ロシア・オペラの傑作《ボリス・ゴドゥノフ》を新国立劇場が上演。演出家トレリンスキが描く支配者の真実とは?【ゲネプロレポート】

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2022.11.17
新国立劇場『ボリス・ゴドゥノフ』(ゲネプロ舞台写真)  撮影:長澤直子

新国立劇場『ボリス・ゴドゥノフ』(ゲネプロ舞台写真)  撮影:長澤直子

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開場25周年を迎えた新国立劇場で2022年11月15日(火)、ムソルグスキー作曲《ボリス・ゴドゥノフ》が開幕した(上演は11月26日迄)。チャイコフスキー《エフゲニー・オネーギン》と並ぶ、ロシア・オペラの重要作品だが、壮大な合唱を含む歴史物としての規模の大きさなどから上演はまれであり、新国立劇場では今回が初めてとなる。記念年の最重要演目として、オペラ部門の芸術監督でもある大野和士自身の指揮で公演が実現することになった。

チャイコフスキーが西洋の洗練を身につけた作曲家だとしたら、管弦楽曲『禿山の一夜』などで知られるムソルグスキーは、ロシアの土着文化に根ざした力強い音楽が持ち味である。特にプーシキンの戯曲を原作にしたオペラ《ボリス・ゴドゥノフ》は、16世紀末に実在したゴドゥノフを主人公にロシア動乱の時代を描いており、このオペラが作曲された1869年当時には、ムソルグスキーの音楽の斬新さはそのままでは受け入れられず、改作を要求されたり、リムスキー=コルサコフ編曲版が主に上演されるなどの年月を経て、近年やっとオリジナルが高い評価を得るようになった。

このオペラの上演にあたり大野和士が選んだ演出家はポーランド出身のマリウシュ・トレリンスキである。二人はこれまでも2018年のエクサンプロヴァンス音楽祭のプロコフィエフ《炎の天使》などで一緒に仕事をしている。《ボリス・ゴドゥノフ》はトレリンスキが芸術監督を務めるポーランド国立歌劇場との共同制作で、今年(2022年)の4月に同地で初演してから新国立劇場で上演される予定だったが、ロシア・ウクライナ戦争が勃発したためポーランドにおけるロシア・オペラの上演は難しくなり、リハーサル半ばの段階で中止に追い込まれた。従って今月の東京における公演がこのプロダクションの世界初演となる。

この記事は先日、新国立劇場でおこなわれた最終総稽古(ゲネプロ)の様子をお伝えする。ムソルグスキーの音楽の魅力を十分に伝えつつ、演出によって《ボリス・ゴドゥノフ》という作品のひとつの面を深く掘り下げた、大変に意欲的なプロダクションだという印象を受けた。

トレリンスキは、事前のインタビューや、リハーサル開始のコンセプト説明会において「《ボリス・ゴドゥノフ》は壮大な歴史絵巻ではありますが、一方で、主人公に大きな焦点を当てています。とりわけ、ゴドゥノフの精神が崩壊するさまが見事に描かれていると思います」と語り、それゆえに、「ゴドゥノフを中心に据え、それ以外のストーリーはすべてそこに従属させ」「きわめて主観的な物語であり、ゴドゥノフの心の中に入り込もうという試み」をしたいと述べていた。つまり、このオペラを直接な政治批判などには用いずに、主人公の心理を描く演出にしたいということである。

《ボリス・ゴドゥノフ》は、1598年から1605年までのロシアを舞台に、先帝の皇嗣ドミトリーを暗殺させて皇帝に収まったボリスが、自ら犯した罪の重さゆえに苦しみ、本当は殺されずに生きていたドミトリーだと(偽って)名乗る男の出現に恐怖して死に至るストーリーだ。このオペラにはムソルグスキーが最初に構想した1869年作曲版と、上演実現のために出された要請を考慮に入れて改作した1872年版が存在する。これまでの世界各地における上演も、どちらかの版、もしくは二つを組み合わせたものなど、それぞれ違っている。

新国立劇場における上演は二つの版を組み合わせたものであり、それはトレリンスキの演出方針とも一致した選択になっている。


 

以下は今回の上演される版の(従来の)台本のあらすじである(各幕の呼び方は新国立劇場のサイトに従った)。

プロローグ:先帝が亡くなりボリスを皇帝にという声があがっている。皇帝の座を受けることにしたボリスが戴冠式に向かう道すがら民衆に歓呼される。

第1幕:高僧ピーメンと、やがて偽ドミトリーとなる修道僧グリゴリーが修道院で対話している。次の場では、修道院を脱走したグリゴリーが、リトアニア国境付近の酒場で逮捕されそうになって逃走する。

第2幕:クレムリン内のボリスの居室。婚約者と死別したばかりのボリスの娘クセニアと弟フョードルへのボリスの愛情が表現される。後半は独りになったボリスが過去の罪の意識に苦悩する。

(1872年版にはこの間に、ポーランドに滞在している偽ドミトリーと後に彼の妻となるマリーナが出会い、二人が将来を誓い合うまでを描いた一幕がある。今回の上演ではこの幕はカットされている)

第3幕1869年版のみにある場面 モスクワの寺院前の広場。困窮した民衆は、死んだと言われていたドミトリー皇嗣が実は生きていて、軍を率いてモスクワに向かっているらしいと噂し合う。ひとりの聖愚者が子供たちにいじめられているところにボリス一行が通りかかる。聖愚者はボリスの皇嗣殺しを指摘して彼への祈りを拒否する。

第4幕:クレムリン内。貴族たちは偽ドミトリーを死刑に処すべきだと議論している。そこにボリスが精神錯乱状態で現れる。ボリスの失脚を狙うシュイスキー公の導きでピーメンが現れ、ボリスは彼が語るドミトリー暗殺の時の出来事を聴いて自らの最後を悟る。ボリスは息子フョードルを呼び、お前がこの国を治めよと告げて死ぬ。

フィナーレ1872年版のみにある場面 クロームイ郊外の森の空き地。浮浪者たちがボリスの側近らを血祭りに上げている。そこに偽ドミトリーが登場し救済を告げる。モスクワに向かう偽ドミトリーに続く浮浪者たちの歓呼の声。一人残った聖愚者は、ロシアの暗黒の未来を語り、民よ、泣け!と歌う。
 

上記は通常、紹介されてきた《ボリス・ゴドゥノフ》のあらすじである。しかし、実は今回のトレリンスキの演出は、この内容を大きく覆すような台本の読みが示されている。その内容は新国立劇場のサイトに掲載されているコンセプト紹介レポートや〈Story ものがたり〉に紹介されている(編集部註:下記参照)。事前に知りたい方はそちらも読んでいただければと思う。いままで《ボリス・ゴドゥノフ》のストーリーを知っていた方ほど大きく混乱する可能性があるので、はじめて《ボリス・ゴドゥノフ》に触れるという方は上記のあらすじは忘れたほうが、今回のプロダクションを理解しやすいかも知れない。


<参考> Story ものがたり(新国立劇場公式サイトより)


【プロローグ】戴冠式を前に群衆が集まっている。ゴドゥノフは最高位の僧ピーメンと緊張関係にあるが、儀礼的にその指輪に口づけをする。幼いドミトリー皇子の死の幻影に慄くゴドゥノフだが、戴冠式の彼の演説は人々の心を掴む。

【第1幕】6年後。ピーメンは僧グリゴリーに、自分こそ現皇帝に殺害されたドミトリーの生まれ変わりと信じ込ませていた。グリゴリーはドミトリーの僭称者となる。宮殿へ向かうグリゴリーは二人の僧と共に宿屋に立ち寄る。追手が到着するが、僧たちに惨殺される。

【第2幕】ゴドゥノフは数年の支配に疲れ切っている。娘クセニアは婚約者の死を悼み、息子フョードルは、将来の自分の治世の展望を話して、父の涙を誘う。ゴドゥノフの臣下シュイスキーは、皇帝の弱みに付け込むことを思い立ち、ゴドゥノフにウグリッチで目撃したことを克明に語り聞かせる。彼の地での行為を思い起こすゴドゥノフの前に、死んだドミトリーの天使のような姿の幻影が現れる。宮殿に迫るドミトリーの僭称者は、復讐の天使なのだろうか。

【第3幕】ゴドゥノフはまたも悪夢を見る。ウグリッチの子供たちがゴドゥノフを取り囲む。フョードルが憎しみに満ちた目で父を見る。父の罪を非難しているのだ。現実にフョードルは高熱で朦朧とし、「ゴドゥノフがドミトリーを殺害した」という聖愚者の糾弾を繰り返している。

【第4幕】無秩序状態の議会へゴドゥノフが登場。シュイスキーは狂乱寸前の皇帝を嘲笑う。ピーメンが人々の病を癒すという亡きドミトリーの幽霊の話をし、ゴドゥノフを挑発する。ゴドゥノフは苦しみながら己の罪を告白する。そこへドミトリーの名を語る僭称者グリゴリーが登場、議会は混乱に陥る。ゴドゥノフはフョードルを呼び死が迫っていることを伝えるが、息子は理解できない。

【フィナーレ】集団の暴動が続く中、僭称者グリゴリーは自らが新たな皇帝であることを宣言する。

*本あらすじは演出に準拠しています

 

いずれにせよ、このプロダクションを読み解くヒントは、《ボリス・ゴドゥノフ》には、歴史絵巻としての側面と、ボリスの人間としての苦悩を描いた側面とが存在するが、今回のトレリンスキの演出の方針は完全に後者であるということだ。そして特に重要なのが父と息子の関係である。

以下、ネタバレになる部分を含むが少し紹介すると、時代設定は現代。オペラの舞台の上手(客席から見て右側)にある大きな箱(キューブ)の中は病室になっている。そこにいるのはボリスの息子のフョードルだ。フョードルは完全介護が必要な重い病床にある。フョードルはボリスにとって愛する息子であり、同時に自分の重罪を告発する恐ろしい存在なのだ。このフョードルは俳優が演じており、フョードルと聖愚者の両方の役割がこの息子に集約している。最初にフョードルが出てくる場面では、フョードルの台詞はクセニアの友人の歌として歌われるし、その後のフョードルや聖愚者の歌は舞台裏などの別の場所から歌われる。

物語はボリスの視点をもとに語られる。冒頭部分は台本ではニキーティチという警吏が群衆を痛めつけながら、ボリスを皇帝に求める声を上げさせる場面だが、その場面で舞台にいるのはなぜかボリス自身だ。つまりこの場面はボリスの想像、もしくは回想を示しているといえるだろう。

他にも台本の読み替え、もしくは深読みがいくつか行われている。大きなものでは高僧ピーメンの扱いだ。ピーメンは元の台本では正教の敬虔な修道僧だが、トレリンスキの演出ではカルト的な宗教集団を率いる長であり、最後には偽ドミトリーに惨殺されてしまう。

他にもいくつかの驚くべき読み替え、そしてその読替えに従った台詞のカット(もしくは字幕による補い)などが少しあるようだ。

視覚的には登場人物たちの表情や象徴的な物(剣や聖杯など)が舞台上部に映写されたり、舞台にいくつか置かれている枠が光っているキューブが動いたり、ネオン的な照明なども使われ、さまざまな形で利用されていく。皇嗣暗殺を思い出す場面では毒ガスを避けるマスクをつけた看護師たちがベッドに寝ている子供たちを殺していくなどショッキングな表現もある。現代的で一部抽象的な美術、衣裳、照明は演出意図と完全に呼応している。

これらすべてのことに対し嫌悪する感情を持つ人もいるかもしれないが、演出家の意図を考えた時に大事なことに思い至る。それは、権力の座にある人間は、もしかすると立派な人物などではなく、卑近で不安定なちっぽけな個人かもしれないということだ。それなのに、その人間の手に権力があることによって、民衆の運命は左右される。部屋着のガウンの下は下着姿というボリスの苦悩は、立派な衣裳をまとったボリスよりもリアルであり、それゆえに、より痛烈な批判になりうる。

そしてもともとこのオペラの中に重要な要素として描かれているロシア正教とカトリックの対立が、現代らしくカルト集団への狂信として表現されているのも、現実の世相を反映していて背筋が寒くなる。今回の上演で大きな意味を持つ、ムソルグスキーが1872年版の最後に付け加えた民衆の凶暴さは、トレリンスキの演出と呼応しているように思った。

このプロダクションの大きな救いは、ムソルグスキーの音楽である。恐ろしい世界をあますところなく描くその鋭い切り口は、美しく同時に実に斬新である。

大野和士が指揮をする東京都交響楽団は、深い熟成と純度の高さを感じさせる音色で、表現豊かに物語をリードしていく演奏が素晴らしかった。良く響く弦の低音、木管、金管、打楽器など、それぞれのパートが調和し溶け合って聴こえる。

予定されていた主役の歌手たちが政治的な状況から来日不可能になった中で、題名役を歌ったギド・イェンテインスは知的で弱さがあるボリスを好演。声も後半に行くほど輝かしくなっていたので本番が楽しみである。シュイスキー公のアーノルド・ベズイエンは本心を隠した人物を声と演技で表現。ピーメンを歌ったジョージア出身のゴデルジ・ジャネリーゼは厳しい容貌と深々とした声が印象的であった。目を見張ったのが工藤和真の偽ドミトリーで、強靭なテノールの美声と性格の強そうな演技で圧倒。

シチェルカーロフの秋谷直之は安定の舞台、クセニアの九嶋香奈枝は純度の高い声。フョードル(の声と舞台では友人役を演じた)の小泉詠子、乳母(友人役)の金子美香も上手い。ヴァルラーム役の河野鉄平は民謡調のアリアが魅力的だが、演技は相棒のミサイールの青地英幸と共になかなかハードそうな役だ。清水華澄の(娼館の?)女主人は華のある存在感、ミチューハの大塚博章、ニキーティチ・役人の駒田敏章、侍従の濱松孝行も適材適所。黙役の女優ユスティナ・ヴァシレフスカも好演。そして耳に残る透徹した歌声で(舞台には現れない)聖愚者を歌った清水徹太郎が大変良かった。

新国立劇場ではお馴染みの TOKYO FM 少年合唱団は歌も演技も優れていた。

そして、ロシアの民衆、巡礼、聖職者たち、貴族たち、そして最後の凶暴な浮浪者たちまで、多くの場面で非常に重要な役割を果たす合唱は、新国立劇場合唱団がその本領を発揮して素晴らしい歌を聴かせてくれている。ここ数年のコロナ対策のための制限は、オペラ制作においても演者同士が接触できないなど大きな問題を発生させていたが、ソロ歌手の演技などから段階的に通常に戻してきた中で、今回は合唱団のディスタンスに関する制限が初めて解かれ、舞台での歌と演技が完全にコロナ前の状態に戻った。合唱が主役ともいわれる《ボリス・ゴドゥノフ》に間に合ったのは何よりも喜ばしいことだった。

取材・文=井内美香  写真撮影=長澤直子

公演情報

新国立劇場 開場25周年記念公演
モデスト・ムソルグスキー

ボリス・ゴドゥノフ<新制作>
Boris Godunov / Modest Mussorgsky
プロローグ付き全4幕〈ロシア語上演/日本語及び英語字幕付〉
令和4年度(第77回)文化庁芸術祭協賛公演
 文化庁委託事業「令和4年度戦略的芸術文化創造推進事業

 
■公演日程:
2022年11月15日(火)14:00
2022年11月17日(木)19:00
2022年11月20日(日)14:00
2022年11月23日(水・祝)14:00
2022年11月26日(土)14:00
■予定上演時間:
約3時間25分(プロローグ・第1幕70分 休憩25分 第2・3幕40分 休憩25分 第4幕45分)
時間は変更になる場合があります。最新の情報はボックスオフィスまでお問い合わせください。(11月13日更新)
■会場:新国立劇場 オペラパレス
■注意事項:
ロビー開場は開演60分前、客席開場は開演45分前です。開演後のご入場は制限させていただきます。
新型コロナウイルス感染症拡大防止のため、託児サービス、バックステージツアーは当面休止させていただきます。

 
■スタッフ:
【指 揮】大野和士
【演 出】マリウシュ・トレリンスキ
【美 術】ボリス・クドルチカ
【衣 裳】ヴォイチェフ・ジエジッツ
【照 明】マルク・ハインツ
【映 像】バルテック・マシス
【ドラマトゥルク】マルチン・チェコ
【振 付】マチコ・プルサク
【ヘアメイクデザイン】ヴァルデマル・ポクロムスキ
【舞台監督】髙橋尚史

 
■キャスト:
【ボリス・ゴドゥノフ】ギド・イェンティンス
【フョードル】小泉詠子
【クセニア】九嶋香奈枝
【乳母】金子美香
【ヴァシリー・シュイスキー公】アーノルド・ベズイエン
【アンドレイ・シチェルカーロフ】秋谷直之
【ピーメン】ゴデルジ・ジャネリーゼ
【グリゴリー・オトレピエフ(偽ドミトリー)】工藤和真
【ヴァルラーム】河野鉄平
【ミサイール】青地英幸
【女主人】清水華澄
【聖愚者の声】清水徹太郎
【ニキーティチ/役人】駒田敏章
【ミチューハ】大塚博章
【侍従】濱松孝行
※本プロダクションでは、聖愚者は歌唱のみの出演となります。
【合唱指揮】冨平恭平
【合 唱】新国立劇場合唱団
【児童合唱】TOKYO FM 少年合唱団
【管弦楽】東京都交響楽団

 
■共同制作:ポーランド国立歌劇場
Co-production with Polish National Opera

 
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