《連載》もっと文楽!~文楽技芸員インタビュー~ Vol. 8 竹澤團七(文楽三味線弾き)
竹本津太夫の相三味線として
1981年、團七さんは四世竹本津太夫に指名され、團七と改名して相三味線となる。盃を交わし、基本的にはその太夫のみと組むのが、相三味線だ。
「今はもう、相三味線はいないですね。私と津太夫さんのあと、私と同い年の(三世野澤)喜左衛門が(竹本)住太夫さんと相三味線になって、それが最後です。津太夫さんは大変な人格者で、今でも忘れられないのが、私を相三味線に決めて記者会見をした時、隣にいる私の方を向いて、『わてと一緒に勉強しまひょな』とおっしゃったこと。その後もずっとそういう感じでした。『自分が今までやってきたもの、先輩から習ったものはこうだけど、君の習ったものが私と食い違うところがあったら、ちゃんと主張してくれよ』と。そんなことを言う先輩は他にいなかった。実際、『私の師匠がこう弾いていたからこう弾きたいんですけど』と言うと、『それ、私の感覚とちょっと違うな、どっちがいいかな』というふうに、一緒に考えてくれました」
その関係は、津太夫が1987年に他界するまで続いた。
「津太夫師匠は公演のたびに、一番の大物をなさるから、それについていかなきゃならない。大変でしたけど、そりゃあ、やり甲斐がありました。私の人生の中で一番、緊張し、張り合いがあった時代ですね。だけど、これだ!というものがないまま、模索しながら年を経っちゃった気がします。これだと思えるものなんて、みつからないのでしょうね。年を取ると力は弱くなる分、“味”というものがお客さんの心に伝わらなければいけない。それは舞台を重ねる途上で段々とにじみ出てくるものだと思います」
相三味線を勤めた津太夫師匠との舞台。 提供:竹澤團七
≫“味”を表し、“情”を伝える