《無題》1970年頃、ゼラチン・シルバー・プリント  左:ソール・ライター《無題》1960年代、ゼラチン・シルバー・プリント (C)Saul Leiter Foundation

最初の部屋には初期からのモノクロ作品が展示されている。ライターが本格的に写真を撮り始めたのは、画家を目指してニューヨークに居を構えた20代前半のこと。内覧会でギャラリートークのゲストに招かれたソール・ライター財団のマーギット・アーブ氏は「ニューヨークに着いた当時、彼は寝るところも無く、セントラルパークのベンチで夜を過ごすこともあった。その後、美術を学んでいる頃に『フォトグラファーになれば何とか食べていけるよ』と友人に勧められて写真を始めた」とその当時の状況を解説する。

手前:ソール・ライター《キス》1952年、ゼラチン・シルバー・プリント (C)Saul Leiter Foundation

手前:ソール・ライター《キス》1952年、ゼラチン・シルバー・プリント (C)Saul Leiter Foundation

四六時中、空気のように街を歩き、愛用のライカでニューヨークの風景を撮り続けたソール・ライター。主題にフォーカスしすぎない構図、大部分の影の中で光を引き立てる大胆な感性、究極の一点を切り取る卓越した視点……。モノクロ写真の数々からは、初期の頃から彼が「カメラマン」ではなく確固たる「フォトグラファー」として成熟していたことがよくわかる。

「コンタクトシート」の展示

「コンタクトシート」の展示

ここでは、ひと綴りのフィルムをスリーブごとプリントした「コンタクトシート」にも注目してほしい。同じフレームで撮影された複数のコマからは、撮影者の視点を点ではなくストーリーとして感じることができる。

「スニペット」の展示

「スニペット」の展示

また、この部屋では近年新たに発見された「スニペット」という作品群も見られる。これは名刺サイズに焼いたモノクロ写真の周囲を手でちぎり、独特の質感を持たせたライター独特の楽しみ方。家族や恋人ら親しい人々が一枚一枚に写り、完璧じゃないもの、小さなものを好んだ彼の人柄が表れている。

ソール・ライター《高架鉄道から》1955年、発色現像方式印画 (C)Saul Leiter Foundation

ソール・ライター《高架鉄道から》1955年、発色現像方式印画 (C)Saul Leiter Foundation

次の部屋にはカラー写真を撮り始めた1940年代後半から1960年頃までの作品が展示されている。モノクロ写真からスタートしたソールは、キャリアの2~3年目にあたる1948年からカラーフィルムを使い始めている。アーブ氏は「当時、カラーフィルムは商業写真のためのものと言われていて、多くのアーティストはモノクロフィルムを使っていました。好んでカラーフィルムで街の風景を撮ったソールの取り組みは非常に懐疑的なアプローチで、評論家たちから『彼は本物のアーティストではない』という批判を受けたこともありました」と解説する。

展示風景

展示風景

しかし、もともと画家志望で独自の色彩感覚があったライターは、そうした批判に耳を傾けなかった。《帽子》や《赤い傘》《薄紅色の傘》といった代表作からもカラー写真への過渡期とは思えない色彩表現の巧みさを感じる。

 手前:ソール・ライター《『Harper's BAZAAR』》1959年2月号、発色現像方式印画 (C)Saul Leiter Foundation

手前:ソール・ライター《『Harper's BAZAAR』》1959年2月号、発色現像方式印画 (C)Saul Leiter Foundation

この時代、彼が商業的に大きな成功を収めたのはファッション写真の世界だ。1957年にはエスクワイア誌にデビュー。1958年からはハーパーズ バザー誌と20年以上に渡る長い関係を築くことになる。商業写真の世界においてもライターは自身の表現を貫き、スタジオではなくストリートで撮影することを好んだ。それゆえスタジオ撮影した作品は、彼のキャリアの中でも稀有な作品になっている。

2人の女性の写真が伝える“親密的”なソール・ライター 

第1部と第2部の中間となる部屋には、ライターの仕事場に残された未発表作品がデジタル作品として投影されている。彼の生活のあれこれが伝わる作品群がデジタルデータとして甦り、その美しさは今ではなかなか味わえなくなった、ライトボックス上のポジフィルムをルーペで覗いた時の感動を味わっているかのような感覚を覚える。

デジタル展示:ソール・ライターのスライドプロジェクション

デジタル展示:ソール・ライターのスライドプロジェクション

後半の第2部では、ライターの個人としての側面に迫る展示が展開されている。十代の頃から撮りためたセルフ・ポートレートに続いて見られるのは、彼と緊密な関係にあった2人の女性、妹のデボラと生涯のパートナーであったソームズ・バントリーを写した作品群だ。

「デボラ」の展示風景

「デボラ」の展示風景

20代になって本格的に写真家を目指したソールだが、13歳の時に母親からカメラ・デトローラをもらったことがある。デボラはそのカメラで被写体になった、いわば彼に撮って最初のモデルだった。そしてソームズは40年以上にわたって生活をともにした最愛の人。ソームズもモデルをしながら画家として活動したアーティストだった。

ソール・ライター《ソームズ》1960年代、ゼラチン・シルバー・プリント (C)Saul Leiter Foundation

ソール・ライター《ソームズ》1960年代、ゼラチン・シルバー・プリント (C)Saul Leiter Foundation

ここまで見てきた作品は、被写体との双方向のコミュニケーションがない第三者的な視点から撮られたものだが、この2人を写した写真にはライターが被写体に向けた親密なまなざしが伝わってくる。ライターのアシスタントだったアーブ氏は、ソームズを写した作品について「二人のアーティストが楽しみながら作品を作っている雰囲気が伝わってくる」と愛着を語る。

ライターの「スケッチブック」

ライターの「スケッチブック」

なお、デボラの部屋ではライターの画家としての姿も見ることができる。一角の壁にかけられた3枚の絵は彼が描いた絵画の中で最も大きな作品にあたる。彼は油彩画よりも水彩画を好み、床に紙を置き、何度も立ったり座ったりを繰り返すスタイルで何千点もの絵画を残したという。近くには彼自身が「自身の芸術の到達点」と語ったスケッチブックも見ることができる。

二人が暮らしたアパートの壁の再現

二人が暮らしたアパートの壁の再現

そして、最後の展示室にはライターとソームズが暮らしたイースト・ヴィレッジのアパートの壁が再現されている。時計の左側の絵はソームズが描いた作品で、右の3つの作品はライターが珍しく油彩で描いたもの。一番上には二人と愛犬・ペネロピの絵が飾られ、時計の下にはソールの両親と幼き日のソールの写真がかけられている。その傍らには弟子だったアーブ氏らが「尋問の椅子」と呼んでいた彼ご愛用の木製椅子が置かれ、ソールが暮らした部屋の雰囲気を感じることができる。

ライターが愛用した椅子

ライターが愛用した椅子

空気のようにニューヨークの街を撮り歩いたソール・ライターの写真を見れば、きっと多くの人が写真を撮りたい気持ちを触発されるに違いない。そういう方のために本展では2月9日まで公式フォトコンテストを開催しているので、ぜひ帰り道に自慢のスマホであなただけの渋谷を切り取ってみてはいかがだろう。

『ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター』は、東京・渋谷のBunkamura ザ・ミュージアムで3月8日まで開催中。

イベント情報

ニューヨークが生んだ伝説の写真家 永遠のソール・ライター
 
会期:2020年1月9日(木)〜3月8日(日) *休館日:1/21(火)・2/18(火)
会場:Bunkamura ザ・ミュージアム
開館時間:10:00-18:00(入館は17:30まで)、毎週金・土曜日は21:00まで(入館は20:30まで)
入館料:一般1,500円(1,300円)、大学・高校生1,000円(800円)、中学・小学生700円(500円)
※( )内は団体20名以上
 
■お問い合わせ:03-5777-8600(ハローダイヤル)
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