817日ぶりのライジングサンは、この国にとって大事な宝となるーー音楽史に刻まれた『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2022 in EZO』現地レポート

レポート
音楽
2022.8.23

■『RSR』の歴史とルーツをたどる、2日目レポート
ーーNUMBER GIRLの解散発表。急遽出演のフジ、レキシ、藤井 風がみせた絆。BEGINが届けた平和と音楽への想い

『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2022 in EZO』

『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2022 in EZO』

2日目は11時に、EARTH STAGEの「RISING★STAR」として鈴木実貴子ズからスタート。入場ゲートをくぐった瞬間から、その爆発するエネルギーにより音は鳴り響ていた。会場ではお米を再利用して作ったゴミ袋を配布したり、SUN STAGEの開演前にはゴミの13種分別などに尽力するNPO法人からの挨拶もあった。その女性スタッフは、1999年初回に母親のお腹の中で『RSR』に来ていたという。歴史を感じるエピソードだが、今年も赤ちゃんを始めとして、3年前以上にたくさんの子供たちを見かけた。子供にとっては過酷な日程かも知れないが、大人が耳など体に気をかけてやりながら、音の楽しさを知ってもらい、大人になっても来て欲しいなと切に思う。

鈴木実貴子ズ (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:千葉薫

鈴木実貴子ズ (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:千葉薫

さて、2日目も若林氏の挨拶がどうしても気になってしまうが、初日同様、開催を待たせてしまった事を丁寧に謝罪した上で、「愛しあってるかい!?」と大きな声で観客に問いかけた。『RSR』常連でもあった忌野清志郎の名言であるものの、若い世代にはもしかするとピンとはこない言葉かもしれない。これをキッカケにして、こういった音楽のルーツを知ってくれたら最高である。この時は、それくらいしか思わなかったが、この日は最後まで「忌野清志郎」という人物が個人的にはキーパーソンとなっていく。

東京スカパラダイスオーケストラ (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:原田直樹

東京スカパラダイスオーケストラ (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:原田直樹

「もう常連だよね! 色んなステージに色んなスタイルで、無茶ぶりも含めて出てくれています! ミスターライジングサン!」と若林氏に紹介されて、東京スカパラダイスオーケストラがトップバッターで登場。まずはドラムの茂木欣一が現れる。早速、石狩が生んだスーパードラマーとして弱冠12歳のYOYOKAが呼び込まれた。2018年には最年少で出場している彼女だが、茂木とのドラムセッションから始まる。そして、途中でメンバーも入ってくる。茂木登場からある意味気づいてはいたが、全員が黄色のスーツ。約30年前の活動初期を思い出す姿に、当時を知る者としては熱くなるし、気合いを感じる。「DOWN BEAT STOMP」も最近の曲のつもりでいたが、よく考えると約20年前の楽曲。それでも当時を知らないはずの若い観客たちもスカダンスやモンキーダンスで踊っている姿を見ると、良い音楽は時代を超えるということが体感できた。コラボはYOYOKAのみで、約55年前のスタンダードナンバー「Can't Take My Eyes Off You」を演奏したり、楽器やタオルやスケボーや映像を使ってユーモラスに魅せてみたりと、ありとあらゆる技を駆使して楽しませようとする姿は、ド直球のストロングスタイルでとにかくかっこいい。

この日のスカパラの個人的ハイライトは、茂木によって歌われたフィッシュマンズ「いかれたBaby」。元々フィッシュマンズのドラマーである彼は、1999年の『RSR』初回にフィッシュマンズもスカパラも出場していないのは、共に大切なメンバーが亡くなったからだと話す。フィッシュマンズのボーカル・佐藤伸治、スカパラのドラマー・青木達之が亡くなった年だ。なので、茂木はスカパラに加入したわけだし、そこから『RSR』には20回も出場している。フィッシュマンズがライブ活動を復活させた2005年も『RSR』から出場している。知らない人も多い歴史であろうし、それを知らずに楽しく過ごすこともなにも悪くない。ただ、知っていて損はない。この日は忌野清志郎しかり、いつの間にか歴史やルーツを知る事がポイントになったように感じた。いつ知ろうと、そこからみんなのスタンダードになれば、それは素敵なことだ。今日は絶対に良い日になると確信できたSUN STAGEトップバッターであった。

マカロニえんぴつ (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:原田直樹

マカロニえんぴつ (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:原田直樹

ヤングバンドがいつの日かメインステージへ行く姿を見届けるのもフェスのひとつの楽しみ。3年前、海外の有名ロックバンドたちも初ライブはガレージからスタートしたということから名付けられたテント型ステージ・def gargeで初出場したマカロニえんぴつ。今年は2回目の出場にも関わらずSUN STAGE。サウンドチェックの段階で、観客たちはSUN STAGEへと移動する道のりから大盛り上がりだった。ボーカル・はっとりが敬愛するオアシスのようなスケールを感じる歌声が遠く遠くへと届く光景は爽快でしかなかった。

映秀。 (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:山下恭子

映秀。 (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:山下恭子

Hygge STAGEに初登場の映秀。も今後が楽しみでならない若手。本人も40分の持ち時間を最初は長いかなと感じていたと話していたが、風も吹く気持ちいい時間でもあり、もう終わりなのかと感じたぐらいにあっという間に終わった。後方の観客からも手が振られ、それに手を振り返す余裕もあり、ますますステージが1年ごとに大きくなっていく模様を見届けたいと思った。

怒髪天 (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:千葉薫

怒髪天 (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:千葉薫

この日も北海道出身組はもちろん出場。EARTH STAGEでは、昼過ぎに怒髪天、the pillowsと連続して観ることができた。怒髪天は登場SEから凄い手拍子が起きて、今までどこにいたのだろうと不思議に思うほどの大人の観客たちが一斉に詰めかける。増子直純の「よく来た~! 3年ぶりの乾杯タイム! 乾杯~!」という歓喜の声を聞くと、改めて『RSR』に来たのだと深く深く実感できた。3年前の2日目、初日台風中止の悲しみをSUN STAGEトップバッターとして吹き飛ばしてくれたのも怒髪天だった。「ロックフェスに来て、ロックバンドを見ないでどうする!? あなたたちは正しい!」という言葉も、ロックバカの自分を肯定してもらえたようで、とんでもなくテンションが上がる。

the pillows (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:山下聡一朗

the pillows (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:山下聡一朗

そんな怒髪天との地元同世代コラボも披露したthe pillowsの山中さわお。「凄い普通に一生懸命やっているのに、怒髪天の後だと地味に感じる!」という冗談にもニコニコしてしまう。また、あくまで自分自身の話としてコロナ禍対応への考えを述べた上で、今の世の中にマスク無しで過ごせるフェスが無いことを心から憂いた。「凄い居心地が悪いんだよ。ロックファンに謝りたい気持ち……。でも、音楽は全力でやるだけだから」と、この言葉には胸が締め付けられた。冗談交じりで言っていた言葉だが、この人は本当に一生懸命音楽を届けてくれてると感動しかなかった。人間が生きていくことの難しさ切なさ儚さ憤り哀しみを歌った「ニンゲンドモ」も突き刺さりまくったし、大名曲「ハイブリッド レインボウ」は『RSR』の国歌級の歌だと心から想う。<Can you feel?>という歌詞の問いかけには、未だに胸騒ぎが止まらない。

LOSALIOS (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:山下恭子

LOSALIOS (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:山下恭子

1999年に『RSR』が初開催された時の衝撃を未だに覚えている。当時、大学4回生の私は北海道まで行けず、指をくわえて観るだけだったが、今のネットSNS社会とは全く違うので、音楽専門チャンネルで鑑賞するのと、音楽雑誌の特集で読むしか情報源はなかった。なので、23年経っても、当時はBLANKEY JET CITYで出演していた中村達也が、今年もLOSALIOSとしてステージに立ち続ける姿は何だか誇らしい。インストバンドであり、ただただ硬派でソリッドでロックなステージング。ギターの加藤隆志が参加していることもあり、スカパラのメンバーたちが観に来ているのも素敵な光景だった。

NUMBER GIRL (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:原田直樹

NUMBER GIRL (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:原田直樹

そして当時、メジャーデビューしたばかりの新人バンドで強烈なインパクトを与えたのがNUMBER GIRLだった。この時の「透明少女」の映像は何度観たかわからない。2019年再結成を発表した時に、一番最初にライブの場として告知されたのも『RSR』だった。ただし、先程から書いている様に初日は台風中止、翌年がコロナ禍で中止となり、他の場所でライブを観る事はあったが、『RSR』で観なければ何の意味もないくらいにまで思っていた。この日、サウンドチェックから向井秀徳は上機嫌で、ライブ中も冗談を飛ばしたりしていた。夕焼けで白い雲が薄紅色に染まった頃、7曲目で、何度も何度もブラウン管や液晶画面で観てきたあの「透明少女」が「あなたに捧げます! 君は透明少女だ!」と言い放たれ、轟音で鳴らされる。あの蝦夷の「透明少女」を遂に自分は生で観ることができたという不思議な気持ち……。余韻に浸ろうと思っていた矢先、状況が変わった。

「みなさん、お話が御座います。2019年我々NUMBER GIRLは再結成しまして、『RISING SUN ROCK FESTIVAL』に出演する事が再結成の目標でありました。しかしながら、開催中止が続きまして叶わなかったわけよ。今日はこの落とし前をつける為にやってきました。お待たせしました、お待たせしすぎたかも知れません。そして、WESS若林さんに感謝の気持ちを伝えます。この決着をつけまして、我々NUMBER GIRLは再び解散します」

この後、12月の横浜でのライブが最終公演である事も発表されたが、とんでもない現場を目撃してしまったと完全に動揺していた。決してうれしい楽しいニュースではないが、この日、立ち会った全ての人が、ロックの歴史における重大な証人となった。「これで俺らはバラけます。聞いて欲しい。諸行は無常である」……まさしくこれこそが諸行は無常である。ここからの演奏は、それまで以上の緊張感と気迫が増し、一気に空気が変わった。ラストナンバー「IGGY POP FANCLUB」の終盤で、向井は演奏しながらメンバー3人に耳打ちをしにいく。この後、何が起きるのかと期待していたら、そのままラモーンズのカバー「I wanna  be your boyfriend」が鳴らされた。彼らが特別な時にだけ演奏する楽曲。最後、向井は「やったぜ! ベイビー! イェイイェイイェー!」と明るく言い放って去っていったが、こちらは感情の整理整頓ができず、長い間、呆然としてしまった。でも、この目を撃つ様な歴史的目撃は、一生語り継がれるだろう。

SATURDAY MIDNIGHT SESSION (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:原田直樹

SATURDAY MIDNIGHT SESSION (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:原田直樹

スカパラにしてもNUMBER GIRLにしても、やはり、この日は歴史やルーツがポイントである。元々『RSR』では、ルーツミュージックをベースに置いて、たくさんのミュージシャンでひとつのショーを作っていく企画「FRIDAY NIGHT SESSION」を行なっており、今年は、その名も「SATURDAY MIDNIGHT SESSION~明日に架ける歌~菌滅の音楽会」がSUNSTAGEで披露された。これは音楽監督を斎藤有太(Piano)が務めて、菌滅音楽隊としてマレー飛鳥(Violin)、清水明(Violin)、志賀恵子(Viola)、西谷牧人(Cello)、山木秀夫(Drum)、伊吹文裕(Drum)が携わり、奥田民生、岸田繁(くるり)、甲本ヒロト(ザ・クロマニヨンズ)、渋谷龍太(SUPER BEAVER)、TOSHI-LOW(BRAHMAN/OAU)、中村佳穂が歌い、上原ひろみもピアノで参加した超が付くほどの豪華セッション。

民生や岸田は自分たちの歌を真正面から歌いきった。その姿は潔くて、粋だった。ヒロトや中村は時には楽しみながら、上原とのフリーキーなセッションをぶちかましていく。ヒロトのいつ何時も自分のペースで歌う姿は安心できたし、「シェー!」のポーズも物凄くキュートだった。中村の大御所の前にも後にも出さないでよという素直な即興歌も楽しめた。また、渋谷が若林氏のリクエストでオフコースの「生まれ来る子供たちのために」を、TOSHI-LOWが仲井戸"CHABO"麗市の「ガルシアの風」を歌った。

特に「ガルシアの風」が歌われる前に、TOSHI-LOWは、先人たちの時代からミュージシャンが愛と平和を言い出すと「歌に何の価値がある」と言われてきた事を踏まえて、ジョン・レノン、ボブ・マーリー、忌野清志郎がいなかったら、もっと世の中は悲惨になっていた事などを話した。ブルーハーツとユニコーンがいなかったら音楽は楽しめなかった事、上原ひろみや中村佳穂がいなくなったら全てが無くなるとも話した。そして、「今から歌う歌は本人が来年歌うと思う。本人は、この歌を歌う前にこう言ってる。21世紀に生きてる子供たちに贈りたい。先人たちは、ずっと歌を贈っている。受け取るのは誰だ!」と語りかける。後ろのスクリーンには仲井戸の直筆と思われる歌詞が映し出され、最後には「仲井戸"CHABO"麗市 2022年夏」という文字も見えた。

ラストはTOSHI-LOWを中心に、奥田と岸田と渋谷が、共に井上陽水「最後のニュース」を歌った。これらを、どう若い世代の観客は受け止めたのだろうか? 彼ら彼女らが受け止めなければ意味がないと思っているし、ただただお祭りやキャンプとして楽しみに来てる人がいてもなにも悪くない。どこまで受け止めれたかは正直わからないし、気になるところだ。本来、音楽は「音が楽しい」ものであるし、TOSHI-LOWもかなり創意工夫して重くならないように楽しく明るく伝えてくれていた。とにかく歌に込められたメッセージが少しでも多くの人に届いていますように。

レキシ (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:原田直樹

レキシ (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:原田直樹

今年、BiSH、King Gnu、Vaundyの出演を楽しみにしていた人々は多かったに違いない。共にコロナによる体調不良で急遽欠場となり、その代わりをフジファブリック、レキシ、藤井 風がそれぞれ急遽を務めた。フジファブリックの山内総一郎は陽が照る中で、「BiSHのみなさんの代わりに3人で来ました。BiSHのみなさんのためにも最高の夏を作ります!」と宣誓のように言ったのも素敵だった。そして、レキシは2日前に話があり、2時間後には受けて、当日も昼間に札幌のライブハウスでリハーサルを重ねていたという。観客も急遽決まったにも関わらず、レキシの人気グッズ・稲穂を持って来たり、現地で購入したり、中にはどう見てもどこかで拾ってきた本物の稲穂を持ってたりと万全の状態で臨んでいた。レキシは明らかに、この日の為のセットであり、北海道出身ミュージシャンのメドレーを歌ったり。King Gnuへの想いを込めて「白日」をユーモラスに歌ったりと、全身全霊で楽しませようとする気概を感じた。そして、彼いわく『RSR』ではなく、略して「ラサロ」を本気で盛り上げてくれた。

全員が代打としての全力野球を必死にプレイする。私の眼には、そう映った。そういう点では、ピアノ一台と共に登場した藤井 風のステージも圧巻だった。なんせ、最初の4曲全てVaundyの楽曲。こんなニクイ演出があるだろうか! そして、自身の「何なんw」「帰ろう」2曲を挟み、King GnuとBiSHの楽曲もカバーして、初日欠場のカネコアヤノのカバーまでしてしまう。レキシと同じく準備時間は無かったはずなのに、ここまで想いを込めた構成演出を用意できるとは天晴れとしか言いようがない。この日、彼のライブはYouTubeで生配信された。私が現地にいる事をわかっている知り合いからも「今、観てる!」という連絡が実際に来たし、後から聞くところによると約20万人が視聴していたという。その人気、その影響力の凄みを再認識できた。YouTubeを観た人の中から「来年は久しぶりに『RSR』に行きたい!」「来年こそは初めて『RSR』に行きたい!」と願う人たちが出てきてくれたら何より喜ばしい。現地へ来るキッカケになって頂きたい。ラストナンバー「まつり」というのも、もうこれしかないでしょうという選曲で心が弾んだ。

いよいよ時刻は深夜帯。SUN STAGEクロージングアクト前のROTH BART BARONも、一緒にユニットを組むBiSHのアイナ・ジ・エンドに捧げるようにして、CMソングにもなった共作曲「BLUE SOULS」を歌ったり、King Gnuの前身バンド時代に一緒に北海道へライブに来ていたことがあるからこそ、今回同じステージでお互いの成長を見せ合いたかったと「白日」を歌ったりした。フジファブリック、レキシ、藤井と同様に、彼も欠場した者の事を想っていて、再び全員野球的な絆を感じる。

ROTH BART BARON (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:原田直樹

ROTH BART BARON (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:原田直樹

逆に同じ真夜中でもEARTH STAGEの坂本慎太郎は、ただただ良い音楽を浴びせるということに徹していたというか、聴き手の我々も何も考えずに、ただただ良い音を浴びるということに徹していて、それはそれで美しいフェスの存在意義を示せていた。LOSALIOSで受けた感覚にも似ていたが、時間帯が真夜中であるのと、音も浮遊感が強く、それはそれで独特であったし、広い観客エリアで自由にゆらゆら踊る人の姿が目立っている。自由で多幸感溢れる……、まさしく追い求めていた理想の空間であった。

BEGIN (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:山下恭子

BEGIN (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:山下恭子

明け方4時15分。いよいよクロージングアクトのBEGIN。既に空は明るくなろうとしている。ボーカルの比嘉栄昇は、「ここまでありがとうございました! 一緒に朝日を迎えに行きましょう!」と声高らかに呼びかける。若い世代の観客は、どんな感じで楽しむのだろうと興味を持っていたが、物の見事にBEGINが楽しく巻き込んでいくのは流石としか言いようがなかった。音楽の強みであり、彼らでいう島唄の強みを感じた。単なる手拍子ではなく、上に上げる様に手拍子する上げ拍子をレクチャーすると、観客たちはすぐに楽しそうに上げ拍子をする。まるでワンマンライブのような一体感が、そこにはあった。「かりゆしの夜」では、沖縄民謡に合わせるテンポの速い踊りであるカチャーシーもレクチャーにより、すぐマスターして一緒に踊る。かりゆしとは「めでたい」という意味だが、その通り、めでたい夜、そして、めでたい朝へとなっていく。

北海道石狩のマスコットキャラクターであるさけ太郎とさけ子、BEGINのマスコットキャラクターであるマルシャちゃんも登場して、一緒に踊ったりと楽しく時間は過ぎていく。ラストナンバー手前にして、比嘉は「最後だけ喋る。俺も言いたいことがある」とそれまでとは違う真剣な表情を浮かべる。忌野清志郎への敬意も述べた上で、ミュージシャンが社会や政治について語ることについての自分の想いをとてもとても丁寧に打ち明けた。100年後、200年後に法律や教科書は変わるかもしれないが、良い歌は100年後も200年後も変わらないと話していく。

「『RISING SUN ROCK FESTIVAL』が開催されたことは、この国にとって大事なことをしています。自信を持って、音楽が好きだぜ、歌が好きだぜと言っていきましょうよ」

この言葉は見事に腑に落ちた。さまざまな歴史の経験を積み重ねてきた、沖縄で生まれ育った比嘉だからこその説得力があり、心から素直に納得できる言葉。音楽などの文化で平和を求めるのでは無くて、平和だからこそ音楽などの文化が楽しめるという、当たり前の幸せな日常を噛み締めることができた。ラストナンバーは「島人ぬ宝」。ロックフェスで歴史やルーツを感じながら踊って楽しめることは、私たちにとってかけがえのない宝だということにも気付けた今年の2日間。

最後に「家に帰るまでがフェスティバルです!」という若林氏のフェスティバル教訓も聞けたところで、スクリーンには「2023年8月11日・12日の『RISING SUN ROCK FESTIVAL』開催決定」の文字が躍った。

3年前のライブレポートで、「来年は2日間やりきった清々しい状態で、立派な日の出を拝みたい。その時まで、「あけましておめでとうございます!」という『RSR』独特の最高にハッピーな言葉は取っておきたい」と書いたものの、この日は曇りがちなこともあり、はっきりとした形で日の出を拝めなかったとぼんやり振り返りながら、退場ゲート近くのクロークで荷物を受け取っていた時、東の空に眩いくらいに輝いている太陽を拝む事ができた。『RSR』の公式Twitterで8月14日昼12時42分にある言葉がつぶやかれているが、同じ言葉を遂に、満を持して3年越しに言ってみる。

「遅くなりましたが、あけましておめでとうございます!」

来年はマスク無しで逢える事を心から何よりも祈っています。

©️RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:n-foto RSR team

©️RISING SUN ROCK FESTIVAL 撮影:n-foto RSR team

取材・文=鈴木淳史 ライブ写真=オフィシャル提供 (C)RISING SUN ROCK FESTIVAL
会場写真=編集部(大西健斗)


■『RISING SUN ROCK FESTIVAL 2022 in EZO』PHOTO GALLERY
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