齋藤久師が送る愛と狂気の大人気コラム・第八十八沼 『坂本龍一沼!』

コラム
音楽
2021.1.26

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「welcome to THE沼!」

沼。

皆さんはこの言葉にどのようなイメージをお持ちだろうか?

私の中の沼といえば、足を取られたら、底なしの泥の深みへゆっくりとゆっくりと引きずり込まれ、抵抗すればするほど強く深くなすすべもなく、息をしたまま意識を抹消されるという恐怖のイメージだ。

一方、ある物事に心奪われ、取り憑かれたようにはまり込み、その世界にどっぷりと溺れること

という言葉で比喩される。

底なしの「収集」が愛と快感というある種の麻痺を伴い増幅する。

これは病か苦行か、あるいは究極の癒しなのか。

毒のスパイスをたっぷり含んだあらゆる世界の「沼」をご紹介しよう。

第八十八沼 『坂本龍一沼!』

誰もが知る世界的な音楽家である坂本龍一さん。通称「教授」が、先日2度目の癌を患い、手術した事を発表した。

いわずもがな、私は彼を尊敬してやまないが、私の妻も同様に教授に出会うために17歳の時に香川県からニューヨークに何の迷いもなく渡った程熱烈なファンであり、教授から受けた影響は計り知れない。

米大学入学を理由に渡米したgalcid lena。本当はただ教授に会いたかっただけ。

米大学入学を理由に渡米したgalcid lena。本当はただ教授に会いたかっただけ。

このニュースを耳にした瞬間、食いしん坊の妻は食欲を失くし、落胆した。

教授は2014年に初めて中咽頭癌を患ったが、手術も無事成功し、その6年後に再び直腸癌を患った。

しかし、今回の癌も手術は成功し、治療に専念、そして「がんと共に生きる」という声明文も出している。

少しだけ、安心した。

教授は生きている。

強い。

胆嚢を全摘出しただけで弱音を吐く自分が情けない。

教授が愛用したシンセサイザーの名器「prophet5」は有名であるが、驚いた事に、教授がまさに直腸癌の手術を受けている最中、私が所有するProphet-5が調子を崩し、修理に出していた。そして完治した。完全に治った。もう大丈夫だ。(けっして坂本龍一さんと機械を同軸で考えているわけでは無いのでお気を悪くしないでください。)

私が初めて教授とお話した時、「助教授と申します」と挨拶したら爆笑しながら硬い握手をしてくれ、数週間後にメディアで嬉しそうに話してくれていた。

妻のgalcid lenaはニューヨークに到着後、2週間で教授と対面し、興奮のあまり思わず彼の首を両手で締めてしまった。阿部貞か。

とにかく、私たちに多大な影響を与え続けてくれる教授。

イデオロギーにより人気を落としかねない政治的発言も厭わない。

庭で陶器を割りまくって、隣のおじさんから怒られても屈しない

常に未開の実験を繰り返す姿勢。

強い。

東京芸術大学大学院修士という由緒正しきクラシカルな肩書きを持ちながら、なぜかポップスの世界へ入ってしまった教授。しかし、ふつふつと根底に燃える表現欲は彼のセカンドソロアルバム「B2-UNIT」で炸裂した。

迷盤から名盤へ。B2-UNIT

迷盤から名盤へ。B2-UNIT

「テクノポリス」「ライディーン」を求めて2800円を握りしめレコード屋さんに走った当時小学生の私には、正直このアルバムがなんの事やら全く理解出来ず、それでも小学生にしてみれば2800円という大金分の何かを得ようと繰り返し繰り返し、レコード針、そしてレコード溝がすり減る程聴きまくり、気がつけばそれは自然と血肉となって行った。

おかげで、「音楽は、自分で選んで聴くもの」という事を学び、さらには「B2-UNIT」以上のインパクトのある作品に巡り会えず、自ら音楽を作るようになった。

かなり貴重なRiot in Lagosの12inch。下はB2UNITにも参加している組原正さんのグンジョーガクレヨン。

かなり貴重なRiot in Lagosの12inch。下はB2UNITにも参加している組原正さんのグンジョーガクレヨン。

教授の作品を入念に聴き込むと、ジャマイカンレゲエの影響を随所に感じる。

もしかしたら、彼の中に無い何かを求めていたのかもしれない。

今で言うルーツダブの手法を40年も前に電子音楽に取り入れている。新しいにも程がある。

あのバンバータの神棚に置かれたという程の名盤「B2-UNIT」。

思えば私も40年もの長きにわたり音楽を作り続けていて、いつも頭のどこかに、いや身体の一部に「B2-UNIT」が溶け込む様に浸透している。

おかげで、ホームスタジオはテープエコーだらけだ。

私のプロデュースする「galcid」や昨年ドイツのミルプラトーから発売された「saito」には、坂本さんから分けていただいた(勝手に盗んだ)知恵が満載だ。

例えばトラックの最後の方になってやっとメロディーが出てくる。

ディレイを過剰にかけすぎる。

バスっと切る。

不器用で変則的なリズムパターンを更に八つ裂きにする。

ロジカルとラジカルの同居。

そんな教授にgalcidの曲が「SKMT picks」で推されたのには驚いた。嬉しかった。

知人から「坂本さんに選ばれてるよ」と聞きビックリした。

知人から「坂本さんに選ばれてるよ」と聞きビックリした。

DOMMUNEの宇川くんが言ってた。DOMMUNEに教授が来た次の日、デニスボーベル(B2-UNITのdubを行ったマトゥンビのダブマスター)が来たと。ニアミスだ。

きっと、もっとバリエーションが有るに違いないB2-UNIT裏ジャケ写真。

きっと、もっとバリエーションが有るに違いないB2-UNIT裏ジャケ写真。

忘れもしない、デニスが来日したその時のフライヤーには、「B2-UNIT」の裏ジャケの教授の写真と同じポーズで映っていた。

教授とデニス。右下の灰皿を見よ!

教授とデニス。右下の灰皿を見よ!

誰の真似もしない事が信条の私たちだが、教授から受けた洗礼はあまりにも大きすぎるから隠せない。その壁を越えるために音楽を作り続けている。

今、坂本さんには死んでもらっては困るのだ。すくなくとも、最低でも、あと50年は生きていてもらわなくては本当に困るのだ。

なんなら、どんな手を使っても生き続けて欲しいのだ。

さて、そんな私の少年時代、教授達に騙された事があった。

時は1981年冬。

子供(11歳)の私は母(保護者)に連れられ、ポラリス(フィッシュマンズ)のベーシスト柏原譲くんと3人で新宿のコマ劇場にYMOのコンサートを観に行った。

私たちは多くのファンと共に冬の寒空の夜にコンサートが終わり、楽屋で出待ちをしていた。

しかし、1時間半以上経ってもご本人達は出てこない。

そして、スタッフが一言「3人は正面玄関から出ましたので」。。。。。。。

これを聞いた私の母が激怒w

「あんたね!子供がこんな寒いところでふるえながら待ってるのに、こんなのありえないわよ!」

カッコイイと思ったw

すると、ちょっと位の高そうなスタッフさんが出てきて母にササっとかけより何だかひそひそと話しかけている。

振り返ってこちらを見た母の顔には「Get!」という文字が映らんばかり。

母はその方から、数日後に新宿ツバキハウスで行われるYMOのシークレットライブのを貰っていたのであったwww

既に大スターであったYMOがツバキハウスという極狭のライブハウスで決行したパフォーマンスは「B2-UNIT」の実験精神そのものが爆発したかのようであった。

1メートル前でYMOの3人が演奏していた。未だに信じられない。

数十年後、私は当時のYMOのマネージャーと呑んでいてその話をしたら、覚えていたw ウチの母さんの事を。

 

よく考えてみたら、坂本さんが居なければ、そもそも音楽を作って居なかった。さらには妻とも出会っていなかったし、子供も生まれていない。

何か恩返しがしたい。

それは多分、私たちが彼の作品を超える事なのかもしれない。

だから、教授、あと100年は生きてもらって、私たちに時間の猶予を与えて欲しい!

追伸:忘れてはいけない、影の立役者である川添象郎さん。彼は「B2-UNIT」のエクスキューティブプロデューサーである。いつか、たっぷりとお話をお伺いしたいと思っています。

 

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