頭と口が送りつけるジャグリング界への挑戦状!
YURI(左)と渡邉尚
床を起点にした新たなジャグリングの胎動やいかに
ジャグリングと言えば大道芸の代名詞。その技術を持って、さらに次の新たな世界を切り開こうとしているのが「頭と口」というユニットの山村佑理と渡邉尚だ。彼らが発する挑発的だけれど、自信と真摯さを秘めた言葉には、話を聞いているこちらがワクワクせずにはいられない魅力がある。
かたや、一人遊びが好きだった小学生時代の児童館でジャグリングをやっているお兄さんに出会い、楽しそうだからと始めてみたところ自分の孤独を満たすようにその魅力にハマっていった青年。1日8時間も練習に没頭するなど人生におけるジャグリングの優先順位がものすごく高くなり、17、18歳ではプロとしての活動を開始。ジャグリング界で名を馳せる。世界を見たくなったことがきっかけで今はフランスのサーカス学校に通う。山村佑理、23歳。
かたや、大学1年の終わりに自身を支えてくれた友人家族の家に遊びに行くと、ある日突然、コタツを囲んで家族4人がみかんを使ってジャグリングをしている光景を目にし、不思議な衝撃に圧倒されてその世界に取り込まれていった青年。その後は京都を拠点とするコンテンポラリーダンスカンパニー、モノクロームサーカスへ入団し、ジャグリングだけでなく独学による軟体芸、倒立芸、アクロバットなどをバックボーンとしながら踊っている。渡邉尚、29歳。
今のジャグラーは、コピーとコピーのコラージュばかり
そんな二人が、2014年の夏ごろに運命的な出会いを果たす。とあるイベントで顔を合わせ、既存のジャグリングに対して同じように疑問を感じていることに共感し、刺激を受けあった。まるで鏡を覗き込んで自分そっくりだが、違う存在を見つけたかのように。
彼らには先輩ジャグラーたちの披露する技、立ち方、佇まい、振る舞い、すべてに違和感を抱いていた。
渡邉「何個投げる、きれいに投げるは競技であってパフォーマンスではない。パフォーマンスはお客さんや空間との交感から生まれるもの。それらに対峙した時に自分特有のものをぶつけていかないと。借り物の技術ではパフォーマンスにはなりえない」
山村「ジャグリングの技術は前の時代に確立されていて、そのコピー、そしてコピーのコラージュしかできていない。自分で絵を描いていないんですよ。いや、絵の具ってなに?という感じのジャグラーが多すぎる。それは自分も通ってきたから、どういう問題にぶつかって、なぜコラージュにしかならないかがわかるんです。ただ僕はいろんな人の真似をしつくしたからこそ自由になれた。そして渡邉さんは真似をすることを放棄し、徹底的に意固地になって自分で探ってきた。周りに奪われないジャグリング、もっともっと自分の中からにじみ出る表現を生み出したい」
お、なかなか手厳しい。今どき、こんな痛烈な挑戦状を叩きつける若者は珍しい。今公演『MONOLITH』は、カンパニーのいわばプレ旗揚げ公演。衝撃的な出会いをし、お互いとても気になる存在でありながらフランスと京都を拠点とするためにすれ違ってきた山村、渡邉。お互いをもっともっと知るために、それぞれがソロ作品を上演する。カンパニーとしての実績はゼロ、彼らの発言は夢物語だと言われればそれまでだが、話を聞いていてすごく魅力を感じる。そして僕と同じように、すでに、あんな人やこんな人たちが、彼らを応援する人たちが現れている。そしてその応援に頭と口は突き動かされていくのだ。
フロアジャグリングは個々人の体の可能性を引き出す
では、彼らがやりたいこととはなんなのか? それは、高く跳躍する西洋のバレエと、土着的で地面にこだわる舞踏の関係、違いに似ている。
渡邉「僕らは自分たちが日本人であることに注目しているんです。ヨーロッパのジャグリングは投げ上げるスタイルだけど、日本人に適したジャグリングとは何かを考えてたどりついたのは、床を使用することじゃないかと。僕らは今、それをフロアジャグリングと呼んでいます」
山村「そこに落ちているだけのものと一緒にいる。触ろうが無視しようが、投げる前からものとの関係が存在していて、それに影響されて体がどう反応するか、それが僕らのジャグリングのあり方。言葉にしてしまうと僕と渡邉さんのジャグリングはそっくりなんです。じゃあ何が違うかと言えば育ってきた環境が違う。彼は立つのが下手。でもいろんな立ち方を知っている。床との接し方を知っていて仲がいい。僕は地べたに座ることが下手。二本足で歩くのは得意だけれど、床と接するバリエーションが極端に少ない。その味が互いのジャグリングを形成しているんです」
渡邉「ジャグリングは見世物だから、落としてはダメだということが基本。けれど、僕は大反対。ミスだと定義するからミスになるわけで、床から立ち上げる、つまり拾うこと、落とすことさえジャグリングだと定義してしまえば新たな体系が生まれると思うんです。落ちた時に、足が伸びるか手が伸びるか、屈むかジャンプするか、それが面白い。フロアジャグリングは個々人の体の可能性を引き出す新しいジャグリングだと思っています」
ジャグリング引退公演? そして賛同者はいるか?
そりゃそうだ。ジャグリングをやっている人たちは、ハナから落とすことを考えてなんかいない。だからそんな発想を持つ人がいないのは当然だ。
山村「過去にやっている人がいたら興味を持たなかっただろうし、どうしてそんな大事なことに気付かなかったのかなんて思わないし、何かに突き動かされるようなこともなかった」
渡邉「佑理君と出会うまで僕はジャグリングにかかわる必要もなかったし、一緒に何かやっても全然面白くないのでダンス界で一人でやっていた。けれど、こういう人がいるんだったら何か一緒にやるべきだなと希望を抱いているし、なすべき仕事があるだろうと信じています」
何かに突き動かされている彼らを見ていると、なんだかかつての「水と油」を思い出す。今あちこちで活躍するカンパニーデラシネラの小野寺修二、そして藤田桃子、高橋淳、須賀令奈が既存のマイムを打破しようともがき、世界も賞賛する新たな方法論を手にしたユニットだ。彼らは山村、渡邉ほど挑発的ではなかったけど(苦笑)。
山村「お前らのやっていることはジャグリングとは言わないんだよと、いろんな陰口が聞こえてくる」
渡邉「フロアジャグリングに変わる言葉、それこそ舞踏のような言葉を生み出して世界に発信していきたいし、行き着くんじゃないかなと思っています」
それって、ジャグリングからの脱出、ジャグリング界からの引退とも言えるね、と水を向けると「そういう言い方もできるかもしれませんね」と笑う二人。そういう意味では、この公演は、フロアジャグリングという考え方への共鳴者をあぶり出す意味もある。
山村「いまは疑いの目で見ていたとしても、心の中に何か感じた人が出てきて、もっともっと自分のジャグリングの考え方を掘り下げて僕らに近づいてきてくれたらうれしい。ウエルカムです」
「頭と口」は、この公演のあとしばらくして、ウィーンで活動を開始するという。なにか、とてつもないものが生まれる予感と夢に賭けてみたくなった。
イベント情報
頭と口『MONOLITH』
■日程:2015年12月25日(金)~27日(日)
■会場:中野テルプシコール
■上演作品:
『ネタオーレンに捧ぐ』山村 佑理(出演・演出)
『逆さの樹』渡邉 尚(出演・演出・音楽)
■料金:全席自由2,500円/当日3,000円
■開演時間:日時:2015年12月25日(金) 19:30、26日(土)13:00 / 17:30、27日(日)13:00 / 17:30
■問合せ/頭と口 jugglingmonolith@gmail.com