『RISING SUN ROCK FESTIVAL』3年ぶりの開催直前! 主催のWESS・若林良三氏に開催に向けての思い、RISING SUNならではのポリシーを訊いた【インタビュー連載・エンタメの未来を訊く!】

インタビュー
音楽
2022.8.9
株式会社WESS常務取締役・若林良三氏

株式会社WESS常務取締役・若林良三氏

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8月12日(金)・13日(土)、北海道・石狩湾新港樽川ふ頭横野外特設ステージにてオールナイト野外ロックフェス『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2022 in EZO』(以下RISING SUN)が開催される。1999年の開催から今年で22回目を迎える同フェスは、2020年、2021年と2年連続の中止を経て3年ぶりの開催となる。
感染対策やステージの数など過去とは違う形の開催となる今回だが、初開催時から掲げている「DO IT YOURSELF」「RESPECT OTHERS」「LOVE & PEACE」というポリシーは変わらないという。夏の4大フェスの一つとされるRISING SUNならではの価値観やムード、今回の開催に向けての思いについて、主催者のWESS・若林良三氏に話を伺った。
(※この取材は7月15日に行われました)

――RISING SUNは3年ぶりの開催となりますが、まずはどんな思いがありますか?

開催に関しては単純に嬉しいです。みんなとの再会を約束してきましたし、アーティストたちも気合いを入れてベストな状況で臨んでくれるでしょうし、その場所を用意出来る事は本当に楽しみでしかないですね。

――振り返ってのお話も聞かせてください。2020年、2021年と2年連続で開催中止となりましたが、当時はどんな考えの中での決断でしたか?

2020年は、世の中全体のライフスタイルが大きく変わりましたよね。そんな中、全国でどこよりも早く緊急事態宣言を出したのが北海道でした。知事が記者会見を開き、新型コロナウイルスの感染が拡大しているので出来るだけ外出を控えて下さい、人と人との接触を控えて下さい、と。エンタメ業界も国や自治体からのお願いに従うしかない状況で、コンサートは全て中止もしくは延期という形になりました。アーティストやプロダクションもそうですが、僕たちプロモーターにとっては、コンサートができないというのは死活問題です。すぐにコンサートプロモーターズ協会で事業者別のガイドラインを作成してコンサート再開に向けての準備を始め、同時に全国各地のフェスティバル主催者同士オンラインで情報や意見の交換も行いました。RISING SUNは何もないところに一から会場を作っていくので、開催用地を提供して下さる地主の方やインフラ整備工事の業者さんなど、さまざまな方々のご協力なしには成り立ちません。フェスティバルとは、全国のいろんな地域から大勢の人たちが集まり、人と人との触れ合いやお酒を飲んで楽しむ、ライブを観て歓声をあげるといった要素がつきもの。開催を強行することでそれらが地域住民の不安を煽り、20年以上かけて築き上げてきた自治体との関係性を壊してしまうかもしれないということを何より危惧しました。それらを総合的に判断して、2020年の中止はすぐに決めたのです。

――2021年はどうでしょうか。

2020年の中止が決まった段階で「来年はできるだろう」と思っていたので、すぐに会場を押さえ「2020年中止」と同時に「2021年開催決定」も発表しました。その後コンサートプロモーターズ協会が中心になって新たなガイドラインを作成し、アリーナクラスのコンサートも少しずつ開催できるようになっていったんです。ただ、フェスティバルを開催するにあたってはもちろんそれまで通りにはいかないわけで、RISING SUNも日々刻々と移り変わる状況を見極めながら慎重に準備を進めていましたが、全国の他地域のフェスティバルが地元住民や医師会の反対、自治体からの要請で次々に中止が決まり、世間で「やっぱりフェスティバルなんて……」という空気が色濃く漂い始めました。やるも地獄やらぬも地獄で、お客様や地元住民、そして出演者含む全ての関係者の健康を考えると開催できないと判断し、2年連続で中止せざるを得なかったのです。

――昨年の8月13日・14日には「ROCK CIRCUIT 2021 in EZO Supported by RISING SUN ROCK FESTIVAL」という野外ライブイベントが札幌芸術の森野外ステージで開催されました。これはどんな位置付けだったんでしょうか?

2021年の中止を発表した時点でアーティストはまだ一切発表していなかったのですが、当然スケジュールを押さえていた方は何組かいました。それもあって社内から「規模は小さくても何かイベントをやりたい」と声が上がり、またアーティストサイドからも何かやりたいと申し出があって。WESSではRISING SUNが誕生する以前、同名の野外イベントを10年以上やっていたんです。昔やっていた会場で、キャパに対して30%ぐらいの動員という形で開催しました。ステージは1つだけで人流もなく、適切な運営はできていたと思います。

■新しい形のフェスティバルを作っているという意識が強い

――今年のRISING SUNの開催にあたっては、どんな考えで準備を進めていますか?

過去と同じものにならないのは確実ですよね。アーティストと一緒に大声で歌って、お酒も飲んで、みんなでワイワイして過ごすというのが、音楽ファンにとって年に一回のハレの日であるフェスティバルですから。同じようなものには戻れないなら、形を変えてやるしかない。3年ぶりの復活になりますが、意識としては新しい形のフェスティバルを作ろうとしているという方が強いです。

――以前のRISING SUNと変わってくるところはどんなところになりますか。

もちろん大前提として、新型コロナウイルス感染対策のガイドラインに則っての開催になります。「自由」って言葉の解釈は人によって尺度が違って、全員が最高だと思える100点満点のルールを作るのは無理なんですよ。だからこそ、最低限のガイドラインがある。その上でのマナーや気遣いを持ってほしいということは、元々このフェスを立ち上げた段階から考えていることです。自分のことは自分で責任を持たないかぎり、本当の自由はないと思っています。なので、初年度から掲げている「DO IT YOURSELF」「RESPECT OTHERS」「LOVE & PEACE」は変わりません。

――変わらない部分は、まさに最初から掲げているポリシーの部分であると。

そうですね。マスクをつけて人との距離を置くようになった今においても、自分のことは自分でやる、他人のことを敬うという、そのベースは変わらないです。

――そういったポリシーを20年以上掲げてきたことでRISING SUN独特のムードや価値観や空気感が育っていったとも思うんですが。そのあたりって、若林さんはどんなふうに振り返っていらっしゃいますか。

やっぱりそれに尽きますよね。例えば財布を落としたらちゃんと届けてくれる人がいたり、ご年配の方に若い子たちが「足元に気を付けてください」と声をかけていたり。年代や性別も関係なしに人と人が優しさを持って助け合う、困った時に手を差し伸べる場面を、これまで何度も見てきました。そういう気持ちがお客さんを中心に芽生えていることには、すごく感謝しています。でも、それって本来日常の中にもあるべきなんですよね。フェスティバルの時って、みんな優しくなれるじゃないですか。非日常だからそれができるということではなく、ぜひ普段の生活でもそうあってほしいと願っています。

■ローカルなりのやり方を証明できる表現の場所を毎年作ってきた

――特にここ10数年、全国各地で野外フェスが開催されるようになっている中でも、RISING SUNは単に北海道のフェスというだけではない、日本を代表する野外フェスとしての存在感を持っていると思います。若林さんとして、他のフェスにないRISING SUNらしさは、どういうところにあると思いますか。

社内のスタッフたちは、自分が担当するアーティストを多くの人に見てもらうことで大きく育てたいと言う思いがあります。あとは、気心の知れたアーティストとは普段ワンマンライブで来札した時に「来年はこういうことをやろうよ」という話をよくしていて、それが実現することも結構ありますね。結果的に台風の影響でキャンセルとなりましたが、2019年にNUMBER GIRLが再結成の場にRISING SUNを選んでくれたのもそうです。そうやってアーティストとコミュニケーションを取ることで、ブッキングに独自色が出てくるのかも知れません。それ以外にも、会場を地元のアートクリエイターたちの表現の場にしてもらったり、食に関しても生産者さんたちと話をして、捨てられる規格外の野菜を活用できないかアイデアを出し合ったり。ある意味、ローカルだからこそそうしたコミュニティが作りやすいんでしょうね。他と比べるということじゃなく、僕たちはそういう風にして成り立っているので、ローカリズムが出るのは当たり前の話。すべてのチャンネルにおいて、「RISING SUNで何かできないか」と集まってくるところはあります。それをフェスの中で解決して、うまくいけば新しいビジネスに繋がり、北海道の経済のためにもなる。いろんな意味で、ラボの役割を果たしているというか。

――音楽だけじゃなく、アートや食やいろんなカルチャーが集まった場所、体験できる場所としてフェスが根付いてきたのも大きいと。

そうですね。もちろん中心になってくるのは音楽なんですけど、いろんなものづくりが混ざらないとなかなかクリエイティブにならないと思うんですよ。東京じゃないとできないという概念を取り払って、ローカルにはローカルなりのやり方がある。それを証明できる表現の場所を、毎年作ってきたというところですかね。

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