綾野剛×大友啓史監督インタビュー 瞬発力と情報に頼らず、技術と経験を昇華した『影裏』のアプローチ
左から、大友啓史監督、綾野剛 撮影=鈴木久美子
2月14日(金)より、『影裏』が全国ロードショーとなる。第157回芥川賞を受賞した沼田真佑氏の同名小説を映画化した本作は、岩手県盛岡市を舞台に、同市出身の大友啓史が監督を務めた。原作に魅せられ、「読んでいるときにふたりの顔が浮かんできて、それ以外考えられなかった」と、綾野剛と松田龍平の出演を熱望した大友監督は、彼らの未知の顔をスクリーンに刻んだ。
会社の転勤をきっかけに、縁も所縁もない岩手に移り住んだ今野秋一(綾野剛)は、同い年の同僚・日浅典博(松田龍平)と出会う。日浅は唯一、今野が心を許した友となるが、夜釣りに連れ立った晩から、日浅が忽然と姿を消してしまう。その後、日浅の足跡を辿りはじめた今野は、追うほどに見えてくる彼の裏の顔を知ることになる。
岩手県の荘厳な自然のもとさらされる、静かに燃える人間の内面。『るろうに剣心』以来のタッグとなった綾野と大友監督に、人と人との関係を紡いだ本作について、じっくりと話を聞いた。
(C)2020「影裏」製作委員会
「自分はアスリートだと思っている」瞬発力と情報に頼らない芝居
左から、大友啓史監督、綾野剛 撮影=鈴木久美子
――大友監督が原作に非常に惚れ込んだと伺いました。原作にない要素も多分に含まれていますが、脚本を手掛けられた澤井香織さんにリクエストされたことなどはありましたか?
大友:基本的に今回は全部お任せしたんですが、僕からは原作の行間というか、書いていないもので創作の刺激になりそうなことなど、いろいろなボールをおおざっぱには投げました。ザクロの話もしましたし、「この映画にこういうものを入れたら面白いね」というようなことをたくさん話し込みました。脚本については、原作のテイストを汲みながら、澤井さんが拾って入れてくれたな、という印象です。
――綾野さんは、オファーをふたつ返事で引き受けられたんですか?
綾野:台本を読む前に「やる」と決めました。大友さんが「やる」と言ったんで「やります」と。本当にそれだけです。そういう風に決まっていくほうが、映画はいいですよね。プロダクションの不安要素と俳優の不安要素は全然違いますから。僕たちは単純にワクワクできるか、面白いと思えるかなので。一緒にやりたい人がいるかなので。その主観を取っ払ってでも、「大友さんと自分はこの作品をやらなきゃいけない」という命題に駆られることが、一番いい仕事の仕方のような気がしています。監督と共演者で選ぶのは、本来一番自然なことだと思います。
(C)2020「影裏」製作委員会
――脚本を読まれてからは、どのようなところに魅力を感じましたか?
綾野:今の日本映画に少し失われているディティール、ニュアンスというものをしっかり紡がないと、『影裏』という映画にはならない難しさに魅力を感じました。それを本当の意味で、どんな作品にも投影している大友さんだから、圧倒的な信頼感がありましたし。「『影裏』だから、大友さんはこういうふうにしたんだ」という感覚じゃないんですよね。ずっと根っこにあるものがそのまま投影されている印象なんです。そして、作品によってどこまで出すかの味付けを監督は変えている。そこに魅力を感じました。
――「失われているディティール」の部分で、感銘を受けたところはありますか?
綾野:「瞬発力と情報に頼らない」こと。今、瞬発力と情報過多な映画がいっぱいあって、僕はそういう映画も好きだから面白く観ているんですけど……瞬発力って、ときにただの感覚なんですよ。僕は感覚で仕事をしている風に見られたほうが楽だった時期がありましたが、圧倒的な鍛錬のもとここに至っています。圧倒的な努力、経験、鍛錬を重ねて、アスリートのように。「感覚なんで」とか、「天から台詞が降ってきた」とか、そんな能天気に芝居をしていないんです。
大友啓史監督 撮影=鈴木久美子
大友:映画を現実に作るということは、そこにスケジュールがあり、人がたくさん動き、いろいろな条件があります。でも、条件を優先しちゃうと、やっぱり面白くない。その条件をどのぐらい取っ払って自由になれるかが勝負だと思っているので。綾野くんが言うように、技術がある、経験値のある人間だけが、そこで自由に遊べる資格があると思っているんですよね。技術や思想がない人が「自由」と言うと、表現は悪いけど、暴走族と一緒になっちゃう。
――だからこそ、綾野さんと松田さんに今回お願いされたんですか?
大友:綾野くんと龍平くんと、そろそろ仕事したいなと。綾野くんに関して言うと、その可能性を、7年前にビビッドに感じた俳優だったから。ご一緒した以降の仕事を見ていると、綾野剛という俳優は、取り組む作品を通して、毎回そこを綱渡りしているように思えました。綾野くんが演じた今野は、どちらかと言うと理性で封じ込めようとして生きている人で“狂気”を発散しません。狂気にもいろいろ種類がありますけど、彼はセクシャルマイノリティーであり、社会との衝突や価値観に、腹の中に幾ばくかの怒りを溜め込んでいて、それを飲み込み、消化しながら生きてきた人だと思います。バックボーンは物語の中には出てこないけれど、脚本の奥の奥に潜ませてあるわけです。ということは、それを演じる人も脚本上の表面的なことだけではなく、奥の奥に、そういうものを湛えてくれている人かどうかが大事。理性と狂気というものを両立させることは、なかなか難しいですよね。狂気を奥底に秘めていない人間が演じたら、すごくフラットになるので。こんな直接的な話はしていないけど、「共有できるな」と思ったのが一番大きいですね。
綾野剛 撮影=鈴木久美子
“綾野剛のドキュメンタリー”を撮っている感覚
綾野剛 撮影=鈴木久美子
――7年ぶりにご一緒されて、綾野さんならではの進化のようなものは感じられましたか?
大友:撮影中の4週間はいろいろなことがあったんですが、綾野くんは間違いなく今野であることに集中していました。普通はオフのショットだと、“綾野くん”になっているはずなのに、綾野くんじゃなくて“今野”なの。俳優と仕事をしていて、ふとそうじゃないものに戻って、また戻ってきたり……っていうようなことがある中で、映画の面白さは、一緒にその役を生きることだったりする部分がある。「生きる」というのは、間違いなく簡単なことではないから、綾野くんは他者の人生を演じることの簡単ではないところを、かなり経験として蓄積してきているな、と。他者であることに対する、自身のハードルが高いんだろうな、と思っています。今野は日常の延長線上にある役だから、作り込んでどうというよりも、たぶん体の奥底で俳優が消化していく役。今野の主観によって観ていく映画ですから、我々はその主観を掘り当てていく作業をすることになる。芝居がよければよいほど、いい映画になる。一番シンプルな映画ですよ。
――綾野さんご自身は、どんな心境で撮影現場にいらしたんですか?
綾野:人は結局、環境。今野が盛岡に来て環境が変わって、考え方や生き方も変わるのと同じで、僕も環境が変われば関わる人も変わる。僕が自発的に「今野でいなきゃ」と思ったことはなくて、現場がそうだったように思います。『影裏』である時間が、室内だけじゃなく、表に出たモニターからさらに半径何メートルぐらいかにはあったから、現場が作った空気に自分がちゃんと呑まれていた。だから、まったく疲れませんでした。20時間ぐらい撮ったこともあったんですが、疲れないんです。危ないんですけどね。危ないことが好きって言ったら変だけど、こんなことを永遠にやっていられるんだったら、「こういう現場で延々と撮り続けていたいな」と思います。そこに龍平というミズナラ(※広葉樹)みたいな人がいるから、楽でしたよね。苦しいとかっていうことは、ひとつもなかったです。
(C)2020「影裏」製作委員会
――松田さん演じる日浅とのシーンでは、今野のセクシャルマイノリティーである部分も描かれています。ふたりで過ごす時間はいかがでしたか?
綾野:彼がいる時間は楽しいですよね。やっぱりウキウキしたし、明らかに自分が女性っぽくなっているのを感じていました。一緒に釣りに行けば、「釣れた、楽しい」みたいにアピールする、共有したいという感じです。もちろんすごく考え抜いてやってはいますけど、言葉を饒舌に紡げば紡ぐほど難しく捉われるし。鍛錬されているものだけれども、特別難しいことはしていないというか。何というか、“ひらがなの表現”みたいな感覚です。漢字よりひらがなの表現のほうが難しいんですよ。全部ひらがなで書いてあると、「いたい」という文字でも、「胸が痛い」のか「ここに居たい」のかで、「いたい」の意味も全然違う。
大友:そうそうそう。本当にそうだよね。
綾野:台本と、この環境の共犯者になってくれたロケーションと共に、「今野に真剣に向き合っている綾野剛のドキュメントを撮っている」と言っても過言ではないような気がします。
大友:そう言われちゃうと、本当にその通りなんですね。僕のキャリアはドキュメンタリーから始まっていて、ある意味ドキュメンタリーの感覚に戻りたくて、この作品を撮った部分があるから。世の中で実際に起きていることのほうが、フィクションより圧倒的に面白い。現実と相対したとき、思い込みがいかに裏切られていくか、そこに事実を発見していく醍醐味がある。たまたまフィクションで脚本があったりするから作っているような気になっているけど、僕は「そこで今野と日浅に起こっていくこと」を記録する感覚でいようと意識していたんですね。実際に生きている他者の、本当の気持ちはどこまでいってもわからないし、決めつけた瞬間に、「そうじゃねえよ」ということにもなりかねない。だから、幾つかの過程を経て、目の前で起きていることをあえて受け入れていくのが、ドキュメンタルなんですよ。撮影の芦澤(明子)さんはドキュメンタリーも当然経験されているし、フィクションがメインだと思うけど、そこに流れてくる何かフッと見逃しちゃいけない瞬間を捕まえてくれるんですよね。若手カメラマンではなかなかできないことです。
大友啓史監督 撮影=鈴木久美子
――綾野さんの毛穴まで見えそうな、寄りのショットも多いですよね。監督の意図も含まれていますか?
大友:いつものことなんですけど、僕はカットを指定しません。現場で見たいと思ったら、カメラが自然に寄っていけばいい。だから、本当に芦澤さんが見たいと思ったから寄ったんだと思います。どちらかと言うと、削いでいっているというか、余計なことをしない芝居をしてくれているので、目の奥にある表情を捕まえようとすると、ああなっていくと思うんです。僕らは見逃したくない瞬間を記録しながら、今野と日浅の感情を発見していった、という感じです。綾野くんが言ったように、「綾野剛が今野を演じようとしているドキュメント」ということになるのかもしれないし、僕も比較的にそういうスタイルが好きなんですよね。『龍馬伝』からそうで、あれも「福山雅治が龍馬になるまでを追いかけた1年間」だと思っています。今回は、僕の感覚としてあまりフィクションに落とし込まないような演出を心がけてはいましたね。
左から、大友啓史監督、綾野剛 撮影=鈴木久美子
『影裏』は公開中。
取材・文=赤山恭子、撮影=鈴木久美子