《連載》もっと文楽!~文楽技芸員インタビュー~ Vol. 9 豊竹芳穂太夫(文楽太夫)
八世豊竹嶋太夫師匠のもとで
細やかにしみじみと情の世界を語った嶋太夫は私生活でも細かかった。ある朝、芳穂太夫さんが師匠の泊まるホテルの部屋のドアを3回叩いたところ、ガチャっとドアが開き、「ノックは2回や」と注意されたという。そんな師匠から、若き日の芳穂太夫さんはこんなふうに言われた。
「『お前のような“立ち声”は、下手が際立って聴くに耐えない』と。どうしたらいいんだろう、と悩みましたけれども、要は出し方、つまり技術の問題なんですよね。技術が足りず、全部まっすぐに大きい声でわーっと言ってしまう。そうではなく、例えば節を回すのでもタンタンタンとただ同じ音量で同じ間(ま)で下りず抑揚をつけた下ろし方をするとか、歌うところの表現の仕方とか、そういうところに気をつけなければいけないということだと僕は受け止めたんですけれども、その時はなかなか、本当には分からなかった。でも最近、師匠が素浄瑠璃で語っている映像を見たら、師匠は全く動かないのに、語りには様々なニュアンスがあり、ボワーンと滲み出るものがあるんですよね。そしてそれは、今の師匠(豊竹若太夫)がおっしゃる『体幹で語る』にも通じます」
そんな嶋太夫の輝かしい舞台のうち、芳穂太夫さんが特に忘れられないのは『桂川連理柵』帯屋の段だ。
「僕は白湯汲み(太夫の最高位、“切語り”の太夫のために白湯の入った湯呑みを運び、語っている間は太夫右側床下に控える)をさせてもらうことが多かったのですが、ずっと師匠の方を向いて座っていても客席のお客さんがむちゃくちゃ喜んでいる様子を感じるんです。チラッとそちらを見たら、老若男女問わず皆さんものすごく楽しそうな笑顔で。あんなふうに聴いてもらえる太夫になることが理想ですね」
兄弟子からも様々なことを教わった。中でも豊竹呂勢太夫には大きな恩を感じているという。
「呂勢さん兄さんは入門した時から、若いのに実力があって伸びやかな声で節もよく回って、すごいなと、憧れの存在。そして、今の僕がいるのは呂勢さん兄さんのおかげと言っても過言ではないくらいお世話になりました。芸の上でもアドバイスをくださっていたのですが、要求に容赦がないんですよ。ちょっとできると思ったら、『これ、挑戦してみようよ』というのがずっと続く。3日目くらいまでは頑張ろうと思えるのですが、途中から『え、まだ……!?』と。もちろん、一生懸命やるわけなんですけど、際限がないんです(笑)。面倒見がいいし、怒るべき時はちゃんと怒ってくださって、本当に有り難かったです」
入門から2年目の2005年、嶋太夫と一緒に床を務めた『壇浦兜軍記』阿古屋琴責の段より。 提供:国立劇場
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