歌舞伎座『二月大歌舞伎』昼の部レポート 代々受け継がれた魂宿る仁左衛門の菅丞相『菅原伝授手習鑑』
2020年2月2日(日)、歌舞伎座で『二月大歌舞伎』が初日を迎えた。
今回は十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言として、昼の部に『菅原伝授手習鑑』、夜の部に『八陣守護城』と『道行故郷の初雪』を上演している。『菅原伝授手習鑑』では十三世の当たり役だった菅丞相を三男の当代片岡仁左衛門、菅丞相の妻・園生の前を次男の片岡秀太郎、『八陣守護城』では十三世が90歳のときに初役として勤めた佐藤正清を長男の片岡我當、『道行故郷の初雪』では十三世がたびたび演じた忠兵衛の相手役にあたる梅川を秀太郎がそれぞれ勤め、息子3人が揃って十三世を偲び、その芸を継承する姿を見せている。
そのほか、夜の部では坂東玉三郎の天女と中村勘九郎の伯竜による舞踊『羽衣』、尾上菊五郎が左官の長兵衛を勤める『人情噺文七元結』を上演する。
今公演の昼の部にて上演されている『菅原伝授手習鑑』より「加茂堤」「筆法伝授」「道明寺」の模様をお伝えする。
「加茂堤」
菅丞相に仕える白太夫の三つ子の息子の内、醍醐天皇の弟・斎世親王(中村米吉)に仕える舎人の桜丸(中村勘九郎)は、妻の八重(片岡孝太郎)と共に斎世親王と菅丞相の養女・苅屋姫(片岡千之助)の恋仲を取り持とうとしていた。加茂神社に参詣に来た斎世親王の牛車を加茂堤に停め、桜丸が人払いをした後に八重が苅屋姫を連れて来て、2人は牛車の中で久々の逢瀬を喜び合う。そこに、姿が見えなくなった斎世親王を探して三善清行(嵐橘三郎)が現れる。清行は菅丞相の政敵である左大臣藤原時平の家臣で、菅丞相の失脚を狙う彼らに斎世親王と苅屋姫の密会がばれては一大事と桜丸は牛車の中を見られぬように必死に守るのだが……。
『菅原伝授手習鑑』の初段の中にあたる作品で、菅丞相と梅王丸、松王丸、桜丸の三兄弟の悲劇の幕開けとなる場面だ。自分たちの初々しい恋がまさか悲劇を引き起こすことになるとは露にも思わぬ、斎世親王と苅屋姫の若い輝きが眩しい。十三世のひ孫・千之助はまだ固さが残るものの、可憐な苅屋姫を見せ、米吉は堂々たる姿で親王の気品を漂わせている。橘三郎が敵役ながらも、早春の加茂堤のうららかさに寄り添うような可笑しさを随所に忍ばせる。
何と言ってもこの場面は桜丸と八重夫婦のコンビが見ものだ。桜丸を演じる勘九郎からはつらつさと人の好さがにじみ、キレのある演技で舞台に心地よいテンポを生んでいる。十三世の孫・孝太郎はそんな夫をおっとりと受け止める八重の器の大きさと同時に、夫のため、忠義のためなら何でもするというたくましさも感じさせる。若い2人の恋路を助けるため、そして主君を守るためと奔走するまっすぐな心意気と、互いを信頼する温かみのある夫婦像に、この先待ち受ける悲運を知りながらも心を和まされる。
「筆法伝授」
書道の大家でもある菅丞相(片岡仁左衛門)の弟子・左中弁希世(市村橘太郎)は、菅丞相から家宝の筆法を伝授されるのは自分だと考えていた。しかしそれはうぬぼれで、希世は腰元の勝野(中村莟玉)に言い寄るなど伝授に値しない人柄であった。そんな折に、武部源蔵夫妻の来訪が菅丞相の御台所・園生の前(片岡秀太郎)に伝えられる。かつて菅丞相に仕えていた源蔵(中村梅玉)は腰元の戸浪(中村時蔵)と不義の仲になったために勘当され、戸浪と共に館を追われていたが、この度菅丞相から呼び出しを受けてやってきたのだ。菅丞相は源蔵を学問所へ呼び、書写を命ずる。希世の邪魔が入りつつも源蔵は見事な清書を書き上げ、菅丞相は伝授の一巻を源蔵に与える。源蔵は感謝を述べ、勘当を許して欲しいと願い出るも、菅丞相は「伝授は伝授、勘当は勘当」と告げる。するとそこへ、宮中から菅丞相に参内するようにとの知らせが届く。装束を改めて菅丞相が出かけようとすると、冠が落ちてしまう。菅丞相は、その出来事に不吉を予感しながらもそのまま宮中へと赴くのであった……。
菅丞相のモデルとなっている菅原道真は平安時代の貴族であり、現在も太宰府天満宮に祀られ「学問の神」「天神さま」として親しまれている。そんな人物を演じるにあたり、十三世は父の十一世に倣って心身を清め並々ならぬ心持ちで役に当たっていたという。当代仁左衛門もまた、菅丞相を勤めるのはこれが6度目となるが公演のたびに太宰府天満宮を参拝するなど、代々受け継がれてきたこの役を大事に守っている。その気概は舞台からも静かに燃えるように伝わってくる。内面から立ち上る気品と神々しさは、まさに東風に乗れば大宰府まで届く梅の香のごとく匂い立つ清廉さで見る者を圧倒する。
今作への気概は園生の前を演じる秀太郎からもほとばしり、巧みなせりふの抑揚に宿る情感で御台所の存在感を際立たせている。橘太郎は小物で俗物な希世を、嫌味一辺倒にならず子どもじみたコミカルさを交えて演じ、舞台にアクセントを加えている。希世に言い寄られる勝野を演じる莟玉は美しさとしなやかさで舞台に花を添える。梅玉は落ち着きのある芝居の中にも源蔵の悲喜こもごもを表現し、時蔵は菅丞相夫婦への忠心をのぞかせる戸浪の慎ましさで源蔵に寄り添う。中村橋之助が、三兄弟の内の一人で菅丞相に仕える舎人の梅王丸を軽やかな肉体で生き生きと演じている。菅丞相の息子・菅秀才と共に落ち延びていく源蔵夫婦を見送る際の、気持ちのこもった力強い眼差しが印象的だ。
「道明寺」
時平の陰謀により大宰府への流罪となった菅丞相(片岡仁左衛門)は、護送される途中に判官代輝国(中村芝翫)の計らいで伯母の覚寿(坂東玉三郎)の館に逗留していた。加茂堤から逃げた苅屋姫(片岡千之助)もまた、姉の立田の前(片岡孝太郎)により生みの母である覚寿のもとに匿われていた。菅丞相が館を発つ前の晩、苅屋姫が菅丞相に会って詫びたいと立田の前に涙ながらに訴えているところに覚寿が現れる。覚寿は菅丞相が流罪される原因となった苅屋姫を赦すことができず、妹を庇おうとする立田の前ともども杖で折檻する。すると障子の内から折檻をやめるようにという菅丞相の声が聞こえてくるが、障子を開けるとそこには菅丞相の木像しかない。この木像は覚寿の願いにより菅丞相自らが彫り上げた入魂の作だった。そこへ土師兵衛(中村歌六)と、その息子で立田の前の夫である宿禰太郎(坂東彌十郎)が菅丞相の出立の手伝いにやって来るのだが……。
玉三郎が難役と言われる覚寿を豊かな情感で見せる。表情や立ち振る舞いなど、全身隈なく意識が走っていること感じさせる凄みと、悲しみと慈愛の深い表現が心にしみる。芝翫は実直な判官代輝国をさわやかに演じ、悲運の物語における清涼剤のような役割を果たす。「加茂堤」で桜丸を演じていた勘九郎が、殺人の罪を着せられそうになる奴宅内という役を軽やかに演じ、客席を大いに沸かせる。「道明寺」では様々な登場人物の思惑が入り乱れ、この作品が人形浄瑠璃として初演された江戸時代(1746年)からどれだけ時を経ても、家族愛や忠義心、欺瞞やエゴ、そしてユーモアなど、人間の抱く思いそのものはずっと変わっていないと感じさせる。だからこそ長年上演され親しまれ続ける作品と成り得たのだろう。
「道明寺」での菅丞相は、苅屋姫との別れの哀しみの表現や、木像の菅丞相と生身の菅丞相との演じ分けが求められるなど、演じる俳優を選ぶ役だと言われる所以が集約されている。菅丞相を当たり役とした十三世亡き今、仁左衛門が確実にその芸を受け継いでいることが十二分に伝わって来て、その姿から目が離せない。限界まで研ぎ澄まされた無駄のない、“静”の芝居の極みここにあり、という圧巻の菅丞相だ。この役に必要なのは演技力だけではなく、どこまでも芸を追求する魂なのだろう。代々受け継がれてきた魂の宿った珠玉の舞台を見られたことに幸せを感じずにはいられなかった。
『二月大歌舞伎』の上演は歌舞伎座にて、26日(水)まで上演される。
取材・文=久田絢子
※公演が終了しましたので舞台写真の掲載を取り下げました。
公演情報
■会場:歌舞伎座
■昼の部
菅原伝授手習鑑(すがわらでんじゅてならいかがみ)
加茂堤 筆法伝授 道明寺
斎世親王 米吉
三善清行 橘三郎
苅屋姫 千之助
八重 孝太郎
「筆法伝授」
菅丞相 仁左衛門
園生の前 秀太郎
梅王丸 橋之助
腰元勝野 莟玉
左中弁希世 橘太郎
荒島主税 吉之丞
三善清行 橘三郎
水無瀬 秀調
戸浪 時蔵
武部源蔵 梅玉
「道明寺」
菅丞相 仁左衛門
判官代輝国 芝翫
立田の前 孝太郎
奴宅内 勘九郎
苅屋姫 千之助
贋迎い弥藤次 片岡亀蔵
宿禰太郎 彌十郎
土師兵衛 歌六
覚寿 玉三郎
■夜の部
十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言
一、八陣守護城(はちじんしゅごのほんじょう)
湖水御座船の場
佐藤正清 我當
斑鳩平次 進之介
正木大介 萬太郎
鞠川玄蕃 松之助
轟軍次 片岡亀蔵
雛衣 魁春
二、羽衣(はごろも)
天女 玉三郎
伯竜 勘九郎
三遊亭円朝 口演
榎戸賢治 作
三、人情噺文七元結(にんじょうばなしぶんしちもっとい)
左官長兵衛 菊五郎
和泉屋清兵衛 左團次
女房お兼 雀右衛門
和泉屋手代文七 梅枝
娘お久 莟玉
小じょくお豆 寺嶋眞秀
家主甚八 片岡亀蔵
角海老手代藤助 團蔵
角海老女房お駒 時蔵
鳶頭伊兵衛 梅玉
十三世片岡仁左衛門二十七回忌追善狂言
四、道行故郷の初雪(みちゆきこきょうのはつゆき)
忠兵衛 梅玉
万才 松緑
梅川 秀太郎
公式サイト:https://www.kabuki-bito.jp/