《連載》もっと文楽!~文楽技芸員インタビュー~ Vol. 8 竹澤團七(文楽三味線弾き)
「技芸員への3つの質問」
【その1】入門したての頃の忘れられないエピソード
よく笑い話にするんですけど、先代の(六世)鶴澤寛治師匠のところへお稽古に上がった時、自分の師匠の師匠みたいな方だからガチガチに緊張してしまい、糸を外していてなかなか音にならなくて。そうしたら寛治師匠が「何やってんねん、そんなところ幾ら弾いたって、三味線には『四の糸』はないねんで」。その稽古を見ていた人がいて、あくる日から「おい、四の糸」とからかわれました(笑)。
【その2】初代国立劇場の思い出と、二代目の劇場に期待・妄想すること
開場してどのくらい経ってからかな、壁にヒビが入る大きな地震があったんです。その時、『生写朝顔話』の笑い薬の段の端場を、(豊竹)松香太夫と辞めちゃった(野澤)勝之輔と御簾内で演奏していて、お客さんが揺れて騒ぐ中、演奏をやめなかったので、若い人に贈られる奨励賞というのをもらいました。そういえば、奨励賞を初めてもらったのは、三島由紀夫さんが書いた『椿説弓張月』の伊豆国大嶋の段だったかな。三島さんの奥さんがおめでとうと言ってくださったのを覚えています。二代目の劇場ができる頃には私、生きていないかもしれませんが、三味線弾きからすると、大事なのは音のこもり具合。反響じゃないんですよ。初代国立劇場は、音がよくこもって耳にいい。つまり、余韻余韻が残る。そういう劇場だと、音と音の間の仕事ができます。師匠に言われた『音のないところを弾け』ですね。海外の古いオペラハウスに行くと、まったりした余韻がある。建て替え前の歌舞伎座や新橋演舞場も良かった。二代目国立劇場もそういう音響であるよう願います。
【その3】オフの過ごし方
三味線弾きは「三日滑り」と言って、三日弾かなかったらバチが滑って弾けないんです。私は今、なんかややこしい名前の病気のせいで手が不自由で弾けないことがあるので、余計に練習しないといけません。国立劇場の小劇場は余韻が残るから、手が多少不自由でもなんとか仕事ができたんですけどね。あとは、テレビで野球を見るくらいでしょうか。全くお休みの日にはよく寄席に行きます。
取材・文=高橋彩子(演劇・舞踊ライター)
公演情報
会場:シアター1010
寿柱立万歳 (ことぶきはしらだてまんざい)
十一代目豊竹若太夫襲名披露口上
和田合戦女舞鶴 (わだかっせんおんなまいづる)
市若初陣の段
堀川猿廻しの段
道行涙の編笠
ひらかな盛衰記 (ひらがなせいすいき)
義仲館の段
楊枝屋の段
大津宿屋の段
笹引の段
松右衛門内の段
逆櫓の段
(字幕表示がございます)