ピアニスト務川慧悟が語る、5夜連続リサイタル 実験的な試みも加え新たな挑戦の一歩を

インタビュー
クラシック
2023.11.9

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パリを拠点にするピアニストの務川慧悟。毎年12月に日本でリサイタルを開催している。今年はついに、東京の浜離宮朝日ホールでAB両プログラムとさらにABの混合プログラムによる5夜連続演奏会という初の試みに挑戦する。また、各プログラムに明確なテーマ性を持たせるのも今回初めての挑戦だという。

バッハの深遠な世界にはじまり、自らの心の内をさらけ出すかのような親密な内容ありと、務川ならではの考え尽くされた多彩かつ意欲的なプログラム。演奏会に駆ける抱負を聞いた。

熟考して作り上げた初めて尽くしの企画

―—Aプログラムはバッハ作品を軸とした世界の広がり、そして、Bプログラムについては務川さんご自身「内向的な作品ばかりを集めた」とおっしゃっています。AとBの連続演奏会に加えて、さらに最終夜にABを組み合わせた特別プログラムを交えての企画を打ち出した意図は?

AプロとBプロの関連性については特に深い意味を持たせていないのですが、明確なテーマを掲げたプログラムで演奏会をやったことがないので、今回初めて挑戦してみようと考えました。もちろん、今までも構成についてはかなり熟考してきましたが、(一つの演奏会にテーマ性を持たせることを)必ずしもポジティブには捉えていなかったんですね。なぜなら、僕自身の中では、タイトルが付けられるほどの明確なテーマを設けることで逆にある種の世界観に縛られてしまうのではないかという思いがあったから。ただ、実際にやったことがないので、まずやってみようと思い、今回かなり時間をかけて考え出してみました。最終夜のAB混成特別プログラムは、ちょっとした実験的な試みという感じでしょうか。(*筆者注:ABプロについては後半部で詳しく触れる。)

―—そして、プログラムAとしてバッハ作品と、それらの作品からインスピレーションを受けたトラスクリプション(編曲)作品による世界というのが浮かび上がってきたわけですね。そもそも、務川さんにとってバッハの存在とは?

僕にとってバッハは最も自然体でアプローチできる作曲家の一人です。特に僕自身、趣味としてチェンバロをはじめとする古楽器を演奏するということもあり、僕の中で自由自在に音楽を感じられる、演奏できると思えるのがバッハ作品なんです。特に舞曲に関しては本当にそう感じています。そもそも、バロック期の作品というのは即興の要素が大きな意義を持っていた時代ですので、ある種の枠組みの中で縛られる必要もない訳ですし……。

―—それは、現在お住まいのパリで古楽器の勉強を通して得た感触でしょうか?

チェンバロを弾いてみて、というところが大きいのですが、現在パリで勉強しているフォルテピアノとはまた別のもののように感じています。というのも、チェンバロに関しては僕が勝手に楽器のある部屋に入り込んで興味半分から弾いていた感じなので、趣味の領域に近い“楽しみ”の中から見出した思いなんです。楽しんで弾いていたせいか、僕自身のバッハ感も大いに変化しました。

Aプロ:色褪せないバッハの作品

―—先ほどお話頂きましたが、Aプロの構成感とテーマ性について少しお聞かせください。

まずは前半と後半で世界観を分けてみました。 前半はバッハ「フランス風序曲 ロ短調」全曲とフランクの「プレリュード、コラールとフーガ」の二作品で構成しており、その後に休憩を入れる予定です。前半は円熟したバッハの長大な作品とフランクの重厚感あふれる作品を通して、バッハの精神的な偉大さというものに焦点を充てた選曲になっています。

ロ短調作品というのはピアニストにしてみれば一番弾きづらいものだと思うのですが(「長い指で手前のキーを弾いて、短い指で奥のキーを弾くという物理的な配置の問題」と務川談)弾きにくいがゆえに精神的な面で深い傑作が多いというように感じています。

もう一つ、冒頭の「フランス風序曲」というのはバッハのピアノ作品の中でも「ゴールドベルク変奏曲」に次ぐ大作だと思っています。この作品を全曲演奏できるというというのは何よりも嬉しいですし、当夜の聴きどころの一つとと自負しています。僕自身、かつてすごく時間をかけて勉強した作品ながら演奏する機会がなかったので、ようやく実現に至り、感無量です。

―—後半は多様な作曲家作品も登場しますね。

後半は近代作曲家たちが描きだしたバッハ作品によるトラスクリプション(編曲作品)数曲の間に唯一バッハのオリジナル作品である「半音階的幻想曲とフーガ」を挟んでいます。近代的な作曲技法が駆使された20世紀の作品に挟まれてもバッハのオリジナル作品がまったく引けを取らない、色褪せないものであるということを感じ取って頂けたら嬉しいです。

もう一つは、近代の編曲作品も重ね合わせることで、バッハ作品におけるもう一つの本質的な部分、すなわち技巧的な側面を浮き彫りにしたくてそのようなラインナップを考えてみました。バッハというと人物や作品の偉大さや深遠さというイメージが先行しがちですが、偉大なオルガニストであったバッハの ”ヴィルトゥオーゾならではの作品” という側面を皆さんに感じ取って頂けたらと考えています。

―—そのような意味では後半はバッハ=ブゾーニ編曲による「シャコンヌ」が、ある種の頂点ともいえるのでしょうか。

ブゾーニによるバッハのシャコンヌ編曲作品は賛否両論あるようですが、僕個人としては大好きで、ブゾーニのバッハへのリスペクトというのものがとても感じられます。メカニズム的にも近代ピアノという楽器の端から端までを無駄なく盛大に用いていて、超絶技巧と言っても過言ではないほどのヴィルトゥオージィティがいかんなく発揮されています。

要するに、「バッハにいかに寄せるか……」という視点からではなく、バッハ作品を「近代のメカニズムを持ったピアノで演奏したらどうなるか?」という問いからすべてが始まっているんですね。少なくとも僕はそのように捉えていて、それはそれで途轍もなく偉大な世界であり、すばらしい発想と創造性に満ちた作品だと思います。

―—他にもレーガー、ショスタコーヴィチの作品が並んでいますが、それぞれのバッハ観について、務川さん自身どのように考えていますか?

レーガーやブゾーニというのはつねにバッハ作品の中に新しいものを見出していました。彼らは主に19世紀後半から20世紀前半に活躍した作曲家ですが、近代の作曲家にして「新しさはいつもバッハの中にある」というようなことを公言していたくらいです。

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